5月2日から6日にかけて、岩手・宮城へ友人の見舞いとひのきしんに出かけました。
4月18日の教祖ご誕生祭「喜びの集い」で、偶然に同級生Tk君に再会して「今、見舞いに行きたいと強く思っている」と聞かされ、そして話をしているその目の前に、岩手のSk君を発見したのが始まりであります。
今回見舞いに行った岩手のSk君は、被災地から少し離れたところにあって、この災害発生直後から本部から視察に見えた方々を案内し、災救隊の活動が出来るようにと岩手教務支庁のサポートをした人。そして宮城のYs君は、被災地にあって埼玉教区の方と共に「唐桑半島災害復興ひのきしんセンター」を作りあげてきた人であります。
18日再会したSk君よりメールをもらい、そこには「皆さんにお願いしたいのは、なるべく多くの人に被災地に入ってほしいという事です。テレビ、新聞の報道は限りがあります。間に入った人の主観がどうしても入ります。自分の目、耳、身体でこの有り様を感じてほしいです。できれば若い人ほど。・・・・」という文章が入っていました。
すぐさまTk君に連絡をつけ、Sk君のいうように「若い人」を連れて行くように葡萄会に声を掛けようという事になりました。そこで掲示板に呼びかけたところ、Si君から一緒に行きたいとの申し入れがあり、4月26日に行程などの打ち合わせをしました。
このSi君はS大教会の被災部内へ見舞いや物資を届けに、震災直後から数度被災地へ行っている人であります。ところがその直後、Si君が大教会の用事で1日から現地へ出発となり、代わりにNg君が行ってくれる事になりました。
このNg君は、すでにN教区の災救隊として、すでに2回出動、さらには8日から災救隊で出動、その後Sk君が企画した弦楽カルテット慰問の運転手で被災地へ行く予定との事。また今回の動向も、折角入った仕事がありながらも、「こちらが先に約束したから」と断って同行してくれました。
27日に葡萄会として被災地のために頑張っている友人を見舞いに行きたいと同級生に連絡したところ、2日までに56名中25名から物や見舞金また声が寄せられました。上級や本部また関係各所から義援金などを出し、また仕事も大変な時でもあります。その中に急な連絡にも関わらず、このように大勢の友からの真心を持って、走らせて頂く事が出来た事とてもありがたく思いました。
さて、3日早朝、Sk君の教会に到着、一服させて頂いてから、釜石の被災地を彼の子供たちと共に見に行きました。片付いているところもあれば、全く手付かずのところも・・・。
Sk君が言ってくれた通り「自分の目、耳、身体でこの有り様を感じてほしいです。」これに尽きることを実感しました。
夕方教会へ戻り、友の心を渡して、これまでの事やこれからの事など夜遅くまで話し合いました。
翌日4日、朝から雨。(天気予報では降水確率10パーセント。午後から雨の予報だったのに・・・)
当初教会のひのきしんをさせてもらってから夕方に次の友人のところへと話していたのですが、こんな雨では出来ないのでどうしようかと相談をしました。
そして災救隊に来ている恩師Oiさんを激励に活動地へ行く事にし、差し入れを購入してSk君と別れました。
昼に気仙沼へ到着。活動地で恩師に会うと共に、休憩場所にて同級生のKm君に会い、共々に喜び合いました。


分かれた後、道の駅の駐車場で湯を沸かしてカップラーメンとおにぎりで昼食を取った後、陸前高田を見に行き、唐桑へ。
行く道中、車の中から写真を取るが、Sk君が言っていた通り、写真を後で見るとどこの場所もみな、同じような風景でしかない。まだまだ瓦礫に手が付いていないところも、片付け終えたところも、みな同じ風景である。
しかし唐桑で、センターのスタッフの人が友人Ys君と共に「震災直後の映像をDVDにしました。今思うとこれはとても貴重な映像ですね。」と話している言葉を聞いて、この二ヵ月間の努力を感じました。
唐桑へ到着して、センターで受付をすませました。

食事は全て自炊と思っていたところ、ここでは昼と夕は食事を用意してくれるとの事で驚きました。食事は友人の奥さんやレストハウスのオーナーの娘さんなど女性の方が準備をして下さっているそうであります。
夕食を頂く時、向かいの席に座られた方は、天理教の方ではなく、今日他の場所にボランティアに来たが、泊まる場所が無くて困っているところ、このセンターを紹介されたとの事で、とても驚きました。
夕食を頂きテントサイトを見に行くと、そこは公園の芝生広場で、テントを建てて中で寝るにはとても気持ちが良いだろうなぁと思いました。また、そこにはそれぞれが自炊できるようにコンロなども用意されていました。
6時半から夕づとめとの事。しかし、我々は友人Ys君と色々と話をするために、今回は彼の教会へ泊めてもらう事にして教会へ移動しました。移動する道中、彼は今日の作業の進み具合、明日の予定の確認をするとの事で、1mほど地盤沈下したために、満潮で水浸しになっている港を見せてもらいました。
教会に着いて友人達からの心を渡し、酒を酌み交わしながらこれまでの事を色々と聞かせてもらいました。
5日、朝づとめ・朝食をすませてセンターへ。
作業内容を聞かせて頂き、我々3人はトラックを借りて観光港へ。到着すると地元の方が箒を持って掃除をされていおり「どこから来たのか?」と尋ねられたので「天理教の者です」と応えると「ああ、神の倉の人のね」と返事が返って来ました。そして道路の下にある瓦礫を片付けて欲しいと言われたので、言われるままに作業をさせて頂きました。さすがに50近くなり、日頃身体を動かす仕事をしていなこの身体、ましてや先日まで痛みで動けなかったこの身体、どうなる事かと思いつつも、ゆっくりと運び上げました。
10時頃になると、先ほどの地元の方がおやつを持って来てくださり、色々と話を聞かせて下さいました。行為に甘えて一緒に休憩をさせて頂いていると、この方は、この地区の会長さんをされている方で、私の友人Ys君は副会長との事。
そして「今回彼の関係で、天理教の方が被災した翌日12日に、米を12袋と水を持ってきてくれてとても助かった。丁度このあたりは12の地域になっているので、我々だけが生き延びるのは申し訳ないと、1袋ずつ分けさせてもらった。」と嬉しそうに話してくださり、その他当日のようすを色々と聞かせて頂きました。
この会長さんたちが掃除をしていて、色々と話を聞かせてくれた事を友人にさせてもらったところ、「ついに地域を動かした。」と嬉しそうに応えてくれました。
午後からは、センターに借りているトイレの屋根の瓦の補修。

一緒に行った友人N君が瓦職人で、昨夜現場を見回った時に、倒壊した家に同じ色の瓦がある事を発見したことから、急遽これをする事になったのでした。
使える瓦を80枚ほど拾い集め、順番に差し替えてゆきました。作業の途中、地域の人が「瓦を直しているそうだね。」と見に来られました。とても嬉しそうでした。今回彼がここに来たのは、これをするために教祖が・・・と思いました。
またこの作業の最中、センターへ一人の女性の方が来られて、食事の世話をしている女性の方々が対応している姿を見かけ、あとで話を聞いてみると、「津波に家を流されてしまってから、頭の中が真っ白になってしまい、ふと気がつくとここに来ていた。バスに乗って帰る」と話をしていたそうでした。この災害で精神的に困っている方がある姿を目の当たりにすると共に、センターの方の親身な対応に感心しました。
4時半ごろには、作業を終えて帰路に着く予定でしたが、さすがに瓦の差し替え80枚は終りません。5時半近くに無事に作業を終えて、6時半の夕づとめの案内を聞きながらセンターを後にしました。
一関インター近くで入浴をして、一路おぢばへ。
6日朝 9時半すぎに、神殿に到着。3人で無事にお連れ通り頂いた事にお礼申し上げて解散しました。
振り返って思うことは、
たった一日だけの被災現場でのひのきしんでしたが、とてもとても私には濃いものでした。
また、友人という絆の素晴らしさ、さらには教祖の教えを柱にした教友という絆の素晴らしさを改めて感じさせて頂きました。
親神様・教祖のお導きを頂いて、今日一日、動かせて頂ける身体を貸し与えて頂けることに感謝です!!
最後に
災救隊は本部の支持の元で出動要請が掛かって動きますので出動日が限られますが、
唐桑半島災害復興ひのきしんセンターの方は、個人でも団体でもまた天理教で無い一般の方でも、事前に申し込んでひのきしんをさせてもらう事が出来ます。
災救隊を希望される方は、各教区へ。
唐桑半島災害復興ひのきしんセンターを希望される方は、
坂口祥彦(さかぐちよしひろ)埼玉教区青年会委員長
連絡先;メール saitamaseinenkai@yahoo.co.jp
携帯 08037069335
までお問い合わせください。
復興支援頑張りましょう!!