ブログあつたかい

しんちつが神の心にかなハねば いかほど心つくしたるとも (12-134)

あと1日

2009年12月30日 09時50分24秒 | 思った事
残すところ、今年もあと1日となりました。
本年も一年お付き合い下さいまして、誠にありがとうございました。

皆様方の更なる陽気ぐらし実現を念じて、本年最後の投稿とさせて頂きます。
来年もまた、よろしくお付き合い下さいます様お願い申し上げます。
ありがとうございました。

いわんいえんの理

2009年12月20日 08時30分15秒 | 思った事
先日何の本に書いてあったのか忘れたが、なぜ「いわんいえんの理」をと言われるのかというと、それは「人間には心があるからだ」と書いてあった。

何事も心を受け取られて守護して下さるのであるから、「なるほどなぁ」と思った。


皆澄んだ心で、人を思いやり、責任を持って行動出来れば良いが、そういう人ばかりではない。

生まれてから三歳くらいまでは、良くも悪くもなく親の言うとおりにする。
それを過ぎると、自分の欲が出てきて、色々な心を使い出す。
そして眼の前にある物事で判断するようになる。

その後ある程度成長すると、人間関係で悩むようになり、心について考えるようになる。
そして親となり、子供を育てるという考えになる。

親となった時に、どの子も可愛いのである。その子供たちが自分中心の考えで言い争っていたらどうだろうか?
これが幼い子供の事なら、物に例えて教える事も出来るだろうが、ある程度大きくなりそれぞれに実績を積んで力を持ち、考え方が固まった子供には・・・・と思う。
教祖のひながたで、監獄に入られた事を「御苦労」と言い表されているが、それは親神様・教祖が子供に陽気ぐらしを味あわせたいと、あの手この手と御苦労されている1コマのように思えた。

「いんねんよせて守護する」これが一つの理なんですよね。(^^)

事故・・・丁度一年

2009年12月15日 12時43分20秒 | 思った事
先日13日に、追突事故にあった。
右折しようとしている車の後ろで、停車中に追突された。
幸い大した事にならず、骨には異常なく、背中に少し痛みがある程度ですんだ。

追突されて真っ先に頭に浮かんだのが、両手が痺れたのが丁度一年前の12月14日で、その数日後にバイクで後ろから追突された事だった。
あれから丁度一年。
親神様は何を教えて下さっているのだろうか?
と、また思案する中。

ふとブログ・HPの事を思い出して書いている。
HPはプロバイダを代えたので会員の部屋は消滅した。
図書室はそのままである。
ただ、図書室の更新は、HP作成ソフト(WIN用)を触る気になれず全くしていない。

先日来、おふでさきの註釈を読み始め(入力共に)その「まえがき」二代真柱様の言葉がすごく心に響き、おふでさきを世界中に発信する事の重要性、必要性を感じて、この「まえがき」を図書室にアップしようかなぁ~~。
と思い初めている。

最近文書布教という言葉が、他力本願のような感じに受け取れて仕方なく、悶々としていた。しかし「おふでさき」が今の私たちの心の支えとなっていることを思う時、「文書布教の第一人者は親神様・教祖だ!」と思った。
そして文書布教とは、時代を超えた、教えを求め・たすけを求める人のために行われるものと思った。

人は皆主役を目指すと思うが、陽気ぐらしをする主役は、親神様・教祖や十柱の神様だけではなく、我々泥鰌の魂の人間それぞれだと思う。

「いわんいえんの理を聞き分けよ」とのお言葉、まさしくと思うばかりである。

ふと思う事をかいて見ました。
お読み頂きました皆さま ありがとうございました。