5月15日に書きかけたブログです。
今。横になりながら、片手でタイピングをしている。
11日から腰が痛み出し、月次祭は何とか終えたものの、治まる気配が見えないために昨日病院へ行ってきた。
骨には異常が無かった。持病のヘルニアだろうと思うが、一寸気になることがあるので、書き込むことにする。
フェイスブックに下記の投稿がありました。病院に行く前のやり取りです。
さて、おふでさきに、
月日にもざねんりいふくはらしたら
あとハめづらしみちをつけるで(十三36)
このみちハどうふゆう事におもうかな
よろづたがいにたすけばかりを(十三37)
せかいぢうたがいにたすけするならば
月日も心みなひきうける(十三38)
月日にも心ひきうけするからわ
どんな事でもはたらきをする(十三39)
とあります。「ざねんりいふく(残念立腹)」とは、親神様のもどかしさの現れであり、それを晴らしたら「めづらしみち」即ち、真に珍しい晴々とした素晴らしい道をつける、この珍しい道とは、何事についても互いに立て合いたすけ合う真の兄弟として協力する道であって、世界中が互いに立て合いたすけ合うようになったら、親神様もその誠真実を受け取って、鮮やかな自由自在のご守護を必ず引き受けて現し、引き受けたからには何事についても親神様がお働き下さって、人間が陽気ぐらしのできるようにする(『おふでさき講義』より要約)と、仰せ下さっています。私たちの目標はあくまで陽気ぐらしにあります。それは互い立て合いたすけ合う姿であり、「みんな勇ましてこそ、真の陽気という。めん/\楽しんで、後々の者苦しますようでは、ほんとの陽気とは言えん。」(おさしづM30・12・11)あるいは「働くというのは、はたはたの者を楽にするから、はたらく(注、側楽・ハタラク)というのや。」(逸話篇197「働く手は」)とありますように、お互い親神様の子供であり兄弟姉妹であることを自覚して真の陽気ぐらしができるよう心のもち方を見直し働かせて頂く事が大事です。
被災地の状況として復興への足がかりがついたところともいえます。個人ではなかなか大きなことはできにくいですが、小さな事でも自分にできることを考え行動に移させて頂きましょう。
その後、次のような話し合いをさせて頂きました。とても大切な事だと思います。
私; ざねんをはらした後の事には心向いていませんでした。
勉強になりました。ありがとうございました。
長谷川さん>>恐縮です(^^; でもやはり文字数の制限があるので、伝えたいこと半分ってところです(><)
私; このおふでさきについて、もう少し色々な人の考えを聞いてみたい気がしてきました。(^^)
長谷川さん>>実は、たすけ合いってことを書こうと思って『おふでさき索引』で「たがい(互)」で2首のお歌がヒットしました。12号93のお歌の前後はちょっと厳しすぎるかなぁ・・・ということで13号37のお歌前後を取り上げさせていただいたのですが・・・13号43まで引用するには文字数が足りなかったですww書いてるうちに書きたいことが変わっていく今日この頃ですv
私; 書きたいと思っていた事が、調べているうちにまた書いているうちに変わってくる事なんてしょっちゅうです。(^^;)
最後は時間がなくなるので、「これで良いか~~^^;」。嫁さんに読んでもらって、「分かる?」と尋ねてOKが出れば、「それで良し!」にしています。><
長谷川さん>>ウチは奥さんが文字のチェックだけしてくれます。
私; >12号93のお歌の前後はちょっと厳しすぎるかなぁ・・・
気になっておふでさきを開くと腰の痛みが治まるので、一寸書きますが、12号22~110 ここがすごく重要だと思いました。
ざんねん・かやし・そして証拠をみせる。そしてこれが「こうき」となる。という順序を思います。
また親神様が世界たすけを進める上に、親神様の教えどおりに、人を助ける上に、心を澄まそうと努力する個人個人の心がとても重要になっている。
それを求めておられると思いました。
13号の引用されたお歌だけを読ませて頂いた時に、
39の「どんなことでもはたらきをする」のどんなことって?と思っていたんですが、40に「善とあくとをわけるばかりや」とその答えがありましたね。(^^;)
この善と悪を分けるということなんですが、「それぞれの心の中の善と悪を、それぞれに自覚させる。」と思えたりするんです。
今回の震災を通して、それぞれに様々な心の動きがあったと思います。その動きをしっかりと親神様は見ていて下さって、その心どおりの姿を見せて下さっている。...例えば、親神様がその方の心を喜んで下されば、喜びの姿がその方の周囲には見えて来て、より一層勇み心で歩めるけれども、そうでない方は・・・という、そんな理の姿を現して下さっているのではないかと思いました。
長谷川さん>>「善」と「悪」は、表現の仕方でによって誤解されちゃいそうなので、あえて抜きました(^^; しかし、この2首のお歌前後は今のご時世よく思案が必要かも知れません。
私; 両方とも、なるほどです。法人の問題しかりなんですが、理解するにはむつかしいなぁ。例え理解できても・・・と思うことばかりです。
この誤解されるがゆえに、おふでさきに「口でもいわんふでさきのせめ」として記されているのかも・・・。と思ったりしています。
長谷川さん>>いつも思うことですが、「おかきさげ」の「言わん言えん」「聞き分ける」「諭す」そして悟ることの使い分けを間違えると大変なこと・・・(><)そして立場がそれを勘違いさせるすることも(^^;;;
私; はい。正しくその通りですね。しっかりと八つのほこりを、常に我が心の定規に勤めたいと思います。。
勇んでお勤めください。私もまた行かせてもらえるように頑張ります。www
今回の震災をまた、それぞれに起こる事情身上を、おふでさきで言われる「こうき」と出来るように勤めていく事、これも一つ我々に求められている事だと思う。
今。横になりながら、片手でタイピングをしている。
11日から腰が痛み出し、月次祭は何とか終えたものの、治まる気配が見えないために昨日病院へ行ってきた。
骨には異常が無かった。持病のヘルニアだろうと思うが、一寸気になることがあるので、書き込むことにする。
フェイスブックに下記の投稿がありました。病院に行く前のやり取りです。
さて、おふでさきに、
月日にもざねんりいふくはらしたら
あとハめづらしみちをつけるで(十三36)
このみちハどうふゆう事におもうかな
よろづたがいにたすけばかりを(十三37)
せかいぢうたがいにたすけするならば
月日も心みなひきうける(十三38)
月日にも心ひきうけするからわ
どんな事でもはたらきをする(十三39)
とあります。「ざねんりいふく(残念立腹)」とは、親神様のもどかしさの現れであり、それを晴らしたら「めづらしみち」即ち、真に珍しい晴々とした素晴らしい道をつける、この珍しい道とは、何事についても互いに立て合いたすけ合う真の兄弟として協力する道であって、世界中が互いに立て合いたすけ合うようになったら、親神様もその誠真実を受け取って、鮮やかな自由自在のご守護を必ず引き受けて現し、引き受けたからには何事についても親神様がお働き下さって、人間が陽気ぐらしのできるようにする(『おふでさき講義』より要約)と、仰せ下さっています。私たちの目標はあくまで陽気ぐらしにあります。それは互い立て合いたすけ合う姿であり、「みんな勇ましてこそ、真の陽気という。めん/\楽しんで、後々の者苦しますようでは、ほんとの陽気とは言えん。」(おさしづM30・12・11)あるいは「働くというのは、はたはたの者を楽にするから、はたらく(注、側楽・ハタラク)というのや。」(逸話篇197「働く手は」)とありますように、お互い親神様の子供であり兄弟姉妹であることを自覚して真の陽気ぐらしができるよう心のもち方を見直し働かせて頂く事が大事です。
被災地の状況として復興への足がかりがついたところともいえます。個人ではなかなか大きなことはできにくいですが、小さな事でも自分にできることを考え行動に移させて頂きましょう。
その後、次のような話し合いをさせて頂きました。とても大切な事だと思います。
私; ざねんをはらした後の事には心向いていませんでした。
勉強になりました。ありがとうございました。
長谷川さん>>恐縮です(^^; でもやはり文字数の制限があるので、伝えたいこと半分ってところです(><)
私; このおふでさきについて、もう少し色々な人の考えを聞いてみたい気がしてきました。(^^)
長谷川さん>>実は、たすけ合いってことを書こうと思って『おふでさき索引』で「たがい(互)」で2首のお歌がヒットしました。12号93のお歌の前後はちょっと厳しすぎるかなぁ・・・ということで13号37のお歌前後を取り上げさせていただいたのですが・・・13号43まで引用するには文字数が足りなかったですww書いてるうちに書きたいことが変わっていく今日この頃ですv
私; 書きたいと思っていた事が、調べているうちにまた書いているうちに変わってくる事なんてしょっちゅうです。(^^;)
最後は時間がなくなるので、「これで良いか~~^^;」。嫁さんに読んでもらって、「分かる?」と尋ねてOKが出れば、「それで良し!」にしています。><
長谷川さん>>ウチは奥さんが文字のチェックだけしてくれます。
私; >12号93のお歌の前後はちょっと厳しすぎるかなぁ・・・
気になっておふでさきを開くと腰の痛みが治まるので、一寸書きますが、12号22~110 ここがすごく重要だと思いました。
ざんねん・かやし・そして証拠をみせる。そしてこれが「こうき」となる。という順序を思います。
また親神様が世界たすけを進める上に、親神様の教えどおりに、人を助ける上に、心を澄まそうと努力する個人個人の心がとても重要になっている。
それを求めておられると思いました。
13号の引用されたお歌だけを読ませて頂いた時に、
39の「どんなことでもはたらきをする」のどんなことって?と思っていたんですが、40に「善とあくとをわけるばかりや」とその答えがありましたね。(^^;)
この善と悪を分けるということなんですが、「それぞれの心の中の善と悪を、それぞれに自覚させる。」と思えたりするんです。
今回の震災を通して、それぞれに様々な心の動きがあったと思います。その動きをしっかりと親神様は見ていて下さって、その心どおりの姿を見せて下さっている。...例えば、親神様がその方の心を喜んで下されば、喜びの姿がその方の周囲には見えて来て、より一層勇み心で歩めるけれども、そうでない方は・・・という、そんな理の姿を現して下さっているのではないかと思いました。
長谷川さん>>「善」と「悪」は、表現の仕方でによって誤解されちゃいそうなので、あえて抜きました(^^; しかし、この2首のお歌前後は今のご時世よく思案が必要かも知れません。
私; 両方とも、なるほどです。法人の問題しかりなんですが、理解するにはむつかしいなぁ。例え理解できても・・・と思うことばかりです。
この誤解されるがゆえに、おふでさきに「口でもいわんふでさきのせめ」として記されているのかも・・・。と思ったりしています。
長谷川さん>>いつも思うことですが、「おかきさげ」の「言わん言えん」「聞き分ける」「諭す」そして悟ることの使い分けを間違えると大変なこと・・・(><)そして立場がそれを勘違いさせるすることも(^^;;;
私; はい。正しくその通りですね。しっかりと八つのほこりを、常に我が心の定規に勤めたいと思います。。
勇んでお勤めください。私もまた行かせてもらえるように頑張ります。www
今回の震災をまた、それぞれに起こる事情身上を、おふでさきで言われる「こうき」と出来るように勤めていく事、これも一つ我々に求められている事だと思う。