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日々の出来事から国際情勢まで一刀両断、鋭く斬っていきます。コメントは承認制です。但し、返事は致しませんのでご了承下さい。

奈良の放火殺人事件に想う事 その3

2006-07-01 01:44:59 | Weblog
 高校を卒業して一年間の浪人生活を地元でした後、大学に入った私は上京した。
と同時に、「大宅壮一東京マスコミ塾」に強引な手法で入塾を認めてもらった。

 だが、そのどちらにも大きく失望してすぐに退学してしまい、吹き荒れる大学闘争やヴェトナム反戦活動の中、“青春彷徨の日々”を送っていた。中板橋の3畳ひと間のボロアパートは、ただ寝に帰る為だけにある空間で何の愛着も持てなかった。生来の無精な性格がそれに加わり、アパートは半年間掃除をせず、万年床の周りには本と洗濯物が積まれていた。そしてそこには言うまでもなく、ホコリが大きな存在感を示していた。

 ある夜、帰って来た私は、部屋の戸に手をかけた。その戸は今では稀にしか見られないが、当時は便所の戸に使われることの多かったベニヤ板に多少手を加えただけというなんとも頼りない“ドア”だ。

 鍵がかかっておらず、朝出かける時にまた忘れてしまったか位に軽く考えて戸を開けた。だが、部屋の中に人の気配がして、部屋を間違えたと直感、相手の顔も見ずに「失礼!」と言ってすぐに戸を閉めた。一瞬見た部屋の感じからして私の部屋とは大違いだったのだ。

 すると、戸の向こうから「くにおみ、俺だよ」という聞き慣れた兄貴の声が聞こえた。場所が実家ではなく、東京の私のアパートだったせいもあるかもしれないが、兄の声には今までに感じられなかった温かみがあった。

 「何の連絡もせずに来たのは悪かったが、ちょっと東京に来る用事があったもんでな」

 兄はまず私に挨拶もそこそこにアパートへの突然訪問の言い訳から始めた。

 「大家さんに挨拶して、どこかで時間つぶしをしとらあいいやと思っとったら大家さんが部屋の鍵を渡してくれただ」
 「大家がさあ、『あまりに汚いからお兄さん、掃除をしてもらえませんか』って俺に頼むだもんで今まで掃除しとっただ。勝手にやって悪かっただな」

 話し方も、その物腰も以前の私が知る兄ではなかった。そんな兄に接して嬉しくなった私は兄を歓待した。そして、それから数日間、二人はそれまでの時間を取り戻すかのように恋愛から人生論まで多くのことを語り合った。その結果、私は兄が好きになった。

 兄との関係は上手くいくようになったが、母とはそれから何年もギクシャクしたものが続いた。まあ、10代後半から20代にかけての私の破天荒な生活を見れば、どんな親であろうと心を痛めたであろうが、一方的にしか見ない私には、母の言動はただうるさいものでしかなかったのだ。そんな母との関係を時間をかけて少しずつ解きほぐしてくれたのが兄であった。

 それからの二人は、それまでの不仲がウソであるかのように本当に仲の良い兄弟となった。

 そんな兄も今はこの世にいない。14年前、47歳の若さで白血病を患って死んでしまったのだ。彼の葬儀の席では、実質的な喪主となった私は、精一杯彼のために動き回った。しかし、それも終えて、親族だけになった焼き場でのお別れの席で私は人目もはばからず号泣した。心の底から別れが悲しかったのだ。他人の目はもはやどうでもよかった。ただ、兄との最期の時間を全身全霊を込めて過ごしたかったのだ。

 その後何年も経って、今度は母と永年の「心のすれ違い」を埋めることができた。それは、パートナーの力によるところが大きい。彼女が私の母を大好きになってくれ、母親もそれを受けて、私がかつて見たことのない柔らかい表情を見せるようになったのだ。それを見ただけで私の心に大きな割合を占めていたわだかまりは芯から氷解した。

 奈良の少年も、もしかしたら10年、20年後には私と同じ道を辿っていたかもしれない。子育てには、受験には、とにかく大きな重圧がのしかかり、人を変えてしまう面を持つ。私が関わらせてもらってきた子供たちの多くから、「家を燃やしたい」「学校に火をつけたい」という言葉がよく出てきたが、これなんぞは、決して理解できないことではない。そういった子供たちは、自分達親子の関係をおかしくしてしまった元凶は学校の成績にあったと考える場合が少なくない。だから、「過去を消したい」は「成績を消し去りたい」との解釈が成り立つ。

 もちろん、放火で命を奪われた彼の兄弟たちを気の毒に思う気持ちは持ち合わせている。そんなことは当然だ。だが、生き残ったのは、容疑者の少年だ。彼は出所してからもこれから長い間、重い罪を背負いながら茨の道を歩んでいかなければならない。情状が酌量され、少しでも早く社会復帰できることも大切だ。周囲も暖かい目を向けてやって欲しい。

 新聞や車内広告を見ると、週刊誌がこの問題をこぞって“いろんな角度”から“検証”しようとしている。だが、父親の再婚問題を含めて、本人にしか分からないことはたくさんあるはず。だから、容疑者の少年の心を和らげる意味でもこのような報道は謹んで欲しい。放火後に彼が民家に無断で上がりこんでW杯の試合を観ようとしたことに関しても「格好の餌食」にされているが、あれほどの事件を起こしてしまった少年が頭の中が真っ白になり、我々大人の常識を超えた行動を起こしたとしても、決して彼の性格を判断する材料にはすべきではない。そんな性格分析よりもやることがある。例えば、彼が出所した時の給料の保証などだ。出所前にがっちりした支援体制が出来上がるのを最優先課題の一つとして欲しい。