葦津泰國の、私の「視角」

 私は葦津事務所というささやかな出版社の代表です。日常起こっている様々な出来事に、受け取り方や考え方を探ってみます。

大祓いのお勧め

2010年06月17日 08時29分47秒 | 私の「時事評論」
今日はちょっと気分転換に大祓いの行事を紹介してみます。穢れ多き現生は、定期的な心の中の大掃除が必要だと思うので。
 なんでも過ぎた失点を捨て去って、すっきり行こうという「生きる知恵」を、菅内閣ばかりに独占されることはありません。

 さて、6月になり全国の神社を参拝すると、多くの神社の境内には、写真のような人が潜り抜けられるような大きな青草や藁などの丸い輪が設けられているのに気が付かれると思います。
 戦後しばらくは、時代が慌しい中だったので、こんな風習も途絶えていたところも多かったのですが、最近は各地で見られるようになりました。これは茅の輪(ちのわ)といって、神社をお参りをする人たちが、半年に一回、人々の身体に付着した様々な生活上の汚れや憂いなどを祓い清めて、爽やかな気分で来るべき後半年を迎えようという日本人の生み出した社会の知恵の産物なのです。
 6月末と12月末は、日本人は年を二つに切るそれぞれの晦日(みそか)といって、家ばかりではなく、心の大掃除をして新しい気持ちでその後の半年を迎える習慣を持って暮らしてきました。
 私たち日本人は、一緒に暮らす人たちはみんな心のきれいな善人ばかりだと信じて、仲良く協力し合って暮らしてきました。「みんな本来は好い人なんだ」。そう信ずる私らは、この日本を見守られる鎮守の神様や天候、自然、気象などをつかさどる多くの神々や先祖たちのもとで和やかに生活しているが、どうしても日々の暮らしの中では気付かないうちに、けがれた心を持つことも時にはあるし、病気や不運、不幸などに見舞われることもあります。だがそれは、私たち本来の醜さではなく、世の中に漂っている汚れたものが付着して、明るく楽しく暮らせなくなってしまっているのだと考えてきました。そこでそんな不幸は、人々の心をはらう神様に折に触れて清めてもらって、また純粋でフレッシュな心に戻って、身辺をきれいに大掃除して過ごしていこう。そんな思いで先祖が作り出したのがこの大祓いの行事です。
 大祓いはこの神社にある茅の輪くぐりや、やはり半年に一回、自分の形に模した和紙で作った人形に、家族全員がそれぞれ名前を書いて、自分の身体に付着した「けがれ」などを神社に持参して、神主さんに晦日の日に纏めて祓ってもらう風習などとして残っていますが、日々の暮らしを皆が心楽しく生きていくための、いかにも平和で豊かで楽しい日々を皆で協力し合って生きていこうと務めてきた日本人ならではの飾らない風習です。

 少し難しくなりますが、この「大祓い」は、神話のイザナギ命(みこと)の禊(みそぎ)祓いの故事より生まれ、それが伝統化して、神社の制度が固まった最初の文献・平安時代初期の「延喜式」にはよって正式に制度化され、明治時代に入ると、国の大祓式として制度とされて、昭和21年まで続けられていました。
 
 世の中には様々な困った問題が渦巻いている昨今の時代です。それらの「けがれ」とされることの大半は、日本人の慣れ親しんできた従来のものから離れて、日常の生活姿勢や考え方が、最近、極端に日本の歴史から浮き上がってしまっていること、日本の文化をはぐくんできた日本人のDNPからは浮き上がった文化土壌が支配的になり、それに今の日本人の生活をつなごうにも、まるで木に竹をつなぐような形になってしまっていることなどがあげられると思います。こんな基礎構造の不安定な環境の上に私たちは暮らしているから、日常の暮らしで生ずる「罪やけがれ」はどんどん累積してしまいます。
 大祓いの儀式などをきっかけに、もっと私らの生活に、先祖たちが残してくれた日本人らしい生活がどんなものだったかに関心を持ち、私たちに生活をもっと私たちの身体や体質、精神安定に合うものに矯正していきたいと思います。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿