ブログあつたかい

しんちつが神の心にかなハねば いかほど心つくしたるとも (12-134)

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なぜ・・・という 言葉

2010年06月23日 07時20分09秒 | 思った事
私は 「なぜ?どうして?」という言葉をよく使う。

身上や事情になった時、特によく思う。
よく聞く言葉に、「なぜという理はない」というものがある。

まさしく、全ては理の世界で、原因があって結果があるので、「なぜ?」という事はないのである。

身上・事情の時に使うこの「なぜ?」という言葉、
2種類の使い方を感じている。

一つは、「私がこんな事になるはずは無いのに~~~。どうして?」
というもの。

もう一つは、「こうなるためには、何か原因があるはず。それはなに?」
というもの。

「私がこんな事になるはずは無いのに~~~。どうして?」考え方に対して、先に書いた、「なぜという理はない」という言葉があると思う。
この考え方はとても暗く、辛い。いつまでたっても先に進めない気がして、私としては好ましく思っていない。

「こうなるためには、何か原因があるはず。それはなに?」という考え方は、「なぜという理はない」という言葉を元に、その原因は自分のほこり、いんねん?。または、これから先進むための警鐘か?などと先へ進む努力をする事になるように思っている。

先日、修養科生の朝礼の時、主任先生がサッカー選手の事を台として、「その選手は一流の選手になる目標に向かって、自分の失敗したことなどをノートに書き、その失敗を繰り返さないように努力したそうで、皆さんも陽気ぐらしという大きな目標に向かって、日々の心の切り替えに努力してもらいたい。」というような話をされた。
失敗しても「ナゼ?」と思わなければ、その失敗の原因は分からない。

ただ、その原因が分かるためには、時間や他の経験が必要な事が多々ある。
だから、「なぜ?」と心に思いつつ、出来ることや思いつくをドンドンやることが大切だと思う。
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教養掛も 後1週間

2010年06月21日 16時35分16秒 | 思った事
教養掛も後残すところ 1週間となった。
今回就任するに当たり、副主任先生から「教話のために。。。」と『しあわせを呼ぶ心』尾崎栄治著を貸して頂いていた。
教養掛も半ばを過ぎたあたりから、本格的に読み出した。とても素晴らしい本で、教祖のお話や逸話などを沢山盛り込んで書かれてある。そしてそのお話やお言葉の出典もしっかりと書いていてくれてあるので、今後出典の本などを探してみたいとも思った。

読み進める中に、教祖のお言葉の意味を、こういう意味だったのか。と得心をする部分もたたあり、浅い思慮による伝え間違いのないようにしたいと思った。

しかし、借りたものは返さねばならず、例によって、本をスキャンした。
これでいつでも読むことができる。(^^)

ただ後一週間となり、当初やりたいと思っていた事が全然進まない事が気にかかっている・・・
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月次祭を終えて

2010年06月14日 15時09分14秒 | 思った事
一昨日 無事に月次祭を終えることが出来た。
皆さん元気にお集まり頂き、よろづたすけを念じておつとめを勤めさせて頂く事が出来、大変ありがたく思った。

今回は、電車で前日の昼に教会へ帰ったのだが、気の緩みからだろう、首が痛みだして2時間ほど休む。その間に信者さん方が来てくださって準備をして下さった。
特に今回は、会長がいないからと、奥さんに声をかけて一緒に来てくださった方があり、その言葉を聞いて、その心が本当にありがたいなぁと思った。

月次祭は食事をすませて、早々に電車でおぢばへ戻った。


今日はノートPCを分解掃除した。
以前からファンの音が気になり、早めにしなくては・・・壊れるかも・・・と思っていたがなかなか出来ずにいた。
分解をして見て驚きである。予想以上にほこりが詰まっている。これでは冷えないのでファンが回りぱなしのはずである。
お陰で今は静かになった。(^^)

ほこりと言えば、月次祭に帰る前に、修養科生に説明するために、十柱の神様のご守護とほこりなどの図を作り、それを今回の会報に載せた。
この身上を頂いて、こうした作業を通して、改めて八つのほこり、十全のお働きを身に付けさせて頂いて、ほこりを払う努力に力を注ぐ今日この頃でもある。
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