11月24日にアップした「『ヤマニの兄貴』速田弘」の記事の最後で、旭川カフェー界の風雲児、速田弘について、本人が写っている可能性が高い写真をご紹介しました。
その後の調べで、まさに本人の顔写真が掲載された新聞記事が見つかりましたので、改めてご紹介します。
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前回11月の記事で、昭和9年12月2日、経営難のため、速田が自殺未遂を図ったことを紹介しました。
その6日後、旭川新聞は「カフェーパリジャンの速田氏自殺企つ」とする記事を掲載しました。
速田弘の顔写真が掲載されていたのは、この記事です。
昭和9年12月8日の旭川新聞の記事
速田弘の写真
前回の記事では、また、速田が参加していた「旭川共鳴音楽会」の集合写真を紹介し、「一番若く見える前列左から2番目の人物が彼である可能性が高いように思われます」と書きました。
「旭川共鳴音楽会」の写真(「旭川回顧録」より)
ただこの旭川新聞掲載の写真をもとに、改めてチェックしますと・・・。
いました。
後列の左側にいる人物、メガネはかけていませんが、まず同一人物と見て差支えないと考えます(前列左から2番目の人物は別人ですね。私の推測はハズレでした。申し訳ありません)。
2つの写真を並べると
旭川を代表するモボ=モダンボーイと呼ばれた速田ですが、こうしてみると、外見は割と地味(老け顔?)であったことが意外です(新聞記事掲載時で28歳、「共鳴音楽会」の写真掲載時で16~17歳)。
ただそれでも本人の姿が特定できて、まずは一安心というところです。
なお昭和9年の旭川新聞には、速田の自殺未遂やその後の境遇についてかなり詳しく記事にされています。
当時の旭川で、速田弘がどれだけ有名であったのか、この記事からもわかるような気がします。
(注・11月の記事にも、この記事と同じ内容ですが、追加情報をのせました)