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写真とコメントで紹介する旭川の郷土史エピソード集

アンコール・私の好きな旭川 VOL.10  馬鉄と専用橋

2014-12-07 09:47:23 | 郷土史エピソード


今回も「アンコール・私の好きな旭川」。
前回に続き、馬に関したお話しです。


         ***********


<私の好きな旭川~馬鉄と専用橋>(2014年2月27日掲載)


まずはこちら。



明治44年(旭川市中央図書館蔵)


このブログでも何回か紹介していますが、かつての師団通(現平和通)を記録した写真です。

通りを行くのは馬鉄(馬車鉄道)。
ちょうど上りと下りがすれ違えるよう、線路が一部複線化されているところを走っています。



同上


旭川の馬鉄は、明治33年の陸軍第七師団の移転に伴って運行が計画されました。

営業開始は6年後の明治39年。
廃止までわずか12年間の運行でしたが、最盛期には客車20台、貨車4台、馬38頭の体制で運行され、1日の平均利用者数は1200人に上ったと言います。

で、この馬鉄、旭川駅前と師団があった今の春光地区を結んでいましたが、途中、石狩川を渡らなければなりませんよね。
どうしていたかというと、こちら。



初代旭橋と馬鉄専用橋(明治末~大正初期・絵はがき)


わかりますか。
奥の初代旭橋の手前にもう一本橋が架かっていて良く見るとそこを馬鉄が通っています。
馬鉄用の専用橋を設けていたんです。
もう一枚、橋のたもとから写した写真がこれです。



初代旭橋と馬鉄専用橋(明治末~大正初期・絵はがき)


専用橋は旭橋の下流側に架けられていました。
ただ旭橋付近の馬鉄の写真というとこんなものもあります。



初代旭橋と馬鉄(明治末~大正初期・絵はがき)


こちらには専用橋はなく、馬鉄は旭橋の上を通っています。
調べてみると、馬鉄専用橋は初代旭橋の建設当時から計画されていましたが、明治37年の本橋の完成時には間に合わず、当初は旭橋の上に軌道を敷いていたことが分かりました。

また当時は頻繁に洪水が起きていたため、専用橋は、できたあとも何度か流出と再建が繰り返され、その都度、馬鉄の走行路も変わったと見られます。

石狩川を渡る馬鉄の写真に、専用橋を通るものと、旭橋の上を通るものの2つあるのは、そうした事情が関係しているのです。



常盤通を行く馬鉄、奥に初代旭橋(大正元年頃・旭川市中央図書館蔵)







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