ブログあつたかい

しんちつが神の心にかなハねば いかほど心つくしたるとも (12-134)

澄ます

2012年11月07日 20時37分15秒 | 思った事
今日は支部例会のあと、支部報作り。
支部の先生たちと、あれこれ言いながらA42ペイジのものを作っている。

その時に、諭達の話が出て、
ある先生が「諭達を拝読して思ったのは、澄ますという事が一番大切だということだ」と言われ、
もうひとりの方も「私もそう思う」とのことだった。
私は、神殿でお言葉を聞いて一番心に止まった言葉がこの「澄ます」という事だったので、
ちょっと嬉しくなった。

そこで「澄ます」ということを考えていたら次のおふでさきが思いついた。

いまゝでハなによの事もハかりない これからみゑるふしぎあいづが(3-5)
こんものにむりにこいとハゆうでなし つきくるならばいつまでもよし(3-6)
これからハ水にたとゑてはなしする すむとにごりでさとりとるなり(3-7)
しんぢつに神の心のせきこみわ しんのはしらをはやくいれたい(3-8)
このはしらはやくいれよとをもへども にごりの水でところわからん(3-9)
この水をはやくすまするもよふだて すいのとすなにかけてすませよ(3-10)
このすいのどこにあるやとをもうなよ むねとくちとがすなとすいのや(3-11)
このはなしすみやかさとりついたなら そのまゝいれるしんのはしらを(3-12)
はしらさいしいかりいれた事ならば このよたしかにをさまりがつく(3-13)
このはなしさとりばかりであるほどに これさとりたらしよこだめしや(3-14)

注釈5
これまでは何彼につけて、親の心を悟る事が出来なかったであろうが、今後は不思議な合図が現れて来るから、それによって、よく親神の意のあるところを了解するがよい。

注釈6
註 信教は人々の自由であるから、この教に帰依する事を好まぬ者に強いて信仰せよとは決して言わぬ。慕うて来る者は末代までも安心の道が得られる。と仰せられたのである。

注釈7
これからは水を例にとって教を説き諭しするが、水が澄んであるとは、人々の心にほこりが無くて奇麗な事であり、濁ってあるとは、人々の心にほこりが積もっている事であるから、それによって各々に悟るがよい。

注釈8
親神が心から急き込んでいるのは、一日も早く中心を定めたいという事である。
註 しんのはしらとは、中心柱の意であって、元来は建築上の用語である。故にすべて、しんとなるものを言うておられる。
 本教では、おつとめの時はかんろだいをさし、人の時にはこの道の中心になられる方をさし、心の時には中心思想を言う。
 即ち、人類創造の理を現し、たすけ一条の信仰の中心地点を示すかんろだいを、「にほんのしんのはしら」と仰せになり(第八号八五参照)
 本教の中心たるお方を「うちをおさめるしんばしら」と仰せになっている。(本号五六参照)
 本歌は、かんろだいのつとめの完成を目指して、この双方にわたり、建設確立をお急き込み下さっている。

注釈9
この柱を早く入れたいと急いでいるが、皆の心が澄んでないので、入れる事が出来ぬ。
註 当時、かんろだいの模型は出来て居たが、その立てられるべきぢばは未だ定まっていなかった。又、親神様は中山家の後継者にしてお道のしんばしらたる可き人を、櫟本の梶本家の三男真之亮様に決定しておられて、早くおぢばに定住させたいと思うておられたが、そばな者はこの親神様の胸の中を悟らず、各々勝手な考えを抱き、皆の者が一致していなかった事を、仰せられたのであるという。

注釈10
註 もよふだては、催合う立てで、皆の力を合わせて準備計画を急ぐ事。
 すいのは、ろ水のうで水こしの事である。

注釈11
この水こしは何所にあるのでもない。各々の胸と口とが水こしである。即ち、悟り諭しによって、よく心を治め思案して親神の意に順うがよい。
註 むねとくちとは、悟り諭しの意。

注釈12
この親神の話を早く人々が悟る事を得て、親神の意図に心を寄せるならば、すぐにも中心の柱を入れるであろう。
註 本号、八註参照。

注釈13
この柱さえぢばにしっかりとすえた事ならば、それで、この道の基礎が確立し、次第に教化が世界に及んで世の中の治まりとなる。

注釈14
この道は諭し悟りの道であるから、このたとえ話をよく悟る事が出来てしんばしらが定まり、かんろだいが建設され、人衆そろうてかんろだいのつとめをするようになったならば、それで世の中が円満に治まるようになる、という親神の意図が実証されるであろう。