浅井久仁臣 グラフィティ         TOP>>http://www.asaikuniomi.com

日々の出来事から国際情勢まで一刀両断、鋭く斬っていきます。コメントは承認制です。但し、返事は致しませんのでご了承下さい。

レバノン内戦取材ノートから 「ウォークマン」

2006-07-20 01:11:44 | Weblog
 「ママ、それを僕から取り上げないで。それを聞いていると心が落ち着くの」

 当時10代半ばであったクリストファー君は、ウォークマンで聞いていたテイプを取り上げようとする母親に懇願した。

 自室でウォークマンを聞く息子を見て、母親は好きな音楽でも聴いていると思っていた。ところが、近付いてみるとイアフォンから漏れて来る音は音楽ではなく、銃砲声ではないか。母親は驚いてテイプを取り上げようとした。

 「小さい頃から毎日こんな音を聞かされていやな思いをしているのに…」

 と言う母親にクリストファー君は、

 「だからもう僕の身体にその音が染み付いてしまったんだよ」と答えた。

 クリストファー君は1971年、ベイルートに生まれた。レバノンでは彼が4歳の時に内戦が始まり、彼はそれから日常的に戦闘を体験してきた。戦闘は家の周りで、通学路で、そして母親の経営するレストランで15年の間、起き続けた。

 彼がまだ10歳に満たない頃、レストランで客の1人が仲間の妻をピストルで撃ち殺す事件が起きて、母親が警察に何度も連れて行かれた。その度にクリストファー君は枕を涙で濡らした。

 レストランに居ついた野良犬リッタが、押し入ってきた武装グループに吠え掛かり射殺された時も彼は悲しさと悔しさで戦争を憎んだ。レストランにヒズボッラーを思わせる集団が押し入り、店にある酒瓶を全て破壊した後、「命綱」とも言えた自家発電機を持ち去ってしまったと聞いた時も戦争を心の底から憎んだ。

 そして、極めつけは、父親の暗殺であった。ベルギー国籍でかつて英軍に所属していた父親は、外国人排斥を謳うヒズボッラーの格好の標的となった。だが、殺された時、父は70代になっていた。持病もあり、一部のマスコミが言うようにスパイ活動ができる状態ではなかった。それは私も良く知っている。

 そんな思いをしてレバノンで育ったクリストファー君は、紆余曲折、いろいろあったが、数年前に英国に移住。大学教員の職を得て母親をベイルートから呼び寄せた。

 クリストファー君のように国を捨て海外に居を構えた人たちは内戦が始まって以来、数十万人にのぼると言われている。レバノンから海外に逃れる人の群れを見ていると、30年前、必死に船やヘリコプターにしがみついて命乞いをしていた人たちのことが思い出される。

 それと共に、そんな状況にあっても避難できないで、爆撃が終わるのをただじっと待つしかない貧しい人たちにも思いを馳せる。それは、30年前も今も変わらない。