浅井久仁臣 グラフィティ         TOP>>http://www.asaikuniomi.com

日々の出来事から国際情勢まで一刀両断、鋭く斬っていきます。コメントは承認制です。但し、返事は致しませんのでご了承下さい。

私の視点 いつまで謝り続けるのか

2006-09-08 01:37:20 | Weblog
 「何回謝れば済むというのか」

 日本政府や首脳達がアジア諸国に対して何度も頭を下げてきたのにアジア諸国、特に中国や韓国、北朝鮮がいつまでも、何度も謝罪を要求することに対して、昨年あたりから日本社会にこんな声が上がってきている。

 その声は、時間の経過と日本のアジア外交のつまずきに注目が集まるにつれて大きくなってきた。そして、いつの間にか「正論」の響きさえ持つようになったきた。と言うか、私の周りでも、同調する声が聞かれるようになって来た。

 「何回XXX」には2つの誤りがある。一つは、謝罪の程度について。もう一つは、謝罪の仕方だ。

 謝罪の程度については、日本がアジア諸国に対して行なった事実に真摯に向き合わねば理解できない。それは、日本がやったことは人類として最低の愚行であったと認められるか認められないかで大きな差が出てくる。

 最近、日本の戦死者への哀悼ばかりに関心が集まる傾向があるが、その前に我々が常に大前提として考えねばならぬのが、日本が加害者であった事実だ。それも、今残されている資料によってその数字に差はあるが、最低でも1,500万人、もしかしたら3,000万人ものアジアの人たちの命を奪ったのだ。その行為に対する責任は、計り知れないほど大きいものだ。「何度謝れば済むのか」などと言える筋のものではない。

 これがたとえ個人の殺人行為であったとしても、加害者は被害者や遺族に対して相手からどんな罵声を浴びせられようと、平身低頭、全身全霊を使って頭を下げ続けなければならないはず。国家で犯した罪となれば、何代にもわたって国を挙げて罪を償い続けるのが人の道というものではなかろうか。それを、我々日本人は、学校でも家庭でも教育の現場で次世代に語り継ぐことすら怠り、挙句の果ては、戦争の正当化を謀ろうとしている。

 もう一つの謝罪の仕方だが、これまで確かに日本の指導者達が折に触れ、謝罪をしてきた。だが、その一方で、有力大臣や政治家が戦争を美化する発言をしてアジアの人たちの気持ちを逆なでしてきた事実もある。戦後史を見ると、これら「謝罪」と「暴言」の繰り返しだ。これで、心の底から罪を悔いて何度も謝ってきたなどとどうして言えようか。

 こういう発言をすると、とかく亡国論者と言われがちだ。私の元に売国奴呼ばわりする指摘が何度も届けられる。だが、私はそういった人たちに逆に問いかけたい。何故に自分達や家族、先達がやってしまった過ちを素直に認められないのかと。指導者から市井まで全体に言えることだが、この国には自らの過ちを認められない輩が多すぎる。それは、そういう発言をする輩が好む武士道の精神にも反するものだ。“日本人の心”である「和の重視」「謙譲の美徳」は、そんな責任回避の姿勢と対極にあるものだが、そんなことにも気付かぬようだ。

 今からでも遅くはない。我々日本人は自らの過ちについては素直に認め、被害者から何を言われようと謝り続けるのだ。戦争の犠牲者の追悼についても、官民を問わず、指導者達は自国ばかりでなく、被害を与えた国々の追悼式典にも積極的に足を運び罪を償うべきだ。そうして初めて、世界の人たちの信頼と、やがては尊敬を得られる様になる。 

 

最新の画像もっと見る