昨日23日、大教会月次祭のおつとめが終わった時刻に、大教会直轄菅原分教会会長、大教会役員 松田隆彦先生が享年80歳でお出直しになられました。
肺がんで危ないというところを、何度も何度も不思議なご守護を頂かれて今日まで来られました。
昨年念願されていた部内教会の会長が交代され、そして自教会の後継者がようやく定まり、今月はじめにその方たちが、教会に同居して下さったとたんの入院、そしてお出直しでした。
21日にお見舞いに行かせて頂き、意識の無い先生に御礼申し上げました。
付き添われていた方に話を伺うと、後継者の方とは数日の同居だったそうですが、とても喜んでおられたとの事。
今日24日午後6時半から遷霊祭。25日午前10時より告別式です。メモアール関にて行われます。
参列して御礼申し上げたいと思います。
肺がんで危ないというところを、何度も何度も不思議なご守護を頂かれて今日まで来られました。
昨年念願されていた部内教会の会長が交代され、そして自教会の後継者がようやく定まり、今月はじめにその方たちが、教会に同居して下さったとたんの入院、そしてお出直しでした。
21日にお見舞いに行かせて頂き、意識の無い先生に御礼申し上げました。
付き添われていた方に話を伺うと、後継者の方とは数日の同居だったそうですが、とても喜んでおられたとの事。
今日24日午後6時半から遷霊祭。25日午前10時より告別式です。メモアール関にて行われます。
参列して御礼申し上げたいと思います。
教祖が「こうき」を作れと言われた事を受けて、「元始まりの話」なるものが先人の先生方によって書かれた。
しかし、教祖は「それでよい」とは言われなかったようで、2代真柱様は「こうき」とは「口記」ではないかと思う。と言われたようである。
先日来「こうき」が気になり調べていた。
すると、
おさしづには一箇所しか見当たらず、
おふでさきには数箇所ある。
おふでさきの注釈をみると、そのうちの一箇所は、日本の昔の話をさしたものではあるが、それ以外は何を指しているのか具体的には分からない。
ただ、
こうきが出来たことならば、からはままなり。
はやくこうきを待つようにせよ。
という言葉から、
「こうき」が親神様が望まれる陽気ぐらし世界実現の上にはとても大切ものだという事が感じられる。
そうした中に一つ
号外のおふでさきに「こうき」がある事に気がついた。
にち/\に心つくしたものだねを
神がたしかにうけとりている (G-1)
しんぢつに神のうけとるものだねわ
いつになりてもくさるめわなし (G-2)
たん/\とこのものだねがはへたなら
これまつだいのこふきなるそや (G-3)
これを読んで、「こうき」とは後世に伝えるための、親神様のお働きを立証するものではないか。と思うようになった。
しかし、教祖は「それでよい」とは言われなかったようで、2代真柱様は「こうき」とは「口記」ではないかと思う。と言われたようである。
先日来「こうき」が気になり調べていた。
すると、
おさしづには一箇所しか見当たらず、
おふでさきには数箇所ある。
おふでさきの注釈をみると、そのうちの一箇所は、日本の昔の話をさしたものではあるが、それ以外は何を指しているのか具体的には分からない。
ただ、
こうきが出来たことならば、からはままなり。
はやくこうきを待つようにせよ。
という言葉から、
「こうき」が親神様が望まれる陽気ぐらし世界実現の上にはとても大切ものだという事が感じられる。
そうした中に一つ
号外のおふでさきに「こうき」がある事に気がついた。
にち/\に心つくしたものだねを
神がたしかにうけとりている (G-1)
しんぢつに神のうけとるものだねわ
いつになりてもくさるめわなし (G-2)
たん/\とこのものだねがはへたなら
これまつだいのこふきなるそや (G-3)
これを読んで、「こうき」とは後世に伝えるための、親神様のお働きを立証するものではないか。と思うようになった。
教会の会計決算がまだ出来ていない==(><)
領収書の仕分けからしなければならない~~。
支部内の教会の提出書類のチェックもしなければいけないのに~~。
天理教の教会には、会計帳簿をつけるという規則がある。(法人・被法人に関わらず)
これは、
教会が個人のものではない事。
親神様から預かったものであること。
教会に関わらる人々の記録をチャンと付けて置くことの大切さを言われているように感じている。
また
教会の中で法人教会には、
所轄庁へ計算書なりを提出するようになっている。(特殊な教会を除いては教区を通して提出する)
そしてまたこの計算書などは、法律上で利害関係のある方(その教会の信者さん)以外に見せる必要はない事になっている。
そして近年、この提出書類を出さないと罰金が課せられるようになっている。
この事は、天理教に関わらず総ての宗教法人に言えることである。(「宗教法人○○」という名前のあるところはすべて)
そして
世間では、宗教法人格「宗教法人○○」という名前が売買されて、脱税の道具にされていると聞く。
宗教法人という事は世間的に、「チャンとこの宗教を通して人の上に役になっています」という事を認められたという証拠でもある。
ところが、この宗教というものは目に見えて容易に良し悪しの判断ができるものではない。
だから最低限、活動の証拠となる会計の決算書を提出することで、チャンと機能しているかという事を判断しているのだと理解している。
信者さんが集まるようになり、自分たちの集う場所を買う時に、公に教会の名前で購入するためには法人格が必要となってくる。
また土地や建物が法人格が無くて個人のものでは、その人が亡くなった時に、相続の問題が発生したり贈与税などで、その教会がなくなってしまう事もありえる。
教会が続くという事、また続けるために心を尽くすことがどれだけ親神様のお喜び下さることで、それによる御守護の程は、この20年を振りかえって十分に分からせて頂いた。
法人教会でない教会であっても、法人教会同様に会計の書類を備えることは、活動をしている十分な証拠となりえる。
だから、法人教会ではないからと言って、教会規則に添わずに会計帳簿をつけていないという事はとても大変なことだと思う。
うちの教会は小さな教会なので、私の代わりに会計をやってくださる方がいない。(書類ができてから承認してくださる方はチャンといます)
その御陰で会計やり方や重要性も分からせて頂く事ができて、ありがたいと思っている。
しかし、年を取る毎に時間が掛かるようになってきているので・・・正直いって辛い(><)
会計をしなくても良い会長さん方が羨ましく思う時も・・・
ということで、会計に専念する事にします。
では、お元気で~~。
領収書の仕分けからしなければならない~~。
支部内の教会の提出書類のチェックもしなければいけないのに~~。
天理教の教会には、会計帳簿をつけるという規則がある。(法人・被法人に関わらず)
これは、
教会が個人のものではない事。
親神様から預かったものであること。
教会に関わらる人々の記録をチャンと付けて置くことの大切さを言われているように感じている。
また
教会の中で法人教会には、
所轄庁へ計算書なりを提出するようになっている。(特殊な教会を除いては教区を通して提出する)
そしてまたこの計算書などは、法律上で利害関係のある方(その教会の信者さん)以外に見せる必要はない事になっている。
そして近年、この提出書類を出さないと罰金が課せられるようになっている。
この事は、天理教に関わらず総ての宗教法人に言えることである。(「宗教法人○○」という名前のあるところはすべて)
そして
世間では、宗教法人格「宗教法人○○」という名前が売買されて、脱税の道具にされていると聞く。
宗教法人という事は世間的に、「チャンとこの宗教を通して人の上に役になっています」という事を認められたという証拠でもある。
ところが、この宗教というものは目に見えて容易に良し悪しの判断ができるものではない。
だから最低限、活動の証拠となる会計の決算書を提出することで、チャンと機能しているかという事を判断しているのだと理解している。
信者さんが集まるようになり、自分たちの集う場所を買う時に、公に教会の名前で購入するためには法人格が必要となってくる。
また土地や建物が法人格が無くて個人のものでは、その人が亡くなった時に、相続の問題が発生したり贈与税などで、その教会がなくなってしまう事もありえる。
教会が続くという事、また続けるために心を尽くすことがどれだけ親神様のお喜び下さることで、それによる御守護の程は、この20年を振りかえって十分に分からせて頂いた。
法人教会でない教会であっても、法人教会同様に会計の書類を備えることは、活動をしている十分な証拠となりえる。
だから、法人教会ではないからと言って、教会規則に添わずに会計帳簿をつけていないという事はとても大変なことだと思う。
うちの教会は小さな教会なので、私の代わりに会計をやってくださる方がいない。(書類ができてから承認してくださる方はチャンといます)
その御陰で会計やり方や重要性も分からせて頂く事ができて、ありがたいと思っている。
しかし、年を取る毎に時間が掛かるようになってきているので・・・正直いって辛い(><)
会計をしなくても良い会長さん方が羨ましく思う時も・・・
ということで、会計に専念する事にします。
では、お元気で~~。
5月の月次祭、無事に終えさせて頂きました。
今日は日曜日という事で、今年の初めの一斉巡教を受けて、「仕事の休みの時にはおつとめに出させて頂く」と心定めて下さった3人の方が、来て下さりおつとめに出て下さいました。
そして直会までいてくださいました。
またその内一人の方は、夕方に奥さんと子供さんを連れていつものように参拝に来て下さり、いつものように2時間ほど色々な話をしました。
先月は息子たちがおつとめに出る出ないで、喧嘩をしましたが、今月はそれぞれに心得ておつとめに出てくれました。
本当にありがたい月次祭でした。
今日は日曜日という事で、今年の初めの一斉巡教を受けて、「仕事の休みの時にはおつとめに出させて頂く」と心定めて下さった3人の方が、来て下さりおつとめに出て下さいました。
そして直会までいてくださいました。
またその内一人の方は、夕方に奥さんと子供さんを連れていつものように参拝に来て下さり、いつものように2時間ほど色々な話をしました。
先月は息子たちがおつとめに出る出ないで、喧嘩をしましたが、今月はそれぞれに心得ておつとめに出てくれました。
本当にありがたい月次祭でした。
お陰さまで、アップ後は頭痛がなくなり、会報完成しました。(^^)
午後から信者さん方が来て下さり、明日の準備と雑談をしました。
月次祭の後よりも、この時の方が落ち着いて話が出来ると言って下さいました。
7時から県人会の会議です。
その後、祭文書きます。
午後から信者さん方が来て下さり、明日の準備と雑談をしました。
月次祭の後よりも、この時の方が落ち着いて話が出来ると言って下さいました。
7時から県人会の会議です。
その後、祭文書きます。
今日は教会の会報を作る日なのだが、朝から頭痛がひどく、治まってはPCに向かい、痛んでは横になるを繰り返している。
おさづけをしてもらっても治まらない。
どうした事かと思案し、思いつく他の用事をしたところ、一寸治まった。
そうした中に、ふと「神の心に適わねばいかほど心つくしたるとも」という言葉が思い浮かんだ。
そこで、おふでさきを検索してみると
しんちつが神の心にかなハねば いかほど心つくしたるとも(12-134)
が出てきた。注釈を調べて見るとドンドン頭痛が治まるので、タイトルしたのコメントを変更して、前後のおふでさきと注釈をアップする。
これまでハたん/\くどきことハりを
ゆうてあれどもしんかわからん(12-131)
このしんハどふゆう事であろふなら
むねのしやんをこれがたいゝち(12-132)
なにゝてもむねとくちとがちこふてハ
神の心にこれハかなわん(12-133)
しんちつが神の心にかなハねば
いかほど心つくしたるとも(12-134)
こればかりいかほどたれがそふたんも
とてもかなハん月日しりぞく(12-135)
なにもかも神のゆう事しかときけ
なにをゆうてもちがう事なし(12-136)
しんちつにめつらしたすけをしへたさ
そこでとのよな事もゆうのや(12-137)
注釈
131 これまでは、だんだんと説き諭しもし、ことわりも言うているが、まだ真実の道の精神を悟っていないようである。
132 この真実の精神とはどういう事かというと、各人が、先ず自らの心を振りかえってよく反省する事である。
133 総て心の底で思うている事と、口先で言っている事とが違うようでは、これは、真実とは言わぬのであって、従って、親神の心に受け取る事は出来ないのである。
134-135 人間の心の真実が親神の心に適うので無かったならば、どんなに心を尽くして願うても、親神の方では受け取る事が出来ないから、こればかりは、だれから何と頼まれても、親神は、その人の身の内の守護をとめてしまう。
136-137 注釈無し
これで会報を作らせて貰えるかなぁ~ (^^)
おさづけをしてもらっても治まらない。
どうした事かと思案し、思いつく他の用事をしたところ、一寸治まった。
そうした中に、ふと「神の心に適わねばいかほど心つくしたるとも」という言葉が思い浮かんだ。
そこで、おふでさきを検索してみると
しんちつが神の心にかなハねば いかほど心つくしたるとも(12-134)
が出てきた。注釈を調べて見るとドンドン頭痛が治まるので、タイトルしたのコメントを変更して、前後のおふでさきと注釈をアップする。
これまでハたん/\くどきことハりを
ゆうてあれどもしんかわからん(12-131)
このしんハどふゆう事であろふなら
むねのしやんをこれがたいゝち(12-132)
なにゝてもむねとくちとがちこふてハ
神の心にこれハかなわん(12-133)
しんちつが神の心にかなハねば
いかほど心つくしたるとも(12-134)
こればかりいかほどたれがそふたんも
とてもかなハん月日しりぞく(12-135)
なにもかも神のゆう事しかときけ
なにをゆうてもちがう事なし(12-136)
しんちつにめつらしたすけをしへたさ
そこでとのよな事もゆうのや(12-137)
注釈
131 これまでは、だんだんと説き諭しもし、ことわりも言うているが、まだ真実の道の精神を悟っていないようである。
132 この真実の精神とはどういう事かというと、各人が、先ず自らの心を振りかえってよく反省する事である。
133 総て心の底で思うている事と、口先で言っている事とが違うようでは、これは、真実とは言わぬのであって、従って、親神の心に受け取る事は出来ないのである。
134-135 人間の心の真実が親神の心に適うので無かったならば、どんなに心を尽くして願うても、親神の方では受け取る事が出来ないから、こればかりは、だれから何と頼まれても、親神は、その人の身の内の守護をとめてしまう。
136-137 注釈無し
これで会報を作らせて貰えるかなぁ~ (^^)
5月3日 無事に団参を終えさせて頂きました。
渋滞の覚悟はしての団参だったが、予想が外れて、行きに5時間かかり、帰りは3時間で普段通りだった。
午後1時本部食堂が閉まるギリギリにおぢば到着。
食事を澄ませて、神殿参拝。

教祖のところへ行かせて頂いたら、丁度午後2時の2分前。
2時のサイレンを待って、参拝をさせて頂く。
神殿・教祖殿では、先月の教養掛での事を話す。
人もまばらで落ち着いて参拝、お話をさせて頂くことができた。
午後3時におぢばを出発。わずかばかりのおぢばでの滞在となったが、とても有意義なひと時を頂くことができた。
教祖ありがとうございました。
(以下 フェイスブックのコメント 5/5 追記)
「いいね」をくださった皆様。いつもありがとうございます。
ボーっとしながら書き込みましたので、誤字脱字で申し訳ありません。
渋滞に掛かるとしても行きは大丈夫だと思っていたのが反対でした。(^^;)
行きは長島から亀山まで2時間以上の渋滞となっていましたので、高速道路を避けて、23号線と1号線をひたすら走り、5時間かかった次第です。
その道中、トイレ休憩に寄った海沿いの公園では、野生?の猿を見るハプニングもあり、それなりに楽しみを頂きました。
本部食堂では、終了ギリギリに入れて頂いたので、食堂の方々には色々とお世話をおかけしました。
帰りは、亀山から四日市まで渋滞していましたが、亀山から鈴鹿まで下道を走りました。これがいつも以上に空いていて。(^^)でした。
本当にありがたい、団参でした。
渋滞の覚悟はしての団参だったが、予想が外れて、行きに5時間かかり、帰りは3時間で普段通りだった。
午後1時本部食堂が閉まるギリギリにおぢば到着。
食事を澄ませて、神殿参拝。

教祖のところへ行かせて頂いたら、丁度午後2時の2分前。
2時のサイレンを待って、参拝をさせて頂く。
神殿・教祖殿では、先月の教養掛での事を話す。
人もまばらで落ち着いて参拝、お話をさせて頂くことができた。
午後3時におぢばを出発。わずかばかりのおぢばでの滞在となったが、とても有意義なひと時を頂くことができた。
教祖ありがとうございました。
(以下 フェイスブックのコメント 5/5 追記)
「いいね」をくださった皆様。いつもありがとうございます。
ボーっとしながら書き込みましたので、誤字脱字で申し訳ありません。
渋滞に掛かるとしても行きは大丈夫だと思っていたのが反対でした。(^^;)
行きは長島から亀山まで2時間以上の渋滞となっていましたので、高速道路を避けて、23号線と1号線をひたすら走り、5時間かかった次第です。
その道中、トイレ休憩に寄った海沿いの公園では、野生?の猿を見るハプニングもあり、それなりに楽しみを頂きました。
本部食堂では、終了ギリギリに入れて頂いたので、食堂の方々には色々とお世話をおかけしました。
帰りは、亀山から四日市まで渋滞していましたが、亀山から鈴鹿まで下道を走りました。これがいつも以上に空いていて。(^^)でした。
本当にありがたい、団参でした。