ブログあつたかい

しんちつが神の心にかなハねば いかほど心つくしたるとも (12-134)

やりたいこと

2009年05月30日 08時12分24秒 | 思った事
今月もいよいよ終わりになる。
手術を終えて3ヶ月目に入った。
段々とやりたい事が心に沸いて来るようになってきた。
しかし、まだ無理は利かないようで、やっては休み。やっては休み。を繰り返さなければならないようだ。
ところが、頭ではそのように理解していても、心がいう事を聞かずに、無理をしようとしてしまう。
特に、好きなことについては・・・・

「親神様の思召し通りに・・・」と思うが、親神様の思召しが具体的にどこにあるのか?今何をしろ!といわれているのか?と考えてしまう。

5月31日の天理時報 6頁に『道は世界へ』と題した講演会の要旨が掲載されており、次のような文が目に入った。

 そこで、毎晩12時ごろ休ませていただくとき、心の底からの喜び、感動、感激を味わえるような生き方のヒントを教えていただきたいと、親神様・教祖に自分勝手なお願いを始めたのである。
 9日目に不思議な夢を見た。舞台は外国の大都会。繁華街をあるいていると、道端に人だかりがある。頭越しに群集の中をのぞくと、男性が倒れて身悶えしていた。
 私は人目をはばからず、無我夢中でおさづけを取り次がせていただいた。男性の顔色は和らぎ、すやすやと眠りに就いた。私は感激のあまり「親神様・教祖、ありがとうございます!」と大声で叫ぶと、ふと夢から覚めた。
「海外でおさづけを取り次ぐこと。これこそ、私の大切な御用だ!」と思った。海外布教こそ親神様の思召しだと確信したのである。
 翌56年の4月、いよいよ台湾布教に乗り出した。……


これを読んで、「願う誠の真実」「夢でなりともにおいがけ」という言葉を思い出し、教祖が身上たすけを願われた先生に「もうそんな時になりましたか」といって、おさづけだったか、お話をされたという時歴を思い出した。


いよいよ・・・

2009年05月23日 15時53分52秒 | 思った事
18日の部内の月次祭より外へ出始めて、19日20日と講社祭をつとめた。
妻が私の身体を気遣って、自分が行くように段取りをしていたのだが、他の用事に重なってしまい。私が出かけた。そして無事につとめ終えることが出来た。

講社祭で話をしながら、ふと思いついた。
約束していても、用事が重なり出来なくなることもよくあること。
それなのに、この2ヶ月余り、講社祭などの御用に妻の用事が重なることなく、約束どおりに運べていた事に気がついたのだ。

そして、この二日は妻の用事が重なり私が出させて頂けたことを思うと、親神様の目に見えないお導きを思わずにはいられなかった。

21日には、部内の琴の弦が切れたので、その弦の張替えをした。
ところが途中から、しんどくなって結果、私が横になりながら指示をして、妻が張替えを行った。
一日かけての作業になったが、良い勉強の一日になったように思えて、感謝した。

もう大丈夫だろうと思いつつ、昨日、今日と大教会へ出かけたが、今日おつとめの途中で調子が悪くなり、早々に戻ってきた。
まだまだ無理は利かないようだ。

ボチボチと親神様にもたれて行きたいと思う。