新鹿山荘控帳

山荘管理人が季節の移ろいを、書きとめました
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「八王子城址御主殿」の思い出

2008-02-16 17:30:44 | アウトドア
書棚のCDを整理していましたらこんなCDが出てきました。「八王子市資料館」に八王子車人形を調べにいったとき、ついでに買ったものです。1000円でした。

以前から北条氏照に関心がありまして、当然彼が築城した八王子城の城址にも行ってみたいと思っていました。軽い気持ちで下調べと、本調査報告書のCDを購入したのですが、これがなんと本物の調査報告書ででした。550~60頁はありその内500頁を越える部分が発見された遺物などの正確な図で示されたものです。
皿のかけらから曲がった釘まで一つ残らず記録され、遺跡調査の本当の大変さを痛感したものです。

八王子城は、小田原城攻めに来ていた豊臣・徳川連合軍に攻撃され半日で落城、立て篭もった城兵、女子供千数百人が惨殺されたのです。秀吉の命令でそのときの城は徹底的に破壊尽くされ、遺跡としてこれほどまともな遺物が発見されないのも珍しいそうです。城主氏照はこのとき小田原城にいて号泣したそうです。秀吉は氏照とその子氏政切腹させています。

その後八王子城は徳川幕府の天領となり長く禁制地となって立ち入りが禁じられていました。

で、その場で資料館の「八王子城址勉強会」の申し込み、04年12月17日に訪問したのです。そのときの写真を一寸お見せします。4年前ですから現在とは違うところがあるかもしれません。


御主殿に向かう曳き橋
左から右へ渡り、櫓門跡へ向かいます。

櫓門跡から続く石段、登って左に回りこむと御主殿跡になります。


広大な御主殿跡。遺跡調査後完全に埋め戻され、その跡は思い浮かべられません。
御主殿とは城主の住居のことで、いわゆる天守閣は後部の山の頂上に、小さな社があるのみです。

これが有名な「御主殿の滝」
落城時に城内の女性が身を投げて、下流の川が三日三晩赤く染まったと言われる滝壺です。が、ご覧のとおり狭く低いので「これが?」と思ってしまいます。

北条討伐の見せしめと、氏照の関東における人望に恐れを抱いた秀吉軍の徹底的な殺戮が行われたのですから、関東でも有数の心霊スポットになっているのです。

私は各所に立てられた慰霊碑に目礼をしながら見学を終えた記憶があります。

なお八王子城址は国史跡でありまして、先ほどチェックしましたら曳き橋は改修中で2月一杯通行止めになっていました。
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