ブログあつたかい

しんちつが神の心にかなハねば いかほど心つくしたるとも (12-134)

心治める真実の道・・・と思って

2012年11月29日 19時59分33秒 | 思った事
先日より色々な事が重なり、心沈んでいた。
「心治める真実の道」の言葉を思い出して、最近行っていなかったおさしづを読むことをした。

お金を借りるということから、「借り」で調べて見た。

私の事なので、はじめは「借り」で調べても、読み進めると様々なことが思い浮かび、その頃の事を天理教事典を調べながら、そして他の言葉へ移りながら読みすすめた。

そして最終的には次のおさしづにぶち当たった。

私には、功を作ることが何よりも大切であると思えた。
なってもならんでも一つ、教祖の道具としてさせて頂ければ結構と、自分の出来ることをさせて頂こうと思う。


篠森事情に関するおさしづ
(篠森は明治二十六年一月より本部へ客員として入っている)

明治二十六年五月十一日 午後十一時五十分
『刻限』
さあ/\/\、どういう者を連れて戻るやら知れん。早く返事をせにゃならん。返事の中にどういう事、この世始めた無い事あって、これが難しい。難しい中にあらあらの道がある。どういうもの今の一時事情、始めた一人、大変苦労した。我が身我が身の心を出して、事情始めた残念さ。だん/\道を早く取り替え、だん/\諭し通り、伺い通り、どんな事でもこんな事でも危なきは無いと知らしたる。なれど伺いさしづ、諭の理を消して、めん/\心の理を拵えて、暗がりの道。めん/\それ/\怖わき恐ろしきの道を知らず知らず、めん/\結構思わく通り、よう聞き分け。数々の中に苦労集めて始め掛けた事情いかなる事も、千里跨がる一つの道、よく/\の道、心を改め替え。人間というは今日までの日は分かるであろ。明日日の事は分かろうまい。怖わき危なきの道は分かろうまい。怖わきは知ろうまい。一つの事情もよう知らず、万事心限りの道は知ろうまい。側なる者も、曇り一つの道を知らんが、早く取り替え。まご/\の心は要らんでな。これまで互い/\運んで置いて、暗がり知らんか。明日日から見せて通るが神の道。いかなるも聞き分け。


明治二十六年五月十一日 夜二時十分
『篠森教正の事に付願』
さあ/\尋ねるまでやろう/\。どんな事もよう思うてみよ。そんな事尋ねるまでのもの。

『押して願』
さあ/\、そんな要らざる心配する事要らん。そんな心配するのなら、どうする事もこうする事も要らん。そんな心配何も要らん事や。

『押して、篠森教正おやしきに入れぬように』
さあ/\踏み込まさんと言うのやない。どんな者でも、踏み込まさんと言うのやない。よう思うてみよ。だん/\見遁してある処、皆々思やんあってした事やろう。未だやはりどうも知らん。どうしたとて言うたとて、諭したとて、聞かず聞かせず自業自得でなりゃどうする事も要らん。いつまでも見て居れば、どうもならんようになる。どういう理で立ち寄ったぞ。何とも無くば何でも無い。前々より成程と思うて寄り来た処、何にも知らんから出けて来るのや。知らんから寄せた理が、いついつまでも年限経てば知らず/\の理になる。どうもならん。めん/\がこうと思えば後々の者は、何と言おうが構わんと言う。何というざまじゃ。残念を知らんか。何というざまや。すっきり放って置くで。

『押して願、中山会長へ申し上げ朝親神様へ取次一同御詫び申し上ぐ』
何も知らずに二人や三人の心で何故なったのか。

『押して願、一同御詫び申し上ぐ』
二人や三人でどんな事でも出来りゃしてみたらよい。取り扱いの事にそれだけの事分からんか。さしづも何も要らん。現在の事で何故話を付けん。小さい事やない。一日の日知らしたる。その通り成りてある。それを未だと言う。一時に消えて了う処通してある。何と思うて居るぞ。怖わいも恐ろしいも知らんが、遠い理やない。一つの声がある。何ぼ説いても口説いても聞かん。もう放って置くで。放って置けば、暗がりで知らん所で突き離されたも同じ事、知らして/\知らし抜いたる。十分に知らしたる事も棚へ上げて、めん/\の思わくばかり。何行きそうな事やある。よう思やんしてみよ。よう聞き分け/\。未だ分からんか。要らざらん事、何も心を付けるやない。めん/\でする事、どうも知ろうまい。是非はあろうまい。めんめんの怨み、これだけの事を皆んなよう思うてみよ、天然自然という処成程と言う。めん/\承知して居れば、どんな慎みも出来る。これよう聞き分けて置かにゃならん。
さあ/\もうこれ一人のためにそちらも騒がし、残念でならんが未だそれだけの事分からんか。分からんやない。なれどめん/\勝手から怖わい道を通らねばならん。これまで艱難苦労、所々一つの理を治め、それ/\速やか治めて置いて、一日の日を定めて、所にてはたんのうして、喜ぶ/\場所で一つの理があってはなろまい。又遠く所にては、自由叶うというは許した一つの理、皆怖わい中連れて通るは、何ぼでもどうもならん。百貫の力でも、百貫の物は持てようまい。扶け合いもだんだんある。互い扶け合いの中に、どんな理もある。理が許さなんだらどうもなろうまい。成ろうと思うても成るやない。これで聞き分けねばどうもなろうまい。もう一度と思う者もある。なれど叶わんで。万人の中多くの中から出て来て、大きい声も出さず、それに二人や三人の中で生涯心の理に持たれるような事を、これでも残念と思やせんか。


明治二十六年五月十二日 夜
『これまで篠森事務所詰の処、本部員相談の結果、事務一切取り扱い見合わさすよう談示の上伺』
さあ/\だん/\尋ねる処/\早う事情聞き取れ。どうもならん。気に合うと言う、気に合わんと言う。合うだけは受け取る。合わん処は受け取れん。よう聞き分け。このやしき利巧発明で付いて来たのやあろうまい。ぢばやあろうまい。ならんも言うまでやあろうまい。どうもならん。事情により不承々々ながらこれまで何事も無しに通したは、神のやしきでこそ、無理な道も通した。さしづ刻限で知らしたる。一日の日に有る無きの証拠とも言う。これから始めたる。毎晩会議々々で苦しむなよ、と諭したる。道のためとは言えようまい。尽す理とは言えようまい。さしづを尋ねたら、こういうさしづ諭されたと、めん/\心に考え。又一つ話、変わった事情聞かし置こう。よう聞き分け。軽い/\話で諭す。一戸という一つ理、一軒の理聞き分け。生さん中という理を聞き分け。世上にもあるやろう、継子殺しとも言う。この理聞き分けば一寸分かるやろう。あら/\は言うまで。どういう話に集めるなら、一軒の内に心が二つある。二つあっては、一軒の内は治まろまい。一軒の内、心二つあるとは、継母、継親、継子、この理から聞き分けたら鮮やか理。どんな難儀も知りつゝ抜けて出りゃ、どうも止められようまい。引っ張って居る間に思やんせねばならん。又一つ変わりた理、一軒の内、主は一人、それに付き添うは理、主一人の心、主の心の理で代々発達、大きい財産持ちでも、主一つの心の理によって、あちらも売り払い、こちらも売り払い、あちらもこちらも難儀掛ける。これ主一人の心の置き所の理によって無いようになる。世界に無い理を始める。一人貰い受けたる理、たゞ息一つの理によって、どんな理も出る。だん/\成程、今の一時思わく通りやない、早く/\の道を急ぐから、だん/\の事情を拵え、並大抵の道やない。めん/\も聞いて置かにゃならん。何でも彼でも精神の道を拵えねばならん。どんな難しい道を通るにも、精神の理でだん/\発達、多くの中皆同じ心なら、主一人の心の理を立てず、繋ぎ/\は天の理、世界広く諭したる処、家内は一つ言うまでやあろうまい。話古い話、これ何も知らん者が寄り合うた道、どれだけの者といえど、おめ恐れる事はないで。出ける出けんは言うまで。又一つ変わりて事情と言う、だん/\こうと言う、一時の道が切れんと言う、色品変えてこうと言う。善き事前にして、悪事災難、こういう事これはいかなる事で御座ると尋ねたら、鮮やか諭したる。今一時分かる。何も古い事やあろうまい。僅かの間ならそこ/\の理に覚えて居るやろ。をやの言う事聞かねば、心の道になってからは取り返しの出来るものやない。さあよう聞き分けるなら成程の理も分かる。何もならん功の無き者心を寄せてやりたなら、落ちて了うて上ろうと思うてもいかん。善き事なら手を叩いて寄るやろ。不承々々ながらの夜を更かし、要らん道、兄弟事情を眺め、可哀相なもの。知らんと言えば取り掛かる事あろうまい。これより一つ話変わる。内々一つのしんばしら、声が一つの理、何名何人の中、そうとそれ/\人衆何人、誰何人何人定めてない。続いて/\年限経った後は、天に映りて人衆々々の定め替え、程無くの事情、一々の処にては順という。名付ける道は一時急ぐ。譬えて話、いかなる囲いという、いかなるも恐れるやない。理によって囲いの中から大砲打ち出す理は治められようまい。誠一つ失う。大抵の道も一時に消すと言う。いかなるもどういう事も聞き取れ。万事の中にたゞ心一つ。又変わりて話、一時治まらんという。これさしづの理によって治まらんと言えば、神のさしづをせゝら笑い、空に聞いて居るからの事、さんげどころやあろうまい。一時の処、許すに許されん。許してやりたい、可哀相なもの、可哀相なれば、別けて兄弟同様の道を運び、向こに不憫を掛けてやるが、不憫を掛け、一人分かれがめん/\の理、側々掻き上げた理は、逆落しに落ちんならんが天の理。又一つ変わりた話、これだけ聞かしたら、どんな者でも一寸は分かるやろ。分からねばどうもならん。をやの心うっかり思やんと聞いて居てはならぬ。可哀相、気の毒なもの、又一つ、知らず/\起りた理やあろうまい。前々元々という、起りという、皆だん/\の事情で起りたのか。取り抑えるに抑えられん。何としようと思う。これより又一つどうするとも言わず、居るやらなあ、居んやらなあと、この事情に委せ置く。さあ、居るやらなあ、居んやらなあという事情、これ聞き分け。居るやらなあ、居んやらなあ。しんばしらにしっかり聞かせ。居るやらなあ、居んやらなあ、これ二つの理を聞き分け。

東北慰問演奏5 日程

2012年11月27日 17時20分05秒 | 思った事
東日本大震災に被災された方々の心の癒しになればと、有志が集って始まったこの慰問演奏会も5回目となった。

回を重ねる毎に被災地の様子も変化し、会の名もその都度変化して、今回は アンサンブルtomorrow「明日へのしらべⅤ」として行う。

私は2回目の時に、マイクロバスの運転手として同行させて頂いた。
その後は参加する予定が立たず、また企画者の会議にも参加できず、決まったことをこのブログを通して皆さん方に伝える事ぐらいしか出来ていない。

この演奏会当初は、岩手教区が主体として行われたが、その後は同窓会などで演奏会を企画し募金を募って今日まで来た。そして教祖130年祭への活動に重きを置くために、今回で一時休止をする運びである。

今日おぢばで、募金を渡すために久々に企画者に会った。そして話をする中に次の言葉が心に残った。
それは
「当初は曲を聞いて、涙を流しておられる方がほとんどだったが、回を重ねるごとに段々と笑顔が多くなり、今では笑いながら対応する事が出来るようになって来た。」
という言葉だった。

この言葉を聞いてとても嬉しかった。

さて、今回の演奏会はこれまでの慰問演奏とは一寸違った形になっている。
それは、少年刑務所・少年院などへの慰問演奏が含まれたからである。

教誨師をしている教区長・主事先生方から是非にという言葉で、少年刑務所・少年院への慰問。
そしてまた、支部長夫人の声で、障害者の自立支援を行っている施設での慰問
さらに、教会の近くの小学校へ会長が慰問演奏の事を伝えたところ、「児童全員に聞かせたい」との要望を受けて全校生徒への演奏となる。
(ぞれぞれには被災された方々もおられる)

【開催予定】
12月4日 本部神殿参拝の後出発
   5日 10時00分 盛岡少年刑務所
      13時30分 盛岡少年院
   6日 13時00分 久慈市 社会福祉法人修倫会
   7日 10時00分 気仙沼市唐桑町 中井小学校
      13時30分 気仙沼市 五右衛門ヶ原運動場住宅集会所
   8日 本部到着

以上です。

おぢばの風が東北へしっかりと届きますように~~!!
スタッフ頑張れー

「助けて頂いた話」をさせて頂こう。

2012年11月25日 19時02分58秒 | 思った事
昨日今日と大教会の神殿当番。
久々に、他に重要な用事が無く、予定されていた時間一杯大教会におらせて頂くことが出来た。

また、関東の教会長さんと久々に色々と話をさせて頂くことが出来、ありがたい神殿当番だった。


さて、
23日には大教会月次祭後、諭達巡教が行われた。

その数日前に「みちのとも」12月号にある、秋季大祭神殿講話を読ませて頂き、諭達前に話された内容で、逸話を台に「自らがたすかった話をさせて頂くこと」を具体的に示された事を思い出した。

そして、先日行かせていただいた「教会長おやさと研修会」の分科会「おさしづに親しむ」を受講した際に、先生が、「自ら助けて頂きありがたいと思ったことを、人が何事言われようともと話をさせて頂きます。」と自らの体験話をなさった事を改めて思い出した。

この三年千日には、この「たすけて頂いた事を話す事」以外にもさせて頂きたいと思うことばかりである。
その時その時、心を澄ませて、一つ一つ実行したいと思う。

明日の本部月次祭には、小さな子供たちの面倒は、長男に任せて夫婦で帰らせて頂く。
長男が夜間の大学に入ってくれてとても助かっている。

私は研修会で詰所泊まり。27日に近鉄で帰る予定。


車のカギ (治った~~(^^)/

2012年11月21日 18時56分43秒 | 思った事
先日来、ついに入らなくなっていた運転席ドアの鍵。

助手席から乗り降りするようになって2日目。

これではやはり不便だ。何とかならないかと。

すでに自動のキーは壊れていて、取り替えると3万はかかると言われていた。

うちの車は、12年目の車、それも23万は走っている。

ふとフェイスブックを見ると、友達の中に鍵屋さん「ABCロックサービス」の社長さんの顔が目に入った。

会ったことのない人。
そしてホームページには家の鍵のことしか書いてない。

「車の鍵は無理かなぁ」と思いながら、フェイスブックに投稿してみると「治りますよ」との事。

お店へ電話しようとホームページを見ていたところ、電話がなった。
「ABCロックサービスです」と女の方の声。(;゜Д゜)!

「今電話をしようとしていたところです。」と言うと、「見積もりは無料ですので、田所が出向きます。時間を・・・」との事。
何と素早い対応。

予定した時間に到着。見てもらうと、第一声が「相当乗り込んでますね~」。
部品を変えると2万弱はかかるとの見積もり。

「ダメもとでやってみましょう。」と作業にかかる。
さすがに、自動のキーはダメ。諦めることに。
だけど手動の鍵は何とかなるかもと。
これまたダメもとで分解する事に。

4時半から5時半までの約1時間の作業で、部品を替えずに鍵が使えるようになった。

「次ダメになったら、車を買い換えるか、鍵を新しくするかですね」との事。

そしてお代は「部品を替えてないので、出張費だけで」と3000円ですんだ。

本当にありがたかったです。m(__)m

浴槽の割れを・・

2012年11月20日 19時03分11秒 | 思った事
数年前・・・(もういつ頃だったか忘れた)、長男が腹いせにどついて割れたのが最初。
その時は、割れ目がズレていなかったので、アルミテープで漏れなくなり、ずっと使えていた。

ところが数ヶ月前、次男と従兄弟が入っていて、割ってしまった。
どうやって割ったかわからないが、数ミリのズレが生じてしまった。

浴槽を替えるとなると、壁を壊さなければならない。(大変なこと)

ダメもとで、長男と何とかズレを少なくして、アルミテープで補修した。
なんとか補修ができてよかったと喜んでいた。

ところが数日前、水の漏れる音に気がついた。
よく見ると、ズレが元の広さになっていて、アルミテープの隙間から水が漏れていることを発見。

「いっそのこと、浴槽全部アルミテープで覆えば漏れなくなるのでは?」
と思い立ち、今朝ホームセンターへ

午後からテープを張り出す。
なかなか根気のいる仕事。
出かける時間になり、貼り方を長男に指示して出かける。

夜帰ってくると、全部貼れていた。

良かった。(´∀`)
妻に聞くと、長男は学校へ行くギリギリまで頑張っていたとの事。
大きな体で、小さな浴槽に入って頑張っていたんだなぁと思うと、ちょっと嬉しくなった。


車のカギ

2012年11月20日 07時51分00秒 | 思った事
今一番困っていること、それは運転席のドアの鍵に、キーが刺さらないこと。

はじめは入りにくいだけだったが、今ではほとんど入らなくなってしまった。
CRCをかけて見たけど、変わらない。

他のドアは全然問題ない。

何か詰まっているのだろうか?
と鍵穴を覗いてみたが、全く見えない。

どうしよう。

おさづけの取り次ぎ合い

2012年11月17日 22時35分17秒 | 思った事
今日は、お呼びがかかって、結婚式場の楽人に行ってきました。
今日一緒に楽人をした会長さんが、この26日から手術で入院。
来月7日の支部の例会では、彼の代わりに会計をする事になります。

楽人を終えて、遅い昼ごはんを教会で食べながら、会計の引き継ぎと共に、色々な話を久々にゆっくりとしました。

その方は雅楽を通して、神社との付き合いが多く。
神様に願うことしかない人達から比べると、
私たちは、おさづけによって願う事が出来、またご守護頂くためのお話をさせて頂くことが出来、そしてお話を元に、日々を暮らすことが出来ます。
こんなありがたい事はないなぁ。

などと自分たちの身上を通して話し合い、そして最後に、おさづけの取り次ぎ合いとなりました。

何といっても「かしもの・かりもの」です。
自らの体がかりものならば、周囲にある全てのものは、自らの心に貸し与えられたものです。
自らの心に貸し与えられたもの、自らが生まれ変わりで変わりしての心に貸し与えられたもの。

この心を済ますために、口と心と行いに注意して日々通りたいと思います。

月次祭にて

2012年11月13日 09時04分47秒 | 思った事
昨日無事に月次祭を終えさせて頂いた。

私は体調がすぐれず、前半と後半の間に首を揉んでもらって務める状態だったが、何故か子供たちはいつもと違って結構前向きで、末の二人が自ら鳴物に座ろうとした。
(月次祭には子供たちをあわせても人数が足りない現状)

後半下り、末っ子(年長)が太鼓に座っている。
「やれるのか?」と尋ねると、「うん」という返事。
練習など全くやっていないので、たたけるわけはない。
すると、信者さんから
「間違ってもいいからやってみたら」と声がかかる。
「皆さんが良いといってくれるので、やりな」と私。
7下り目、
地方の「一ッ」太鼓の音はしない。そのまま「なむてんりおうのみこと」まで音はなし。
8下り目も同じ。
地方の信者さんが
「やっぱり太鼓の音がないと、乗らないなぁ」と一言。
そこで、地方に座っていた一つ上の兄(小4)に、「後ろについて、たたけるように教えてやって」と支持する。
9下り目、間違いながらも弱々しくも太鼓の音が入る。
10、11下りと進むにつれて、しっかりとした音が入りだす。
12下りでは、兄の「ハイ」「ハイ」という声も大きくなって、勇んだおつとめで終わらせて頂いた。

信者さん方から「たたけるようになったね」と声をかけてもらって、嬉しそうな末っ子でした。




澄ます

2012年11月07日 20時37分15秒 | 思った事
今日は支部例会のあと、支部報作り。
支部の先生たちと、あれこれ言いながらA42ペイジのものを作っている。

その時に、諭達の話が出て、
ある先生が「諭達を拝読して思ったのは、澄ますという事が一番大切だということだ」と言われ、
もうひとりの方も「私もそう思う」とのことだった。
私は、神殿でお言葉を聞いて一番心に止まった言葉がこの「澄ます」という事だったので、
ちょっと嬉しくなった。

そこで「澄ます」ということを考えていたら次のおふでさきが思いついた。

いまゝでハなによの事もハかりない これからみゑるふしぎあいづが(3-5)
こんものにむりにこいとハゆうでなし つきくるならばいつまでもよし(3-6)
これからハ水にたとゑてはなしする すむとにごりでさとりとるなり(3-7)
しんぢつに神の心のせきこみわ しんのはしらをはやくいれたい(3-8)
このはしらはやくいれよとをもへども にごりの水でところわからん(3-9)
この水をはやくすまするもよふだて すいのとすなにかけてすませよ(3-10)
このすいのどこにあるやとをもうなよ むねとくちとがすなとすいのや(3-11)
このはなしすみやかさとりついたなら そのまゝいれるしんのはしらを(3-12)
はしらさいしいかりいれた事ならば このよたしかにをさまりがつく(3-13)
このはなしさとりばかりであるほどに これさとりたらしよこだめしや(3-14)

注釈5
これまでは何彼につけて、親の心を悟る事が出来なかったであろうが、今後は不思議な合図が現れて来るから、それによって、よく親神の意のあるところを了解するがよい。

注釈6
註 信教は人々の自由であるから、この教に帰依する事を好まぬ者に強いて信仰せよとは決して言わぬ。慕うて来る者は末代までも安心の道が得られる。と仰せられたのである。

注釈7
これからは水を例にとって教を説き諭しするが、水が澄んであるとは、人々の心にほこりが無くて奇麗な事であり、濁ってあるとは、人々の心にほこりが積もっている事であるから、それによって各々に悟るがよい。

注釈8
親神が心から急き込んでいるのは、一日も早く中心を定めたいという事である。
註 しんのはしらとは、中心柱の意であって、元来は建築上の用語である。故にすべて、しんとなるものを言うておられる。
 本教では、おつとめの時はかんろだいをさし、人の時にはこの道の中心になられる方をさし、心の時には中心思想を言う。
 即ち、人類創造の理を現し、たすけ一条の信仰の中心地点を示すかんろだいを、「にほんのしんのはしら」と仰せになり(第八号八五参照)
 本教の中心たるお方を「うちをおさめるしんばしら」と仰せになっている。(本号五六参照)
 本歌は、かんろだいのつとめの完成を目指して、この双方にわたり、建設確立をお急き込み下さっている。

注釈9
この柱を早く入れたいと急いでいるが、皆の心が澄んでないので、入れる事が出来ぬ。
註 当時、かんろだいの模型は出来て居たが、その立てられるべきぢばは未だ定まっていなかった。又、親神様は中山家の後継者にしてお道のしんばしらたる可き人を、櫟本の梶本家の三男真之亮様に決定しておられて、早くおぢばに定住させたいと思うておられたが、そばな者はこの親神様の胸の中を悟らず、各々勝手な考えを抱き、皆の者が一致していなかった事を、仰せられたのであるという。

注釈10
註 もよふだては、催合う立てで、皆の力を合わせて準備計画を急ぐ事。
 すいのは、ろ水のうで水こしの事である。

注釈11
この水こしは何所にあるのでもない。各々の胸と口とが水こしである。即ち、悟り諭しによって、よく心を治め思案して親神の意に順うがよい。
註 むねとくちとは、悟り諭しの意。

注釈12
この親神の話を早く人々が悟る事を得て、親神の意図に心を寄せるならば、すぐにも中心の柱を入れるであろう。
註 本号、八註参照。

注釈13
この柱さえぢばにしっかりとすえた事ならば、それで、この道の基礎が確立し、次第に教化が世界に及んで世の中の治まりとなる。

注釈14
この道は諭し悟りの道であるから、このたとえ話をよく悟る事が出来てしんばしらが定まり、かんろだいが建設され、人衆そろうてかんろだいのつとめをするようになったならば、それで世の中が円満に治まるようになる、という親神の意図が実証されるであろう。

障害者という事から

2012年11月06日 22時55分29秒 | 思った事
先日受講させて頂いた「教会長おやさと研修会」で一つ気がついた。

それは、分科会でのこと。

その分科会は「障害者と家族に寄りそう心」というもの。
私の周囲には、精神的な障害を持つ方が数人おられ、その家族の方々が大変なことも知っており、そうした方々への心遣いを学びたいと受講した。

ところが、その先生は、「障害者とは精神的な障害もありますが、手術をして不自由をしている人も障害者です。例えば、人工肛門などを着けた方など、元気に動けていて外からは何も変わらないように見えても、何らかの不自由を持つ方は皆障害者です。」と仰った。

「なるほど、ならば自分も障害者だ。」と思って、ふと笑いが出てしまった。

「障害者が障害者を心配するための講習を受講しているのだから・・・(^^)」

障害者が障害者の心配をして、あれこれと考える。
これはまた結構なことだ。と思った。


実は、うちの教会に来て下さる方で、自分もうつで辛いけど、友達がうつで悩んでいると聞くと、心配して飛んでいく人がいる。
「会長さんが僕の辛い時に心配して飛んできてくれたから、そのまねをして」と言ってくれた時には驚いた。
この方自身、自分の心の動きに悩みを抱えて教会に来られるのだが、どうなるだろうか?という中、家族に不思議と思いもよらない結構な状況をお与え頂いて今日まで来て、喜んでいる。

まぁ。いんねんならば通って果たさなければならない。
それを、人のことを心配しながら果たして行く中に、これまた不思議な親神様・教祖のお導きがあるという証拠を見せて頂いているように思っている。


無いからやれない。ではない。
無いけれども、やらせてもらいたい。
出来ることを!

この心に、必要な時に必要なだけ、親神様・教祖は力を添えて下さるように思う。

冬が来たことを忘れてた!!

2012年11月06日 14時37分28秒 | 思った事
4日から5日にかけて頭が痛く、目が痛く、顔面神経痛のようななんとも言えない状態が続いた。
おさづけをして頂いて横になっていると眠り、良くなるが、起きて何かを始めるとまた痛み出す。
背中や首をもんでもらうと少し楽にもなる。痛み止めを飲む程の激痛ではないが、痛みが気になって物事に集中出来ずに、いらいらがつのる。

「どうした事だろう?疲れが溜まっているのかなぁ?」と色々と思案していて、「もんでもらって楽になるのは血の巡りが悪くなっている証拠。ひょっとして首が冷えている?」と夕づとめ前にふと思いつく。
早速、去年の冬に使っていた首巻きを出してもらって付ける。
徐々に痛みが治まって、座って作業ができる。
「動ける。ありがたい。」が自然と連発で出てくる。

本当に冬が来てたんだ~~。
動けていたので忘れてた!!
なりふり構わず、防寒をと思った。

そんな事で、今日は首巻きをして動けたので、献血に行けました~~。(^^)

教会長おやさと研修会

2012年11月02日 09時28分34秒 | 思った事
 10月28~30日の「教会長おやさと研修会」に特別枠として夫婦で参加させて頂きました。

 就任後3~5年を対象とした研修会に、何の成果もなくただ19年という私たちでありますが、とても有意義に、夫婦でゆっくりとした時をおぢばで過ごさせて頂くことが出来ました。

 何の成果もなく、ただただ子供たちを育てるだけの今日でしたが、研修期間中に長男が、初めて信者さんの所へおさづけに行ってくれた事が、とてもとても嬉しい出来事でした。