ブログあつたかい

しんちつが神の心にかなハねば いかほど心つくしたるとも (12-134)

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本部月次祭・・・そして

2010年03月26日 23時06分13秒 | 思った事
大教会の月次祭後から体調が悪く、ゴロゴロしながらの日々が続き、今日の月次祭も出かけるのをやめようかと、起きた時に思っていた。
しかし、出かける時間に起きてきた末っ子の「行く!」の言葉で、出かけることにした。(娘の高校入学説明会は妻が出席するが、その間末っ子を見る人がないため)
昨夜は、体調も段々と良くなって来ていたので、おぢばの帰りには病院へおさづけに行かせてもらいたいと思っていた事もあり、出かける限りにはと「帰りに病院に寄るよ!」と妻に話しをして出かけた。

案の定、行く途中で体調が悪くなり、運転を交代する事になり、説明会の間は車で横になる始末。しかし、次女が出発直前に一緒に来てくれたので、末っ子の面倒は彼女に任せて、横になっている事が出来た。

帰り道、病院に立ち寄る、不治の病で動くことが出来ない方で、一週間程前に高熱が出て、この熱が下がらなければ危ないと言われていた方である。
いつもは高速道路のインターを降りてその病院に向かうが、渋滞17キロの文字を見て下道で向かう。後ろの席から運転する嫁さんと道の相談をしながら、感を頼りに走る。思いもかけずスムーズに病院に着く事ができた。面会時間終了ギリギリであわてて病室へ向かう。
熱は下がっているようで、まずは一安心。今日の夕方から元気が出てきた。縛られているようで身体が動かない。との事(呼吸器をつけていて、しゃべれないので、ボードで会話をする)
おぢばの帰りであることをつげておさづけを取り次がせて頂く。おさづけ後不思議なことに手足を楽に動かし始めて、起き上がろうとまでされた。不思議なことである。
「いんねんならば通らなければならない。しかし親神様・教祖は常に私たちを見ていて下さっている。些細なご守護を喜んで行きましょう。」と告げて帰ってきた。

この病人さんの姿は、私の本来の姿だと、行かせてもらう度に思う。
痛みを感じながら、休み休みしながらも、日々動かせて頂ける事に感謝である。
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訳すことについて、その他

2010年03月25日 10時41分40秒 | 思った事
『訳す』ことについての話題が出たので、参考資料として
このブログの カテゴリー「あつたかい図書室」に 
『おふでさき 付注釈』に書かれてある、おふでさきについてを載せました。

「訳すこと」以外にも大切な事を話して下さっていると思います。
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おふでさきについて 『おふでさき(付註釈』

2010年03月25日 10時13分30秒 | あつたかい図書室
『おふでさき(付註釈)』「まえがき」
【昭和3年4月 中山正善 書】
 余程以前である。私がまだ母の膝に親しんでいた時分である。私は母から、教祖様が参ってきた人々に誰彼(だれかれ)の差別なくおふでさきを読めとおすすめになった、という話を聞いた。また、
「これさえ読んでおけば、少しも学問はいらないのやで」
と、日々母におさとしになったという話も耳にしている。それ以来、私の幼い胸にも、未だおふでさきが発刊されずにあるのが、かえって不思議に思われたくらいであり、発刊が早ければ早いほど親神様のお心に添うものである、と深く心に銘じたのである。
 爾来(じらい)数年の月日は流れ、教祖様おかくれになってから四十二年目の今日、即ち立教九十一年に初めて私の幼い望みが実現される機運が到来したのである。否、これは独り私の望みではなく「よろづよのせかい一れつ」の神の子が日夜欣求(ごんぐ)していたものである。しかもこの発刊は、父新治郎も教祖様の意を体して常に心掛(が)けながらも、時を得ずして敢行し得なかったことを思えば、親神様の深い恵(めぐ)みにより、この運びにいたったことを身に余る光栄と思うと共に、父の笑顔も眼前に髣髴(ほうふつ)するようである。
 私達の喜びを広く頒(わか)つに当たり、一言おふでさきについて述べ、慕いくる人々の栞(しおり)とする。

 おふでさきとは、明治二年より、教祖様(御名中山みき、明治二十年旧正月二十六日御帰幽、御年九十歳)が親しく筆を執って書きのこされた天啓録で、みかぐらうた(慶応二、三年、一部ハ明治三年及ビ八年)及びおさしづ(教祖様直々ノオ言葉、及ビ飯降伊蔵翁取次ギノ神意、明治二十年ヨリ同四十年ニイタル)と共に、天理教教義の骨子をなすもので、全編十七号に分かれ、合計一千七百十一首のお歌が集録されている。

  このよふハりいでせめたるせかいなり
  なにかよろづを歌のりでせめ   一 21
  せめるとててざしするでハないほどに
  くちでもゆハんふでさきのせめ  一 22
 これはおふでさき第一号の中にあるお歌で、恐らくおふでさきの名の出てくる所以(ゆえん)のものであり、また、本編に筆録されてある神意の内容を雄弁に物語っているものである。
 更に、おさしづをひもどく時、おふでさきのいかに意義深いものであるかを示し、ややもすれば人間心にほこりにまみれて、親神の真意を忘れようとする人々に、訓(おし)えられるところが多く見受けられるが、次に示すはその一例である。
  さあ/\今この一時一つ世界という中に、一つという理は、世界にある。そこで、これまでどんな事も言葉に述べた処が忘れる。忘れるからふでさきに知らし置いた。ふでさきというは、軽いようで重い、軽い心持ってはいけん。話の台であろう。(明治三十七年八月二十三日ノおさしづヨリ)
 思うに以上のおふでさき及びおさしづによって、おふでさきとは、たとい教祖様がその都度に起こった事情身上のおさとしをされたものをも含むとはいえ、それは、ほんの特別な人々に説かれたものではなく、その内容は「よろづよのせかい一れつ」に当(あ)てはまる神意であるから、ややもすればその場限りの個人のものとして、打ち捨てがちになる人々をあわれまれる親心より、筆録されたものであるは明らかである。換言すると、親神様の思召を、あやまりなく、また、もれなく「よろづよのせかい一れつ」の神の子供達に伝えたいとの親心より書きのこされたものと悟り得るのである。
 このように考えると、明らかにおふでさきは、既に教祖様のひながたの道を辿(たど)りつつある天理教徒の聖典として、しまっておくものではない。教祖様が常に口にされ筆にされたように「よろづよのせかい一れつ」にあやまりない真理であり、あらゆる人間の陽気ぐらしの根本をお示しになったものである以上、人間の聖典と見て万世に伝えてあやまりなく、海外に及ぼして悖(もと)らぬものである。
 教祖様は日本人であり、おふでさきは和歌の形で記(しる)された日本文であるから、これを直ちに世界に宣布しようとするには翻訳の必要を感ずるのである。換言すると、私は単に日本文としてのおふでさきの形を固守せず、自ら進んでこれを方々の言葉に訳して、少しも神意に反するものではないと信ずるのである。
 私達は、常に教祖様の教えを「かなの教え」であると称(とな)えている。これを形の上より見ると、天啓録が主に仮名(かな)で伝えられているからであるとも思われるが、更に深く考えると、「かなの教え」とは、どんな人にも分かりやすいようにして、親神様の思召を得心ゆくまで説いて聞かすということである。故に、単に形にのみとらわれてこれを墨守し、その精神を悟らぬは「かなの教え」に反するもので、常に陽気心に、勇んで事に当(あ)たるこそ、親神様の思召にかなうことになり、教祖様のひながたの道を辿(たど)る唯一(ゆいいつ)の方法である。即ち翻訳もやはり「せかい一れつ」に「かなの教え」として、教祖様の思召を徹底さすための方便であるが、いたずらに文辞の末にのみ力を注いで、本来の精神を忘れるようになると、それは単に文辞の遊戯であって、「かなの教え」の意にそむくものである。これは私達の特に注意を要するところである。

 しかし、言葉は民族によってのみ変わるのではなく、また、たとい同一民族でも、時代によってその使い方に遷(うつ)り変わりあるは自然の勢いである。されば、おふでさきを解釈するに当たっても、教祖様の時代の使い方を考えずに、直ちに現代の使い方のように解釈する時は、「よろづよ」かけて変わりない親神様の深い思召を、あたら一代限りのものに狭めてしまう憾(うら)みがあると思うのである。
 加うるに、教祖様の時代は、封建制度破れて王政復古の明治維新当初であり、社会制度においても一大変動を来した時代である。かつ教祖様はその半世を親しく鋤鍬(すきくわ)を取って耕作された方であり、また教祖様より直々(じきじき)にお話を聞いた人達、即ち、そばな者やおぢばに教祖様を慕って帰参した人達の多くは、農業に従事していたことを考えると、教祖様が常に農事に関する例を以てさとされ、その時代の大和の俚言(りげん)俗語を多分に含めておふでさきをおつくりになったということは自然であろう。

 日の車は寸時の休みもなく回っているように、教祖様の教えも広まってゆく、しかして、昨日まで人間心に苦しんでいた人々も、今日はおたすけ人衆としてたのしい生活に、感謝の祈りを捧(ささ)げているのである。しかし一方、年限の経(た)つにつれて、昔の史実の記憶もうすらぎ、ただ書きのこされた文辞を遊戯気分で解釈し、その中に含(ふく)まれてあった肝心(かんじん)な精神を忘れてしまうようになるのは、世の常であることを考えると、私は、おふでさきの真意を「よろづよのせかい一れつ」に伝えるためには、何とか方法を取らないと、親神様に対してすまないような気がするのである。史実や俚言俗語の解釈を主とした釈義をつけたのは、これがためである。
 幸いにして、この釈義によって「よろづよのせかい一れつ」くまなく教祖様の思召を伝えることができ、人間幸福の根本である陽気ぐらしの世の実現に益することができたならば、釈義編纂(へんさん)の目的は大半達せられたのである。
 終わりに、私は、教祖様の後(あと)をうけて、遺教おふでさきを初めて発刊するの光栄を、重ねて深く親神様に謝すると共に、教義及史料集成掛諸員の努力を厚く労(ねぎら)い、「よろづよのせかい一れつ」の神の子に、親神様の真意を伝えるよろこびを共にしたいと思うのである。
 ひながたの道を歩むおたすけ人衆諸子よ、私は諸子にあやまりなき信仰の熱誠を以て、勇みに勇み「せかい一れつ」の救済に努力されんことを切望する。

 昭和三年四月 中山正善
『おふでさき(付註釈)』1~10頁

※翻訳・労いの字には、入力できない字が当てられている。(立教153年4月26日印刷発行本)
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出直し・・・そして

2010年03月22日 08時36分58秒 | 思った事
どんなことも 最後は出直し、やり直しである。

死も出直しである。

これは、「親神様からからだを借りて、魂は生き通しである」との考え方ならば、このように考えて、次へ進むことが出来る。

ところが、人間なかなかその様に考える事が出来ずに、苦しみもがき、苦を重ねて、ほこりを重ねているように思える。

出直して形は変わっても、そこまで行った功績は残っているのである。

例えば、会社が倒産することになったとしたら、その会社や社長の肩書きは無くなるのである。しかしその社長がしてきた事は、周囲の人の心にあり、社長に恩を感じる人があれば、この時にとばかりに再出発するための、手助けをしてくれるだろう。反対に迷惑をかけられたと思う人があれば、「それ見たことか!」とそれまでの憾みを晴らす気持ちになるだろう。

何よりもありがたいのは人の心であり、何よりも怖いのも人の心であると思う。

出直すまでの日々、どのように過ごすか、それもそれぞれの心に任されている。それぞれの責任において。

親神様の不思議な働きを見聞きして、親神様を知っても、その思いを知りその様に通ろうと思う事、これ自体もそれぞれの自主性に任されている。

日々の人間の生活は、陽気ぐらしの実践でもあり、陽気ぐらしが出来るようになる心の成人の歩みでもあると思う。
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体調

2010年03月14日 08時50分04秒 | 思った事
手術を終えて丁度1年になり、10日にMRI・レントゲンの撮影をしたところ、手術の箇所は大変良いとの事だった。
ところが、今月はじめ頃から体調は良くない。肩や首に痛みと共に目の痛みが時折起こる。肩や首を揉んでもらうと目の痛みは楽になる。
どうしたものかと考え中である。

昨年暮れから始めた事も、そうした体調によってやりづらいのだが、何とかやり遂げたいと思っている。
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月次祭

2010年03月13日 09時10分15秒 | 思った事
昨日無事に月次祭を終えさせていただけた(^^)
前日の準備では、春休みでおぢばから帰ってきた息子に、神饌物の並べる順番を話したところ、素直に聞いてくれた。おぢばの学校に入れて頂いたお陰だと、とても嬉しかった。

月次祭では、結婚50年を越えた方々に、初めて粗品を進呈させて頂いた。
それが5組もあり、最高の方は57年。
それぞれに色々な中を乗り越えてこられた方々である。

直会では、初めて今の政治についての議論が出た。自民党系の方も民主系の方もいて、それぞれ思うことを初めて聞かせてもらった。
その中で、最後に「政治家になるにはお金が掛かるけど、今日はただで政治家になれたね^^」って、ある奥さんが言われた言葉がとても印象に残った。

初めての事ばかりの 月次祭でした。



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助かるか・助からないか・・・・

2010年03月03日 06時29分29秒 | 思った事
『逸話篇』には、教祖が助けてやりたいと足を運ばれても、教祖の言うとおりにできずに、助からなかった話がある。
「人々を助ける神様の道具として使いたい」そのための仕込をしたいという場合の身上である。
 この時、なぜ教祖の言うとおりに出来なかったのだろうか?自分の心に照らし合わせて考えて見ても、高慢の心が強すぎたためのように思える。

親神様には不可能ということはない。しかし、親神様の思いに添えない人間の心、これが救けて頂けない原因である。

「いんねん」によって3歳で命を落さなければならない話もあるが、この時には「三歳でも一生である。これだけ信仰していても・・・と心を倒さないように」という意味の話しをされている。
 若くして迎え取り(出直しをさせ)、早く生れ替わらせようという事もある。たまえ様・初代真柱様など。

前者と後者の違いは、(調べて見ないとはっきり言えないが・・・)身上になっている時間の長さに違いがあるように思う。後者は願う間もなく出直してしまう。そんな気がする。

人間の思案は今生や自分を中心として考えるが、親神様の思案は陽気ぐらしへ向けて、そうした人間の性分を加味し、来世、また全体を思ってのものであると思う。
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