前回の記事「『ヤマニの兄貴』速田弘」を書くために、関連の画像や絵葉書を改めて調べたのですが、店舗の変遷について、いくつか気づいたことがありました。
今回は、そうした点について、「ヤマニ話」の続編としてまとめてご紹介したいと思います。
前回書きましたように、旭川のモダンボーイ、速田弘が率いた「ヤマニ」は、大正12年に食堂からカフェーに転身します。
ただその前後についても、何回か改築されていることが、今回、画像から確かめることができました。
ここからは、食堂時代もふくめ具体的なヤマニ店舗の変遷を見ていきます。
<食堂時代>
食堂時代の「ヤマニ」の画像で、現在、私が確認しているのは5枚です。
(写真)№1(大正4年「御大典記念北海の礎」より)
№1は大正4年発行の冊子に掲載されたもっとも古い時代の「ヤマニ」の写真です。
雪が降っていて、屋根にもうっすら積もっています。
大きなのれんには「天どん」「一品洋食」などの文字があり、和洋どちらの料理も出していたことが分かります。
2階の軒下には「山二」の屋号が見えます。
(写真)№2(大正8~9年か・絵葉書)
(写真)№2(拡大)
№2は4条通の7丁目から8丁目側を写しています。
たくさんの人に取り囲まれている左端の建物が「ヤマニ」です。
手前(左1号側)が食堂部分、奥(左2号側)が「ヤマニ旭館」と呼ばれた仕出し&催事場部門です。
№1に比べますと、どちらも立派になっていて、改築されたことがわかります(№2、№3の写真だとよりはっきり分かります)。
2階の角には「サッポロビアホール」の看板が掲げられています。
ちなみにこの絵葉書について、郷土史家の渡辺義雄さんは次のように書いています。
「7丁目左角と8丁目左1号角ヤマニ食堂前に群がる人々、荷馬車、自転車、荷車を一時休めて見いる人もいる。祭典にしては飾りつけが見当たらないところから大正9年の開基30周年の祝日でもあろうか。大道芸人や物売りの香具師(テキ屋)の口上に引きつけられた群衆で一杯である」
ただこの記述、大正9年の撮影だとすると、この年に「ヤマニ」の並びに開業した「北海屋ホテル(のちに北海ホテル)」の姿がまだ見えていないのが気になります。
もしかしたら大正8年かそれ以前の写真かもしれません。
(写真)№3(大正9年~11年・絵葉書)
(写真)№3(拡大)
№3は、№2と同じアングルですが、「ヤマニ」の奥に「北海屋ホテル」が建っています。
なので昭和9年以降の撮影です。
「ヤマニ」の外観は、№2とほとんど同じに見えます。
師団通をはさんで「ヤマニ」の手前(7丁目側)は「松浦呉服店」ですが、店の前に植え木の露店が出ているのでしょうか、品定めをする客でにぎわっています。
(写真)№4(大正9~11年・絵葉書)
(写真)№4(拡大)
(写真)№4(同上)
№4は、当時3条通9丁目にあった消防の望楼から見た旭川市街です。
画面の右、白壁の「北海ホテル」の奥にあるのが「ヤマニ」です。
ちなみにこの写真、右上(3条通8丁目)に大正14年に焼失する活動写真館「第一神田館」の姿が見えます(3条通7丁目の『2番館ビル』と重なって映っている三角屋根の建物)。
「第一神田館」は師団通に面し、5階建ての威容を誇ったことから様々な写真が残されていますが、建物の裏側から撮影した写真はあまりなく、貴重な一枚です。
(写真)№5(大正11年・旭川市中央図書館蔵)
(写真)№4(拡大)
№5は前回も紹介した写真、「2番館ビル(のちの『旭ビルディング』)」からのパノラマ(2枚に分けています)です。
撮影年は大正11年、カフェーへの転身直前の姿です。
食堂部分と旭館部分の2棟で構成されていることがよくわかる1枚です。
ちなみに「ヤマニ」の右奥にある白壁の建物は「ピアソン聖書館」、右奥に見える大きな建物は市役所庁舎です。
<カフェー時代(前期)>
さて「ヤマニ」は大正12年5月にカフェーに転身しますが、写真で見ると、カフェー時代も複数の改築が行われているようです。
まずは昭和3年までの前期です。
(写真)№6(昭和2年・旭川市博物館蔵)
(写真)№6(拡大)
№6は、師団通の4条以北も舗装が行われていることなどから、昭和2年の撮影と判断できる写真です(№5と同じ場所<旭ビルディング>からの撮影)。
なので「ヤマニ」はすでにカフェーとしての営業を始めています。
ただ店舗の見た目は№5とほとんど変わりありません。
内装だけ変えるなどしていたのかもしれません。
(写真)№7(昭和3年・絵葉書)
(写真)№7(拡大)
№7は翌昭和3年の撮影。
撮影場所は№4と同じ消防望楼です。
分かりづらいのですが、2階に後で紹介する大きな看板が掲げられています。
1階部分はどうなっているかはよく分かりません。
ちなみに№4にあった「第一神田館」は大正14年の火災により無くなっています。
<カフェー時代(中期)>
ここからは中期。
いよいよ店舗も改築されて外観、内容ともに旭川を代表するカフェーとなる時代です。
(写真)№8(昭和4年・絵葉書)
(写真)№8(拡大)
№8は翌昭和4年の写真です。
ある程度ですが、この写真ではじめてカフェー時代の店舗の様子が明らかになります。
電車や看板に隠れていますが、1階がカフェーらしく改築されています。
2階は食堂時代と変わらないようですが、№7でふれた「キリンビール カフェーヤマニ」と書かれた大きな看板が置かれています。
(写真)№9(昭和4年?・絵葉書)
(写真)№9(拡大)
№9はアングルが違いますが、建物の外観は№8と同じです。
同時期の撮影と思われます。
(写真)№10(昭和5年・絵葉書)
(写真)№108(拡大)
№10になると、店舗は大きく様変わりします。
この間行われた建築家、田上義也の設計による大規模改装の結果です。
2階は斬新なデザインのファサード(外壁)や飾り塔が取り付けられ、いかにも時代の最先端を行くたたずまいとなっています。
1階も角の柱?や半円形の飾りなど、微妙に手が加えられています。
興味深いのは「キリンビール」の看板です。
字体や大きさは№8の写真と同じように見えます。
使っていた看板をそのままファサードに組み込んだのかもしれません。
(写真)№11(昭和5年・旭川市中央図書館蔵)
(写真)№11(拡大)
№11は同じく昭和5年の撮影。
おなじみ「旭ビルディング」からのパノラマ写真(これも2枚に分けて掲載)です。
上からのアングルのため、2階部分の改装が外壁を付け足しただけの工事であることが分かります。
また左2号の旭館だった部分は食堂時代のままであることも分かります。
(写真)№12(昭和6年・絵葉書)
(写真)№12(拡大)
同じ時期に消防望楼から撮影された写真です。
<カフェー時代(後期)>
最後は、昭和9年の閉店に至るカフェー時代の後期です。
ここでも「ヤマニ」の店舗は大きく変化しています。
(写真)№13(昭和7~8年・絵葉書)
(写真)№13(拡大)
(写真)№13(同上)
№13は、昭和7~8年ころの撮影と思われる絵葉書です。
「ヤマニ」の外観は再び大きく変わり、外壁には「赤い風車 ニューグランドヤマニ」の文字が見えます。
ただよく見ると、2階の窓の奥に、№10~12の写真にあった「キリンビール カフェーヤマニ」の看板が見えています。
ファサード(外壁)のさらに外側に新たなファサードを重ねたものと思われます。
(写真)№12(昭和7~8年・絵葉書)
(写真)№14(拡大)
(写真)№15(昭和9年2月以降・絵葉書)
(写真)№15(拡大)
その見方を裏付けるのが№14と№15の写真です。
№13の写真では上に見切れていますが、従来からある飾り塔の部分(「旭高砂」「酒」の文字入り)が改築後もそのまま残されています。
№14は、№11と同時期の写真。
№15は「ヤマニ」が閉店した昭和9年2月以降の撮影です。
店は「小原金物店」に変わり、1階は間口が広げられるなどしていますが、2階の外壁は「ニューグランドヤマニ」そのままの姿です。
<最後に>
「ヤマニ」のあった4条通8丁目左の角地は、その後、「たぬきや陶器店」などに変わり、現在は「アピスビル」になっています。
向かいにあった老舗の「辻薬局」も去年閉店しましたし、№5・6・11の写真の撮影に使われたビルのあった場所(「二番館」、「旭ビルディング」、「まるせんデパート」などと変遷)も現在は更地になっています。
変わりゆく街並みの中で、様々に変遷しながら人々に愛された店「ヤマニ」があったことを今後も忘れないでいたいと思います。
◎速田弘関係年表
• 明治39(1906)年 速田弘、生まれる
• 明治44(1911)年 速田仁市郎、食堂「ヤマニ」を創業
• 大正10(1921)年 「旭川共鳴音楽会」結成される
• 大正11(1922)年 旭川市制施行(8月)
• 師団通に「丸井今井百貨店」開業(10月)
• 「旭ビルディング」の前身、「2番館」開業
• 大正12(1923)年 「ヤマニ」改装し、カフェーに(5月)
• 「町井楽器店」が開店(6月)
• 関東大震災(9月)
• 大正14(1925)年 「ヤマニ」で旭川初のラジオ受信公開(6月)
• 「第一神田館」焼失(6月)
• 旭川新聞の演芸大会に「共鳴音楽会」が出演(10月)
• 大正15(1926)年 「糸屋銀行」破たん、十勝岳噴火(5月)
• 昭和 2(1927)年 小熊秀雄ら出席し、「ヤマニ」で文芸座談会(4月)
• 昭和 3(1928)年 「ヤマニ」に社交舞踏研究所(3月)
• 田上義也が「ヤマニ」の改築設計
• 昭和 5(1930)年 田上設計による「ヤマニ」の改築実施か
• 昭和 6(1931)年 満州事変勃発(9月)
• 昭和 7(1932)年 満州国建国(3月)
• 5・15事件(5月)
• 旭橋架橋・牛朱別川切替完成祝賀会(11月)
• 昭和 8(1933)年 日本、国際連盟脱退(3月)
• 「パリジャンクラブ」開店(6月)
• 昭和 9(1934)年 「ヤマニ」が閉店(2月)
• 速田自殺未遂(12月)
• 戦後 速田弘、銀座で「シローチェーン」を経営、成功する