ブログあつたかい

しんちつが神の心にかなハねば いかほど心つくしたるとも (12-134)

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診察にて

2009年04月22日 20時00分45秒 | 思った事
今日22日
手術後初めての診察があった。

不思議なことに、昨日までそんなに無かった手の痺れが、病院に向かおうとする頃から初まり、診察時には両親指のしびれを報告した。
しかしこのしびれは、手術前よりは軽い感じがする。ただ、左右を比べると右手の方が良くないと話したら、右手だけ反射がおかしい。その他(足も含めて)はすべて正常になった。と言われた。

また首は、自分で動かす分には大丈夫、しっかりと動かすように言われて、運転も大丈夫との事だった。(今日の車中は首のカラーをつけなくても、気にせずに乗ることが出来た。)
まだ時々肩や背中が痛む感じがするが、段々と外へ出ようと思う。

次回は6月17日 にMRIとレントゲンの診察である。
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その後

2009年04月20日 22時00分32秒 | 思った事
お陰さまで、順調に回復している。

昨日から首の後ろが痩せたような感じがして触ったところ、骨を切除した部分が分かるようになった。
これまで首の後ろの部分がまだ脹れていたようだ。

17日に、一寸運転をしてみた。首のカラーをつけながら。
首が動きにくいと、左のサイドミラーがこんなに見にくいとは・・・と感じた。
妻に横に乗ってもらっての運転で、この事について話をしたら、めがねをかけている妻にはいつもの事で、「とても見難いし、鏡に映らない場所があるので、車線変更の時には本当に困る。昔のフェンダーミラーの方が良かった。」との事。
正しくである。デザイン的には良くても、使い勝手の悪いのは・・・と思うが、金の無い者にとってはそんな事は言っていられない。

運転をしてみて、まだ急な首の動きが出来ない事に気がついた。
30分ほど乗ってみたが、多分前回同様一寸痛みが出るだろうなぁと思ったところ、案の定次の日一寸痛みが出た。しかし、それも今日は治まった。
カラーをつけていては、運転は難しい事が分かった。まずはカラーをつけずに乗れるようになりたい。

「何かをしたい」と思えるのは体調が良くなってきているから。と思えた。

本もこれまでに、ゆっくりではあるが4冊ぐらい読んだ。

本当にありがたい。
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月次祭と手術後1ヶ月

2009年04月13日 07時37分26秒 | 思った事
昨日12日は、手術後丁度1ヶ月、そして四月の月次祭だった。

月次祭はカラーをつけながら、休みながら祭文奏上、後半下り、挨拶を勤めることが出来た。

順調に回復して、PCにも結構長く向かえるようになった10日、月次祭の準備で私の変わりに飛び回っている妻の手助けをと思い、休み休むであるが家事を行った。
ところがその夕方、首が痛み出した。なんとか痛み止めを半状飲んで、会報(挨拶と予定表のみ)を作ることが出来た。

家事をするには結構下を向くことが多く、それが首に負担をかけたと思った。
お陰さまで本日は結構楽にさせて頂いている。
今回の失敗を経験に、少しずつやっていこうと思う。

しかし、本当に月次祭はありがたい。
みんなでおつとめを勤める事のありがたさを、これまた味合わせて頂くことが出来た。
身上に感謝です。
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自宅療養その後

2009年04月06日 01時01分18秒 | 思った事
昨日より、ようやく痛み止めを飲まずに過ごすことが出来るようになった。
そして数時間続けて座っていることも出来て、ありがたい。
しかし、まだ下を向いたりすると結構つらい。さらに、車ではカラー(首の固定具)をつけていないとすぐに辛くなる。

そんな中、「御存命の頃」を読んでいる。昔読んだのだが、とても読みづらくて途中でやめた本である。
ところが、今回は大変読める。とてもうれしい限りである。

そんな中の一番はじめの気づきは、序文の2代真柱様のお言葉である。

【仮名遣いは①ゐ=い。②思はれて=思われて。③いへ=いえなどと現代の書き方に書き換えた。また、私が読めない漢字のふりがなは()にしるした。】
手術前に病院で入力したもので、現在はまだこれだけの事は出来ない。
『「御存命の頃」序文(初版の序文をそのまま再録)
 高野君が天理時報に連載していた「教祖伝の時代背景」が出版されて『御存命の頃(ころ)』となった。日頃その出版を待っていた自分は今日の日をよろこぶものである。
 教祖様のお通りあった時代は、明治維新前後百年であり、所謂(いわゆる)日本の黎明(れいめい)の頃なのであるから、その時代の歴史自体が興味深いもので教祖伝研究の側面史として是非踏み入らねばならぬ分野である。
 併(しか)し乍(なが)ら、従来ものされた教祖伝には遺憾(いかん)乍らこの点に余り留意されていない。これはその頃の人々に取ってあまりに市井(しせい)の雑事に思われて興味もなかった事にもよろうし、教祖様の御伝記、ひながたの道としての教祖様の御行動を、書きとるに汲々(きゅうきゅう)として、かかる事にまで視野をむける余裕がなかったことによるとはいえ、吾等(われら)後輩教徒にとっては、従来の教祖伝を繙(ひもと)けば少からざる空漠(くうばく)さを感ずるものである。
 高野君はこの点に意を注ぎ、或る意味から見て未踏であったこの分野に、最初の踏査を試みた。而(しか)して健脚にまかせてその頃から生存している古老を歴訪し、又郷土に語り伝えられている語り草を採取してまわった。
 もう十数年も早くこの事に従事する人があったならば更に豊富な資料を集め得たものであろうが、しかし乍ら、遅れ馳せながら高野君によってこれ迄の資料を残し得た事は、何といっても意義深い事である。
 只(ただ)、遺憾とする点は、今日古老と称する諸人(しょじん)にしてもその頃は幼少であったため、見聞が幼稚であったろうし、それから今日迄の長年月の間に、他より注入附加された説をも、己が経験した見聞と区別することなく、多少混同している憾(うら)みがないとはいえない。
 教祖様御誕生以来、既に百四十年ばかりたっている今日、今年百歳の古老ですら教祖様の四十歳前後に生(うま)れたにすぎない。八九十歳の古老であれば、漸(ようや)く、かすかなる己が幼心に映じた明治前後の様を語り得るものである。それ以前の事は論なく古老の父母によりて語られしものを、一次的に中継するものである。
 又、古老なるものはその長い年月の間に於(おい)て後世捏造(ねつぞう)されたと思うことですら、聞くこと度重なれば、己が経験した見聞であるかの如く思い誤まることがないとはいえない。かかる実例は自分も度々経験した事で、数年前は否定した行跡を数年後には己が経験した事実かの如く、同一人より話された事である。而してその矛盾を指摘するとも、
「そうかいな」
と軽く答えて、とりつく島なき思いをした経験をもっている。古老の話とは得てして左様な危険を多分に含んでいるものである。いわんや、年代に於て一、二年前後している位の事は頻出するものと考えざるを得ない。
 されば高野君の蒐集(しゅうしゅう)に於ても、ほんとの見聞談と、古老の父母より聞いた話と而してその後捏造された流説とが混同されている事であろうから、その話が直ちに歴史的事実と断ずる事は出来なかろうし、又、並列されている古老の話の間にも相違している所もあろうと思う。併し乍ら昭和年代の古老が話した昔物語りを高野君があつめたのだとの点は、確かであって、この意味に於て後世同志への標準を示したものといえる。
 天理時報へ連載された時々に、その誤謬(ごびゅう)であること、その無責任なる事、将又(はたまた)語る人の当を得ていない事等の批難を耳にした。中には尤(もっと)もと思われる所もあった。しかしこれを以って直ちに歴史的事実と断ずるが故に生ずる不平不満が多い様である。が、前述の様に昭和の古老はかかる事物語れりと、単なるお伽(とぎ)話に近いものと解釈するときは、真向から訂正申込みするのも大人げない事とさとるだろう。事実と思えば腹がたつというような人は、高野君の聞いたお伽話ぢゃ、昭和古老の昔話ぢゃと思えばよいではないか。高野君は屑屋(くずや)の役割をつとめた様なものである。君はあつめた反古(ほご)を丹念に一枚々々皺(しわ)をのばした。火のしをかけた。而してほっておけばそのまま亡(ほろ)んで了(しま)うにきまっていた記事を誰にも読める様に、皆さん見て下さい、と陳(なら)べた様なものだ。反古紙の中から資料をひろい出したまでである。その資料から役にたつものとたたぬものとを撰(よ)りわけるのは、この資料を利用する人の仕事である。
 聞けば高野君は三ヶ年余、その精力をこの屑買いに集中したという。その頭陀袋(ずだぶくろ)中には尚(なお)幾多の資料が未整理のまま蔵されているという。高野君の今日迄発表されたものは、一枚々々反古紙をのばしてゆくのを順序なくならべたもので、云(い)わば偶然に日の目を拝み得たものに過ぎない。頭陀袋中に残っているものにもっと貴重なものがあるかも知れない。しかし此(この)屑買いを高野君一人に委(まか)せきらずに同業組合の出来る程、屑買いが発展してもよいと思う。更に君の努力を希(ねが)うと共に、新進の屑屋出でて、幾多古老の脳味噌の掃除を強要してほしい。
 何にもせよ、高野君三年の苦心は、結集されて此処(ここ)に一巻となって発表された。同君の努力に敬意を表すると共に、昭和古老の昔話あつめ草として、将来に意義あるものと信じ、巻頭に一言述べて高野君に贈る。
 昭和十年十一月
 中山正善識』


この中で、
「……その資料から役にたつものとたたぬものとを撰(よ)りわけるのは、この資料を利用する人の仕事である。……」

本当にそうだと思った。昔の私では全く利用、それ以前に読むことすらできなかった。
心して利用したいと思う。
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