4月29日新聞記事の見出しです
「都内感染112人確認」
もう一つ同じページに
「都、4店舗の営業確認」
はじめの確認は
まだ三桁 気をつけよう
まだまだ 頑張らなければ
と読んでほしいでしょう
もう一つの確認は
見つけたぞ
まだ頑張ってる
と読んでは困るでしょう
逆の意味をポンポン並べて出して
こういう意味だからの 説明はどんなものか
筆不精でなく あるいは考え不精か
新聞記事はクイズではなし
見出しは ずばり読み違えのないように
書いてほしいが いかがかな
4月29日新聞記事の見出しです
「都内感染112人確認」
もう一つ同じページに
「都、4店舗の営業確認」
はじめの確認は
まだ三桁 気をつけよう
まだまだ 頑張らなければ
と読んでほしいでしょう
もう一つの確認は
見つけたぞ
まだ頑張ってる
と読んでは困るでしょう
逆の意味をポンポン並べて出して
こういう意味だからの 説明はどんなものか
筆不精でなく あるいは考え不精か
新聞記事はクイズではなし
見出しは ずばり読み違えのないように
書いてほしいが いかがかな
チャイナ肺炎に効いた国産アビガン
それで治った人も日本にいる
望まれれば他国に無償提供も
けれども法令上の特例承認はできない
外国が買えと勧めるレムデシビル
こちらは法令上の特例承認OK
自国製は認めず外国製なら認める
目の前の病人をどうするとねじ込まれても
患者が希望し病院が認めれば
使えるからと逃げ手は打たれている
病人は見捨てないでと願うだけ
クラスターという変な用語を確かめようと思って検索したら、こんな間抜けなページが現れました。
90度回転すれば読めるではないか、という担当官の忙しぶりが見えてきます。
国民総員のイライラを、わざわざ掻き立てようというのがお役人様の仕事なのでしょうか。
地球規模で画像をググると、丼に得体の知れない食べものが山盛りになった写真が並びます。
地球規模の災禍が、対処は区域ごとの個別のこととして扱われ、国際問題としては放置状態に置かれているのをみれば、山盛り丼の行列も、多くの人の心のうちはそんなものとうなずけます。
事の始まりに,世界保健機関という組織が、情報を得ながら適切な対処をせず放置していたのが、蔓延の根底要因であることは間違いないでしょう。
現状の国際機関のいくつかは、国際法治のはたらきがなく、国際放置を黙認し合うためのはたらきしか持たされていない、頼りにならないよりも邪魔者の感をぬぐうことも難しい状況にあるのです。
世界の要人たちが、誰かのために誰かを立てるという忖度勘定を続けている限り、人類は自分が作ったAIシステムによって、徐々に衰退に向かうという哀れな予想しかたてられません。
ああ、悲しいかな。
大臣が日曜日に病院を視察、それは必要で緊急のことだったのでしょうか。
不要不急の外出を控えよ、とにかく動くなというときに、何かせずにはいられない、それが日本人の弱点です。
美徳としている日常の勤勉は、非常時には勤勉症に反転することがあります。
大臣の視察であれば、お供が随います。
迎えるほうも、だいじな仕事を差し置いても、あるいはようやく得られた休息の時間を返上しても、何人かが応対します。
全く無言の視察はあり得ませんから、顔を合わせれば、それぞれに会話が行われます。
その結果、お供の人がチャイナ肺炎に感染し、大臣は自宅待機ということになりました。
閣僚の仕事というのは、いったい何なのでしょう。
ひととの接触を8割減らそう? それなら俺は2割のほうへ回る、そんな人が1割いれば、8割目標はたちまち崩れます。
世界中が非常時のこのときに、外出を控えるよう、ひたすら要請するしか方法を持たず、後は民度に期待などと言っていたのでは、足引きのの歌のように、この状態をいつまでも引きずることになってしまいます。
ソーシャルディスタンスなどと、しゃれっ気を誘ってみても、エスカレーターに乗れば、はやる気持ちを抑えることはできないでしょう。
車間距離を開けておくとすぐほかの車に入られるから、入られない程度に詰めておく、生活で身についたそういう癖は、なかなか抜けるものではありません。
自得は 癖になりそう
自分が納得すれば それでよし
自分が納得すれば 人も意を汲んでくれるだろう
思い込みと ふたり連れ
決めたことは 約束ごとだから
何があっても 守り抜く
それで 自分は納得
自得心の強い人は 信じられやすい
反面 それを利用されやすい
自得の影響が 未来にかかわったっとき
話はすこし 厄介になる
緊急事態のもとで役所の要請に素直に応えられない人がいます。
何でも意のまま、というより、意を働かせることさえ身についていない野放図な人たちです。
自分の外部とのかかわりを、見よう見まねで、誰にも何も妨げられずに大人になってしまった人たちです。
その人たちは、ふだんは自由奔放がうらやましがられ、可愛がられて、朗らかに暮らしていますが、我慢するという非常時に必要なことには不慣れで、それが必要なときにどうしたらよいのかわからないのです。
のびのび育てるということが、一切我慢をさせないこととは違うのだと、その人の親たちが、今になって気付いたかどうか、もしそういう人がいてくれれば、チャイナ肺炎騒ぎもいくらかはプラスになったということなのでしょう。
江戸時代の庶民生活を書いた嬉遊笑覧という大著があります。
書名から想像すれば、面白おかしく書かれていそうです。
きゆうしょうらんを漢字を入れ替えてみると、杞憂招乱、こんな言葉が出来上がります。
いま地球全体に被せられてしまった未知の病の感染網は、それを消し去るまでには程遠く、大地に浸み込んだ放射能のように、超長期にわたって害を及ぼし続けるのではないかと、社会生活のすべてに混乱を招いています。
それで実験が成功したと満足していそうな大悪人が、杞憂という言葉の本家である国の首領であるという、なんとも皮肉な状況に置かれているのです。
病に勝つには、気持を明るく持たねばなりません。
しかし、自分勝手におちゃらけている場合でもないのです。
鍋に浮いたアクは、美味さを保つには取り除かなければなりません。
放っておいても毒にならないからと油断をしていれば、鍋の中はただ食べものであるというだけのものになり果てます。
味は、楽しみとともに栄養吸収を助けるだいじな要素であることが、忘れ去られているのです。
政治集団にも、しばしば放置アクの渦が巻いているのを見かけます。
思惑というアクもあります。
食材でも人間でも、アクの強さが、特徴や個性として、全体を引き立たせる役割をもっていることがあります。
しかし、出たアクは役目を終えた老廃物です。
老廃物は掬い取って捨てなければなりません。
掬うのが面倒と、怠っていてはならないのです。
10万円もらってもうれしくない人に使いみちをお教えします。
◎ほしいなと思ったけれどちょっと高いのでやめておいたものを買いましょう。
何となくうれしくなります。
◎食べてみたいと思ったけれど、そのうちにと思ってやめておいたものを食べましょう。
何となくうれしくなります。
◎飲んでみたいと思ったけれど、そのうちにと思ってやめておいたものを飲みましょう。
何となくうれしくなります。
元気を出せというおカネですから、パッと使い切ること、残しておいてはいけません。
未練を残すと、またコレッポッチという不満が湧いてきます。
消毒用のアルコールが手に入らないそうです。
酒呑みは「消毒だ」と言って酒を呑みますから、手の消毒もアルコール度の高い酒で効果があるでしょう。
手の消毒はこれでよし、それならその逆はと、消毒用のアルコールをちょっと一杯、それは危険です。
70年前頃、何人もの飲み助が命を落としました。
チベットから南シナ海へ6か国を流れるメコン川の水が涸れているそうです。
ダムを作って水を貯め込んでしまう手前勝手な国を、上流が通過しているからです。
水利は最大限まで、治水は覇権のため、あの人たちの川との付き合い方は、そういう凶育によるものなのでしょうか。