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しんちつが神の心にかなハねば いかほど心つくしたるとも (12-134)

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横道

2013年06月02日 16時06分27秒 | 思った事
天理教は主に縦の繋がり(所属系統)と横の継がり(教区支部)の二つ組織がある。
教祖130年祭の活動として、先日所属教会系統での一斉巡教が行われた。
この次は、教区支部での集いが行われる。

私は縦の繋がりも、横の繋がりも両方共とても大切なもので、その間に自分のいんねんを自覚する種があり、陽気ぐらしへの道があると思っている。

教区について、横という言葉でおさしづを調べていると
「横道」という言葉で、次のおさしづが目に止まった。

明治38年5月16日 
『過日のおさしづより一同相談致しまして、教長へも申し上げ、そのおさしづの中に横道という事に於て一方へ御運び致しましたが、その外に相談足りませぬ処ありてはなりませぬから、尚横道という処をおさしづ下され度く願』
さあ/\尋ねる事情/\、前々事情、一つの心得の事情から、一つ分からんという事情、尋ね返やせば一つ理を諭そ。よく聞き分け。この道というは、一つ理という。皆んな一つの理である。一つの理というは一つの心、一つの心ならこそ、これまでの道という。これから先はなか/\の道、容易ならん道である。容易ならんと言えば、どうなろうと思う。よっく聞き分けにゃならんで。これまで外(ほか)の事にて、あちらこちら取り混ぜのようになったる。それを横道と言うのやで。これまで通り来たる年限数えてみよ。取り決まってから計りてみよ。皆んなこれまでしっかり、これでよかろ/\というは道の理。それからこちらへ年限数えてみよ。これまで何もならん事してるからならん。もうであろうか、もうであろうか、三年五年と、何ぼ待っても成らん。それは言うまで。それを力(ちから)にしては、横道と言うで。神の道は直(す)ぐ。一つの道は神の道。これまで通りた事は、取り返やしは出けやせん。神が案じてやるわい。皆(みな)一手一つの心なら、一手の守護するわい。成らん処(ところ)救(たす)けてやるは神、をやであるわい。これ聞き分け。

というものである。
過日と思われるおさしづは、

明治38年5月11日 
『本席身上御障りにて声出ずに付願』
さあ/\なあ、尋ねる/\。何から尋ねる。どういう処から尋ねる。さあ身上いかな事情と言う。どうも一日の日も勤まらんという道理になる。いかな事であろう、一つ尋ねる。皆々出てる者ある。又帰る者もある。なれど、一日の日そこえ/\に人が揃うたら、話せにゃならん事つかえてある。どういう事諭すなら、よう聞き分け。年来に聞きたる事も、一時の処になったる。又筆に取ったる処にも、知らし置いたる事もある。又、時々順序にも理を諭したる。よう聞き分け。さあ/\これ皆席の声が止まる。声が出ん。話そうにも話せん。なれど、こうと言えば自由自在見せてある。何かの事も、皆々心に思案あっても、纏まる事無いからどうもならん。その日になってから、取り返やしが出来ん。一日の日に順席(じゅんせき)の理取り返やし出来ん。そういう事ありてはなろうまい。こういう事しょうと言うて、成るものやない。又、しょうまいと言うても、成って来ればどうもならん。国の一つ事情も、道の事情も同じ理。一日の日を以て尋ねた順序の理のさしづ、こういう事あったと、皆々心に十分含んでくれ。皆何でも彼でもという心あっても、どれだけしても、理が無くばどうもならん。一日の日がある。越し難くい。飲むに飲まれん。行き付かにゃならんで。これよう思やん定めて、一つの心に治めてくれ。聞いて心に治まってなくば、一日の日が通り難くい。又一つ、何から何まで皆々談じ、皆々心に、どれがよかろう、これがよかろうと、一つ理を治めば、何も言う事無い。神の道望み、神(かみ)直(す)ぐ一つの道に、横道通るからどうもならん。さあ身に障りあろうが、一日の日も厭(いと)わず、席(せき)勤(つと)めさすが道の理。言葉下だすは容易やない。年を繰(く)って一つ理を改(あらた)めてみよ。七十余(よ)の者、思うよう出来るか出来んか。この理聞き分けにゃならん。さあ一日の日も無駄な話聞かさんよう。たゞ楽しみ一つ理を聞かさにゃならんが、一つの理であろう。

『しばらくして』
さあ/\もう一声(ひとこえ)々々、さあ/\まあこれ皆々、何人あれども、あちらこちら、今日(きょう)の日(ひ)揃(そろ)うまい/\。しんばしらが聞きて、一つ理こうと言うはこう。帰らん者あれど、決まってこうと言えば、何人寄るも同じ事、事情(じじょう)時々(ときどき)追々(おいおい)諭すから、よう聞き分けて、こうしたと決まったら、横へ寄ろにも寄られん。横へ歪(ゆが)んだ事、一つも出来ん。歪(ゆが)めば、歪(ゆが)んで了(しま)うで。これだけ諭し置こう。


私の心に止まったのは、
「容易ならんと言えば、どうなろうと思う。よっく聞き分けにゃならんで。これまで外(ほか)の事にて、あちらこちら取り混ぜのようになったる。それを横道と言うのやで。これまで通り来たる年限数えてみよ。取り決まってから計りてみよ。皆んなこれまでしっかり、これでよかろ/\というは道の理。それからこちらへ年限数えてみよ。これまで何もならん事してるからならん。もうであろうか、もうであろうか、三年五年と、何ぼ待っても成らん。それは言うまで。それを力(ちから)にしては、横道と言うで。」
そして
「神の道は直(す)ぐ。一つの道は神の道。これまで通りた事は、取り返やしは出けやせん。神が案じてやるわい。皆(みな)一手一つの心なら、一手の守護するわい。成らん処(ところ)救(たす)けてやるは神、をやであるわい。これ聞き分け。」

である。
取り返しの出来ない事が起きないように、神様の話を聞いて楽しんで通りたいと思う。
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