先日、このブログに載せた旭川歴史市民劇の解説の人物編②の中で、旭川にゆかりの深い歌人、齋藤史について書きましたが、きょうはその続きと言ってよい内容。
旭川の文化史を調べていると、たくさんの「ふみ」に出会うというお話です。
**********
齋藤史(1909-2002)
最初に登場する「ふみ」は、冒頭にあげた齋藤史さんです。
旭川には、小学校時代と女学校卒業後の2度、暮らしました(詳細は解説編を参照)。
彼女は、歌だけではなく様々なエッセーを残していますが、その語るように平明で、しかも背筋はしっかり伸びた文体は、いつ接しても新鮮な感動があります。
先日、彼女の関連本で「ひたくれなゐに生きて」という本を読みましたが、ふみ節ともいえる彼女独特の「語り」の魅力がつまった本でした。
俵万智など3人の女性歌人が、先達である齋藤史にインタビューした対談本ですが、興味がおありでしたらぜひ御一読を。
各地の図書館にはだいたい置いてあるようです。
また本人が実際に話している様子は、公開されているNHKのアーカイブス映像で見ることが出来ます。
ネットで検索するとすぐ出てきますので、ぜひご覧ください(NHKアーカイブス・NHK人物録・齋藤史)。
なお旭川歴史市民劇では、彼女の語りの魅力が伝わるようにと、台詞を工夫しています。これもご期待を!
林芙美子(1903-1951)
少し話がそれましたが、2人目の「ふみ」は、「放浪記」で知られる作家の林芙美子です。
あまり知られていませんが、齋藤史と林芙美子は親しい間柄でした。
齋藤史のエッセーには、戦時中、一足早く長野に疎開していた林芙美子が当地での様子を史に伝える様子が描かれています。
空襲がさらに激しさを増したため、史は一家で、父、瀏(りゅう)の故郷である同じ長野に疎開しますが、おそらく林芙美子は、一刻も早く東京を引き払うよう強く史に勧めたものと推測されます。
下関生まれで、生まれながらの放浪生活から這い上がってきた林芙美子と、東京生まれで、職業軍人の一人娘である史。
生まれ育った環境は全く違いますが、お互いさっぱりとした気性だったことで、ウマが合ったのかもしれません。
林芙美子の来旭を伝える旭川新聞の記事(昭和9年6月3日)
で、上の画像は、昭和9年6月、その林芙美子が、旭川を訪ねた時の新聞記事です。
「旭橋に驚嘆」、「アイヌで子熊欲しがる」、「林芙美子さんぶらり来旭」などと書かれていますが、実は、5月から6月にかけての北海道、樺太旅行の合間を見て、旭川にいた旧友を訪ねたのです。
それがこちら・・・。
林芙美子と松下夫妻
柱にもたれているのが林芙美子、子供を抱いているのが友人で、3人目の「ふみ」松下文子です(間にいるのは、文子の夫)。
松下文子は旭川出身。
実家が資産家だったそうで、上京して日本女子大学の国文科に進みました。
林芙美子と知り合ったのは、大学時代の同級生で、小説家の尾崎翠(みどり)と東京で同居していた時だったそうです。
その後、松下文子は結婚のため、旭川に戻りますが、尾崎を含めた3人の友情は変わらず、林芙美子が初めての著書である詩集を出版するとき、その費用は松下文子が工面したそうです。
林芙美子は自伝の中で松下文子の名をあげ、「この人の友情がなかったら、自分は本を出版できなかった」と書いています。
松下文子も当時から詩を書いており、旭川でも地元の詩誌に作品を発表するなど、活躍しました。
佐野文子(1893-1978)
このほか、紹介した3人との接点は確認できませんが、戦前から戦後にかけての旭川には、社会活動家として名をはせた佐野文子という大きな存在もいます(この第4のふみも、歴史市民劇の中で活躍します)。
旭川の歴史を見ていくと、石川啄木、金田一京助、若山牧水など、別々の時期に足跡を残した人が、実は密接な関係にあったことが分かるなど、思わず、「へーそうなんだ」と思うことが時々あります(啄木と金田一、啄木と牧水はそれぞれ友人で、いずれも旭川を訪れたことがある。啄木の臨終に牧水は立ち会ったが、金田一は大学の講義のため立ち会えなかった)。
旭川という土地の奥深さを感じるのは、そうした時です。
**********
最後に、前回もお知らせしましたが、6月2日(日)に、旭川歴史市民劇の関連イベントの第2弾を開催します。
テーマは小熊秀雄と齋藤史ですが、どちらかというと齋藤史の話が中心になりそうです。
一緒に出演する91歳の現役俳優&演出家の星野由美子さんの朗読ですが、前回よりさらに磨きがかかっています(小熊作品のほか、今回は齋藤史のエッセーも朗読してくれます)。
これを聞くだけでも価値がありますので、ぜひご来場ください。