ブログあつたかい

しんちつが神の心にかなハねば いかほど心つくしたるとも (12-134)

神名流しをしながら

2013年01月30日 22時39分36秒 | 思った事
昨日、神名流しをしながら思った。

なぜ教祖は、こかん様に神名流しを命じられたのだろうか?と

稿本教祖伝には、

 その年、親神のお指図で、こかんは、忍坂村の又吉外二人をつれて、親神の御名を流すべく浪速の町へと出掛けた。……翌早朝から、往来激しい街角に立った。
「なむ天理王命、なむ天理王命。」
 元気に拍子木を打ちながら、生き/\とした声で、繰り返し/\唱える親神の御名に、物珍しげに寄り集まって来る人の中には、これが真実の親の御名とは知らぬながらも、何とはなく、清々しい明るさと暖かな懐しみとを覚えるものもあった。こうして、次から次へと賑やかな街角に立ち、
「なむ天理王命、なむ天理王命。」
と、唱えるこかんの若々しい声、冴えた拍子木の音に、聞く人々の心は晴れやかに且つ和やかに勇んで来るのであった。

と書かれてある。

昨日の神名流しは、その前日にイラク内戦の様子をNHKで放映した録画を見て、「少しでも納まるように親神様にお働き頂いきたい。百匹目のサルではないが、その上に一人でも多くの日本の方の心が澄んでもらえれば……。」と思いたってした。

一人で拍子木を叩きながら、よろづよ八首を歌いながら、栄を目指して歩いた。

高層ビルの間、一人で歌う声など車の騒音で人々には聞こえない。
しかし、拍子木の音はビルとビルに跳ね返って清々しい音が響き渡る。

時折信号待ちのために、交差点で立ち止まって歌い続ける。
「よろづよのせかい一列みはらせど 胸の分かりたものはない
 そのはずや といて聞かした事はない 知らぬが無理ではないわいな……」と
歌いながら、本当にそうだよなぁ。この拍子木の音で心が澄み、親神様・教祖に導いて頂ける人があることを。などと思う。

一人でする事なので、周囲の人々に威圧感を与えることもなく、物珍しげに見る人々の視線を感じる。

そうした中、若い綺麗な女性から「何をしているんですか?」と声を掛けられる。
「みなさんの心が澄むように願って歌っているんです。天理教です。奈良県にあります。」などと答え、「頑張って下さい。」と言葉をもらって別れた。

なんだか教祖が喜んで下さって、励ましてくださったように思えた。

神名流しの理由は分からないけれど、また時間のできた時にさせて頂きたいと思う。

大祭を終えて

2013年01月29日 10時30分17秒 | 思った事
25日 教会長夫妻講習会が詰所で行われ、夫婦で出席させて頂いた。
二人で参加させて頂けることをとてもありがたく思った。
これも子供たちが大きくなり、自分たちで留守番をしてくれるようになったお陰。

講習会で世話人先生のお話を聞かせて頂き、改めて心定め、教祖への成人のお約束を心に思った。

昨年の10月に大教会の人事が代わったためか、年祭活動に入った故か、どことなくこれまでの講習会と雰囲気が違っている気がした。

講習会を終えて急いで、慰問演奏会の打合せに。
時間に遅れ、体調不良とお酒を頂いていたので、妻に送ってもらう。
一時間ほど今後の予定などを聞かせて頂いた。
次回は5月初めに行く予定との事。
募金や、教祖のお導きを頂いてチャリティー演奏会など出来たらいいなぁと思った。

26日 左の耳が痛いことに気がつく。
風から中耳炎になっているように思うが、しっかりとお話を聞かせて頂こうと心に思い神殿へ。
始まりが遅いため、先に教庁での用事をすませ、神殿へ献饌から参拝させて頂く。

いつもの月ならば、そのまま十二くだりが終わるまで参拝をして、講話を聞きながら教祖・祖霊様を回り、講話を聞いておつとめをして神殿をあとにする。
しかし、今回は神楽つとめで退席し、教祖・祖霊様を参拝させて頂いて、本部食堂へ行った。

本部食堂へ向かう間、以前聞いた昔の話を思い出していた。

おぢばの月次祭の話である。
はじめの頃は、月次祭と言っても参拝者は参拝するのみで十二くだりを終えるまで参拝することはなかったようで、また、教会長さんでも毎月おぢばへ帰る事もなかったそうである。
それが、段々とご本部からの指示などで、十二くだりまで参拝する方が増え、毎月帰る方も増えたそうである。

私自身がそうだったのだが、
何不自由なく守られて育つ中で、同じようにできない方々がいることに気がつかないで、反対にできない人を不足に思うことがある。

これが本当に親神様の残念だと今つくづく思う。
せっかくの徳を不足で無くしてしまうのである。

しかし、今の自分を思えば、それも仕方のないこととも思う。
物の徳はあっても、心の徳がない。
だから、人の事までもわからない。
そして神様のお働きもお話も分かってない。
のだから。

心の徳積に頑張ろう!!


親神様(くにとこたちのみこと様・おもたりのみこと様・くにさづちのみこと様・月よみのみこと様・くもよみのみこと様・かしこねのみこと様・たいしょくてんのみこと様・おおとのべのみこと様・いざなぎのみこと様・いざなみのみこと様)・教祖、今日も一日動ける体をお貸し与え下さい。





大祭を迎える前に

2013年01月25日 05時08分26秒 | 思った事
いよいよ明日は春の大祭。

毎年、この1月25日には「教会長夫妻講習会」というものが詰所で行われる。
これまで子供たちのことがあるので、私ひとりでの参加だった。
しかし、今年は子供達全員で留守番(長男がいてくれるので)夫婦で参加することにした。

私の周囲は、これまでの年祭とは違って、すでに多くの方に身上事情をお見せ頂き、また不思議を見せて頂いているが、なかなかそのような姿を見せて頂けない方もあり、自らの身上も進行している感じがまざまざと感じられて、昨日ちょっと落ち込んでいた。

そして昨夜は8時過ぎに床に入った。
先程午前4時前、夢かどうかわからないが、昨日の事を思い返し、心定めの事で目が覚めた。

PCの電源を入れると、フェイスブックで、同窓会の会長さんの「いよいよ三年千日スタートまで秒読みとなってまいりましたね。 私もなかなか思案がまとまらないまま、緊張してきました。」と深夜に書き込んだのコメントが目に入った。

そして、心定めることの大切さを思い出した。

こころ定めた事と言えば、
先日来、このブログでうちの教会で起こった、親神様の不思議なお働きの姿を書かせて頂いているわけだが、
これは、
親神様の不思議を願ってもお与え頂けない。と思われている方には「偉そうに!」と映るかもしれない。
自分自身の動きも合わせて書いてあるので、陰徳を積ませて頂くという意味では、陰徳にならなくなってしまっている。
とも感じている。

私の心定めは、親神様・教祖がおられる事を皆様に知らせる事。
それを思って、書いた事である。

昨日信者さんのお宅へお見舞いに行った時の事である。
「息子さんに信仰が伝わらない。」
という話題になった。
その時その奥さんが「今は信仰がわからないかも知れない。けれども、これからのちあなたやあなたの子供孫に身上・事情が起きて困ったら、おぢばへお願いに行って!」と話してあります。と話してくれた。

こうした言葉は、以前他の方からも聞いた。
それは、自分の所属する教会が後継者問題から無くなるという時に、その布教所の所長さんが娘さんたちに「行く教会が無くなっても、おぢばだけは参拝に行ってね。」というものである。
その方たちは、事情を乗り越えて上級であるうちの教会につながり、その言葉から20年近くなる今日、その娘さんたちは子供たちを導く立場になられた。

どれだけの人がおぢばへ足を運び、不思議を見せて頂いていることか。

それは反対に、どれだけの人が、教祖にお導き頂いて、おぢばへ帰ることができたか。
と言うことにもなる。
親神様・教祖に心を見定めてもらい、おぢばへと導いて頂ける。
そのきっかけつくりが、においがけとも言えるだろう。


私たちは、ついつい身上ならば、体がスッキリよくなる事をばかりに囚われ易い。
これはとても狭い思案と言える。
スッキリ良くならない中、様々な人間関係から、自らが様々な事柄を悟らせて頂き、心を切り替えていくことを心に置けば、これは中くらいの思案と思える。
自らはどうなろうとも、人々が変わるならばと土台となる思案ならば、これは広い思案で、何一つ喜びの姿を見ることなく、現身を隠された教祖の心に近づけるのではないかと思う。

またこれまで天理教としての歩みで、どれだけの人が、名前さえ残らない土台の役目をして下さった事か。土台になる心で通りたいと書きながら思った。
また、その土台のお陰を忘れてはならないと思う。

初めてのおさづけ

2013年01月14日 20時47分40秒 | 思った事
12日うちの大祭の日 長女がおさづけを拝戴させて頂いた。(天理高校で)
その夜に報告の電話が・・・。

うちの事で精一杯の私たち、娘のおさづけの事などさっぱり忘れていた。
その電話を受けて、夫婦で話しながらふと思い出す。

「信者さんの所へおさづけに来れないかなぁ」と

早速娘に電話をすると、
「13日は部活があるけど、14日ならば」
と来ることに決定。

13日信者さんへ様子伺いと娘がおさづけに来ることを伝える。

14日打ち合わせた時間に名古屋駅で待つが、なかなか来ない。
30分ほど遅れて、「今着いた」と電話がある。

娘に話を聞くと、青山町まで大雪で30分遅れとなったとの事。
車で待っていた妻の話では、ラジオの情報で名阪が通行止めとの事。

車でおぢばまで送ることも考えていたが、これは無理と即座に決定。
予定通り14時01分の急行に乗るように相談しながら信者さんのお宅へ。
2時間しか滞在できない。

「一番初めのおさづけを取り次ぎにおぢばから・・。その心が嬉しい。」
と喜んで下さり、すぐにおさづけを。
娘が小さい頃おぶって下さった話や、公園に連れて行ってもらった話などから、
段々と退院してからの話となった。

自宅療養となり、家族みんなが初めてのことで、色々な事がある最中のその家。
それぞれがしている話を聞かせて頂き、
「みんなが持ち場立場で、心使ってくれる事が嬉しいですね。」
「お父さんの身上で、みんなの心が寄ってますね。」
「焦らず、ゆっくりと養生しましょうね。」
「親神様がチャンと導いて下さってますね。(^^)」
「寝ていると思うように、おしっこも出ないものなんです。私、6日間天井を見ながら過ごした経験者ですから・・・。
ね。ご主人(^^)。」
などと話し合って失礼する。

娘と妻と3人で駅前でラーメンを食べて、無事に駅へ。
「妻と最高の時を戴いたね」と喜び合う。
雪のためどうなるか分からないので、一応寮に電話を入れる。

教会に着くと、首から頭にかけて痛みが出だしたため、妻一人でお下がり配りに。
私は2時間ほど休んで動けるようになり、教会の用事を。
昨日もお下がり配りに行くつもりが、痛みで行けなかった事を考えながら夕食の支度。
そこへ妻が帰宅。

とてもありがたい一日でした。

親神様・教祖ありがとうございました。




春の大祭と諭達巡教

2013年01月13日 21時14分50秒 | 思った事
昨日、春の大祭と諭達巡教が終わりました。

ご本部からの指導にそってハガキを出したところ、毎月の月次祭には勤めて頂けない若い方たちが数人集って下さり、巡教の時には27名で話を聞かせて頂くことが出来ました。
100歳になるおばあちゃんも参拝して下さいました。

そして巡教後、先日退院された方のお願いづとめを皆でしました。

そして数人の若い方から、これから土日の月次祭には出来るだけ出させて頂きます。との言葉を頂くことが出来ました。

とてもありがたい一日でした。

うれし~い 3連発

2013年01月08日 07時45分54秒 | 思った事
昨日一日に3つも嬉しい事が重なった。

そのひとつは、
入院されている方の退院が決まった。
十全の神様の不思議なお働きがとても嬉しい。

また、
5日おせち団参に行っている中、義母の入院の知らせがあった。
命には別状無いとの事だが、91を越す高齢。
心配である。
今年の正月は、車のオイル漏れから全員での里帰りは取りやめ、時間の取れる時に妻だけが帰ると決めていた。
そうした中に信者さんの入院があり、お助けに毎日通わせて頂く事となった。
そして義母の入院の知らせ、丁度7日が妻がしている新聞配達の休みの日で、一泊二日で帰った。
行くと付き添いが必要な状態だったので、一日だけ入院の付き添いをさせてもらう事が出来たとの事。
そして付き添っている間に食事ができるようになって来たそうである。
不思議な時の御守護を感じて嬉しい。

さらに、
昨日は首の手術をしてから初めて、お供えのお餅を切った。
妻は里帰りでおらず、自分ひとりでできる気がしてやってみた。
(3社ふた飾りずつで、12枚のお餅はお下げしてからモロブタに入れて、少し柔らかくしてある。)
すると、休み休みだが午前中に全て切り終えることが出来た。
(ちょっと不安がよぎりながら・・)
お昼はくず餅をもちピザにして、始業式を終えて帰って来た子供達と食べる。
案の定、その後痛みが出だした。
これはやばいと、夕食の買い出しを済ませて、1時間ほど休む。
夕方保育園の迎えの前に子供たちに揉みほぐしてもらう。
何とか動けるようになった。(^^)
夕食と夕づとめは子供たちに任せて、支部の会報づくりへ。
会報作りを早退して病院へ、病院前で実家から帰って来た妻と待ち合わせて、教会へ戻った。
順調に時間の御守護を頂いて、周囲・家族の力を頂いて、身上を使わせて頂くことが出来た。
これまた嬉しい。

3つの嬉しい事が重なった日だった。

おせち団参を終えて

2013年01月06日 10時13分37秒 | 思った事
昨日5日
無事におせち団参を終えさせて頂きました。

みんなで入院しておられる方のお願いも合わせておつとめをさせて頂き、その後美味しいお雑煮を頂きました。

入院されている方は、正月2日には熱が下がり、点滴が取れました。
ところが4日行かせて頂くと、「昨夜痛みがあり、座薬を入れた」との事。

そして、食事も3分粥から5分粥になったものの、まだ十分に食欲が出ない。との事。

そうした中のおせち団参でした。

団参を終えて、面会時間ギリギリに行かせて頂き、お水を渡すととても喜んで下さり、
「体調は変わらないが、あの日以来痛みが無い。」と聞かせて頂いて嬉しく思いました。


うちの教会には無くてはならない方であります。
その方の家族はもとより、信者それぞれの成人を促されている身上のように思います。

親神様・教祖に凭れて、一つひとつ気がつくこと、出来ることをさせて頂きたいと思います。

あけましておめでとうございます。

2013年01月01日 17時04分39秒 | 思った事
巳年 新年あけまして おめでとうございます。

旧年中は、色々とお心を賜り、誠にありがとうございました。

どうぞ、本年も変わる事なく、お付き合い下さいますよう、心よりお願い申し上げます。


大晦日、準備をすませ(体調悪く横になっている間に子供たちが準備をしてくれました。)夕づとめをすませた後、病院へおさづけに行かせて頂きました。

先日よりまた熱が上がって来ており、おぢばへお願いに行かせて頂きたいと思っておりましたので、意を決して、あとの事は子供たちに頼み、一人でおぢばへ車を走らせました。

順調に走り、午後11時に神殿前到着。
閑散とした神殿の中、結界直前でお願いづとめをさせて頂き、教祖・祖霊様を回らせて頂きました。
11時半すぎ、少しづつ参拝者があり、結界前には行けず、中程で再度お願いづとめをさせて頂き、教祖・祖霊様を回らせて頂きました。

南礼拝場へ戻った時は丁度、12時2分。
参拝場内には多くの人。そしておつとめの声。
今度は参拝場の隅の前の方で、新年最初のおつとめをさせて頂き、教祖・祖霊様を回らせて頂きました。

回り終えて、帰途につく時、ふと石上神宮が気になりそちらへ車を走らせると、こどもおぢばがえりで「決戦!忍者村」の場所が、石上神宮の臨時駐車場になっていました。

その様子を見たとき、教祖の当時を思い出し、親神様の不思議を感じながら通過して、名古屋へ帰りました。

あまりの眠たさに途中で仮眠、ふと気がつくと、大教会の元旦祭ギリギリの時間。
大慌てで教会へ戻り、おつとめ着を持って大教会へ。

5時の元旦祭に間に合う事が出来て、親神様に御礼申し上げました。