回るレストランつながりで、もう一つ。

湯島プラザホテル
所在地:文京区 湯島3-30
解体年:2007(平成19)
備考 :2006末閉館
Photo 2006.4.25
湯島プラザホテルにも昔は回転していたとおぼしき塔がついていた。春日通りを東へ、本郷の方から少し下っていくと、正面の角地に印象的な姿を見ることができた。下部の本体部分に比して回転部分が結構大きいのが特徴的。この建物のちょうど向こう側が湯島天神で、ホテルの右側の通りには鳥居がある。
回転部分はずいぶん前から回転しておらず、客室になっていたという。どういう部屋になっていたのかがちょっと気になるが、それはわからずじまい。一応、普通のホテルだったらしいが、場所柄もあり、そのへんは微妙なホテルだったのかもしれない。
今回調べてみたら、ホテルは2006年末で閉館し、既に解体されてしまっていた。おやおや残念。屋上のネオンサインが点いた姿を見ておきたかった。
Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 文京区 #ホテル・旅館
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確かに、湯島天神の横にありました!
最後は下の店舗はスキューバダイビングを主に
行う、マリンスポーツの店舗だったような。
しかし、上部はこんな回転客室があるなんて気づきませんでした!
子どものころからこの界隈は歩いていたのですが
全然気づきませんでした~。
今は解体されてしまいましたね。
ごぶさたしております。
マジレスすると、たぶん回転客室じゃなくて、
回転レストランかなにかだったんだと思いますよ。
回転を止めてから、客室になっていたようです。
でも、回転客室だったら、かなり話題性があったと思います。
ベッドが回るその手の客室より、ずっとダイナミック!!
でもちょっと景色が良すぎるかも。
コメントありがとうございます。
内部の様子は全く知らなかったので、興味深く読みました。
妙な部屋がそのまま?使われていたのですね。
解体後、跡地は湯島天神の駐車場になっています。
神社から借りた土地に建てられた建物だったのかもしれません。
湯島プラザホテルは、東京オリンピックなんてそんな古い建物ではありませんです。70年代はじめ創業の、ちょっと勘違いしたシティホテル(のつもり)でした。
ちょうど営団地下鉄の千代田線湯島駅の開業にあわせたかたちで湯島天神下の地域開発の目玉みたいな雰囲気もあったと思ってください。
上野湯島地区には当時は老舗のタカラホテルくらいしか、ホテルと呼べるようなモノが(ビジネスホテルもふくめて)なかったので、ある意味ではランドマークとして鳴り物いりの開業でした(いまでも大型ホテルやブランドホテルは上野地区にはひとつもありませんね)。
開業当時はテレビCMも流してましたね。上野かいわいではどこからでも見える大きな建物でした。
最上階は展望レストランで1時間で1回転するような造りになっていて、60年代半ばにできたニューオータニや交通会館の回転レストランの成功をまねて、70年代はじめにはあちこちの地方の観光ホテルで真似して乱立したパターンのものです。まともなシェフがちゃんとフルコース出すような高級レストラン仕様で当初は予約なしでは週末などなかなか入店できませんでした。
北には上野公園の博物館や五重塔から南にはお茶の水のニコライ堂まで、また眼下には上野広小路のにぎわいまでを望み、高台にそびえ立つ建物でしたから、けっこう展望はよかったので、どちらかといえばレストランそのものが観光資源としてのウリであり、ホテルそのものは付け足しでしたが、当時のマイナーホテルレベルとしては最上級のモノを意識してロビーなどの調度品はあしらえていました。
大学や企業関連のパーティーや接待での利用も意識していたと思います。
上野精養軒や池之端東天紅などのパーティー利用は当時は満杯で飽和状態でしたから。
部屋の造りはビジネスホテルレベルでしたが構造上どうしても真四角な部屋とりにくく、避難経路の不備などを理由にしてホテルニュージャパン火災で厳しくなったホテル関係法のため改装や維持が苦しくなり、経営が悪化して最後の10年くらいはボロボロの状況でした。
湯島地区は昔からラブホのメッカなのでとてもじゃないですけど内装では新しくできたラブホには敵いませんからホテルヘルスのプレイルームとして業者がリース利用することはあっても、上野駅近くのビジネスホテルが満室で仕方なく泊まるビジネス客くらいしかいない状況になってしまいました(東大が目の前で隣りが湯島天神ですから受験シーズンにはけっこう満室になってましたが)。
でも変型した構造のせいでツインなのにセミスィートみたいな造りになっていたりシングルなのに妙に広い部屋だったりと、同クラスのビジネスホテルと比べて当時としては少しづつゆったり広めな造りの部屋が多かったです(たしかに微妙に三角形な部屋とか平行四辺形みたいな部屋もありましたけどね)。無駄な空きスペースを埋めるためなのかサウナを設置したり書斎スペースがあったりと面白い部屋が多かったかも知れません。
おやじの思い出ばなしでした。
開業当時は60年代バブルがはじけて70年不況に突入といったちょうど端境でした。
詳細なコメントを頂きありがとうございます。
少なくとも記事掲載の時点では、
Web上にこのホテルの建設年や当初の使われ方などの情報がありませんでした。
このため、それらの情報を書き記すことはできず、
事実上、昔のことを知っている方の書き込み待ちの状態でした。
地元の方の具体的な情報は非常にありがたいです。
やはりちょっと頑張った中規模ホテルだったのですね。
連れ込み系ホテルなら、回転レストランまでは造らないのではないかと思っていたのです。
大通りに堂々と建っていて入口も小さくなかったのも、
ビジネスっぽい感じだなぁと思っていました。
でも派手な筆記体ネオンが付いた王冠のような塔屋は、格式のあるホテルらしくなくて、
西側の客室階にほとんど窓が見あたらないのも含めて
湯島の他のホテルのような怪しさもあり、どうも妙な感じで、
後から写真を見れば見るほど、よく分からなくなっておりました。
確かにWeb上には、まだ受験の宿とか宴会向けとしての情報が残ってたりします。
連れ込みが普通のビジネスに鞍替えというのもあまり聞かないことですし。
回転展望台は50年代後半からあったようですが、御指摘の通り、
回転レストランはニューオータニ(1964)あたりが最初で、
以後全国に造られたようですね。
その意味でも70年代前半の建設・開業は納得です。
回転レストランが1時間1回転だったというのも、初めて知りました。
切通坂上の場所でもあり、当初は眺望が良くレストランが繁盛したというのも、
とても興味深い話です。
閉館の朝は元旦休業に入ると言う張り紙しかなかったので閉館するとは思っても見なかった。
裏手の湯島天神や御徒町を観に行きたいので、チェックアウト後に少し車を置かせてもらっても良いか聞いた所、「今日1日置いてても良いよ」と云われて3時過ぎまで停めていた為、正真正銘最後の客になってしまった。
古かったけど、料金安いし和室が広いし風呂も広いし駐車場も無料、上野御徒町秋葉原に歩いていけるので良かった。毎回金縛りにはまいったけど。
回転レストランだった所の洋室は、無理矢理まじ切っているので、とても不思議な間取りでした。やたら広かったり細長かったり迷路のような部屋までありました。
ただ、それらの部屋の共通点はユニットバスとそのトイレの狭さが尋常ではなかった点でしょうか。何度か友人共々宿泊後、和室の広さと昭和の艶らしさに、和室を選んで泊まるようになっていました。
お返事が遅くなりすみませんです。
最後のお客様になったのは貴重な体験ですね。
回転レストランだった場所を改装した部屋の様子などを教えて頂きありがとうございます。
やはり変な間取りになっていたのですね。
しかし個性的な宿だったようで、こういうモノを楽しむ余裕を持ちたいものだとも思いました。
王冠のような部分は青と白のネオンで全体が光って、特に上部の湾曲した
フレーム状になっている部分はホントに白い王冠のようで、あちこち全体に
ストロボライトがチカチカ点滅していました。
建物全体もライトアップされ照らされていて切り通し坂で遠くからでも
目立つ建物でした。上野広小路付近や上野公園前あたりから夜は特に気になる
建物で建物全体を照らすようなものはこの当時初めて見ました。
手前の低層の建物屋上や周囲に照射用ライトが何台かあって照らしていました。
60年代末の高度成長バブル末期で勘違い金満趣味っぽいかもしれませんが
いちおう海外の高級ホテルをマネしたみたいで(どこのホテルをマネしたんだか)
塔屋とか紋章のデザインにしても、当時のひとたちからみた外国ホテル風の
イメージで凝ってみたモノということらしいです(あやしくなってしまったのは
単にホンモノをよくしらないで作ったからで、昔の純喫茶のヨーロッパ風な
イメージの内装と同じことなのでしょう)。
マホガニーカラーが周囲のお屋敷町にとけこむシックな高級感をあらわした
らしいです(派手な色の外壁にはしないといった話し合いはあったようです)。
写真で見える側(左面が北西で右面が南西)が西日が真っ正面からあたるので
(紋章のついてる壁面は真西ですね)太陽が部屋に直接に入らないようにと、
ホテルから覗き込まれるのではないかといった(当時周辺は平屋の多い住宅街
でしたから)心配のために客室の窓は目立たなくなっています。
濃茶色と薄茶色の境目部分は壁面がへこんでいて幅10cmくらいのスリット状の
ガラス窓が床から天井までの高さではめ込まれていました。
写真を見てもわかるかと思いますがこちら側は午後の直射日光の差し込みが
きびしいので大きな窓はつけていないのですが、もしかしたら建築中は濃茶色の
壁面部分はカベでなかったかもしれません。
前記した西日対策とプライバシー問題のため完成までに壁面にしたものかも
しれません(完成予定図面ではすでに薄茶色と濃茶色のに塗り分けたツートンの
外装予想図になっていました)。
往時の様子を詳しくお教え頂き、たいへん有難うございます。
ネオンサインが点いた様子を見ておきたかったと書きましたが、
お書き頂いたものを読んでいたら、かつて見たことがあったのを思い出しました。
ただ、写真には撮っておらず、ぼんやりとした記憶しかないのがやはり残念です。
細かいところまで見ていなかったし、泊まったこともなかったので、
西側には窓がないのかと思っていましたが、
細いスリット状の窓があったのですね。
今回は、いろいろな方から情報を頂いた結果、多くのことを知ることができました。
大変有り難く感じております。