2020年夏に上演予定の旭川歴史市民劇。
前前回から手直しした脚本を掲載しています。
今回は最終回、第2幕の途中からです。
**********
(第2幕 ACT5・後半)
女給3現れる(エピグラフ朗唱)。
女給3 日を追って何かが煮えつまってゆくような重い予感がわたくしにも濃くなってゆきました。しかし、どんな形で、いつあらわれるのかは、全くわかりません。あたりはかえって以前よりもしずかな感じさえあるのです。
(斎藤史 「遠景近景」より)
朗唱が終わると、手にした垂れ幕を垂らす。
「数日後 四条師団通 (招魂祭) カフェーヤマニ」
ヨシオ、タケシ、文子が新聞を広げて腕組みしている。カウンターには速田。
タケシ 先生、やっぱりこれ・・・。
ヨシオ まずいですよねぇ。
文子 ほんと、そうねえ。
速田 (寄ってきて)・・・どうしたんですか、3人とも難しい顔をして。
ヨシオ これ朝刊なんですけど、この記事。
速田 え~と・・・「違法な労働を強要されし十六歳の酌婦、語った赤裸々な実態」。え、これって・・
タケシ それに、ここ。
速田 「訴えを受けし黒色青年同盟旭川支部、近く同店舗を告発へ」。なんだよ、これ。
ヨシオ でしょ?
速田 これって、あの娘(こ)、ハツヨちゃんが、黒色青年同盟のところに匿われているって言ってるようなもんじゃない。
タケシ それに極粋会にも、名乗りを上げて喧嘩売ってるようなものですよね。奴ら血眼になって居所探しますよ。
ヨシオ で、僕ら、まずいと思って佐野先生にヤマニに来るようお願いしたんです。
速田 そうか、それで佐野先生も。
文子 いや私もね。何となくもやもやしてたのよ。それにしても、こんなことになるならハツヨちゃんを渡さなければよかったって、つくづく思わされるわ。
速田 うーん、これ見ると、そうですよね。・・・あ、で、北修さんは?北修さんもハツヨちゃんのことは承知なんだから、知らせた方がよくない?
ヨシオ いや、それが家に寄って来たんですが、まだ腰痛くて動けないんですよ。だから、あとは任せたって。
タケシ つくづく使えない親父。ちょっとの間でも弟子になったのが、恥ずかしいわ。
速田 まあ、そういうことならしょうがないじゃない。で、これからどうします?
佐野 うーん、それなんだよねー・・・。
と、入口の鐘の音。
速田 ん?誰かな?
ヨシオ ・・・あれ、エイジさんじゃないですか。
エイジ、崩れ落ちるようにして、中に入ってくる。青ざめた顔。頬には殴られた跡。
ヨシオ ・・・エイジさん。どうしたんですか?ちょっとタケシ、手を貸して。
2人、抱きかかえるようにしてエイジを店内へ。
速田 ちょっと、大丈夫かよ。
タケシ けがしてますね。殴られてるみたい。誰か、外にいるのかも。
速田 えっ?じゃ、ちょっと見てくる。
ヨシオ はい、お願いします。・・・エイジさん。話せます?
エイジ ・・・大丈夫。・・・さっき、男たちが来て、ハツヨが連れてかれたんだ。突然、何人も来て、あっという間に。
タケシ え?ハツヨちゃん、連れてかれたんですか?
エイジ 同盟の人が一人付いていてくれたんだけど、俺と一緒で、何にもできずに、殴られて・・・。(頭を抱える)俺のせいだ。やっぱり早くどっか遠くに行かせていれば。
文子 ちょっと、あんた。頭抱えてる場合じゃないよ。ちゃんと話してごらん。いつ、どこからハツヨちゃん連れてかれたんだい?
エイジ ・・・すいません。ハツヨと俺は、同盟のシンパの人が持ってる下宿の空き部屋にいたんです。10時頃だったと思います。突然何人も土足で入ってきて・・・。
タケシ その中にさ、髪の毛がこんなんでさ、白っぽい背広着て、肩こんないからした奴(カタオカのまねして)いなかった?
エイジ いました。指図してました。
タケシ やっぱり極粋会だ。
文子 でもそこにあんたたちがいるのは、向こうにはわからないはずなんでしょう?なんで、彼らが。
エイジ いっしょにいた同盟の人が言ってました。どうやら組織の中に情報をもらした奴がいるらしいって。
タケシ 何だよそれ、しょうーもない。
ヨシオ (新聞を示して)この新聞のことも、エイジさんはご存じなんですか?ハツヨさんのことが載ってる。
エイジ ・・・ウメハラさんには言ったんです。そんな記事が出たら、ハツヨが危なくなるって。でも社会正義のためなんだって。ハツヨのことを世の中に伝えて、それで、旭川の飲食業界の不正をただすんだって。・・・俺はそれも大事だけど、これ以上、妹を危険な目に会わせたくないって。早くどこか遠くに連れて行きたいって言ったんですけど・・・。
鐘の音。速田が息を切らせて戻ってくる。
速田 ・・・近所の人から聞いてきたんだけどさ、黒色青年同盟の連中が、極粋会のメンバーが経営してる店を襲撃したんだって。ガラス割って暴れて、中にいた奴らもボコボコにされたらしい。
タケシ それって、ハツヨちゃんを連れ去られた仕返しかな。
速田 え?ハツヨちゃん、連れ去られたの?
タケシ そうなんです。
エイジ 恐らくハツヨを取り戻されたことへの報復に、その店を襲ったんだと思います。仲間は、このままじゃ引き下がれないと言ってましたから。
速田 でさ、極粋会の方も、非常招集をかけて人を集めているらしい。
タケシ なんだよ、きょうは招魂祭のお祭りだってのに。これじゃとんだ騒動になりそうじゃんか。
と、鐘の音。ウメハラが入ってくる。目がすわっている。
ウメハラ (入口で)せっかくのお祭りの夜に騒ぎを起こすのは、不本意なんだが、身にふる火の粉ははらわないといけないのでね。(中に入ってくる)・・・エイジ君、探したよ。すぐ事務所に来てくれと伝えたはずだが。こういうときほど、勝手な行動は困るんだ。
エイジ ・・・。
文子 あんたさ、エイジ君に文句付ける前に、私達に言わなきゃならないことがあるんじゃないの?今、その話を聞いてたところなんだけどさ。
ウメハラ ・・・それはハツヨさんの件ですよね。どうもこちらにスパイが入り込んでいたようなんです。だが、大丈夫です。彼女は連れ出されましたが、こちらもすぐ居所をつかみました。いまハツヨさんは、奴らの本部事務所のビルに監禁されています。それから我々の情報では、極粋会は我々の事務所のある常盤橋の近くに集結していて、今夜にも襲撃してくるつもりのようです。我々は彼等を返り討ちにして、そのあとハツヨさんを救出します。
タケシ あんたそんな簡単な。
ウメハラ 我々は、幾多の修羅場をくぐっていますからね。ご安心を。ということなんで、エイジ君、君も準備を。・・・ん?けがでもしましたか?
(間)
エイジ ・・・いや、けがはたいしたことないが、俺は行かない。
ウメハラ ・・・どういうことです?
エイジ ・・・俺は、もうあんたにはついていけない。あんたは、俺やハツヨが出くわしている世の中の理不尽さを分かってくれる人だと思ってたけど、間違ってた。
ウメハラ なぜ?世の中の不正を正したいって、君も言ってたじゃないか。権力の手先が憎いとも言ってたじゃないか。今夜は、あの犬どもを蹴散らして、我々の正しさをアッピールする絶好の機会なんだ。それが分からないのか?
エイジ 帰ってくれ。俺はもうそれがどれほど正しかろうと、あんたの言葉では動かない。たとえ間違っていても、自分が考えたことをやる。
ウメハラ ・・・真理の存在を認めん愚か者とは、一緒に行動はできんな。君とは訣別する・・・。勝手にやればよい。(去る。鐘の音)。
(間)
タケシ (エイジの肩に手をやって)・・・俺も優柔不断な人間なんだけどさ、あいつらと離れるのは間違ってないと思うよ。
エイジ ・・・でも、あいつを信じたせいで。妹が(こらえきれない)。
文子 エイジ君。めそめそしている時じゃないよ。いまはとにかくハツヨちゃんを救うこと。みんなも、それはわかるわね。
速田 というと、佐野先生、なんか策がありそうですね。
ヨシオ え?そうなんですか?
文子 うーん、まだ策と言えるほどのものではないんだけど。・・・極粋会と黒色青年同盟が、いま常盤橋のところでにらみ合っている状況なのよね。夜、本格的にぶつかれば、極粋会の本部は手薄になるはず。その隙をつけばって感じね。
速田 なるほど。で、どう動きます?
文子 具体的にハツヨちゃんを救い出すのは若い3人として、どう時間を確保するかってとこなのよね。私は顔を知られているので、無理だし。・・・そうだ大将がいた。大将に協力してもらいましょう。
速田 え?私?
文子 いえ速田さんも私と条件は同じでしょ。力を貸してもらうのは、もう一人の大将よ。
暗転。
しばらくすると、招魂祭の祭りの夜の街の喧噪の音が聞こえてくる。金魚すくいや綿あめ売り、お化け屋敷やサーカスなど。
女給4現れる(エピグラフ朗唱)。
女給4 俺は疲れて帽子を釘に掛ける。
汗臭い襯衣(しゃっつ)を脱いで顔を洗ふ。
瓦斯に火をつけて珈琲を沸かす。
俺は独りだ晩飯の支度をする。
馬鈴薯と玉葱をヂャツク・ナイフで切り刻む。
俺はこのナイフで靴の泥を落した。
俺はこのナイフで波止場の綱(ろっぷ)を断(き)った。
(鈴木政輝 あぱあと)
朗唱が終わると、手にした垂れ幕を垂らす。
「その夜 三条通七丁目 旭川極粋会事務所」
極粋会の事務所のあるビルのフロア。事務所の外に、ヨシオ、タケシ、エイジの3人と神田館の大将こと佐藤市太郎。佐藤は大きな紙を丸めたものを抱えている。事務所には、極粋会の男3が一人いる。奥にもう一室あり、そこに椅子に座ったまま縛られているハツエ。
佐藤 大丈夫かな。私は興行主なんで、この事務所には何度も来ているし、働いている人たちもほとんど知っているが。
タケシ 佐野先生の指示通りやってくれれば、大丈夫ですよ。
ヨシオ もう一度確認しましょう。大将、あ、ヤマニの大将が探ってくれたんですが、事務所には一人見張りがいて、その奥の部屋にハツヨちゃんがいる。どうやら縛られているようです。で、その見張りを、大将、あ、神田館の大将がうまいこと言って外に誘い出す。その隙に僕らは中に入ってハツヨちゃんを助け出す。ただしある程度時間がかかると思うんで、あまり時間が稼げなかったときは、頃合いを見てもう一度外に連れ出してください。その隙に外に出ます。
エイジ まあ、いざって時は、こっちは4人、むこうは1人だし、大丈夫ですよ。
タケシ でも刃物とか持ち出すかもしれないし。とにかく、大将にかかってますからね。お願いしますよ。
佐藤 速田さんと佐野先生の頼みだから引き受けたけど。責任が重いなあ。
ヨシオ 大将が頼みの綱なんです。
佐藤 わかりました。こう見えても活動写真の雄、神田館の大将と呼ばれた、不肖佐藤市太郎。若い時は、やくざものと渡り合ったこともあったんだ。なんとか頑張るよ。じゃあ。
エイジ すみません。妹のために、お願いします。
3人、廊下の隅に身を隠す。
佐藤 (一人、事務所の前に進みノック)ごめんなさい。邪魔するよ。(入る)佐藤でした。カタオカさんはいたかい?
極粋会3 ああ、神田館の大将じゃないですか。お久しぶりです。
佐藤 ああ君、なんて言ったっけ?久しぶりだね。
極粋会3 山田です。カタオカはあいにく。
佐藤 あ、そう。いないんだ(ソファーに座り込む)。
極粋会3 きょうはちょっと込み入った事情があってみんな出払っているんで
すよ。俺一人で留守番なんです。
佐藤 ああ、そうなんだ。
極粋会3 佐藤社長には、いつも神田館、顔で入れてもらって、助かってま
す。
佐藤 ああ、そうだっけ?
極粋会3 俺、活動写真が大好きなんすよ。だからちょくちょく。
佐藤 ああそう。・・・実はね、今度新しい施設を建てる計画があるんだけど、そこの支配人にここの誰かを出してもらえないか、カタオカさんに頼みに来たんだ。
極粋会3 え、そうなんすか?
佐藤 おととし、第一神田館が焼けちまったろう。そのあと、旭川は1館だけでやってたんだが、資金の手当てが付いたんでね。前と同じ2館体制に戻そうと思ってるんだ。・・・君、興味ありそうだね。
極粋会3 ええ、あります。あります。いっぱいあります。
佐藤 で、これ図面なんだけど。意見も聞きたくてさ。(男3興味津々)・・・どっか、外で話さない?
極粋会3 え?
佐藤 いや、酒でも飲みながらさ。じっくりと。
極粋会3 いやー、でも。ここでもいいじゃないですか。
佐藤 ここ?
極粋会3 ええ。
佐藤 やっぱりここじゃなきゃダメ。
極粋会3 ええ。
佐藤 そっか、じゃあ(図面を広げかけて)。その前に、おしっこ。
極粋会3 おしっこですか?
佐藤 うん、年取ると近くなってね。どこかな?
極粋会3 ああ、入り口出て、左行って、右曲がって、突き当りです。
佐藤 ちょっと年取って目悪くしてね。ここの廊下暗いしさ。案内してくんない?
極粋会3 え、俺がですか?困ったな。
佐藤 私、そういう親切な人に支配人になってほしいなー、なんて思っててさ。
極粋会3 あ、わかりました。いきます。案内します。喜んで。
佐藤 うん、じゃ手を引いてもらって。
極粋会3 え、社長、そんなに目悪かったですか?よくここまで来られましたね。
2人出て、便所に行く。その隙に3人、事務所に入り、奥の部屋へ。驚くハツヨに声を上げるなと指示。タケシが事務所の様子を伺い、ヨシオとエイジが縄を解こうとするが、堅くてなかなか解けない。
タケシ ・・・何やってるのよ。おしっこって言ってたんだから、もうじき戻って来ちゃうよ。
ヨシオ ごめん。堅くってさ。はさみかなんか持ってくればよかった。
エイジ ハツヨ、もう少しだからな。
ヨシオ よし、解けた。
2人、縄をはずす。外に出ようとするが、男3と佐藤が戻ってきてしまう。
佐藤 (大きな声で)あー、おしっこして、すっきりしたー。もう事務所に戻ってきちゃったー。
極粋会3 なんすか?急に声でかくなりましたよ。
佐藤 そう?最近耳も遠くなってきたせいかな。普通の声だと思うんだが。
極粋会3 いやいや、かなり張ってるんじゃないですか。
佐藤 ところで、やっぱりどっかで飲みながら話さない?
極粋会3 いや、そうしたいところなんですが、ここ空にするわけにいかないんすよ。
佐藤 そうなんだ。
極粋会3 お願いしますよ。
佐藤 じゃあ、やるかい?・・・(図面を広げかけて)あー。今度は、なんか、下の方がもよおしちゃって。
極粋会3 えー、さっき一緒にしちゃえば、良かったじゃないですか。
佐藤 いや僕もそう思うよ。そうすりゃ、時間がかかって、一回で済んだのにって。でも、あー、お腹痛くなってきちゃった。悪い、もう一回連れてって。
極粋会3 しょうがないなー。これが最後ですよ。
佐藤 ああ最後、最後、最後だから。(声を張って)じゃあ、便所、行ってくるぞー。今度は大きい方。
極粋会3 ですから。声張り過ぎですって。
2人、再び出ていく。タケシら事務所に誰もいないことを確認し、部屋から出てくる。さらに事務所から出ていこうとすると、ドアの外にカタオカがいて、立ちふさがれてしまう。カタオカ、左手に木刀。右腕はけがしているようだ。
カタオカ おっと・・・。これはこれは、皆さんおそろいで。そうですか。我々が、アナキスト共とやりあっている間にってことですか。ま、ひとまず中に入っていただきましょうかね。(中に入る)絵を描いたのは、たぶん佐野先生あたりでしょうな。
佐藤と男3が戻ってくる。
佐藤 あー、またすっきりしたーって、もういないか。(中に入る)・・・と思ったらいっぱいいるね。どうしちゃったのかな。
極粋会3 え?カタオカさんまで。どうしたんすか?
カタオカ どうしたってお前、常盤橋で黒色青年同盟の奴らと乱闘になったんだよ。そしたら警官が割って入ってきてね。どちらもほとんどの奴らがしょっぴかれた。俺は何とか逃れたんだが、ここに来たら、このありさまだ。お前、佐藤社長に騙されかけてたのが、わかんないのか?
極粋会3 えっ、社長、おれ騙してたんすか?勘弁してくださいよ。
佐藤、ごめんごめんと手を合わせ、ぺこぺこ頭を下げる。
極粋会3 部長、面目ありません。
カタオカ (苛立ちがおさまらず、机を蹴り上げる)。
佐藤 ・・・あのー、カタオカ君。あんたの部下を騙そうとしたのは悪かった。が、ここは私の顔を立てて、娘さんを開放してやってくれないだろうか。メンバーもたくさん逮捕されたって言うし、けが人も出たんじゃないのかい。そんな状態なら、もうこっちの話はいいだろう。
カタオカ 社長。社長には、いろいろ世話になってる立場なんで、逆らうのは恐縮ですが、これはメンツの問題なんですよ。そんな小娘、どうでもいいっちゃいいんだが、こんだけ極粋会が舐められたうえ、素人さんにまんまと連れ戻されたとあっちゃ、もう俺らは今までのように旭川で仕事ができなくなる。私は覚悟はできてるんだ。悪いが、娘置いて、帰ってもらうしかないですね。
タケシ ふざけんな。あんたけがしてるじゃないか。あくまで邪魔するって言うなら、こっちだって覚悟がある。
カタオカ、木刀を捨て、ふところからピストルを出す。けがをしている右手で構える。
カタオカ ・・・坊主。そういう口をきくときは相手を確かめてからするんだな。俺は覚悟を決めてるって言ったろう。
ヨシオ ・・・タケシ。下がれよ。
タケシ、青ざめた表情で後ずさる。
カタオカ ・・・そう、みんな、いい子だ。(皆を見渡し、エイジと目が合う)。なんだ、その目は。
エイジ (下を向いたまま)・・・あんたさ、いい加減、強がるのは止めなよ。
カタオカ ん?よく聞こえなかったな。もう一度言ってくれよ。
エイジ (立ち上がって前に出ようとする)・・・強がるのは止めなって言ったんだよ。
ハツヨ (止めようとして)兄さん。
エイジ (振りほどいて) 俺には分かるんだよ。あんたは俺とおんなじだ。だから分かるんだよ。俺には。
カタオカ 何を言いたいんだか、さっぱり分からんね。
エイジ 分かるんだよ俺には。あんたはこうすることが正しいと上から言われ
て、それを信じることが自分の勤めだと思っている。・・・でも本当にそれはあんたがやりたいことなのか?(少しずつカタオカに近づく)そんなことをしても誰も幸せにならないと、あんたはもう気が付いているはずだ。
カタオカ ・・・うるさいな。黙れよ。
エイジ 俺もね。おんなじだったから分かるんだよ。俺たちは空っぽだったんだよ。だから最初は良かったんだ。何にも考えずに。ただ言われたことを黙々と実行する。
カタオカ 黙れよ。止めろ!
エイジ 信じたことが間違いだったら何もなくなっちゃう。それが怖いんだよ。あんたも!俺も!
カタオカ 黙れって言ってんだろ!
発砲音。エイジ崩れ落ちる。
ハツヨ 兄さん!(駆け寄って)どうして。兄さん、兄さん。(呼びかけるが、エイジはぐったりとして、答えない)。
と、外で男の声が響く。
男の声 え、警察、何の用だよ?え?発砲音?パンクかなんかじゃないすか。え?カタオカ部長?ここになんかいませんて。え?令状?容疑は何なんすか?だから、いないもんはいないって言ってるでしょうが。
カタオカ (男3に)誰だ?
極粋会3 誰か、若いもんが戻ってきたんじゃ。
男の声 え?傷害と監禁の容疑も?だから、しつこいな、あんたたち。
極粋会3 カタオカさん、まずいっすよ。誰だか知らないが、時間稼ぎをしている間に、非常口から逃げましょう。外の階段使えば、まだ逃げられます。
カタオカ ・・・わかった。(一同を見渡したあと、ピストルでエイジを指し)こいつはおれを見下した。撃たれたのは自業自得だ。
極粋会3 カタオカさん。
カタオカ わかってる(去る)。
(間)
タケシ (我に返って)え、ど、どうする?
ヨシオ どうするって、外に警察がいるんならまずしらせなきゃ。それと医者も。
タケシ そうだよな。じゃ外へ。
出ようとすると。
男の声 だから、いないっていってるじゃないですか。いないんですよ、カタオカさんは。
男姿を現す、なんとトージである。
トージ カタオカさん?・・・いないですよね?(ドアを開ける)カタオカさん?いやしませんよね?
ヨシオ え、お前?トージ?
トージ 佐野先生に言われて様子を見にきたんだけど、けん銃の音が聞こえたんでね。
タケシ じゃ、警察は。
トージ そんなの乱闘事件でみんな出払ってるよ。いま仲間を医者に走らせてる。
ヨシオ そうか。大将、エイジさん、どうですか?
佐藤 うーん、急所は外れているようだけど。
ハツヨ 兄さん、聞いた?お医者さん、来てくれるってよ。それまで頑張って。
兄さん。
暗転
しばらくすると、セミの声が聞こえ始める。続いて金魚売りの声、やがて天秤棒を担いだ金魚売りが現れる。見ると、活弁士、演歌師と同一人物のよう。
金魚売り きんぎょーえ、きんぎょー。きんぎょーえ、きんぎょー。えー、金魚はいかが、金魚でござい。きんぎょーえ、きんぎょー。(一休みして)ふう、きょうも暑いねえ。旭川は冬は寒くて、夏は暑いってんだから、困ったもんよ。でもまあ暑いから、こんな商売も成り立つってことだからね。お天道様に感謝しなくっちゃ。
おかっぱの女の子と、その祖母らしい2人連れが現れる。
女の子 あ、おばあちゃん、金魚売りさん、ここにいたよ。
祖母 いたね。行っちゃわなくて、良かったね。(女の子に容器と小銭を渡して)ほら、これ渡して、これに入れてもらうんだよ。
女の子 うん。ありがと。
祖母 行っといで。二匹買うんだよ。一匹じゃかわいそうだからね。
女の子 (金魚売りに近づいて)おじちゃん。金魚ちょうだい。
金魚売り まいどありい。おや、めんこい嬢ちゃんだね。
女の子 あのね。おばあちゃんが、二匹買いなさいって。これとこれ(握った手と容器を出す)。一匹じゃかわいそうだからね。
金魚売り そうだよね。一匹じゃかわいそうだよね.じゃあ、おあしをいただくよ。・・・この赤いのと黒いのがいいかな(容器に金魚をすくってやる)
女の子 (受け取って眺め、満足そう)。ありがとう。(金魚を眺めながら祖母の元へ)おばあちゃん、金魚、買ってきたよ。
祖母 そうかい、よかったね。じゃ帰ろうか。
女の子 うん。きょうは、いい買い物をしたね。
2人、退場する。
金魚売り (見送って)かわいいさかりだねえ。・・・さ、じゃ行くか。(天秤棒を担いで)きんぎょーえ、きんぎょー。きんぎょーえ、きんぎょー。えー、金魚はいかが、金魚でござい。きんぎょーえ、きんぎょー。
女給5現れる(エピグラフ朗唱)
女給5 平原のまん中に洋燈(らんぷ)のやうに輝いている街
光を増し、光を増し、
延びに延び、ひろごり、
高くその燈火(あかり)をかかげて、
陽の御座(みくら)を占める街、
光栄の町、
この町に祝福あれ!
(百田宗治 「旭川」)
朗唱が終わると、手にした垂れ幕を垂らす。
「昭和二年九月 四条師団通 カフェーヤマニ」
女給たちを中心に、お祝いの席の準備が進んでいる。ヨシオ、タケシ、ハツヨ、速田、文子、トージも手伝っている。少し離れたところで、北修と佐藤が碁を打っている。
タケシ (テーブルから離れ、北修らのところへ近づく)北修さん、碁なんてやってないで、こっち来てくださいよ。もう始まるんだから。
北修 おれ、今回何もやってないしよ。部外者だべ。
ヨシオ 何言ってるんですか。そういうことじゃなくて。きょうはハツヨちゃんの就職を祝う会なんですから。北修さんがこっちにこないと、神田館の大将だってこっちに来られないでしょう。
北修 ・・・そうか?大将行きます?
佐藤 行こうよ。あっちの方が絶対いい。
北修 んー、じゃ行くか。
2人、席へ。拍手で迎える女給たち。
女給1 キャー、神田館の大将と北修さんだー。
女給2 キャー、スケベ―。
北修 (うれしそう)スケベはよけいだろ。お前らはよ。
速田 ・・・じゃ、これで全員そろったね。(立ち上がる)おほん、きょうはみなさんお忙しい中、お集まりいただき、ありがとうございます。きょうは、江上栄二くんとハツヨさんの就職がめでたく決まったことを祝しての集いであります。
タケシ もう結構前から働き始めてるけどね。
ヨシオ だから、茶化さないの。
速田 いや見習い期間が終わって、正式に採用されたってことなのさ。評判はすこぶるいいみたいです。それでは、乾杯のご発声を、佐野先生にお願いしたいと思います。
佐野 えー、私?
タケシ だって就職世話したの、先生なんでしょ?
文子 そうだけど。
速田 みんな、のど渇いてるんだから。ちゃっちゃとお願いします。
文子 わかりました。じゃ一言だけ。(立ち上がる)栄二くん、ハツヨちゃんおめでとう。いろいろあったけどって言いたいところだけど、きっとこれからも2人の前にはたくさんの壁が立ちふさがると思う。だからちょっとずつでもいいから強くなっていって欲しい。で、強くなった分、ほかのみんなが困った時は、今度は助ける側になってあげて欲しい。これだけ。よろしくね。じゃ、みんないい?2人の前途と、ここにいるみんなの健闘を祈って、かんぱーい。
全員 かんぱーい。(拍手)。
女給3 ああ、あたしおなかペコペコー。
女給4 わたしもー(など賑やか)。
速田 ・・・でも速いですね。あの騒動からもう三か月経っちまった。
北修 そういや、極粋会と青年同盟の手打ちはここでやったんだって?
速田 ですね。極粋会の辻川会長に場所貸してくれと頼まれまして、警察署長さんが仲介役で。黒色青年同盟の方は、札幌から幹部が来まして。
北修 札幌?なんで?
速田 支部長だったウメハラがあの夜以来いなくなっちまったからですよ。どうやら東京に戻ったようです。
佐藤 カタオカは、懲役3年って言ったっけ。その程度で済んだんだ。
速田 はい。辻広会長に付き添われて自首しましたからね。それにエイジ君も怨みはないと証言しましたし。
エイジ まあ、あれは挑発した俺も悪いんで。
北修 ・・・それはそうとよ。俺はまだよく事情を呑み込めていないんだが、あの晩は、うまく佐藤の大将が見張りをおびき出して、その隙にヨシオたちがハツヨちゃんを助けようとしたら、カタオカが来ちまったんだろう。で、そこで、トージが、警察が来たって一芝居打ったわけだ。トージはなんで現場に行ったんだい?関わりたくないって言ってたくせに。
文子 それはね。私が頼んだのよ。トージはね、時々、私の所に来ていたの。最初は小学校出てからずっと働いているのでもう少し勉強したいってね。ただこの子も、音楽だ、木彫りだ、アイヌの解放だのいろんなことに手を出す割には、腰が据わらなくてね。なんか人生相談みたいになってたのね。だからアイヌはどうだとか言ってるんだったら、まず自分と同じように困ってる人のために働きなさいって、そう言ったら手助けしてくれたのよ。ね、トージ君?
トージ ・・・いや、まあ、そういうことです。
北修 なんだ、やっぱりやるときゃ、やるんだな、お前もよ。相変わらず素直じゃないが。
トージ (照れ笑い)。
北修 でも腰はすわってないとよ。(タケシとヨシオに)お前らとおんなじだべ。
タケシ えー、なにそれ。待ってくださいよ。
文子 ヨシオ君、タケシ君。速田さんから聞いたけど、本当にやりたいことが見つからないのは、トージもあなたたちと同じ。だから、仲良くしてあげて、ね。
ヨシオ ・・・いや僕らも別に嫌っているわけじゃ。
タケシ だいたいわざわざ嫌われるようなことを言うからさ、俺らもそうしう態度になっちゃうわけだし。まあ、助けてもらったのは、感謝してるけど、かといって・・・。
ヨシオ お前、何言いたいんだかわかんないよ。
トージ (下を見てクックと笑う)
ヨシオ あ、そういう態度が癇に障るんだよ。お前、俺らよりいっこ下なんだからさ。もうちょっとかわいげがあんなら、仲よくしてやんのに・・・。
北修 まあ悩み多き若者たちよ。しょっちゅう取っ組み合いの喧嘩をしている小熊と俺も、友達っちゃ友達だしな。そんなもんよ。
ヨシオ そういや小熊さん、東京どうなんですかね?
速田 うーん、旭川発ったのが、騒動の直後だからなあ。最初は今野大力君や鈴木政輝君と合流したみたいだけど、すぐ別れちゃったみたいだよ。北修さんのところには便りはないの?
北修 まあ、来ないことはないが・・・。ここにいない奴の事、話したって仕方ねえべ。それより主賓の話にしようぜ。
佐藤 わたしも聞きたいな。どこで働いているかとかさ。
速田 ああ、そうですよね。そろそろと思ってました。じゃ、エイジ君、ハツヨちゃん(促す)。
エイジ え?俺らですか?
北修 そうさ、さ、立った、立った。
2人、とまどいながら立ち上がる。どちらから話すか迷う。
ハツヨ ・・・あ、じゃ、私から。(お辞儀)皆さん、その節は本当にお世話になりました。皆さんの力がなかったら、私たち兄妹、いまもこんな風に笑うことを忘れたままだったんじゃないかと思います。それからきょうは私達のためのこんな素敵な会を開いてもらって、本当にうれしくってたまりません。ありがとうございます(再びお辞儀)。・・・お話があったように、私は佐野先生の紹介で、洋服なんかを扱う商社に勤めています。まだ全然慣れていないんですけど、商売のお仕事は本当に楽しいです。頑張って、いつか皆さんに恩返しができるようになります。きょうは本当にありがとうございました。(お辞儀)兄さん。
エイジ ・・・ああ(緊張している)。あの、俺、いや僕も、佐野先生の紹介で造り酒屋で働かせてもらってます。まだ完全に体が直っていないんで、雑用しかできないんですが、周りの人たちが良くしてくれて、やりがいはあります。・・・それと、久しぶりに妹と一緒に暮らせて、お袋が喜んでいるんです。お袋も少しずつですけど、元気になっているようで・・・。俺、いや僕もハツヨとおんなじで、家族のためにも、皆さんに恩返しできるようになるためにも頑張って。で、いつかは杜氏になって酒造りができるようになりたいと思ってます。なので、これからもよろしくお願いします(お辞儀)。
ハツヨもならってお辞儀すると、皆拍手。
北修 よし!2人とも良く言った!・・・あれ、大将なんだ、泣いちゃってるよ。
佐藤 ・・・だってさ。・・・年取ると、涙もろくなっちゃうんだよ。しょうがないんだよ。
女給たちなど、もらい泣きするものも。
北修 だから、祝いの会なんだから、しめっぽいのは止めようぜ。そうだ。お姉ちゃん方、得意な奴あんだろ。ヤマニのテーマソング。あれ、やろうぜ。あれ。
文子 私知らない。聞きたいわ。やってよ。
女給1 そうですか?(仲間に)やる?
女給2 いいじゃない。やろうよ。
女給3 じゃ、やろう。
皆、位置に着く。
女給5 店長、お願い!
速田 それでは、ミュージック、スタート!
マイムを入れながら、女給たちを中心に皆で歌い踊る(「ヤマニのテーマ・そこ行く兄さん編」)
そこ行く兄さん いなせな兄さん
素通りは許さないよ
きれいな姉ちゃん 待っているよ
お楽しみはこれからだ
* 歌はトチチリチン トチチリチン ツン
歌はトチチリチン トチチリチン ツン
歌はペロペロペン 歌はペロペロペン
さァ ようこそヤマニへ
2枚目兄さん こちらへどうぞ
ビールにカクテル ウヰスキー
素敵なステージ 楽しい会話
コーヒーいっぱいでもかまわない
*くりかえし
男たち 女たち
いやなことなんか忘れて
歌おうよ 踊ろうよ
カフェーは街のパラダイス
*くりかえし
暗転、1番に戻って歌だけしばらく続く。
(原曲 「ベアトリ姉ちゃん」 小林愛雄・清水金太郎訳・補作詞 スッペ作曲)
(第2幕 ACT6)
女給1現れる(エピグラフ朗唱)。
女給1 「銀の滴降る降るまわりに、金の滴
降る降るまわりに」という歌を私は歌ひながら
流に沿って下り、人間の村の上を
通りながら下を眺めると
昔の貧乏人が今お金持になってゐて、昔のお金持が
今の貧乏人になってゐる様です。
(知里幸恵・アイヌ神謡集)
朗唱が終わると、手にした垂れ幕を垂らす。
「昭和三年三月 嵐山」
トージを先頭に、ヨシオ、エイジ、ハツヨ、タケシが山道を登っている。タケシは遅れ気味。
トージ タケシさ、何やってるのよ。もう少しだから、根性出しなよ。
タケシ ・・・おい、なんだよその言い方は(息が切れている)。お前、俺らよりいっこ下だって言ってんだろ。あー、疲れた。
ハツヨ タケシさん。しゃべりながら登ると息が切れるわよ。
ヨシオ でもトージはやっぱり山に入るといきいきするな。
トージ 子供のころから、山が遊び場だったからね。ここが本来の俺らの領分なのさ。
エイジ まだ雪があちこちに残ってるってのに、ほっといたら、駆け上っていきそうな感じだもんな。・・・でも、やっぱり山は気持ちがいい。
ハツヨ 本当。来てよかった。
ヨシオ ほら。もうそこが展望台だ。
5人、到着する。
ハツヨ ・・・すごーい。石狩川が下を流れて。旭川の町が全部見える。
エイジ 大雪山が輝いているみたいだ。・・・そうか、こんなふうに見えるんだ。
それぞれかみしめるように眺望する。
ハツヨ ・・・ヨシオさんは、しばらくの見納めね。
ヨシオ (うなづく)
ハツヨ どうして師範学校やめて東京に行くことにしたの?
ヨシオ ・・・うまく言えないけど、なんかそうするべきだって声が自分の中で聞こえたのさ。向こうの大学に編入して、詩や小説を書く。プロになれるかはわからないけど、とにかく早くそうすべきだって。旭川は、ふるさとで好きな土地なんだけど、一度離れることが必要だって。で、タケシに言ったら賛成してくれた。
タケシ うん、自分がそう思うんなら、いいんじゃないかなって。けど俺は行かないよって言ったのよ。前だったら、東京かっこいいな、俺も行くかなって言い出したと思うんだけど、そういう気持ちにはならなかった。・・・ほら、子供の中にはいろんな奴がいるじゃない。俺、いっぱいいろんな挫折してるからさ。くじけそうな奴、励ましてやれるんじゃないかって。だから、俺はこのまま旭川で学校続けて教師になろうって。
ヨシオ ・・・ということなんだわ。だからエイジさん、ハツヨちゃん、トージも。タケシをよろしくね。こいつ俺がいないとさみしがると思うからさ。それに誰かがネジ撒かないと、怠けて卒業することもできないし。
タケシ おい。
ハツヨ わかってます。頼まれないでも、怠けてたらお灸をすえるから。ね。
エイジ そう、その通り。特にハツヨは、もともとものすごいおせっかいやきなんだ。きっと、ちょくちょく様子を伺いに行くよ。
タケシ えー、勘弁してよ。
ヨシオ で、トージはどうするの?佐野先生が、最近家に来ないって言ってたけど。
トージ ああ、先生には悪いんだけど、最近、木彫りの仕事が多くってね。ずっとコタンにこもりっきりなんだ。
エイジ ということは売れてるってことかい?
トージ うん、まずまず評判が良かったんで、まわりの仲間にもやり方教えたんだ。そしたら俺も作りたいって奴が増えて。で、木彫りでみんなが飯食えるようになればいいなと思って。
エイジ それ、いいじゃない。コタンの人たちは狩りで生計立ててたのを禁止されて、みんな苦しい生活してるんだから。もともと木を細工するのは得意なんだし。
トージ うん、俺もそう思う。
ハツヨ そうか、私と兄さんは勤めがあるし、じゃ、みんな道は決まったってわけね。
タケシ 見ろよ。雲が晴れて。川がキラキラ光ってる。
再びみな景色を眺める。
ヨシオ (誰とはなしに)・・・この5年、美術展の手伝いがきっかけで、北修さんや小熊さん、トージと知り合って、ヤマニに行くようになって、史さんや佐野先生とも出会って。アナキストと右翼の騒動に巻き込まれて、ハツヨちゃんとエイジさんにも会って・・・。本当にいろいろなことがあって、楽しかったことも、つらかったことも、その全部が自分の中で混ざり合って・・・。勿論自分がまだ何者なのかってもは分からないんだけど。そういうことがあったから、自分は新しいところに飛び込んでゆく勇気を持てたのかのかもしれないなって・・・。
北修と、スタルヒン一家の3人が現れる。
北修 おお、いたいた、やっと追いついた。はー疲れた。
タケシ え?北修さん?どうしたんすか、こんなところに。
北修 こんなところって。お前らが嵐山に行ったっていうからよ。俺も久しぶりに行きたくなっちゃったんだよ。そしたらまだ雪は残っているし。あーしんど。
ヨシオ 皆さんは?
北修 あれ、知らないか?8条通で喫茶店やってるスタルヒンの一家さ。俺、この子に絵教えてやってるのよ。嵐山行くって言ったら、今日は休みなんで連れてってくれって。
スタ父 はじめまして。喫茶白ロシアのスタルヒンです。北修さん、いい人。いつも私の作るパン買ってくれます。
スタ母 はじめまして、スタルヒンの家内です。嵐山、初めてきました。すばらしい眺めです。ヴィクトル、皆さんにごあいさつなさい。
スタルヒン はじめまして。ヴィクトルです。11歳です。日章小学校に通ってます。
エイジ え、小学生!そんなに大きいのに?
スタルヒン はい。みんなに言われます。
タケシ すげえな。俺たちよりはるかにでかいんじゃん。絵習ってるって言ってたけど、やっぱ、運動だよ。運動選手になったらいいんじゃないの?
スタルヒン はい、絵のほかに、野球の投手やってます。
タケシ そうか、野球か。その体なら、すごい球を投げるんだろうな。もしかしたら将来、大投手になるかもしれないよ。プロ野球初の300勝投手とかなったりして。
ヨシオ またタケシの予言が始まったよ。この時代、まだプロ野球なんてないんだからさ。いい加減なこと言うなよ。
と、少女が走ってくる。堀田綾子(ほった・あやこ、5歳)。ACT5で金魚を買いに来た少女のようだ。
綾子 (北修に)おじちゃん。あっちにお花が咲いていたよ。とってもきれいだったよ。
北修 おう、そうか。おしえてくれてありがとう。(みんなに)この子はな、綾子っていうんだ。親が忙しくてね。いつも一人で遊んでいるんだが、嵐山に行くって言ったら連れてってやってくれって言われてさ。賢そうな子だろ。
ハツヨ お嬢ちゃん、綾子ちゃんて言うの?
綾子 うん、綾子。堀田綾子。
ハツヨ お年は?
綾子 5歳。
エイジ 綾子ちゃんは、何をするのが好きなの?
綾子 ご本を読むことです。
エイジ そうか。まだちゃんこいのにご本か。偉いね。
綾子 ありがとう。
タケシ 俺、この子も大物になりそうな気がするね。本が好きだっていうから、将来は作家かな。旭川を舞台にした小説がベストセラーになったりして。題名はそうだな「氷点」!
ヨシオ だから予言は止めれって。
タケシ いや、なんとなくそんな気がするのよ。直感っていうのかな。
ヨシオ ひとの将来のこと考えてないで、自分の足元ちゃんと見ろよ。
タケシ あ、ヨシオさ、東京行くときは、授業のノート置いていってくれよな。
ヨシオ しらねーよ。自分で何とかしろよ。
トージ (くっくと笑う)
タケシ あ、トージはまた人を馬鹿にして。
北修 ・・・そうだ、忘れるところだった。これ、お前ら2人に、小熊から(封書を渡す)。
ヨシオ 何ですか?
北修 ヨシオが東京に行くって話を聞いたみたいで、送って来たのさ。はなむけの詩だってよ。
ヨシオ、中の紙を取り出して読み始める。
(第2幕 ACT7)エピローグ
ヨシオ 新しいものよ、
あらゆる新しいものよ、
正義のために生れた
さまざまな形式を
わたしは無条件に愛す、
然も、君が青年としての
情熱をもつて
ふりまはす感情の武器であれば
それが如何なるもので
あらうとも 私はそれを愛し、信頼す。
ヨシオの声に、小熊の声(ナレーション)が重なる。
小熊声 私はおどろかない、君の顔に
よし狡獪な表情が現れようとも
私は悲しまない、
君の行動に
臆病さがあらうとも
若し、それが君を守るものであるならば、
ましてや君の若い厳粛さと
青年の勇気は
なんと新しい時代の
蠱惑的な美しさをもつて
相手に肉迫してゐることだらう
青年よ、
我々は環視の只中にある、
あらゆるものに見守られてゐる。
熱心に祈りの叫びをあげながら
現実のつらさに
眼を掩(おお)つてゐる君の老いたる父や母にもー、
吐息を立てゝゐる兄や妹にもー、
これらの身近なものは君を守る
だがとほくのものは
ただおどおどとしてゐる許りだ。
ふるへよ、
君の肉体を、
護れ、
君の感情を
そして君は入つてゆけ
もつとも旋律的な場所へ、
老いたるものにとつては
苦痛の世界であるが、
我々青年にとつては
感動の世界で、ある処へ。
(小熊秀雄 「青年の美しさ」より)
途中から小熊の声小さくなり、かわりに音楽(スタンド・バイ・ミー=ベン・E・キング)。
次第に暗転し、スクリーンに主な登場人物のその後が投影される。
・ 小熊秀雄
上京後、虐げられた人々への共感を表す長編詩などを発表し、詩壇に新風を送る。昭和10年、「小熊秀雄詩集」、長編叙事詩集「飛ぶ橇(そり)」を相次いで出版し、詩人としての地位を確立するも、生活は困窮を極める。昭和15年、赤貧の中、肺結核により死去。享年39歳。
・ 高橋北修
昭和6年、旭川の画家として初めて帝展に入選。戦後は全道美術協会の結成に参加するなど、北海道画壇の重鎮として活躍した。大雪山を描いた油絵に定評があり、「大雪山の北修」と呼ばれる。晩年は病気のため、左手一本で絵筆をふるった。昭和53年死去。享年79歳。
・ 速田弘
昭和8年、新店舗「パリジャンクラブ」を開店するなど事業を拡大したが、戦時色が強まる中で経営は悪化。翌年、借金の返済に行き詰って自殺を企てるも未遂に終わる。その後、旭川から姿を消したが、戦後、東京銀座でクラブチェーンを成功させ、実業家として復活を遂げる。
・ 佐野文子
戦前は、廃娼運動に加え、旭川初の託児所設立などに尽力。一方、国防婦人会での精力的な活動が全国に知られた事から、軍の要請を受け上京、東条首相の私邸で家庭教師を務める。戦後は、戦災孤児、戦争未亡人の救援などの社会活動を行い、多数の公職を歴任。昭和53年死去。享年84歳。
・ 松井東二
旭川のアイヌの間で盛んになった熊の木彫りは、その後の民族自立運動の資金源ともなった。戦後は、木彫り名人として後進の指導に当たる一方、アートとしての作品制作にも幅を広げた。昭和55年死去。享年70歳。
・ 江上栄治
旭川の造り酒屋で修業を積み、杜氏となる。真面目な仕事ぶりで将来を嘱望されたが、昭和13年、陸軍への召集を受ける。翌年、勃発したノモンハン事件で現地に出動。ソビエト軍との交戦中、戦車の砲撃を受け死亡。享年29歳。
・ 江上ハツヨ
佐野文子の紹介で入社した繊維商社で働いた後、独立し、洋品店を始める。戦時中は厳しい経営を強いられ、店は閉鎖を余儀なくされるが、戦後は、洋服のほか幅広く生活雑貨を扱う会社を立ち上げて成功。旭川を代表する女性経営者となる。平成6年死去。享年84歳。
・ 塚本武
師範学校卒業後、教師となり旭川市内の小学校に勤める。25歳の時に同僚教師と結婚するが、1年後に結核を発症。入退院を繰り返し、一時は職場復帰を果たすも、再び病状が悪化。昭和15年死去。享年31歳。
・ 渡部義雄
昭和3年、明治大学文学部に編入。卒業後、東京の新聞社に勤め、戦時中は従軍記者も経験する。終戦後は旭川に戻って市役所に勤めながら創作活動を続ける。昭和39年、旭川市博物館長に就任。旭川の郷土史に関わる著書も多数執筆した。平成14年死去。享年91歳。
スクリーンに「FIN」の文字が映し出され、やがてそれも見えなくなる。
前前回から手直しした脚本を掲載しています。
今回は最終回、第2幕の途中からです。
**********
(第2幕 ACT5・後半)
女給3現れる(エピグラフ朗唱)。
女給3 日を追って何かが煮えつまってゆくような重い予感がわたくしにも濃くなってゆきました。しかし、どんな形で、いつあらわれるのかは、全くわかりません。あたりはかえって以前よりもしずかな感じさえあるのです。
(斎藤史 「遠景近景」より)
朗唱が終わると、手にした垂れ幕を垂らす。
「数日後 四条師団通 (招魂祭) カフェーヤマニ」
ヨシオ、タケシ、文子が新聞を広げて腕組みしている。カウンターには速田。
タケシ 先生、やっぱりこれ・・・。
ヨシオ まずいですよねぇ。
文子 ほんと、そうねえ。
速田 (寄ってきて)・・・どうしたんですか、3人とも難しい顔をして。
ヨシオ これ朝刊なんですけど、この記事。
速田 え~と・・・「違法な労働を強要されし十六歳の酌婦、語った赤裸々な実態」。え、これって・・
タケシ それに、ここ。
速田 「訴えを受けし黒色青年同盟旭川支部、近く同店舗を告発へ」。なんだよ、これ。
ヨシオ でしょ?
速田 これって、あの娘(こ)、ハツヨちゃんが、黒色青年同盟のところに匿われているって言ってるようなもんじゃない。
タケシ それに極粋会にも、名乗りを上げて喧嘩売ってるようなものですよね。奴ら血眼になって居所探しますよ。
ヨシオ で、僕ら、まずいと思って佐野先生にヤマニに来るようお願いしたんです。
速田 そうか、それで佐野先生も。
文子 いや私もね。何となくもやもやしてたのよ。それにしても、こんなことになるならハツヨちゃんを渡さなければよかったって、つくづく思わされるわ。
速田 うーん、これ見ると、そうですよね。・・・あ、で、北修さんは?北修さんもハツヨちゃんのことは承知なんだから、知らせた方がよくない?
ヨシオ いや、それが家に寄って来たんですが、まだ腰痛くて動けないんですよ。だから、あとは任せたって。
タケシ つくづく使えない親父。ちょっとの間でも弟子になったのが、恥ずかしいわ。
速田 まあ、そういうことならしょうがないじゃない。で、これからどうします?
佐野 うーん、それなんだよねー・・・。
と、入口の鐘の音。
速田 ん?誰かな?
ヨシオ ・・・あれ、エイジさんじゃないですか。
エイジ、崩れ落ちるようにして、中に入ってくる。青ざめた顔。頬には殴られた跡。
ヨシオ ・・・エイジさん。どうしたんですか?ちょっとタケシ、手を貸して。
2人、抱きかかえるようにしてエイジを店内へ。
速田 ちょっと、大丈夫かよ。
タケシ けがしてますね。殴られてるみたい。誰か、外にいるのかも。
速田 えっ?じゃ、ちょっと見てくる。
ヨシオ はい、お願いします。・・・エイジさん。話せます?
エイジ ・・・大丈夫。・・・さっき、男たちが来て、ハツヨが連れてかれたんだ。突然、何人も来て、あっという間に。
タケシ え?ハツヨちゃん、連れてかれたんですか?
エイジ 同盟の人が一人付いていてくれたんだけど、俺と一緒で、何にもできずに、殴られて・・・。(頭を抱える)俺のせいだ。やっぱり早くどっか遠くに行かせていれば。
文子 ちょっと、あんた。頭抱えてる場合じゃないよ。ちゃんと話してごらん。いつ、どこからハツヨちゃん連れてかれたんだい?
エイジ ・・・すいません。ハツヨと俺は、同盟のシンパの人が持ってる下宿の空き部屋にいたんです。10時頃だったと思います。突然何人も土足で入ってきて・・・。
タケシ その中にさ、髪の毛がこんなんでさ、白っぽい背広着て、肩こんないからした奴(カタオカのまねして)いなかった?
エイジ いました。指図してました。
タケシ やっぱり極粋会だ。
文子 でもそこにあんたたちがいるのは、向こうにはわからないはずなんでしょう?なんで、彼らが。
エイジ いっしょにいた同盟の人が言ってました。どうやら組織の中に情報をもらした奴がいるらしいって。
タケシ 何だよそれ、しょうーもない。
ヨシオ (新聞を示して)この新聞のことも、エイジさんはご存じなんですか?ハツヨさんのことが載ってる。
エイジ ・・・ウメハラさんには言ったんです。そんな記事が出たら、ハツヨが危なくなるって。でも社会正義のためなんだって。ハツヨのことを世の中に伝えて、それで、旭川の飲食業界の不正をただすんだって。・・・俺はそれも大事だけど、これ以上、妹を危険な目に会わせたくないって。早くどこか遠くに連れて行きたいって言ったんですけど・・・。
鐘の音。速田が息を切らせて戻ってくる。
速田 ・・・近所の人から聞いてきたんだけどさ、黒色青年同盟の連中が、極粋会のメンバーが経営してる店を襲撃したんだって。ガラス割って暴れて、中にいた奴らもボコボコにされたらしい。
タケシ それって、ハツヨちゃんを連れ去られた仕返しかな。
速田 え?ハツヨちゃん、連れ去られたの?
タケシ そうなんです。
エイジ 恐らくハツヨを取り戻されたことへの報復に、その店を襲ったんだと思います。仲間は、このままじゃ引き下がれないと言ってましたから。
速田 でさ、極粋会の方も、非常招集をかけて人を集めているらしい。
タケシ なんだよ、きょうは招魂祭のお祭りだってのに。これじゃとんだ騒動になりそうじゃんか。
と、鐘の音。ウメハラが入ってくる。目がすわっている。
ウメハラ (入口で)せっかくのお祭りの夜に騒ぎを起こすのは、不本意なんだが、身にふる火の粉ははらわないといけないのでね。(中に入ってくる)・・・エイジ君、探したよ。すぐ事務所に来てくれと伝えたはずだが。こういうときほど、勝手な行動は困るんだ。
エイジ ・・・。
文子 あんたさ、エイジ君に文句付ける前に、私達に言わなきゃならないことがあるんじゃないの?今、その話を聞いてたところなんだけどさ。
ウメハラ ・・・それはハツヨさんの件ですよね。どうもこちらにスパイが入り込んでいたようなんです。だが、大丈夫です。彼女は連れ出されましたが、こちらもすぐ居所をつかみました。いまハツヨさんは、奴らの本部事務所のビルに監禁されています。それから我々の情報では、極粋会は我々の事務所のある常盤橋の近くに集結していて、今夜にも襲撃してくるつもりのようです。我々は彼等を返り討ちにして、そのあとハツヨさんを救出します。
タケシ あんたそんな簡単な。
ウメハラ 我々は、幾多の修羅場をくぐっていますからね。ご安心を。ということなんで、エイジ君、君も準備を。・・・ん?けがでもしましたか?
(間)
エイジ ・・・いや、けがはたいしたことないが、俺は行かない。
ウメハラ ・・・どういうことです?
エイジ ・・・俺は、もうあんたにはついていけない。あんたは、俺やハツヨが出くわしている世の中の理不尽さを分かってくれる人だと思ってたけど、間違ってた。
ウメハラ なぜ?世の中の不正を正したいって、君も言ってたじゃないか。権力の手先が憎いとも言ってたじゃないか。今夜は、あの犬どもを蹴散らして、我々の正しさをアッピールする絶好の機会なんだ。それが分からないのか?
エイジ 帰ってくれ。俺はもうそれがどれほど正しかろうと、あんたの言葉では動かない。たとえ間違っていても、自分が考えたことをやる。
ウメハラ ・・・真理の存在を認めん愚か者とは、一緒に行動はできんな。君とは訣別する・・・。勝手にやればよい。(去る。鐘の音)。
(間)
タケシ (エイジの肩に手をやって)・・・俺も優柔不断な人間なんだけどさ、あいつらと離れるのは間違ってないと思うよ。
エイジ ・・・でも、あいつを信じたせいで。妹が(こらえきれない)。
文子 エイジ君。めそめそしている時じゃないよ。いまはとにかくハツヨちゃんを救うこと。みんなも、それはわかるわね。
速田 というと、佐野先生、なんか策がありそうですね。
ヨシオ え?そうなんですか?
文子 うーん、まだ策と言えるほどのものではないんだけど。・・・極粋会と黒色青年同盟が、いま常盤橋のところでにらみ合っている状況なのよね。夜、本格的にぶつかれば、極粋会の本部は手薄になるはず。その隙をつけばって感じね。
速田 なるほど。で、どう動きます?
文子 具体的にハツヨちゃんを救い出すのは若い3人として、どう時間を確保するかってとこなのよね。私は顔を知られているので、無理だし。・・・そうだ大将がいた。大将に協力してもらいましょう。
速田 え?私?
文子 いえ速田さんも私と条件は同じでしょ。力を貸してもらうのは、もう一人の大将よ。
暗転。
しばらくすると、招魂祭の祭りの夜の街の喧噪の音が聞こえてくる。金魚すくいや綿あめ売り、お化け屋敷やサーカスなど。
女給4現れる(エピグラフ朗唱)。
女給4 俺は疲れて帽子を釘に掛ける。
汗臭い襯衣(しゃっつ)を脱いで顔を洗ふ。
瓦斯に火をつけて珈琲を沸かす。
俺は独りだ晩飯の支度をする。
馬鈴薯と玉葱をヂャツク・ナイフで切り刻む。
俺はこのナイフで靴の泥を落した。
俺はこのナイフで波止場の綱(ろっぷ)を断(き)った。
(鈴木政輝 あぱあと)
朗唱が終わると、手にした垂れ幕を垂らす。
「その夜 三条通七丁目 旭川極粋会事務所」
極粋会の事務所のあるビルのフロア。事務所の外に、ヨシオ、タケシ、エイジの3人と神田館の大将こと佐藤市太郎。佐藤は大きな紙を丸めたものを抱えている。事務所には、極粋会の男3が一人いる。奥にもう一室あり、そこに椅子に座ったまま縛られているハツエ。
佐藤 大丈夫かな。私は興行主なんで、この事務所には何度も来ているし、働いている人たちもほとんど知っているが。
タケシ 佐野先生の指示通りやってくれれば、大丈夫ですよ。
ヨシオ もう一度確認しましょう。大将、あ、ヤマニの大将が探ってくれたんですが、事務所には一人見張りがいて、その奥の部屋にハツヨちゃんがいる。どうやら縛られているようです。で、その見張りを、大将、あ、神田館の大将がうまいこと言って外に誘い出す。その隙に僕らは中に入ってハツヨちゃんを助け出す。ただしある程度時間がかかると思うんで、あまり時間が稼げなかったときは、頃合いを見てもう一度外に連れ出してください。その隙に外に出ます。
エイジ まあ、いざって時は、こっちは4人、むこうは1人だし、大丈夫ですよ。
タケシ でも刃物とか持ち出すかもしれないし。とにかく、大将にかかってますからね。お願いしますよ。
佐藤 速田さんと佐野先生の頼みだから引き受けたけど。責任が重いなあ。
ヨシオ 大将が頼みの綱なんです。
佐藤 わかりました。こう見えても活動写真の雄、神田館の大将と呼ばれた、不肖佐藤市太郎。若い時は、やくざものと渡り合ったこともあったんだ。なんとか頑張るよ。じゃあ。
エイジ すみません。妹のために、お願いします。
3人、廊下の隅に身を隠す。
佐藤 (一人、事務所の前に進みノック)ごめんなさい。邪魔するよ。(入る)佐藤でした。カタオカさんはいたかい?
極粋会3 ああ、神田館の大将じゃないですか。お久しぶりです。
佐藤 ああ君、なんて言ったっけ?久しぶりだね。
極粋会3 山田です。カタオカはあいにく。
佐藤 あ、そう。いないんだ(ソファーに座り込む)。
極粋会3 きょうはちょっと込み入った事情があってみんな出払っているんで
すよ。俺一人で留守番なんです。
佐藤 ああ、そうなんだ。
極粋会3 佐藤社長には、いつも神田館、顔で入れてもらって、助かってま
す。
佐藤 ああ、そうだっけ?
極粋会3 俺、活動写真が大好きなんすよ。だからちょくちょく。
佐藤 ああそう。・・・実はね、今度新しい施設を建てる計画があるんだけど、そこの支配人にここの誰かを出してもらえないか、カタオカさんに頼みに来たんだ。
極粋会3 え、そうなんすか?
佐藤 おととし、第一神田館が焼けちまったろう。そのあと、旭川は1館だけでやってたんだが、資金の手当てが付いたんでね。前と同じ2館体制に戻そうと思ってるんだ。・・・君、興味ありそうだね。
極粋会3 ええ、あります。あります。いっぱいあります。
佐藤 で、これ図面なんだけど。意見も聞きたくてさ。(男3興味津々)・・・どっか、外で話さない?
極粋会3 え?
佐藤 いや、酒でも飲みながらさ。じっくりと。
極粋会3 いやー、でも。ここでもいいじゃないですか。
佐藤 ここ?
極粋会3 ええ。
佐藤 やっぱりここじゃなきゃダメ。
極粋会3 ええ。
佐藤 そっか、じゃあ(図面を広げかけて)。その前に、おしっこ。
極粋会3 おしっこですか?
佐藤 うん、年取ると近くなってね。どこかな?
極粋会3 ああ、入り口出て、左行って、右曲がって、突き当りです。
佐藤 ちょっと年取って目悪くしてね。ここの廊下暗いしさ。案内してくんない?
極粋会3 え、俺がですか?困ったな。
佐藤 私、そういう親切な人に支配人になってほしいなー、なんて思っててさ。
極粋会3 あ、わかりました。いきます。案内します。喜んで。
佐藤 うん、じゃ手を引いてもらって。
極粋会3 え、社長、そんなに目悪かったですか?よくここまで来られましたね。
2人出て、便所に行く。その隙に3人、事務所に入り、奥の部屋へ。驚くハツヨに声を上げるなと指示。タケシが事務所の様子を伺い、ヨシオとエイジが縄を解こうとするが、堅くてなかなか解けない。
タケシ ・・・何やってるのよ。おしっこって言ってたんだから、もうじき戻って来ちゃうよ。
ヨシオ ごめん。堅くってさ。はさみかなんか持ってくればよかった。
エイジ ハツヨ、もう少しだからな。
ヨシオ よし、解けた。
2人、縄をはずす。外に出ようとするが、男3と佐藤が戻ってきてしまう。
佐藤 (大きな声で)あー、おしっこして、すっきりしたー。もう事務所に戻ってきちゃったー。
極粋会3 なんすか?急に声でかくなりましたよ。
佐藤 そう?最近耳も遠くなってきたせいかな。普通の声だと思うんだが。
極粋会3 いやいや、かなり張ってるんじゃないですか。
佐藤 ところで、やっぱりどっかで飲みながら話さない?
極粋会3 いや、そうしたいところなんですが、ここ空にするわけにいかないんすよ。
佐藤 そうなんだ。
極粋会3 お願いしますよ。
佐藤 じゃあ、やるかい?・・・(図面を広げかけて)あー。今度は、なんか、下の方がもよおしちゃって。
極粋会3 えー、さっき一緒にしちゃえば、良かったじゃないですか。
佐藤 いや僕もそう思うよ。そうすりゃ、時間がかかって、一回で済んだのにって。でも、あー、お腹痛くなってきちゃった。悪い、もう一回連れてって。
極粋会3 しょうがないなー。これが最後ですよ。
佐藤 ああ最後、最後、最後だから。(声を張って)じゃあ、便所、行ってくるぞー。今度は大きい方。
極粋会3 ですから。声張り過ぎですって。
2人、再び出ていく。タケシら事務所に誰もいないことを確認し、部屋から出てくる。さらに事務所から出ていこうとすると、ドアの外にカタオカがいて、立ちふさがれてしまう。カタオカ、左手に木刀。右腕はけがしているようだ。
カタオカ おっと・・・。これはこれは、皆さんおそろいで。そうですか。我々が、アナキスト共とやりあっている間にってことですか。ま、ひとまず中に入っていただきましょうかね。(中に入る)絵を描いたのは、たぶん佐野先生あたりでしょうな。
佐藤と男3が戻ってくる。
佐藤 あー、またすっきりしたーって、もういないか。(中に入る)・・・と思ったらいっぱいいるね。どうしちゃったのかな。
極粋会3 え?カタオカさんまで。どうしたんすか?
カタオカ どうしたってお前、常盤橋で黒色青年同盟の奴らと乱闘になったんだよ。そしたら警官が割って入ってきてね。どちらもほとんどの奴らがしょっぴかれた。俺は何とか逃れたんだが、ここに来たら、このありさまだ。お前、佐藤社長に騙されかけてたのが、わかんないのか?
極粋会3 えっ、社長、おれ騙してたんすか?勘弁してくださいよ。
佐藤、ごめんごめんと手を合わせ、ぺこぺこ頭を下げる。
極粋会3 部長、面目ありません。
カタオカ (苛立ちがおさまらず、机を蹴り上げる)。
佐藤 ・・・あのー、カタオカ君。あんたの部下を騙そうとしたのは悪かった。が、ここは私の顔を立てて、娘さんを開放してやってくれないだろうか。メンバーもたくさん逮捕されたって言うし、けが人も出たんじゃないのかい。そんな状態なら、もうこっちの話はいいだろう。
カタオカ 社長。社長には、いろいろ世話になってる立場なんで、逆らうのは恐縮ですが、これはメンツの問題なんですよ。そんな小娘、どうでもいいっちゃいいんだが、こんだけ極粋会が舐められたうえ、素人さんにまんまと連れ戻されたとあっちゃ、もう俺らは今までのように旭川で仕事ができなくなる。私は覚悟はできてるんだ。悪いが、娘置いて、帰ってもらうしかないですね。
タケシ ふざけんな。あんたけがしてるじゃないか。あくまで邪魔するって言うなら、こっちだって覚悟がある。
カタオカ、木刀を捨て、ふところからピストルを出す。けがをしている右手で構える。
カタオカ ・・・坊主。そういう口をきくときは相手を確かめてからするんだな。俺は覚悟を決めてるって言ったろう。
ヨシオ ・・・タケシ。下がれよ。
タケシ、青ざめた表情で後ずさる。
カタオカ ・・・そう、みんな、いい子だ。(皆を見渡し、エイジと目が合う)。なんだ、その目は。
エイジ (下を向いたまま)・・・あんたさ、いい加減、強がるのは止めなよ。
カタオカ ん?よく聞こえなかったな。もう一度言ってくれよ。
エイジ (立ち上がって前に出ようとする)・・・強がるのは止めなって言ったんだよ。
ハツヨ (止めようとして)兄さん。
エイジ (振りほどいて) 俺には分かるんだよ。あんたは俺とおんなじだ。だから分かるんだよ。俺には。
カタオカ 何を言いたいんだか、さっぱり分からんね。
エイジ 分かるんだよ俺には。あんたはこうすることが正しいと上から言われ
て、それを信じることが自分の勤めだと思っている。・・・でも本当にそれはあんたがやりたいことなのか?(少しずつカタオカに近づく)そんなことをしても誰も幸せにならないと、あんたはもう気が付いているはずだ。
カタオカ ・・・うるさいな。黙れよ。
エイジ 俺もね。おんなじだったから分かるんだよ。俺たちは空っぽだったんだよ。だから最初は良かったんだ。何にも考えずに。ただ言われたことを黙々と実行する。
カタオカ 黙れよ。止めろ!
エイジ 信じたことが間違いだったら何もなくなっちゃう。それが怖いんだよ。あんたも!俺も!
カタオカ 黙れって言ってんだろ!
発砲音。エイジ崩れ落ちる。
ハツヨ 兄さん!(駆け寄って)どうして。兄さん、兄さん。(呼びかけるが、エイジはぐったりとして、答えない)。
と、外で男の声が響く。
男の声 え、警察、何の用だよ?え?発砲音?パンクかなんかじゃないすか。え?カタオカ部長?ここになんかいませんて。え?令状?容疑は何なんすか?だから、いないもんはいないって言ってるでしょうが。
カタオカ (男3に)誰だ?
極粋会3 誰か、若いもんが戻ってきたんじゃ。
男の声 え?傷害と監禁の容疑も?だから、しつこいな、あんたたち。
極粋会3 カタオカさん、まずいっすよ。誰だか知らないが、時間稼ぎをしている間に、非常口から逃げましょう。外の階段使えば、まだ逃げられます。
カタオカ ・・・わかった。(一同を見渡したあと、ピストルでエイジを指し)こいつはおれを見下した。撃たれたのは自業自得だ。
極粋会3 カタオカさん。
カタオカ わかってる(去る)。
(間)
タケシ (我に返って)え、ど、どうする?
ヨシオ どうするって、外に警察がいるんならまずしらせなきゃ。それと医者も。
タケシ そうだよな。じゃ外へ。
出ようとすると。
男の声 だから、いないっていってるじゃないですか。いないんですよ、カタオカさんは。
男姿を現す、なんとトージである。
トージ カタオカさん?・・・いないですよね?(ドアを開ける)カタオカさん?いやしませんよね?
ヨシオ え、お前?トージ?
トージ 佐野先生に言われて様子を見にきたんだけど、けん銃の音が聞こえたんでね。
タケシ じゃ、警察は。
トージ そんなの乱闘事件でみんな出払ってるよ。いま仲間を医者に走らせてる。
ヨシオ そうか。大将、エイジさん、どうですか?
佐藤 うーん、急所は外れているようだけど。
ハツヨ 兄さん、聞いた?お医者さん、来てくれるってよ。それまで頑張って。
兄さん。
暗転
しばらくすると、セミの声が聞こえ始める。続いて金魚売りの声、やがて天秤棒を担いだ金魚売りが現れる。見ると、活弁士、演歌師と同一人物のよう。
金魚売り きんぎょーえ、きんぎょー。きんぎょーえ、きんぎょー。えー、金魚はいかが、金魚でござい。きんぎょーえ、きんぎょー。(一休みして)ふう、きょうも暑いねえ。旭川は冬は寒くて、夏は暑いってんだから、困ったもんよ。でもまあ暑いから、こんな商売も成り立つってことだからね。お天道様に感謝しなくっちゃ。
おかっぱの女の子と、その祖母らしい2人連れが現れる。
女の子 あ、おばあちゃん、金魚売りさん、ここにいたよ。
祖母 いたね。行っちゃわなくて、良かったね。(女の子に容器と小銭を渡して)ほら、これ渡して、これに入れてもらうんだよ。
女の子 うん。ありがと。
祖母 行っといで。二匹買うんだよ。一匹じゃかわいそうだからね。
女の子 (金魚売りに近づいて)おじちゃん。金魚ちょうだい。
金魚売り まいどありい。おや、めんこい嬢ちゃんだね。
女の子 あのね。おばあちゃんが、二匹買いなさいって。これとこれ(握った手と容器を出す)。一匹じゃかわいそうだからね。
金魚売り そうだよね。一匹じゃかわいそうだよね.じゃあ、おあしをいただくよ。・・・この赤いのと黒いのがいいかな(容器に金魚をすくってやる)
女の子 (受け取って眺め、満足そう)。ありがとう。(金魚を眺めながら祖母の元へ)おばあちゃん、金魚、買ってきたよ。
祖母 そうかい、よかったね。じゃ帰ろうか。
女の子 うん。きょうは、いい買い物をしたね。
2人、退場する。
金魚売り (見送って)かわいいさかりだねえ。・・・さ、じゃ行くか。(天秤棒を担いで)きんぎょーえ、きんぎょー。きんぎょーえ、きんぎょー。えー、金魚はいかが、金魚でござい。きんぎょーえ、きんぎょー。
女給5現れる(エピグラフ朗唱)
女給5 平原のまん中に洋燈(らんぷ)のやうに輝いている街
光を増し、光を増し、
延びに延び、ひろごり、
高くその燈火(あかり)をかかげて、
陽の御座(みくら)を占める街、
光栄の町、
この町に祝福あれ!
(百田宗治 「旭川」)
朗唱が終わると、手にした垂れ幕を垂らす。
「昭和二年九月 四条師団通 カフェーヤマニ」
女給たちを中心に、お祝いの席の準備が進んでいる。ヨシオ、タケシ、ハツヨ、速田、文子、トージも手伝っている。少し離れたところで、北修と佐藤が碁を打っている。
タケシ (テーブルから離れ、北修らのところへ近づく)北修さん、碁なんてやってないで、こっち来てくださいよ。もう始まるんだから。
北修 おれ、今回何もやってないしよ。部外者だべ。
ヨシオ 何言ってるんですか。そういうことじゃなくて。きょうはハツヨちゃんの就職を祝う会なんですから。北修さんがこっちにこないと、神田館の大将だってこっちに来られないでしょう。
北修 ・・・そうか?大将行きます?
佐藤 行こうよ。あっちの方が絶対いい。
北修 んー、じゃ行くか。
2人、席へ。拍手で迎える女給たち。
女給1 キャー、神田館の大将と北修さんだー。
女給2 キャー、スケベ―。
北修 (うれしそう)スケベはよけいだろ。お前らはよ。
速田 ・・・じゃ、これで全員そろったね。(立ち上がる)おほん、きょうはみなさんお忙しい中、お集まりいただき、ありがとうございます。きょうは、江上栄二くんとハツヨさんの就職がめでたく決まったことを祝しての集いであります。
タケシ もう結構前から働き始めてるけどね。
ヨシオ だから、茶化さないの。
速田 いや見習い期間が終わって、正式に採用されたってことなのさ。評判はすこぶるいいみたいです。それでは、乾杯のご発声を、佐野先生にお願いしたいと思います。
佐野 えー、私?
タケシ だって就職世話したの、先生なんでしょ?
文子 そうだけど。
速田 みんな、のど渇いてるんだから。ちゃっちゃとお願いします。
文子 わかりました。じゃ一言だけ。(立ち上がる)栄二くん、ハツヨちゃんおめでとう。いろいろあったけどって言いたいところだけど、きっとこれからも2人の前にはたくさんの壁が立ちふさがると思う。だからちょっとずつでもいいから強くなっていって欲しい。で、強くなった分、ほかのみんなが困った時は、今度は助ける側になってあげて欲しい。これだけ。よろしくね。じゃ、みんないい?2人の前途と、ここにいるみんなの健闘を祈って、かんぱーい。
全員 かんぱーい。(拍手)。
女給3 ああ、あたしおなかペコペコー。
女給4 わたしもー(など賑やか)。
速田 ・・・でも速いですね。あの騒動からもう三か月経っちまった。
北修 そういや、極粋会と青年同盟の手打ちはここでやったんだって?
速田 ですね。極粋会の辻川会長に場所貸してくれと頼まれまして、警察署長さんが仲介役で。黒色青年同盟の方は、札幌から幹部が来まして。
北修 札幌?なんで?
速田 支部長だったウメハラがあの夜以来いなくなっちまったからですよ。どうやら東京に戻ったようです。
佐藤 カタオカは、懲役3年って言ったっけ。その程度で済んだんだ。
速田 はい。辻広会長に付き添われて自首しましたからね。それにエイジ君も怨みはないと証言しましたし。
エイジ まあ、あれは挑発した俺も悪いんで。
北修 ・・・それはそうとよ。俺はまだよく事情を呑み込めていないんだが、あの晩は、うまく佐藤の大将が見張りをおびき出して、その隙にヨシオたちがハツヨちゃんを助けようとしたら、カタオカが来ちまったんだろう。で、そこで、トージが、警察が来たって一芝居打ったわけだ。トージはなんで現場に行ったんだい?関わりたくないって言ってたくせに。
文子 それはね。私が頼んだのよ。トージはね、時々、私の所に来ていたの。最初は小学校出てからずっと働いているのでもう少し勉強したいってね。ただこの子も、音楽だ、木彫りだ、アイヌの解放だのいろんなことに手を出す割には、腰が据わらなくてね。なんか人生相談みたいになってたのね。だからアイヌはどうだとか言ってるんだったら、まず自分と同じように困ってる人のために働きなさいって、そう言ったら手助けしてくれたのよ。ね、トージ君?
トージ ・・・いや、まあ、そういうことです。
北修 なんだ、やっぱりやるときゃ、やるんだな、お前もよ。相変わらず素直じゃないが。
トージ (照れ笑い)。
北修 でも腰はすわってないとよ。(タケシとヨシオに)お前らとおんなじだべ。
タケシ えー、なにそれ。待ってくださいよ。
文子 ヨシオ君、タケシ君。速田さんから聞いたけど、本当にやりたいことが見つからないのは、トージもあなたたちと同じ。だから、仲良くしてあげて、ね。
ヨシオ ・・・いや僕らも別に嫌っているわけじゃ。
タケシ だいたいわざわざ嫌われるようなことを言うからさ、俺らもそうしう態度になっちゃうわけだし。まあ、助けてもらったのは、感謝してるけど、かといって・・・。
ヨシオ お前、何言いたいんだかわかんないよ。
トージ (下を見てクックと笑う)
ヨシオ あ、そういう態度が癇に障るんだよ。お前、俺らよりいっこ下なんだからさ。もうちょっとかわいげがあんなら、仲よくしてやんのに・・・。
北修 まあ悩み多き若者たちよ。しょっちゅう取っ組み合いの喧嘩をしている小熊と俺も、友達っちゃ友達だしな。そんなもんよ。
ヨシオ そういや小熊さん、東京どうなんですかね?
速田 うーん、旭川発ったのが、騒動の直後だからなあ。最初は今野大力君や鈴木政輝君と合流したみたいだけど、すぐ別れちゃったみたいだよ。北修さんのところには便りはないの?
北修 まあ、来ないことはないが・・・。ここにいない奴の事、話したって仕方ねえべ。それより主賓の話にしようぜ。
佐藤 わたしも聞きたいな。どこで働いているかとかさ。
速田 ああ、そうですよね。そろそろと思ってました。じゃ、エイジ君、ハツヨちゃん(促す)。
エイジ え?俺らですか?
北修 そうさ、さ、立った、立った。
2人、とまどいながら立ち上がる。どちらから話すか迷う。
ハツヨ ・・・あ、じゃ、私から。(お辞儀)皆さん、その節は本当にお世話になりました。皆さんの力がなかったら、私たち兄妹、いまもこんな風に笑うことを忘れたままだったんじゃないかと思います。それからきょうは私達のためのこんな素敵な会を開いてもらって、本当にうれしくってたまりません。ありがとうございます(再びお辞儀)。・・・お話があったように、私は佐野先生の紹介で、洋服なんかを扱う商社に勤めています。まだ全然慣れていないんですけど、商売のお仕事は本当に楽しいです。頑張って、いつか皆さんに恩返しができるようになります。きょうは本当にありがとうございました。(お辞儀)兄さん。
エイジ ・・・ああ(緊張している)。あの、俺、いや僕も、佐野先生の紹介で造り酒屋で働かせてもらってます。まだ完全に体が直っていないんで、雑用しかできないんですが、周りの人たちが良くしてくれて、やりがいはあります。・・・それと、久しぶりに妹と一緒に暮らせて、お袋が喜んでいるんです。お袋も少しずつですけど、元気になっているようで・・・。俺、いや僕もハツヨとおんなじで、家族のためにも、皆さんに恩返しできるようになるためにも頑張って。で、いつかは杜氏になって酒造りができるようになりたいと思ってます。なので、これからもよろしくお願いします(お辞儀)。
ハツヨもならってお辞儀すると、皆拍手。
北修 よし!2人とも良く言った!・・・あれ、大将なんだ、泣いちゃってるよ。
佐藤 ・・・だってさ。・・・年取ると、涙もろくなっちゃうんだよ。しょうがないんだよ。
女給たちなど、もらい泣きするものも。
北修 だから、祝いの会なんだから、しめっぽいのは止めようぜ。そうだ。お姉ちゃん方、得意な奴あんだろ。ヤマニのテーマソング。あれ、やろうぜ。あれ。
文子 私知らない。聞きたいわ。やってよ。
女給1 そうですか?(仲間に)やる?
女給2 いいじゃない。やろうよ。
女給3 じゃ、やろう。
皆、位置に着く。
女給5 店長、お願い!
速田 それでは、ミュージック、スタート!
マイムを入れながら、女給たちを中心に皆で歌い踊る(「ヤマニのテーマ・そこ行く兄さん編」)
そこ行く兄さん いなせな兄さん
素通りは許さないよ
きれいな姉ちゃん 待っているよ
お楽しみはこれからだ
* 歌はトチチリチン トチチリチン ツン
歌はトチチリチン トチチリチン ツン
歌はペロペロペン 歌はペロペロペン
さァ ようこそヤマニへ
2枚目兄さん こちらへどうぞ
ビールにカクテル ウヰスキー
素敵なステージ 楽しい会話
コーヒーいっぱいでもかまわない
*くりかえし
男たち 女たち
いやなことなんか忘れて
歌おうよ 踊ろうよ
カフェーは街のパラダイス
*くりかえし
暗転、1番に戻って歌だけしばらく続く。
(原曲 「ベアトリ姉ちゃん」 小林愛雄・清水金太郎訳・補作詞 スッペ作曲)
(第2幕 ACT6)
女給1現れる(エピグラフ朗唱)。
女給1 「銀の滴降る降るまわりに、金の滴
降る降るまわりに」という歌を私は歌ひながら
流に沿って下り、人間の村の上を
通りながら下を眺めると
昔の貧乏人が今お金持になってゐて、昔のお金持が
今の貧乏人になってゐる様です。
(知里幸恵・アイヌ神謡集)
朗唱が終わると、手にした垂れ幕を垂らす。
「昭和三年三月 嵐山」
トージを先頭に、ヨシオ、エイジ、ハツヨ、タケシが山道を登っている。タケシは遅れ気味。
トージ タケシさ、何やってるのよ。もう少しだから、根性出しなよ。
タケシ ・・・おい、なんだよその言い方は(息が切れている)。お前、俺らよりいっこ下だって言ってんだろ。あー、疲れた。
ハツヨ タケシさん。しゃべりながら登ると息が切れるわよ。
ヨシオ でもトージはやっぱり山に入るといきいきするな。
トージ 子供のころから、山が遊び場だったからね。ここが本来の俺らの領分なのさ。
エイジ まだ雪があちこちに残ってるってのに、ほっといたら、駆け上っていきそうな感じだもんな。・・・でも、やっぱり山は気持ちがいい。
ハツヨ 本当。来てよかった。
ヨシオ ほら。もうそこが展望台だ。
5人、到着する。
ハツヨ ・・・すごーい。石狩川が下を流れて。旭川の町が全部見える。
エイジ 大雪山が輝いているみたいだ。・・・そうか、こんなふうに見えるんだ。
それぞれかみしめるように眺望する。
ハツヨ ・・・ヨシオさんは、しばらくの見納めね。
ヨシオ (うなづく)
ハツヨ どうして師範学校やめて東京に行くことにしたの?
ヨシオ ・・・うまく言えないけど、なんかそうするべきだって声が自分の中で聞こえたのさ。向こうの大学に編入して、詩や小説を書く。プロになれるかはわからないけど、とにかく早くそうすべきだって。旭川は、ふるさとで好きな土地なんだけど、一度離れることが必要だって。で、タケシに言ったら賛成してくれた。
タケシ うん、自分がそう思うんなら、いいんじゃないかなって。けど俺は行かないよって言ったのよ。前だったら、東京かっこいいな、俺も行くかなって言い出したと思うんだけど、そういう気持ちにはならなかった。・・・ほら、子供の中にはいろんな奴がいるじゃない。俺、いっぱいいろんな挫折してるからさ。くじけそうな奴、励ましてやれるんじゃないかって。だから、俺はこのまま旭川で学校続けて教師になろうって。
ヨシオ ・・・ということなんだわ。だからエイジさん、ハツヨちゃん、トージも。タケシをよろしくね。こいつ俺がいないとさみしがると思うからさ。それに誰かがネジ撒かないと、怠けて卒業することもできないし。
タケシ おい。
ハツヨ わかってます。頼まれないでも、怠けてたらお灸をすえるから。ね。
エイジ そう、その通り。特にハツヨは、もともとものすごいおせっかいやきなんだ。きっと、ちょくちょく様子を伺いに行くよ。
タケシ えー、勘弁してよ。
ヨシオ で、トージはどうするの?佐野先生が、最近家に来ないって言ってたけど。
トージ ああ、先生には悪いんだけど、最近、木彫りの仕事が多くってね。ずっとコタンにこもりっきりなんだ。
エイジ ということは売れてるってことかい?
トージ うん、まずまず評判が良かったんで、まわりの仲間にもやり方教えたんだ。そしたら俺も作りたいって奴が増えて。で、木彫りでみんなが飯食えるようになればいいなと思って。
エイジ それ、いいじゃない。コタンの人たちは狩りで生計立ててたのを禁止されて、みんな苦しい生活してるんだから。もともと木を細工するのは得意なんだし。
トージ うん、俺もそう思う。
ハツヨ そうか、私と兄さんは勤めがあるし、じゃ、みんな道は決まったってわけね。
タケシ 見ろよ。雲が晴れて。川がキラキラ光ってる。
再びみな景色を眺める。
ヨシオ (誰とはなしに)・・・この5年、美術展の手伝いがきっかけで、北修さんや小熊さん、トージと知り合って、ヤマニに行くようになって、史さんや佐野先生とも出会って。アナキストと右翼の騒動に巻き込まれて、ハツヨちゃんとエイジさんにも会って・・・。本当にいろいろなことがあって、楽しかったことも、つらかったことも、その全部が自分の中で混ざり合って・・・。勿論自分がまだ何者なのかってもは分からないんだけど。そういうことがあったから、自分は新しいところに飛び込んでゆく勇気を持てたのかのかもしれないなって・・・。
北修と、スタルヒン一家の3人が現れる。
北修 おお、いたいた、やっと追いついた。はー疲れた。
タケシ え?北修さん?どうしたんすか、こんなところに。
北修 こんなところって。お前らが嵐山に行ったっていうからよ。俺も久しぶりに行きたくなっちゃったんだよ。そしたらまだ雪は残っているし。あーしんど。
ヨシオ 皆さんは?
北修 あれ、知らないか?8条通で喫茶店やってるスタルヒンの一家さ。俺、この子に絵教えてやってるのよ。嵐山行くって言ったら、今日は休みなんで連れてってくれって。
スタ父 はじめまして。喫茶白ロシアのスタルヒンです。北修さん、いい人。いつも私の作るパン買ってくれます。
スタ母 はじめまして、スタルヒンの家内です。嵐山、初めてきました。すばらしい眺めです。ヴィクトル、皆さんにごあいさつなさい。
スタルヒン はじめまして。ヴィクトルです。11歳です。日章小学校に通ってます。
エイジ え、小学生!そんなに大きいのに?
スタルヒン はい。みんなに言われます。
タケシ すげえな。俺たちよりはるかにでかいんじゃん。絵習ってるって言ってたけど、やっぱ、運動だよ。運動選手になったらいいんじゃないの?
スタルヒン はい、絵のほかに、野球の投手やってます。
タケシ そうか、野球か。その体なら、すごい球を投げるんだろうな。もしかしたら将来、大投手になるかもしれないよ。プロ野球初の300勝投手とかなったりして。
ヨシオ またタケシの予言が始まったよ。この時代、まだプロ野球なんてないんだからさ。いい加減なこと言うなよ。
と、少女が走ってくる。堀田綾子(ほった・あやこ、5歳)。ACT5で金魚を買いに来た少女のようだ。
綾子 (北修に)おじちゃん。あっちにお花が咲いていたよ。とってもきれいだったよ。
北修 おう、そうか。おしえてくれてありがとう。(みんなに)この子はな、綾子っていうんだ。親が忙しくてね。いつも一人で遊んでいるんだが、嵐山に行くって言ったら連れてってやってくれって言われてさ。賢そうな子だろ。
ハツヨ お嬢ちゃん、綾子ちゃんて言うの?
綾子 うん、綾子。堀田綾子。
ハツヨ お年は?
綾子 5歳。
エイジ 綾子ちゃんは、何をするのが好きなの?
綾子 ご本を読むことです。
エイジ そうか。まだちゃんこいのにご本か。偉いね。
綾子 ありがとう。
タケシ 俺、この子も大物になりそうな気がするね。本が好きだっていうから、将来は作家かな。旭川を舞台にした小説がベストセラーになったりして。題名はそうだな「氷点」!
ヨシオ だから予言は止めれって。
タケシ いや、なんとなくそんな気がするのよ。直感っていうのかな。
ヨシオ ひとの将来のこと考えてないで、自分の足元ちゃんと見ろよ。
タケシ あ、ヨシオさ、東京行くときは、授業のノート置いていってくれよな。
ヨシオ しらねーよ。自分で何とかしろよ。
トージ (くっくと笑う)
タケシ あ、トージはまた人を馬鹿にして。
北修 ・・・そうだ、忘れるところだった。これ、お前ら2人に、小熊から(封書を渡す)。
ヨシオ 何ですか?
北修 ヨシオが東京に行くって話を聞いたみたいで、送って来たのさ。はなむけの詩だってよ。
ヨシオ、中の紙を取り出して読み始める。
(第2幕 ACT7)エピローグ
ヨシオ 新しいものよ、
あらゆる新しいものよ、
正義のために生れた
さまざまな形式を
わたしは無条件に愛す、
然も、君が青年としての
情熱をもつて
ふりまはす感情の武器であれば
それが如何なるもので
あらうとも 私はそれを愛し、信頼す。
ヨシオの声に、小熊の声(ナレーション)が重なる。
小熊声 私はおどろかない、君の顔に
よし狡獪な表情が現れようとも
私は悲しまない、
君の行動に
臆病さがあらうとも
若し、それが君を守るものであるならば、
ましてや君の若い厳粛さと
青年の勇気は
なんと新しい時代の
蠱惑的な美しさをもつて
相手に肉迫してゐることだらう
青年よ、
我々は環視の只中にある、
あらゆるものに見守られてゐる。
熱心に祈りの叫びをあげながら
現実のつらさに
眼を掩(おお)つてゐる君の老いたる父や母にもー、
吐息を立てゝゐる兄や妹にもー、
これらの身近なものは君を守る
だがとほくのものは
ただおどおどとしてゐる許りだ。
ふるへよ、
君の肉体を、
護れ、
君の感情を
そして君は入つてゆけ
もつとも旋律的な場所へ、
老いたるものにとつては
苦痛の世界であるが、
我々青年にとつては
感動の世界で、ある処へ。
(小熊秀雄 「青年の美しさ」より)
途中から小熊の声小さくなり、かわりに音楽(スタンド・バイ・ミー=ベン・E・キング)。
次第に暗転し、スクリーンに主な登場人物のその後が投影される。
・ 小熊秀雄
上京後、虐げられた人々への共感を表す長編詩などを発表し、詩壇に新風を送る。昭和10年、「小熊秀雄詩集」、長編叙事詩集「飛ぶ橇(そり)」を相次いで出版し、詩人としての地位を確立するも、生活は困窮を極める。昭和15年、赤貧の中、肺結核により死去。享年39歳。
・ 高橋北修
昭和6年、旭川の画家として初めて帝展に入選。戦後は全道美術協会の結成に参加するなど、北海道画壇の重鎮として活躍した。大雪山を描いた油絵に定評があり、「大雪山の北修」と呼ばれる。晩年は病気のため、左手一本で絵筆をふるった。昭和53年死去。享年79歳。
・ 速田弘
昭和8年、新店舗「パリジャンクラブ」を開店するなど事業を拡大したが、戦時色が強まる中で経営は悪化。翌年、借金の返済に行き詰って自殺を企てるも未遂に終わる。その後、旭川から姿を消したが、戦後、東京銀座でクラブチェーンを成功させ、実業家として復活を遂げる。
・ 佐野文子
戦前は、廃娼運動に加え、旭川初の託児所設立などに尽力。一方、国防婦人会での精力的な活動が全国に知られた事から、軍の要請を受け上京、東条首相の私邸で家庭教師を務める。戦後は、戦災孤児、戦争未亡人の救援などの社会活動を行い、多数の公職を歴任。昭和53年死去。享年84歳。
・ 松井東二
旭川のアイヌの間で盛んになった熊の木彫りは、その後の民族自立運動の資金源ともなった。戦後は、木彫り名人として後進の指導に当たる一方、アートとしての作品制作にも幅を広げた。昭和55年死去。享年70歳。
・ 江上栄治
旭川の造り酒屋で修業を積み、杜氏となる。真面目な仕事ぶりで将来を嘱望されたが、昭和13年、陸軍への召集を受ける。翌年、勃発したノモンハン事件で現地に出動。ソビエト軍との交戦中、戦車の砲撃を受け死亡。享年29歳。
・ 江上ハツヨ
佐野文子の紹介で入社した繊維商社で働いた後、独立し、洋品店を始める。戦時中は厳しい経営を強いられ、店は閉鎖を余儀なくされるが、戦後は、洋服のほか幅広く生活雑貨を扱う会社を立ち上げて成功。旭川を代表する女性経営者となる。平成6年死去。享年84歳。
・ 塚本武
師範学校卒業後、教師となり旭川市内の小学校に勤める。25歳の時に同僚教師と結婚するが、1年後に結核を発症。入退院を繰り返し、一時は職場復帰を果たすも、再び病状が悪化。昭和15年死去。享年31歳。
・ 渡部義雄
昭和3年、明治大学文学部に編入。卒業後、東京の新聞社に勤め、戦時中は従軍記者も経験する。終戦後は旭川に戻って市役所に勤めながら創作活動を続ける。昭和39年、旭川市博物館長に就任。旭川の郷土史に関わる著書も多数執筆した。平成14年死去。享年91歳。
スクリーンに「FIN」の文字が映し出され、やがてそれも見えなくなる。