先日何の本に書いてあったのか忘れたが、なぜ「いわんいえんの理」をと言われるのかというと、それは「人間には心があるからだ」と書いてあった。
何事も心を受け取られて守護して下さるのであるから、「なるほどなぁ」と思った。
皆澄んだ心で、人を思いやり、責任を持って行動出来れば良いが、そういう人ばかりではない。
生まれてから三歳くらいまでは、良くも悪くもなく親の言うとおりにする。
それを過ぎると、自分の欲が出てきて、色々な心を使い出す。
そして眼の前にある物事で判断するようになる。
その後ある程度成長すると、人間関係で悩むようになり、心について考えるようになる。
そして親となり、子供を育てるという考えになる。
親となった時に、どの子も可愛いのである。その子供たちが自分中心の考えで言い争っていたらどうだろうか?
これが幼い子供の事なら、物に例えて教える事も出来るだろうが、ある程度大きくなりそれぞれに実績を積んで力を持ち、考え方が固まった子供には・・・・と思う。
教祖のひながたで、監獄に入られた事を「御苦労」と言い表されているが、それは親神様・教祖が子供に陽気ぐらしを味あわせたいと、あの手この手と御苦労されている1コマのように思えた。
「いんねんよせて守護する」これが一つの理なんですよね。(^^)