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しんちつが神の心にかなハねば いかほど心つくしたるとも (12-134)

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東北慰問演奏の報告

2012年07月13日 06時46分26秒 | 災害救援
慰問演奏のメンバーは、昨日12日、無事におぢばへ到着したそうです。

今回も大変喜ばれて、下記のところで活動を紹介されたそうです。
どうぞご覧下さい。

1;
岩手日報新聞
http://www.iwate-np.co.jp/hisaichi/y2012/m07/h1207113.html 写真付きで掲載されました。
【宮古】クラシックで支援の調べ 関西の演奏家5人
プロのバイオリン奏者栄嶋(えいじま)道広さん(奈良県)ら関西で活動するクラシック音楽の演奏家5人は9日、宮古市愛宕1丁目の旧愛宕小体育館で復興支援コンサート「明日への調べ」を開いた。

 弦楽四重奏に加え、ソプラノ歌手の芦谷友美さんが美しい歌声を響かせ、「美しき青きドナウ」や「タイスの瞑想(めいそう)曲」など15曲を披露。聴衆を魅了した。

 栄嶋さんは「演奏していても、皆さんの優しいまなざしや気持ちが伝わってくる。一緒に音楽を楽しみましょう」と呼び掛けた。

【写真=弦楽四重奏の美しい調べと歌声を披露するメンバー】


2;
宮古市生活復興支援センターブログ
http://blog.goo.ne.jp/miyakovc/e/08adbc51442586bc2d21c5d117a84d29

そんな中行われた、今日のイベントにお邪魔してきましたっ!!
今日のイベント内容は、天理高校弦楽部部OB会のみなさんによる
「弦楽四重奏」
明日へのしらべ  in宮古 VOL2
ということで、二回目の訪問になるんです
また仮設のみなさんに会いに来て下さいました
しかも!今回の会場は旧小学校の体育館……


ご協力くださった皆様、メンバーの皆さんお疲れ様でした。
コメント (1)

東北慰問演奏会Ⅳ(7月9~11日)について

2012年07月01日 12時12分55秒 | 災害救援
東北慰問演奏会の開催予定が参りましたので、報告いたします。
どうぞ会場周辺にお知り合いなどがありましたら、どうぞお知らせください。

今回は、団体名を、「アンサンブル Tomorrow(トゥマロ-)」としました。
会場によっては、要望により、「天理」の名を冠して
天理アンサンブル Tomorrow(トゥマロ-)」としているところもあります。

岩手教区でも、楽しみにしているという、声を頂いているそうです。

--------------

期  日  平成24年7月8日(日)~12日(木)

会  場  
① 9日 13時30分 宮古市旧愛宕小学校体育館  宮古市愛宕1丁目4-6 校庭に仮設住宅45戸
 昨年8月(Ⅱ)は100名を超す方が参加下さり、大変好評であった。小学校は今年3月閉校。高橋邦之宮古分教会長がPTA会長をつとめていたので、教育委員会、ボランテフィアセンターを通して会場を借用。体育館のトイレ使用可能も、水は飲料に不適。〔昨年8月に慰問実施〕

②10日 10時00分 釜石市平田地区サポートセンター  釜石市大字平田第5地割84番5 平田公園多目的グランド内 ℡ 0193-55-4966
 前回、前々回に続き3回目の実施。前回は100名を超える方が参加下さり、「是非また来て下さい」と要望のあった会場。ふだんは、デーサービスや、仮設住宅入居者の憩いの場となっている。いす等準備して下さる。〔昨年8月と今年3月に慰問実施〕

③10日 13時00分 釜石市子育て支援センター  釜石市大町3丁目8-3    ℡ 0193-22-4600
 この施設の前の道「青葉通り」は、災救隊が片付け、清掃を行い、住民からは大変喜ばれたところ。道路向かいの花屋には、ひのきしんの姿に感謝する言葉が、しばらく貼られていた。演奏は子供向けのもの主体にと要望あり。

④10日 16時00分 気仙沼市立唐桑中学校体育館 
  気仙沼市唐桑町北中130番地   ℡ 0226-32-3144  生徒数;156人
 当初、PTA行事として夜に実施する予定だったが、学校側から「せっかくの機会なので、生徒にも是非聞かせたい」という要望により、午後4時開始となる。父母や小学校にも声かけされる由。音響は体育館のものを借用。参加者(聴衆)の人数、会場の様子を見て、演奏を壇上でするかどうかを判断。

⑤11日 10時00分 気仙沼市鹿折中学校仮設住宅集会所  気仙沼市大峠山1-263 ℡ 0226-23-0847
  戸数;10棟 120軒
 昨年来、兵庫教区が炊き出しを実施。
 前回唐桑会場で参加のようぼくさんを通して実施を決定。

⑥11日 13時30分 気仙沼市面瀬中学校仮設住宅集会所  気仙沼市岩月寺沢44
  戸数;153軒
 昨年来、兵庫教区が炊き出しを実施。「救援活動は自己完結でお願いしたい」とのことから、チラシ配布から準備片付けに至るまで、すべてを慰問する側で行う。

メンバー  
栄嶋 道広(明京分教会教人、バイオリニスト)    …1stバイオリン
岡田 真実(東京芸術大学卒業)           …2ndバイオリン
金  有里(京都市立芸術大学卒業)        …ビオラ
幸野 久司(相愛大学4回生)           …チェロ
芦谷 友美(大阪音楽大学卒業)          …歌(ソプラノ)
才加志仁明(敷島大教会准役員)           …運転
      椋野 善和(心祐分教会長) …運転
永田 昭道(秋津城分教会後継者)          …記録
高田 和幸(月龍分教会後継者)          …会計
      山田 恭子(天理大学国文学科卒業・元天理中学教諭) …庶務
崎山 道範(梅乃原分教会長)            …渉外、進行
            
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東北慰問演奏報告

2012年03月04日 09時44分11秒 | 災害救援
今朝スタッフより「昨日無事におぢばへ着きました。」と電話を頂きました。
大変な中、無事に終えられて本当に良かったと思いました。

企画者より下記の報告をメールで頂きましたので、お知らせいたします。
お心寄せ頂きました皆様、誠にありがとうございました。

以下メール文

参加者は第1会場26人、第2会場15人、第3会場71人、第4会場31人、第5会場96人でした。
どの会場でも喜ばれました。目頭を押さえる方も多数いました。

本当にありがとうございました。
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東北慰問演奏会 予定 続報

2012年02月29日 08時14分18秒 | 災害救援
企画をしてくださっている崎山さんから慰問演奏の情報を頂きましたので、報告します。

メンバー  栄嶋 道広(明京分教会教人、バイオリニスト)    …1stバイオリン
      岡田 瑠実(京都市立芸術大学1年) …2ndバイオリン
      澤田 好子(大阪教育大学3年)  …ビオラ
      畑  知里(大阪教育大学1年)  …チェロ
      山 誠(天理高校3年) …コントラバス
      熱川千寿子(ソプラノ歌手、大阪音楽大学声楽家卒業) …歌唱
      松谷八千代(天理大学2年)             …庶務
      才加志仁明(敷島大教会准役員)           …運転
      的場 利彦(土佐陽気布教所長) …運転
      林 重雄(中喜住分教会後継者)          …会計、記録
      永田 昭道(秋津城分教会後継者) …庶務、記録
      崎山 道範(梅乃原分教会長)            …渉外、進行

内  容  被災地における、慰問・弦楽五重奏。約1時間。

宿 泊  1、2日 本吉分教会
     3日   釜石市 旧平松旅館

日 程
 3月1日  5:30 敷島詰所集合
      6:00 天理出発
― 一関IC
     21:00 気仙沼・本吉分教会着

 3月2日  6:00 起床
      7:00 朝勤め  朝食
      8:15 音合わせ
      9:30 本吉分教会出発
     10:30 慰問演奏①唐桑
     12:00 昼食
     13:30 慰問演奏②唐桑
     15:00 唐桑発~気仙沼市内
     17:00 本吉分教会着・入浴
     18:30 夕勤め・夕食
     22:00 消燈

 3月3日  6:00 起床
7:00 朝勤め  朝食
8:15 音合わせ
9:10 本吉分教会出発
10:00 慰問演奏③気仙沼市民会館
11:45 昼食
12:30 気仙沼発
13:30 慰問演奏④長部地区コミュニティーセンター
15:00 長部出発~陸前高田市内
入浴(ホテルシーガリアマリン…釜石)
18:00 釜石着
18:30 夕勤め
19:00 夕食
22:00 消燈
釜石・旧平松旅館にて宿泊(敷島大 炊き出し隊と共に)

 3月4日 6:00 起床
6:30 朝勤め・朝食
      8:00 音合わせ
      9:00 旧平松旅館出発
     10:00 慰問演奏⑤平田地区サポートセンター
     12:00 昼食
     13:00 釜石発 ― 気仙沼 ― 一関
     18:00 一関IC ― (東北道)
 3月5日 : 天理帰着

演奏会場詳細(住所・電話番号・収容人数など)
 1;燦さん館-気仙沼市唐桑総合支所-
   気仙沼市唐桑町石浜282-3  ℡ 0226-32-4811  400人収容、

 2;舘(たて)老人憩いの家(小原木公民館 併設)
   気仙沼市唐桑町岩沢  ゴザといす席 50~70人収容。ステージ

 3;気仙沼市民会館
   気仙沼市笹が陣4-2 ℡ 0226-22-6616
    ※災救隊が炊き出しを行った。400人収容

 4;長部(おさべ)地区コミュニティーセンター
   陸前高田市気仙町字牧田17 ℡ 0192-55-6530 いす席50~70人収容

 5;平田地区サポートセンター
   釜石市大字平田第5地割84番5 平田公園多目的グランド内
    ℡ 0193-55-4966 30~50人収容
以上です。

 前回運転で同行させて頂きましたが、良い演奏を届けようと、早朝より音あわせをして、移動を挟んで午前・午後と演奏をして行くこの日程は、体力的にとてもハードなものでありました。
 また、募金額が少ないうちは「切り詰めて・切り詰めてやれば、何とかできるだろう。」と崎山さんが言っていましたが、予定の20万を越しましたので、無理な切り詰めをせずに無事に演奏を終えて下さることを願っています。

 私は、2月25日より教養掛として詰所にいる予定でしたが、修養科生が無いので自教会におります。妻の身上の事もありますので、成ってきた事を喜ばせていただいています。

演奏会出発まで「あと1日」スタッフの皆さん、頑張ってきて下さい。
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東北慰問演奏会(弦楽五重奏)案内

2012年02月20日 18時37分08秒 | 災害救援
昨年夏に、運転で同行させて頂いた弦楽五重奏、慰問演奏会が3月2日から4日にかけて行われます。

前回は岩手教区主催で岩手教区内だけでしたが、今回は有志で募金を募り、下記の通り岩手県と宮城県で行われます。

 月日  開催時刻  会場
・3月2日 10時30分 燦さん館(気仙沼市唐桑)
・3月2日 13時30分 舘(たて)老人憩いの家(気仙沼市唐桑)
・3月3日 10時  気仙沼市民会館(気仙沼市)
・3月3日 13時30分 長部(おさべ)地区コミュニティセンター(陸前高田市)
・3月4日 10時 平田地区サポートセンター(釜石市平田総合公園第6仮設団地内)

前回同様に、栄嶋道広氏(明京分教会教人、バイオリニスト)がメンバーを集っての演奏会です。
「前回よりもより一層素晴らしいものにしたい」と張り切っておられるそうです。
3月1日に、おぢばからマイクロバスで出発し、5日におぢばへ帰着する行程です。

またこれに同行して、敷島大教会の有志の方がたこ焼きの炊き出しをされるそうです。

楽しいひと時が過ごせますように、どうぞ皆さんにお知らせてあげてください。
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近況

2011年08月08日 07時44分23秒 | 災害救援
こどもおぢばがえりの最中の8月1日に、突然詰所主任が倒れられて出直された。
そして3日4日と自教会で葬儀が執り行われた。
私は詰所ひのきしんの最中でお見送りも出来ないかと思ったが、大教会長さんの声で斎官としてお見送りをさせて頂くことができた。
多くの方が、ひのきしんの最中で見送りの出来ない事を残念に思われていた事だと思う。


久々にフェイスブックを開いたところ、新潟の災害に対して各教区が災害救援活動を進めている事を知った。

【天理教新潟教区ブログより】
http://niigatakyouku.blog89.fc2.com/blog-entry-113.html
平成23年7月新潟・福島豪雨の被災地である新潟県阿賀町吉津地​区に天理教災害救援ひのきしん隊が出動しました。
1次隊8月2日~4日 新潟教区
2次隊8月5日~8日 新潟、福島、埼玉、東京、石川、茨城各教区隊
3次隊8月9日~12日 新潟、埼玉、東京、山形、群馬、長野各教区隊

この他8月3日~6日まで新潟教区隊が魚沼市支部管内の被災教会に出動

ーーーーーーーーーーー

8月16日から20日まで、岩手へ慰問演奏に行かれる方たちの運転手をする予定。
それまでに出来る限りの事をしておかなければ~~~(^^)。
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被災地へ直接行けないけれど・・・。

2011年06月13日 22時08分59秒 | 災害救援
道友社のスタッフノートに災救隊の活動日報が掲載されるようになったようです。
http://www.doyusha.jp/doyu/blog/

「現地リポート16 気仙沼市下沢地区自治会より感謝状」2011年06月08日 09:04
にて、下記のように紹介されました。(以下転載)

言うまでもありませんが、災救隊のスタッフは感謝の言葉を求めて出動しているわけではありません。
しかし、こうした場面で、あらためて人たすけの機会を頂いていること自体に喜びを感じたと振り返っています。

「救援活動をやらせていただいた」「被災地へ行かせていただいた」など、口から出る言葉は皆、謙虚です。そうした姿勢で臨む隊員たちと被災地の住民の交流はあちこちで生まれています。

「天理時報」6月5日号では、「被災地で生まれた心温まるエピソード」をまとめて記事にしました。
【天理時報6月5日号6面PDF】

震災からもうじき、3カ月が経とうとしています。

この「道友社スタッフノート」では、こうした救援活動を少しでも多くの人に知っていただこうと、災救隊の協力のもと、活動日報を紹介することになりました。

表に出ることのない隊員一人ひとりの真実誠に目を向けていただく一助になればと願っています。
こちらのほうも、ぜひご覧ください。


とても素晴らしい事だと思います。

災救隊の出動予定、また災救隊を準備する各教区の苦労なども取材して示してもらえたらもっと良いのでは~~。
なんて、ちょっと思ってしまいました。

テレビ報道では、義援金や救援を語っての詐欺報道が次々とされています。
これまでに、物資などを預かって運びましたが、人々の真実を預かる事の重さをひしひしと感じました。
ですから、私はお礼の思いを込めて報告書を作りました。そして協力して下さった方々へ発送させてもらいました。
そして皆さんから喜びの声を聞かせてもらいとても嬉しく思いました。

道友社の皆さん。頑張ってください。

今一度、足を運ばせてもらいたいと願うばかりです。
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岩手・宮城友人見舞い・・チョットひのきしん隊を振り返って

2011年05月10日 22時07分55秒 | 災害救援
5月2日から6日にかけて、岩手・宮城へ友人の見舞いとひのきしんに出かけました。

4月18日の教祖ご誕生祭「喜びの集い」で、偶然に同級生Tk君に再会して「今、見舞いに行きたいと強く思っている」と聞かされ、そして話をしているその目の前に、岩手のSk君を発見したのが始まりであります。

今回見舞いに行った岩手のSk君は、被災地から少し離れたところにあって、この災害発生直後から本部から視察に見えた方々を案内し、災救隊の活動が出来るようにと岩手教務支庁のサポートをした人。そして宮城のYs君は、被災地にあって埼玉教区の方と共に「唐桑半島災害復興ひのきしんセンター」を作りあげてきた人であります。

18日再会したSk君よりメールをもらい、そこには「皆さんにお願いしたいのは、なるべく多くの人に被災地に入ってほしいという事です。テレビ、新聞の報道は限りがあります。間に入った人の主観がどうしても入ります。自分の目、耳、身体でこの有り様を感じてほしいです。できれば若い人ほど。・・・・」という文章が入っていました。

すぐさまTk君に連絡をつけ、Sk君のいうように「若い人」を連れて行くように葡萄会に声を掛けようという事になりました。そこで掲示板に呼びかけたところ、Si君から一緒に行きたいとの申し入れがあり、4月26日に行程などの打ち合わせをしました。
このSi君はS大教会の被災部内へ見舞いや物資を届けに、震災直後から数度被災地へ行っている人であります。ところがその直後、Si君が大教会の用事で1日から現地へ出発となり、代わりにNg君が行ってくれる事になりました。

このNg君は、すでにN教区の災救隊として、すでに2回出動、さらには8日から災救隊で出動、その後Sk君が企画した弦楽カルテット慰問の運転手で被災地へ行く予定との事。また今回の動向も、折角入った仕事がありながらも、「こちらが先に約束したから」と断って同行してくれました。

27日に葡萄会として被災地のために頑張っている友人を見舞いに行きたいと同級生に連絡したところ、2日までに56名中25名から物や見舞金また声が寄せられました。上級や本部また関係各所から義援金などを出し、また仕事も大変な時でもあります。その中に急な連絡にも関わらず、このように大勢の友からの真心を持って、走らせて頂く事が出来た事とてもありがたく思いました。

さて、3日早朝、Sk君の教会に到着、一服させて頂いてから、釜石の被災地を彼の子供たちと共に見に行きました。片付いているところもあれば、全く手付かずのところも・・・。
Sk君が言ってくれた通り「自分の目、耳、身体でこの有り様を感じてほしいです。」これに尽きることを実感しました。

夕方教会へ戻り、友の心を渡して、これまでの事やこれからの事など夜遅くまで話し合いました。

翌日4日、朝から雨。(天気予報では降水確率10パーセント。午後から雨の予報だったのに・・・)
当初教会のひのきしんをさせてもらってから夕方に次の友人のところへと話していたのですが、こんな雨では出来ないのでどうしようかと相談をしました。
そして災救隊に来ている恩師Oiさんを激励に活動地へ行く事にし、差し入れを購入してSk君と別れました。

昼に気仙沼へ到着。活動地で恩師に会うと共に、休憩場所にて同級生のKm君に会い、共々に喜び合いました。

分かれた後、道の駅の駐車場で湯を沸かしてカップラーメンとおにぎりで昼食を取った後、陸前高田を見に行き、唐桑へ。
行く道中、車の中から写真を取るが、Sk君が言っていた通り、写真を後で見るとどこの場所もみな、同じような風景でしかない。まだまだ瓦礫に手が付いていないところも、片付け終えたところも、みな同じ風景である。
しかし唐桑で、センターのスタッフの人が友人Ys君と共に「震災直後の映像をDVDにしました。今思うとこれはとても貴重な映像ですね。」と話している言葉を聞いて、この二ヵ月間の努力を感じました。

唐桑へ到着して、センターで受付をすませました。
食事は全て自炊と思っていたところ、ここでは昼と夕は食事を用意してくれるとの事で驚きました。食事は友人の奥さんやレストハウスのオーナーの娘さんなど女性の方が準備をして下さっているそうであります。
夕食を頂く時、向かいの席に座られた方は、天理教の方ではなく、今日他の場所にボランティアに来たが、泊まる場所が無くて困っているところ、このセンターを紹介されたとの事で、とても驚きました。

夕食を頂きテントサイトを見に行くと、そこは公園の芝生広場で、テントを建てて中で寝るにはとても気持ちが良いだろうなぁと思いました。また、そこにはそれぞれが自炊できるようにコンロなども用意されていました。

6時半から夕づとめとの事。しかし、我々は友人Ys君と色々と話をするために、今回は彼の教会へ泊めてもらう事にして教会へ移動しました。移動する道中、彼は今日の作業の進み具合、明日の予定の確認をするとの事で、1mほど地盤沈下したために、満潮で水浸しになっている港を見せてもらいました。
教会に着いて友人達からの心を渡し、酒を酌み交わしながらこれまでの事を色々と聞かせてもらいました。

5日、朝づとめ・朝食をすませてセンターへ。
作業内容を聞かせて頂き、我々3人はトラックを借りて観光港へ。到着すると地元の方が箒を持って掃除をされていおり「どこから来たのか?」と尋ねられたので「天理教の者です」と応えると「ああ、神の倉の人のね」と返事が返って来ました。そして道路の下にある瓦礫を片付けて欲しいと言われたので、言われるままに作業をさせて頂きました。さすがに50近くなり、日頃身体を動かす仕事をしていなこの身体、ましてや先日まで痛みで動けなかったこの身体、どうなる事かと思いつつも、ゆっくりと運び上げました。

10時頃になると、先ほどの地元の方がおやつを持って来てくださり、色々と話を聞かせて下さいました。行為に甘えて一緒に休憩をさせて頂いていると、この方は、この地区の会長さんをされている方で、私の友人Ys君は副会長との事。
そして「今回彼の関係で、天理教の方が被災した翌日12日に、米を12袋と水を持ってきてくれてとても助かった。丁度このあたりは12の地域になっているので、我々だけが生き延びるのは申し訳ないと、1袋ずつ分けさせてもらった。」と嬉しそうに話してくださり、その他当日のようすを色々と聞かせて頂きました。
この会長さんたちが掃除をしていて、色々と話を聞かせてくれた事を友人にさせてもらったところ、「ついに地域を動かした。」と嬉しそうに応えてくれました。

午後からは、センターに借りているトイレの屋根の瓦の補修。
一緒に行った友人N君が瓦職人で、昨夜現場を見回った時に、倒壊した家に同じ色の瓦がある事を発見したことから、急遽これをする事になったのでした。
使える瓦を80枚ほど拾い集め、順番に差し替えてゆきました。作業の途中、地域の人が「瓦を直しているそうだね。」と見に来られました。とても嬉しそうでした。今回彼がここに来たのは、これをするために教祖が・・・と思いました。

またこの作業の最中、センターへ一人の女性の方が来られて、食事の世話をしている女性の方々が対応している姿を見かけ、あとで話を聞いてみると、「津波に家を流されてしまってから、頭の中が真っ白になってしまい、ふと気がつくとここに来ていた。バスに乗って帰る」と話をしていたそうでした。この災害で精神的に困っている方がある姿を目の当たりにすると共に、センターの方の親身な対応に感心しました。

4時半ごろには、作業を終えて帰路に着く予定でしたが、さすがに瓦の差し替え80枚は終りません。5時半近くに無事に作業を終えて、6時半の夕づとめの案内を聞きながらセンターを後にしました。

一関インター近くで入浴をして、一路おぢばへ。
6日朝 9時半すぎに、神殿に到着。3人で無事にお連れ通り頂いた事にお礼申し上げて解散しました。

振り返って思うことは、
たった一日だけの被災現場でのひのきしんでしたが、とてもとても私には濃いものでした。
また、友人という絆の素晴らしさ、さらには教祖の教えを柱にした教友という絆の素晴らしさを改めて感じさせて頂きました。

親神様・教祖のお導きを頂いて、今日一日、動かせて頂ける身体を貸し与えて頂けることに感謝です!!

最後に
災救隊は本部の支持の元で出動要請が掛かって動きますので出動日が限られますが、
唐桑半島災害復興ひのきしんセンターの方は、個人でも団体でもまた天理教で無い一般の方でも、事前に申し込んでひのきしんをさせてもらう事が出来ます。

災救隊を希望される方は、各教区へ。

唐桑半島災害復興ひのきしんセンターを希望される方は、
坂口祥彦(さかぐちよしひろ)埼玉教区青年会委員長
連絡先;メール saitamaseinenkai@yahoo.co.jp 
携帯 08037069335
までお問い合わせください。

復興支援頑張りましょう!!
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災救隊6月で・・・打ち切りか?(4月27日追記)

2011年04月20日 08時25分30秒 | 災害救援
災救隊6月で打ち切りか?と言う情報です。(4月27日追記)

http://blog.livedoor.jp/new_koitarou/

出動を希望する方。教区へ問い合わせて下さい。

他の教区に入って出動している方もあるようです。

(追記)
上記情報がありましたが、ソース元で「間違いであった」とのお詫びがあり削除されましたので追記いたします。
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誕生祭で

2011年04月19日 09時12分29秒 | 災害救援
昨日は教祖ご誕生祭。
一人で出かけた。
朝名古屋をたち、駐車場で救援の物資を託けてから神殿へ。
私一人だったので、誰に気兼ねせず。
真柱様の祭文奏上から喜びの広場までずっと神殿に居る事が出来た。

教祖御誕生の喜びの広場なのに、とても悲しく、涙がこぼれて仕方が無かった。
その場を離れようとした。
その時、前方で友人がしきりに携帯で録画をしている様子が目に入った。岩手の友人である。
その姿を見た時、とっさに「地元の皆さんを喜ばせるために・・・」と思った。
後ろには大阪の友人が・・・・
喜びの広場終了後、駆け寄って握手を交わした。ただ「良かった」としか言えずその場を離れた。

後からメールが来て、震災での複雑な心境を伝えてくれた。そしてその後に
「皆さんにお願いしたいのは、なるべく多くの人に被災地に入ってほしいという事です。テレビ、新聞の報道は限りがあります。間に入った人の主観がどうしても入ります。自分の目、耳、身体でこの有り様を感じてほしいです。できれば若い人ほど。・・・・」
という文章が入っていた。

私が災害の救援に隊員として携わらせて頂いたのは、第2専修科で長崎の被災地へ出かけたのが最初だった。
家屋から砂利交じりの土砂を出す作業で、それも真夏でとても大変だった事を覚えている。
その後も災害で要請がある度出させて頂いてきた。
その中で一番記憶にあるのが、地元での東海豪雨の災害である。
これは、被害の状況というよりも、被災した地域の大変さで記憶している。
多くの方が、ひのきしんにと駆けつけられるのだが、その方々の世話取りの大変さを痛感した。
何度も何度も、被災場所へ行かせて頂いた。
指示をする上の人達は付きっ切りで、もっと大変だったと思う。

東北ではこうした状況の場所が、数限りなくある。
本部災救隊は、岩手での作業を終えて他の県へ移ったようである。
業者が動き出したという事らしい、ボランティアセンターもしっかりと活動できるようになったのだろう。

先日出かけた支部の方は、一日は教会の補修。もう一日は岩沼のボランティアセンターで登録して作業をしてきたそうである。
私もようやく、動けるようにならせて頂いた。
災救隊での作業【東日本大震災-災救隊-情報】は難しいかもしれないが、ボランティアセンターでの作業をさせて頂きたい。
埼玉の次は、岩手だ!!
その日を・・・と考えるようになった。
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救援物資・・・

2011年04月15日 08時56分39秒 | 災害救援
昨日、食料を持ってさいたま市の渕和分教会まで、忠愛分教会の会長さんと行かせて頂きました。
とても急な話でしたが、うちの信者さん方と友人、友人の会社の方々。また忠愛の会長さんからの呼びかけで、数人の方々が物を届けて下さり、ワゴン車一杯になりました。

忠愛の会長さんのところへは、月次祭の日で上級の巡教の先生がまだおられるのに、それを抜けて届けてくださった方があったとの事。その心がありがたいと思いました。


教会に到着して物資を下ろす時、親奥さんが「こんなにも沢山」と喜びの声を聞かせて頂いた時、「持たせていただいて良かった。」と思いました。

届けた渕和分教会の会長さんは、福岡から炊き出しに来られた方を早朝から迎えに行き、お世話される大変忙しい中、私たちを迎えて下さり、色々とお話を聞かせて下さいました。

この教会では、本部の災救隊とは別に有志の教区災救隊として、救援活動を行っておられます。主に気仙沼へ独自のボランティアセンターを立ち上げ、弟さんがそちらへ行って支援しておられるとの事。

今、岩手や宮城の被災地へは行政や自衛隊のお陰で、食料などの物資は十分行き届いているが、原発の周囲には放射線の事から食料や復興の支援は入っていないとの事でした。
会長さん本人は、放射線の怖さを十分に御承知で、3月11日震災が起こり、原発で事故が起こっていると分かった時点で、家族はすぐに実家へ非難させて、自分は友人と共に、原発を避けて新潟経由で気仙沼へ700キロを走って入ったそうです。
さらには、「雨の中物資を搬入する時、ボランティアは放射能をさけて屋内の作業になっていたけど、私はカッパも無かったので、放射能の雨に濡れちゃった。」と顔を強張らせながら話をして下さいました。

そうした放射能の恐怖を十分に知っている方が、なぜそうした危険なところへ行かれるのかと不思議に思われる方もあるかと思います。

放射線で屋内退避となった地域で、「餓死者があった」とも聞かせてくれました。その事を聞いた時私は「そうだろうなぁ」と無責任な言葉をとっさに出してしまいました。
何とか命をたすけたい。そのための物資を届けたい。行政や自衛隊などが動くまでの間、何とか命をつなげたいというその思いがひしひしと感じられました。
避難指示が出ている場所でも、避難を出来ない方や放射能についての知識の無い方などがまだまだおられるようです。そうした方々が早く避難されて、物資を届けなくても良いようになる事を願うばかりです。

命あっての災害救援、また復興です。命をつなぐための食料。それを届ける。これも大切な事のように思えます。

今回の物資の呼びかけをされてから、数日経ってますが、教会にはまだワゴン車の3分の1にも満たない物資しかありませんでした。
震災当初は沢山の物資が届いたそうです。あれから一ヶ月、近隣の方々には出す物も無い状態だろうと思いました。

埼玉教区として今後は、放射能によって避難された方の避難所(廃校)への世話も考えているとの事でした。
本部からの指示で動いている災救隊は天理時報でしっかりと報告されていますが、それ以外の個人的や教会毎でされている活動は公にはなりませんが、動いている所は動いているようです。

先月26日から痛んでいた腰の痛みも無くなり、動けるようになりました。(無理は出来ませんが><)

次にできる事を考えて動きたいと思います。

今回物資に協力してくださった方は、このブログを見ていない方ばかりなので、報告書は別に作って配ろうと思ってます。

新しいご縁を頂いた事を親神様に感謝いたします。ありがとうございました。
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災救隊と災害ボランティア

2011年04月07日 09時23分19秒 | 災害救援
災救隊のこれまでの活動、今後の活動予定について、友人が纏めてくれました。参考にして下さい。

https://spreadsheets.google.com/ccc?key=tUIS4oWXJIzNKuW-F0qpQwg&gmrcpt#gid=0


また、災救隊とは別に災害救援をしている友人のフェイスブックに下記の投稿がありました。
協力できます方どうぞ連絡をしてみてください。
http://www.facebook.com/home.php?react=1300386638%3A8bfea29859d73df479e84a0bfe7ef68f#!/profile.php?id=100001870863341
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山崎毅史です。
東日本大震災の救援活動で宮城県気仙沼市の
唐桑半島に拠点を構え活動しています。
...小学校のグランドにテント張って宿泊出来ます。
トイレあります。女性は近くの教会に泊まれます。
本日より、ほぼ毎晩10人乗ハイエースで出発便あります。
人員により増車します。運転だけの日帰り参加も大歓迎、
ボランティア保険加入出来ます。一人\500円
毎回、和南布教所(埼玉県さいたま市桜区栄和1-12-18)
深夜0:00出発予定。
集合は1時間前の23:00にお願いします。
皆さんに声かけお願いします。個人、団体共に受け入れ可能

現地に行きたい方で相談を受けた場合には、何日から何日まで、
何が出来るか?
何人分用意出来るか?
以上を決めて、連絡頂くように、お伝え下さい。

よろしくお願いします。

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先日うちの支部の友人から、「災救隊の出動の時にはいけないだろう。また、大教会からの災救の活動にも日にちがあわないから、個人的に被災地へ災救の活動に行きたい。だから、支部例会の役を臨時にやって欲しい」と頼まれました。
本日7日は、天高の入学式と地元中学の入学式、支部例会が重なっています。
災害が発生した頃は、私の体調がまだ良かったので、初めて天高の入学式へ行こうと思っておりましたが、首の手術の後遺症から、腰・尻へ痛みが出だしたため、高校へは妻に行って貰う事にして、母親に中学、私が支部例会という事にしました。

自分の出来る事、自分の体調に合わせて、明るく今日も一日前向きに進みたいと思います。

桜満開です!!
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被災地からの連絡

2011年03月22日 21時26分28秒 | 災害救援
昨日(3/21)、先日被災地(吉里吉里)に行かれた方から、メールと写真が送られてきました。

「色々ありがとうございました。まだ電気が通ってないので、写真を撮ったりメールしたりするがアグレッシブにできません。とりあえず一枚送ります。」
  

との事でした。
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災救隊活動報告

2011年03月21日 14時10分06秒 | 災害救援
本部の公式HPで、活動の報告がありました。

http://www.tenrikyo.or.jp/jpn/?p=3193

各教区隊の隊長宛に、本部からの要請があれば、即時対応するようにとの連絡もあったそうです。
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放射能と放射線について

2011年03月21日 07時53分49秒 | 災害救援
盛んに放射能や放射線と言う言葉が出てくる。
またもう既に、原発からは放射性物質が飛び出して、ほうれん草などに付着しているという情報がある。
どういう事か調べてみた。

東京電力 【放射線と放射能】
 原子の中でもごく一部のものは不安定な性質をもっており、エネルギーを放出して安定した別の原子に変わろうとします。これを原子核崩壊と呼びます。このとき出るエネルギーのことを「放射線」と呼び、放射線を出す物質のことを「放射性物質」といいます。「放射能」とは、原子核が崩壊して放射線を出す能力を意味する言葉で、数量的には1秒間当たりに崩壊する原子の数で示されます。
 私たちの身の回りにあるもので例えると、電球を放射性物質と思えば、放射線は電球から出る光ということになります。

http://www.tepco.co.jp/nu/knowledge/radiation/index-j.html


東京電力 【日常生活と放射線】
7000ミリシーベルト 全身被爆 死亡
1000ミリシーベルト 全身被爆 はきけ、倦怠感(10パーセントの人)
500ミリシーベルト 全身被爆 白血球の一時的減少。
100ミリシーベルト 全身被爆 これより低い線量では臨床症状の確認無し。
50ミリシーベルト(年間)放射線業務従事者の線量当量限度。
10ミリシーベルト(年間)ブラジル・ガラパリの放射線
6.9ミリシーベルト 胸部X線コンピュータ 断層撮影検査(CTスキャン)
2.4ミリシーベルト(年間)一人当たりの自然放射線
1.0ミリシーベルト 一般公衆の線量限度
0.6ミリシーベルト 胃のX線(集団検診1回)
http://www.tepco.co.jp/nu/knowledge/radiation/radia1-j.html



私が知りたいのは、原発でどのような放射能物質が放出されて、それがどれくらいの間その地に残り(放射能に汚染される)、どれくらいその地へ立ち入る事が出来なくなるかということ。その対処法は?である。


【福島原発、放射能汚染のシナリオ
* 2011年03月20日 15:15 発信地:パリ/フランス】
■主な汚染源
 放射性廃棄物が長期にわたって健康に影響するのは大きな問題だ。
 福島原発から放出されると思われる汚染物質はヨウ素131とセシウム137だ。 半減期はヨウ素131が8日間、セシウム137は30年だ。半減期とは放射性元素が崩壊し、元の数から半減するのに要する時間のこと。通常、放射性元素の危険性が残る期間は、半減期の10倍とされる。
 放射性ヨウ素とセシウムは発がん物質で、大気中や飲料水から直接体内に取り込まれても、食物連鎖を通じて間接的に摂取されても健康に脅威となる。
 放射性ヨウ素は非常に揮発性が高く、大気に拡散しやすい。水源が汚染されたり、穀物や葉物野菜などに付着してそれが家畜や人間の体内に取り込まれたりすると危険だ。ヨウ素131の半減期は8日なので、数か月のうちに完全に崩壊する。
半減期30年のセシウム137、キノコ類や野鳥に蓄積しやすい
 セシウム137は1950~60年代の核兵器実験によって大気圏に放出され、以降、汚染物質は崩壊してきているが、健康に害がない程度の量は誰もが浴びている。チェルノブイリ原発事故でもセシウム汚染が発生した。
 米環境保護局(US Environmental Protection Agency、EPA)によると、汚染された土壌がちりとなって大気中に浮遊したものを吸い込こんだり、汚染された水を飲んだりすると内臓が被ばくし、生体組織が侵される。植物ではセシウムは最初に葉の部分で、次に根に吸収される。またキノコ類や野鳥の体内に蓄積しやすい。
■除染
 放射能に侵された場所の除染は巨額の費用と長い時間がかかる危険な作業だ。
 汚染された土壌は取り除いて埋め立てるが、汚染された土壌自体がなくなるわけではない。特別な炉で土壌を焼却処理して有害物質を無害にする方法もあるが、非常に費用がかかる上に技術的にも難しい。汚染された土壌を溶剤と混ぜて洗浄し、汚染物質を含む廃液を処理する方法もある。
 水の汚染の場合は合成繊維のフィルターでろ過して固体粒子を捕捉するが、この方法が有効なのは汚染レベルが低い場合に限られる。水を沸騰させて固形化した汚染物質を分離する電気透析法による脱塩(放射性イオンの除去)も有効だ。
 損壊した原子炉は閉鎖された後も長期間にわたり放射線を出しつづけるが、これを封印する方法には何種類かある。チェルノブイリの場合はコンクリートと鉄筋製の「石棺」を建設して封印したが、この応急的な構造物には亀裂が入り、建て替えが進められている。

http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/disaster/2791369/6975187


これらを読んで思う事は、
原発から飛び出した放射性物質が出す放射線と、原発自体から出ている放射線が問題だ知った。
人体に影響を及ぼすのは、その出される放射線で、それが細胞の遺伝子を傷つける事が問題だと知った。
汚染されたら、その対処はとても難しいという事も知った。


今懸命に、原発を沈めるように努力していてくれる。
また、危険な地域で、救助活動をしていてくださる方々がおられる。

今の私には、その方々の御無事と、何とか沈めていただけるようにと、親神様の思召を思案して、願う事しかない。
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