ブログあつたかい

しんちつが神の心にかなハねば いかほど心つくしたるとも (12-134)

ひさびさに・・・^^ 草木に例えて

2009年11月04日 12時41分50秒 | 思った事
先月10月は一度も 更新することなく過ごしました。

ある方から 「『ブログが更新されてないけど・・・。どうしてるのかなぁ』と尋ねられたよ。」と声をかけて頂きました。

ご心配下さいました皆様、申し訳ありません。

以前のようには参りませんが、段々と用事が出来るようになって来ております。

さて~~

何を書こうかなぁ~~。って思うのですが・・・・

正直な心境ですが、
以前は「書かねば!やらねば!何がなんでも!」という気持ちで、思いつくままに突き進んで来ました。
ところが、この身上を頂いて、無事に手術は終えたものの、直ぐに自分の思うように回復しない。自分の身体が自分の思うようにならない状況をかみ締めて、「やらせてもらえたらありがたい。」「親神様の思いに叶わねば・・・」と思うようになっています。

いくら良いことでも、順序が間違っていては達成されません。また旬が来なければ実も実りません。
反対に焦りすぎて、やらなければならない大切な旬を逃して、せっかくの実りが頂けないと言う事もあると思います。

大切な旬という言葉を使うと、人によっては、年祭、記念祭などに向かう三年千日の旬などを思い浮かべられる方もあるでしょう。(私もその一人ですが・・・)

しかし、そうした事だけではなく、
人間を木に例えたならば、一年を一生に考えたならば、
春を迎える前に種を撒かねば、せっかく芽が出ても草木の伸びる時期を逃してしまいます。草木の伸びる時期は人間で言えば若い世代です。
若い時に「何が何でも」と十二分に動かせる身体を使って、色々な事をする事は、草木がドンドン伸びて枝を沢山増やすのと同じように思えます。
若い時は人から「あれやって、これやって」と重宝がられて使われるものです。これが木の幹を伸ばし枝を増やしている事と同じだと思うのです。
そして使われながら、色々なことに悩み、苦しみ、それを乗り越えて経験を重ねます。
そして花をつけ、実を実らせます。
実をつけても、実に栄養を与えなければ、実は熟す前に落ちてしまったり、不良品んの種になります。
実とは次の世代です。
そして栄養とは何か?次の世代が自分で生きて行くために必要なものだと思います。

今の自分、次の世代に何を与えられるか?どうやって与えられるか?とそれを考えながら過ごしています。

そうそう、草木でも一年草もあれば多年草もあります。また果樹などのように一度実をつけるようになれば何年も実をつけるモノもあります。
自分はどの草木なのかなぁ。
とも 考えています。

どんな草木であっても、それもいんねんです。いんねんを楽しんで通りたいと思います。(^^)V