いつも出かける里山で古老と親しくなると出る話題に、米軍の機銃掃射の跡があると時々聞いていました。
先日出かけたとき一度入っていない畑のほうから小さな小川を渡って、上流の川原の方に上ってみました。枯れた葦の茂みの中から見えたのがこの赤茶けた橋の残骸です。
上流に立派な橋がありますのでこの残骸は60年以上直される事もなく放置されたままなのでしょう。取り付け道路自体も廃止され、まったく忘れ去れているのでは。
65年以上経っていますが、完全には朽ち果てていません。地元の人たちの思いがそうさせているのでしょうか。
さて、原発の作業員の被爆はひどい話です。いくつか考えてみました。
①「前日には放射線量も少なく水も無かったので」
毎日作業員が現場に入る前に、現場の状況のチェクは誰もしないのでしょうか。作業員の安全確認は発注者側の責任で実施するのではないでしょうか。「現場の作業員がチェックしていなかったのでしょう」はあまりにも東電の無責任。
②「短靴2名と長靴1名」
放射線物質が存在する現場に入るのに、装備に違いがあります。靴の違いは協力会社が違ったからだそうです。装備のマニアルがないのでしょうか。原発の作業にマニアルがないはずがないと思います。そうすると、作業開始直前の点検時に誰もそれをチェックしなかった事になります。まさかそのチェックも協力会社でやってもらう事になっていたのでしょうか。
規定の成果を挙げる作業をしてもらうためにも、発注者側からの立会いがあるのが普通です。一般の民間会社では作業から発生する不都合は、通常元請会社がその責任を追う事になるからです。それとも危険な現場に近づきたくなかった。
③「警報音が聞こえなかったか、誤作動かと」
現場作業員はその装備から聞こえにくかったかもしれません。でも周辺の安全を確認している監督者はいなかったのでしょうか。保線工事には必ず進行してくる電車を監視する係員がいます。良く見かけます。
原発の記者会見で記者に質問して欲しい事があります。「東電の社員は何処にいますか。原発敷地内にいるのでしょうね?」と
先ほどの報道で、南相馬市の自宅待機の住宅で「何処にもいけないと」いった足の不自由な一人暮らしの女性がいました。忘れ去られ新鮮な食べ物は何もないといっていました。
先日出かけたとき一度入っていない畑のほうから小さな小川を渡って、上流の川原の方に上ってみました。枯れた葦の茂みの中から見えたのがこの赤茶けた橋の残骸です。
上流に立派な橋がありますのでこの残骸は60年以上直される事もなく放置されたままなのでしょう。取り付け道路自体も廃止され、まったく忘れ去れているのでは。
65年以上経っていますが、完全には朽ち果てていません。地元の人たちの思いがそうさせているのでしょうか。
さて、原発の作業員の被爆はひどい話です。いくつか考えてみました。
①「前日には放射線量も少なく水も無かったので」
毎日作業員が現場に入る前に、現場の状況のチェクは誰もしないのでしょうか。作業員の安全確認は発注者側の責任で実施するのではないでしょうか。「現場の作業員がチェックしていなかったのでしょう」はあまりにも東電の無責任。
②「短靴2名と長靴1名」
放射線物質が存在する現場に入るのに、装備に違いがあります。靴の違いは協力会社が違ったからだそうです。装備のマニアルがないのでしょうか。原発の作業にマニアルがないはずがないと思います。そうすると、作業開始直前の点検時に誰もそれをチェックしなかった事になります。まさかそのチェックも協力会社でやってもらう事になっていたのでしょうか。
規定の成果を挙げる作業をしてもらうためにも、発注者側からの立会いがあるのが普通です。一般の民間会社では作業から発生する不都合は、通常元請会社がその責任を追う事になるからです。それとも危険な現場に近づきたくなかった。
③「警報音が聞こえなかったか、誤作動かと」
現場作業員はその装備から聞こえにくかったかもしれません。でも周辺の安全を確認している監督者はいなかったのでしょうか。保線工事には必ず進行してくる電車を監視する係員がいます。良く見かけます。
原発の記者会見で記者に質問して欲しい事があります。「東電の社員は何処にいますか。原発敷地内にいるのでしょうね?」と
先ほどの報道で、南相馬市の自宅待機の住宅で「何処にもいけないと」いった足の不自由な一人暮らしの女性がいました。忘れ去られ新鮮な食べ物は何もないといっていました。