ブログあつたかい

しんちつが神の心にかなハねば いかほど心つくしたるとも (12-134)

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餅つき&本年一年ありがとうございました。

2012年12月31日 07時42分54秒 | 思った事
12月30日

今年も餅つきをさせて頂くことが出来ました。

この餅つきは今年で3年目。
耐震工事の時に玄関にポーチを作ってもらい、自分では杵も振れない時に、皆さんの力を借りなければできない状況で始めました。

3家族の信者さんたちと、次男の友達5人、そしてうちの家族が8人(一人は日にちを間違えて、不参加)総勢22名(月次祭より多い)

うちには道具を置く場所も無いので、すべて大教会から借りてきて行います。
(昔は餅つきをしたようで、石臼がありましたが、置く場所がなくなって大教会へ持って行きました。)

信者さんが上手に子供達の世話取りをして下さり、みな楽しくつきました。

そして
大教会への御供をひと飾り、親神様・教祖・祖霊様にひと飾りずつ。
そして来てくれた家々の分のお飾りと、のし餅を作りました。


狭い教会をフルに使ってのお餅つきです。

最後はみんなで、ぜんざいとお雑煮を食べました。
このお雑煮は、妻の母が作っていたもので、沢山の具の入ったけんちん汁。
これがとても美味しいと好評。


とても楽しいお餅つきになりました。

午後、お借りした道具を返して、夜入院している方の所へお飾りを届けました。


本年一年お付き合い頂きまして、誠にありがとうございました。

来年もまた、どうぞよろしくお願いいたします。
皆様にとって、良い年になりますように~~~。
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100才のおばあちゃんは・・・

2012年12月29日 20時10分11秒 | 思った事
先日書き込んだ100歳のおばあちゃんは、23日にはディサービスに行けるようになった。
あれだけ痛んだのに、不思議な事である。


けれども、82歳の方は、痛みが無くならない。
一昨日熱も下がらないので、膿を摘出する治療をした。
昨日の夕方は、痛みも熱も下がっており、ちょっと安心した。
ところが、今日の夕方行くと、痛みが出て、熱も出たそうである。
何とか不思議なご守護を頂きたい。
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東北慰問演奏会について

2012年12月27日 21時33分38秒 | 思った事
東北の慰問演奏会も無事に終わり、その報告を待っていたところ「葡萄会忘年会」の知らせが来た。

詰所ひのきしんなので、遅れて顔だけだすと返事をしていた。

当日、ひのきしんの人達と話をしているところへメール。
時間を見ると1時間以上経過している、大慌てで会場へ。

会場に到着するやいなや「慰問演奏会、来年5月にやるぞ!」との声。
私「よかった(^^)」

その後、次々と同行したメンバーから様子を聞かされる。
その中で私の心に残った事だけだが書かせて頂く。


今回の慰問演奏は、直接被災した人々よりも広い範囲の方々に対する演奏会となったわけだが、そのことから次の事を知らされた。

それは、

被災した県では、「多くの人々から見放されるのではないか?」という不安に駆られている方が多いと言うことだった。

私は丁度その日、重度の身上で長期間伏している方におさづけを取り次がせて頂き、
「こんな体になって、皆さんから見られる視線だけを感じて、声をかけてもらえずに寂しく感じていた。おさづけをして頂いて嬉しい。」
と涙を流して言われたところだったので、
そのことが、被災した県の方々の事と重なった。

周囲の者としては気にしているけれども、言葉を掛けることができない。
また掛ける言葉が見当たらない。手段がない。というのが正直なところだと思う。
しかし、それを一歩踏み出すところに共に喜びがあると思った。


また、

少年刑務所からは、後にわざわざ感想文が送られて来たそうで、
その感想文を読んで彼らの心の純粋さに驚かされた。との事。

更には、

小学校では、1時間の予定だったものが、当日行くと「好きなだけ演奏をして頂きたい」と言われ、時間の許す限り演奏をした。との事。
そして、録画ビデオを見たところ、子供たちの笑顔、笑顔、笑顔。
先生方の「音楽を通して子供たちに」という思いを感じた。


演奏者からは、
運営スタッフはほとんどが同級生で行っており、演奏者としては演奏に専念できて、十分な演奏を聞いてもらえる事が嬉しい。
そして、聞いて下さる方々の笑顔、心が何よりも嬉しい。
『被災地の方の上に何度でも行きたい。』

更には、今回演奏者の中には未信者の方がおられたが、見よう見まねでおつとめをして、共々に心合わせて活動して下さった事がこれまた嬉しかった。との事だった。


最後に、

前回予定を書き込んだ時に、「年祭活動に重きを置くために中止」と書いた。
しかし、
被災地と我々をつなぐ、一番被災地をよく知るスタッフが、ある先生の夢を見て「これを続けていくことが私の年祭活動」と言ってくれた。

私はその言葉を聞いて、諭達の「悩める人の胸の内に耳を傾け、寄り添うとともに……」を思い出した。
そして、被災された県の方々の「忘れられるのではないか」という、悩める声に寄り添う活動としてこの演奏会はあるのではないかと思った。

しかし、活動を続けるには資金が何よりも必要である。
これまでのところ、スタッフとその関係者から寄付金を募って活動して来た。

「被災地を忘れていない」という思いを伝える上に、心寄せ下さる方があったらありがたいと思う。

おぢばの風で皆の心が澄みますように。
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25~27日おぢば

2012年12月24日 07時59分17秒 | 思った事
今日の昼からおぢばへ出発です。

詰所ひのきしん。

信者さんへのおさづけは、妻と長男にお願いして出発します。


親神様のお守りを、結構への導きを感じています。

直接甘露台にお願いに行ける機会を与えて頂けた事にも感謝です。


身上・かしものかりもの。
心一つで日々どんな理も出る。

かりものの体があるので、喜び・悲しみ・苦しみを感じることができる。

かりものの体を返して、新しい体を借りて来る時に、前生の記憶が無いから心は白紙の状態でスタートできる。
これは喜び安い状態にしてある。

けれども、神様に不公平は無いので、前世の通り方心の使い方で様々な環境に生まれているだけ。

この事を知っていれば、信じていれば、苦しみを喜びに替えるまではいかなくとも、人を恨まずに通り、いんねんを切り替える道を歩める。
負の連鎖を断ち切ることができる。

心のほこりは、常に積む。
自分は積んだ覚えがなくとも、相手がある限り、相手に積ます事もあるから。
だから、常に自分を振り返り詫びる心が大切。
詫びれば、神様がとってくださる。

神様がほこりを取ってくださる。
ほこりを取ってくださるとは、苦しみを取って下さることだと私は思う。

「心澄み切れ極楽や」
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結婚記念日 20年

2012年12月20日 21時38分42秒 | 思った事
今日夕食に、長女が音頭を取って、私たちの結婚記念日を祝って、手巻き寿司を催してくれた。

これまで一度も結婚記念日などやったことがない私。(^^;)

先ほど長男が夜間大学から帰って来た。

食事をすませたら信者さんのお願いづとめをさせて頂く予定。

25周年が迎えられますように。
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タイトル下のコメントについて

2012年12月14日 07時57分13秒 | 思った事
12日にタイトルのしたのコメントを書き換えた。

私は星が好きで、暗黒の星をテンプレートに時々使う。
見る人によっては、暗く寂しいようにも見えるだろう。

そこで、このテンプレートを使う理由の一つをコメントに記した。

『正文遺韻』には以下のように書いてある。

「ほしといふわけ」
 にんげんは、まんもつのれいとも、ちやうともいふて、かみさまのつぎには、にんげんである。そのにんげんといふゆゑんは、そのこゝろである。みは、かみさまのもので、こゝろひとつが、わがの
 そこで、めい/\のこゝろ、これほんしんと云う。このほんしんが、てんにつらぬきて、ひかりをはなつといふ。ひかりのおほきなると、ちひさなるとは、これとくのあつき、うすきとによりてちがふ。このほんしんゆゑに、ほしといふ。

このコメントを書いてから、以前よりずっと意味が分かるような気がして他のところも読み直している。

上記の文を書き換えてみます。

「星という訳」
 人間は万物の霊とも長(霊長)とも言って、神様の次には人間である。その人間という由縁は、その心である。身は神様の物で、心一つが我がの理。
 そこで銘々の心、これ本心と言う。この本心が天に貫いて、光を放つと言う。光が大きくなるのと小さくなるのは、これは徳の厚き、薄きによって違う。この本心ゆえに星という。

ここで、「人間のそれぞれの心を本心」と言っておられるが、この本心ということについては、次のお話にも出てくる。

「人間の数に就いて」(『正文遺韻』p261書き換え)
 或時、梅谷様より、仲田様、山本様などに、『人間は、九億九万九千九百九十九人の人数と、聞かせられるが、中に、牛馬におちているものも、有るとの事なれば、人間の数は、現在ふえておりますか、又へっておりますか』と尋ねし処、『そんな事知らぬから、これから神様へ伺わん』と申して、教祖様の御前に伺い、仲田様より、右の次第御尋ね申し上げしに、暫し御伺いの体にて、『それは増えてあるとおっしゃる』と仰せられて、それより、その次第をお聞かせ下さるには、
 『元は、九億九万九千九百九十九人の人数にて、中に、牛馬に落ちている者もあるなれど、この世はじめの時より後に、生き物が出世して、人間とのぼりているものが沢山ある。それは、鳥でも、獣でも、人間を見て、ああうらやましいものや、人間になりたいと思う一念より、生まれ替わり出替わりして、段々こうのうを積むで、そこで、天にその本心を現してやる。すると、今度は人間に生まれてくるのやで、そう言う訳で、人間に引き上げてもろうたものが、沢山あるで』と仰せられ、一同感服して、御前を退きしと言う。


この「天に本心を現してやる」という言葉である。

人間の数だけ星があるという事とも考えられたりして。(^^)
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親神様ありがとうございました。

2012年12月12日 19時31分22秒 | 思った事
本日無事に納めの月次祭を終えさせて頂いた。

先日投稿した100歳のおばあちゃん。
この100歳のおばあちゃんは、部内の前会長夫人。

あの後、段々と体が痛み出して、起きることが出来なくなっていた。

昨日月次祭の準備に会長さんからその事を聞き、夕方におさづけに行かせて頂いた。

教会へ着くと「丁度落ち着いたところで、今寝ている」との事。
「寝ていても良いからおさづけを」と部屋へ行かせて頂き、おさづけを取り次がせて頂く。
なんだかとても小さくなった気がした。


今日月次祭。もちろんおばあちゃんは欠席、その世話で奥さんも欠席。
様子を会長さんに聞くと、「触るだけで痛むようになって来た」との事。

100歳の年齢から言って、いつ何事があってもおかしくない。

直会を終えた後に、「100歳の高齢です。これでお出直しということも考えられますが、お出直し頂くにしても痛みだけでもとって頂きたいと思います。」と申し上げて皆でお願いづとめをさせて頂く。
そして、会長さんと一緒に来ている役員さんに「近くの方たちに声を掛けてお願いづとめをしてください。」とお願いをした。

午後6時すぎ、電話が鳴った。
奥さんからの電話で、「あれだけ痛がっていたおばあちゃんが、自分から這って出てきて、夕づとめに参拝をされた。まだ痛みがあるようだが、嬉しくて電話をさせて頂きました。」との事。

私も嬉しくて、つい書き込んだ。

親神様ありがとうございました。
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親神様へのお願いづとめ

2012年12月10日 07時51分21秒 | 思った事
今月はじめに次の話を聞いた。

それは
「おばあちゃんが、『あそこに人がいる。』と幻覚を言うようになった。」
との言葉である。

このお宅は100歳のおばあさんを70過ぎの息子夫婦で面倒を見ている。
(離れには孫夫婦も同居している)

このおばあさん、100歳なのでつい先程の事も忘れてしまう状態。
けれども自分の事は自分でできる。
ただ、夜中に何度も起きて、息子さん夫婦は大変な時が何度かある。
それに加えて、数日前から手首と脇腹に痛みがあるとのこと。

この時も、数日前から夜中に何度も起きて、奥さんはヘトヘトの状態。
その中、「婦人会だから、少しの時間でも教会へ」と車を飛ばして来て下さった。
その時の話である。

これを聞いた私。
「おばあちゃんがよく眠れるようにお願いづとめをさせて頂きましょう。」
とふと言葉が出た。
9時頃に寝られるとの事で、「じゃあ3日間、9時にさせて頂きます。」
と約束してお帰りいただいた。

この日は夕方から大教会で会議。
それを終えて、気になる方の見舞いをして時計を見たら、8時過ぎ。
教会に着くのは9時ちょっと過ぎになってしまう。
急いで「帰ったらすぐにお願いづとめをするから」と電話を入れて車を飛ばす。

無事9時過ぎに到着。すぐに子供たちを集めて、説明してお願いづとめをする。

翌日、夕方おさづけを取り次がせて頂こうと、お邪魔をする。
丁度夕づとめの最中。
参拝をしておばあちゃんの部屋へ。

「おさづけをさせて頂きますよ」と言うと
「ありがとう。お願いします」と言われて、痛む脇腹をさせて頂く。
終えてからちょっと話をする。
その中に、おばあちゃんから「寝ずとも頑張って働きなさいよ。親神様は大変な中でも力を足してくれますから」というような言葉が出た。
このおばあちゃんは、ご主人の影となって色々な人を面倒見て、夜昼構わずにつとめて来た人である。

最後に「私誰だか分かる?」と尋ねると、ニコニコしならが「・・・」
そして「これからどこへ行くの?」と話題を替える。
私のこともわからなくなったようだ。
(一番気にしていた、孫の長男さんの事もちょっと前から分からなくなっている。)
私の事が分からなくても、おさづけの事は分かり、親神様の事は分かっている。

さて、おさづけを終えて神殿へ戻ると夕づとめが終わっている。
奥さんにおばあちゃんの様子を伝えて帰ろうとすると、
「昨日夜おばあちゃんが起きずに、よく寝れました。」と聞かせて頂く。

とっても嬉しかった。
老老介護の大変なところであるが、親神様がチャンと見守って下さっている証拠を見せて頂いた気がした。

帰り道、忘れたドライバーを届けて教会に戻り、そしてまた9時にお願いづとめをさせて頂いた。

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