昨日、食料を持ってさいたま市の渕和分教会まで、忠愛分教会の会長さんと行かせて頂きました。
とても急な話でしたが、うちの信者さん方と友人、友人の会社の方々。また忠愛の会長さんからの呼びかけで、数人の方々が物を届けて下さり、ワゴン車一杯になりました。
忠愛の会長さんのところへは、月次祭の日で上級の巡教の先生がまだおられるのに、それを抜けて届けてくださった方があったとの事。その心がありがたいと思いました。
教会に到着して物資を下ろす時、親奥さんが「こんなにも沢山」と喜びの声を聞かせて頂いた時、「持たせていただいて良かった。」と思いました。
届けた渕和分教会の会長さんは、福岡から炊き出しに来られた方を早朝から迎えに行き、お世話される大変忙しい中、私たちを迎えて下さり、色々とお話を聞かせて下さいました。
この教会では、本部の災救隊とは別に有志の教区災救隊として、救援活動を行っておられます。主に気仙沼へ独自のボランティアセンターを立ち上げ、弟さんがそちらへ行って支援しておられるとの事。
今、岩手や宮城の被災地へは行政や自衛隊のお陰で、食料などの物資は十分行き届いているが、原発の周囲には放射線の事から食料や復興の支援は入っていないとの事でした。
会長さん本人は、放射線の怖さを十分に御承知で、3月11日震災が起こり、原発で事故が起こっていると分かった時点で、家族はすぐに実家へ非難させて、自分は友人と共に、原発を避けて新潟経由で気仙沼へ700キロを走って入ったそうです。
さらには、「雨の中物資を搬入する時、ボランティアは放射能をさけて屋内の作業になっていたけど、私はカッパも無かったので、放射能の雨に濡れちゃった。」と顔を強張らせながら話をして下さいました。
そうした放射能の恐怖を十分に知っている方が、なぜそうした危険なところへ行かれるのかと不思議に思われる方もあるかと思います。
放射線で屋内退避となった地域で、「餓死者があった」とも聞かせてくれました。その事を聞いた時私は「そうだろうなぁ」と無責任な言葉をとっさに出してしまいました。
何とか命をたすけたい。そのための物資を届けたい。行政や自衛隊などが動くまでの間、何とか命をつなげたいというその思いがひしひしと感じられました。
避難指示が出ている場所でも、避難を出来ない方や放射能についての知識の無い方などがまだまだおられるようです。そうした方々が早く避難されて、物資を届けなくても良いようになる事を願うばかりです。
命あっての災害救援、また復興です。命をつなぐための食料。それを届ける。これも大切な事のように思えます。
今回の物資の呼びかけをされてから、数日経ってますが、教会にはまだワゴン車の3分の1にも満たない物資しかありませんでした。
震災当初は沢山の物資が届いたそうです。あれから一ヶ月、近隣の方々には出す物も無い状態だろうと思いました。
埼玉教区として今後は、放射能によって避難された方の避難所(廃校)への世話も考えているとの事でした。
本部からの指示で動いている災救隊は天理時報でしっかりと報告されていますが、それ以外の個人的や教会毎でされている活動は公にはなりませんが、動いている所は動いているようです。
先月26日から痛んでいた腰の痛みも無くなり、動けるようになりました。(無理は出来ませんが><)
次にできる事を考えて動きたいと思います。
今回物資に協力してくださった方は、このブログを見ていない方ばかりなので、報告書は別に作って配ろうと思ってます。
新しいご縁を頂いた事を親神様に感謝いたします。ありがとうございました。