2013年01月27日の記事が当ブログ内の「人気1位」という現象。
一昨日書いたが
オカモトズのドラマー・オカモトレイジが「母子共演を実現させた」というネタが、ず~っと1位なのが不思議でねぇ。
いや、オカモトズ人気あるから不思議でもないけど、
ネットオークションでも「タワーのおかず」は入手可能の筈なんだけどねぇ・・・。
まず、
とっかかりとして
ベーシストのハマ・オカモトが、父・浜田雅功とのラジオ対談で大きな話題をさらって

それにオカモトレイジが対抗(?)して、母子対談を実現させた。
掲載されたのはタワレコのフリーペーパー「タワーのおかずVo.10」
※ちなみにオカモト・レイジの母親は一般人さん。
表紙のフォトも「ハマ×浜田」の物を意識した物になっている。
つ~か、そのマンマ。(笑)

まぁ、レイジと母はTシャツが2名お揃いなのが微笑ましい。
肝心の内容だが
やはり、そもそもバンドマン(The Privatesのメンバー)の嫁であるレイジ母、ぶっ飛んでる。
「スポーツ優秀、優等生とかじゃつまんないし。“男はちょっと切なくなきゃないとダメ”ってのがあって。その理想をレイジに押し付けてたっていうか・・・。だから小さい頃お婆ちゃん家に預けてたんだよ。ほら、〝お母さんに会いたくても会えない”とか切ないじゃん」・・・なんて事を平気で言ってます。

レイジ:「えええええ!?そこからぁ!?人としての基盤から切なくされてるから、切ない歌詞しか書けないのか!」
母:「そうそう」(爆笑)
レイジ:「そりゃひでぇぜ!!!ようやく解明されたわ!!」(笑)
・・・とか
レイジが自宅出産で生まれるとき、父親が「ご機嫌な音楽聴こうぜ」とロバート・ジョンソンかけようとしたんで「ヤメテー!!」っとなって。「あの痛みの最中、それは無いだろう」・・・とか
生まれたばっかりのレイジに父親が「Yeah!!って言え」と話しかけて、その通りレイジが「Yeah!!」と答えた。そのビデオもある・・・とか
音楽一家ならでは・・・の心温まる会話が繰り広げられております。

ある意味、浜田×ハマ対談に劣らない面白さ。
やるぜ、オカモトレイジ。
ダテに子役として「あっぱれ、さんま先生」に出演してないぜ。
伊達にメディア慣れしてないぜ。
ダテに意外とカワイイ顔してないぜ。
ダテにリズムセクションとしてハマ大好きじゃないぜ。
※スペシャの番組で仲良しこよしが垣間見えましたよ・・・
ダテにハマのツイッターに「ブサイク」とかツイートしてないぜ。
※渋いベース弾くハマが先輩ミュージシャンと交流したるすると
ヤキモチ焼くのか、レイジは変なイタズラをします。
そんな小中学生みたいなレイジは、とってもカワイイです。

まぁ、
レイジ母も「やっぱり人の親」、対談開始直後に菓子をつまむレイジに
「お腹すいてるの?」と言って自宅で作ってきたオニギリを出したり
※しかも海苔と白米を別に包んだパリパリで食べられるモノ
レイジ「思い出の!」とテンション上がりまくり・・・

レイジに促されて、中坊時代から知ってるオカモトズ・メンバーの思い出話したり
※ハマはレイジの家で良く食事してたようで、
レイジに「マズイなぁとか思いながら食ってんだろ」とか言われて
「そんな事一言も言ってねぇだろ!!うめぇよ!」とか言い返してたそうな(笑)
ショウは、いっつも「コーヒー下さい」って言って飲んでるイメージ。
レイジも「学校行く時も一人で苦いエスプレッソ飲んでたから。
外人だからね。・・・とコメント。
(ショウはジャズサックス奏者=スコット・ハミルトンの長男でNY出身)
普通の母らしいと言えば、理不尽に子供に当たってたのも共通点か?
「私、なんであんなに厳しくしたんだろう?テレビの線切ったり(笑)」
「ビックリマンシールを切り刻んだり・・・」
レイジに「あれはサイコだったね(笑)。当り散らす相手が俺ってだけ」と言われる始末。
※私も思い当たるなぁ。雑誌を窓から投げ捨てられたり・・・。
それで親戚の集まりでレイジに不満をブチまけられて反省し
「でも、ひとつくらいイイところあるでしょ?」と言われてレイジが放った一言が
「…うん、ノリがイイところかな」
レイジ母、曰く「だから私は一生ノリの良さはなくさないって決めたの」。
その間、レイジ爆笑。
・・・ああ、素敵な母子だ。

「オカモトレイジ誕生22周年」「母子22周年」として行われた今回の対談。
OKAMOTO’Sのバンド史に残るものだ・・・と言っても過言では無いでしょう。
何気にオカモトレイジで検索したらプログもやってて、その言語感覚がブッ飛んでて
「こりゃ母親に『あんた子供の頃の作文上手だったよ』と言われるわ!」という凄さ。
ある意味ナンダカワカナライ。小学生で止まってるのかも知れない。
天才かも知れない。私ごときが語っていい人じゃないかも知れない。
ただ、今後ともスペシャなどで、オカモトズとともにオカモトレイジの動向を見続けていきたいと思ったのでした。
一昨日書いたが
オカモトズのドラマー・オカモトレイジが「母子共演を実現させた」というネタが、ず~っと1位なのが不思議でねぇ。
いや、オカモトズ人気あるから不思議でもないけど、
ネットオークションでも「タワーのおかず」は入手可能の筈なんだけどねぇ・・・。
まず、
とっかかりとして
ベーシストのハマ・オカモトが、父・浜田雅功とのラジオ対談で大きな話題をさらって

それにオカモトレイジが対抗(?)して、母子対談を実現させた。
掲載されたのはタワレコのフリーペーパー「タワーのおかずVo.10」
※ちなみにオカモト・レイジの母親は一般人さん。
表紙のフォトも「ハマ×浜田」の物を意識した物になっている。
つ~か、そのマンマ。(笑)

まぁ、レイジと母はTシャツが2名お揃いなのが微笑ましい。
肝心の内容だが
やはり、そもそもバンドマン(The Privatesのメンバー)の嫁であるレイジ母、ぶっ飛んでる。
「スポーツ優秀、優等生とかじゃつまんないし。“男はちょっと切なくなきゃないとダメ”ってのがあって。その理想をレイジに押し付けてたっていうか・・・。だから小さい頃お婆ちゃん家に預けてたんだよ。ほら、〝お母さんに会いたくても会えない”とか切ないじゃん」・・・なんて事を平気で言ってます。

レイジ:「えええええ!?そこからぁ!?人としての基盤から切なくされてるから、切ない歌詞しか書けないのか!」
母:「そうそう」(爆笑)
レイジ:「そりゃひでぇぜ!!!ようやく解明されたわ!!」(笑)
・・・とか
レイジが自宅出産で生まれるとき、父親が「ご機嫌な音楽聴こうぜ」とロバート・ジョンソンかけようとしたんで「ヤメテー!!」っとなって。「あの痛みの最中、それは無いだろう」・・・とか
生まれたばっかりのレイジに父親が「Yeah!!って言え」と話しかけて、その通りレイジが「Yeah!!」と答えた。そのビデオもある・・・とか
音楽一家ならでは・・・の心温まる会話が繰り広げられております。

ある意味、浜田×ハマ対談に劣らない面白さ。
やるぜ、オカモトレイジ。
ダテに子役として「あっぱれ、さんま先生」に出演してないぜ。
伊達にメディア慣れしてないぜ。
ダテに意外とカワイイ顔してないぜ。
ダテにリズムセクションとしてハマ大好きじゃないぜ。
※スペシャの番組で仲良しこよしが垣間見えましたよ・・・
ダテにハマのツイッターに「ブサイク」とかツイートしてないぜ。
※渋いベース弾くハマが先輩ミュージシャンと交流したるすると
ヤキモチ焼くのか、レイジは変なイタズラをします。
そんな小中学生みたいなレイジは、とってもカワイイです。

まぁ、
レイジ母も「やっぱり人の親」、対談開始直後に菓子をつまむレイジに
「お腹すいてるの?」と言って自宅で作ってきたオニギリを出したり
※しかも海苔と白米を別に包んだパリパリで食べられるモノ
レイジ「思い出の!」とテンション上がりまくり・・・

レイジに促されて、中坊時代から知ってるオカモトズ・メンバーの思い出話したり
※ハマはレイジの家で良く食事してたようで、
レイジに「マズイなぁとか思いながら食ってんだろ」とか言われて
「そんな事一言も言ってねぇだろ!!うめぇよ!」とか言い返してたそうな(笑)
ショウは、いっつも「コーヒー下さい」って言って飲んでるイメージ。
レイジも「学校行く時も一人で苦いエスプレッソ飲んでたから。
外人だからね。・・・とコメント。
(ショウはジャズサックス奏者=スコット・ハミルトンの長男でNY出身)
普通の母らしいと言えば、理不尽に子供に当たってたのも共通点か?
「私、なんであんなに厳しくしたんだろう?テレビの線切ったり(笑)」
「ビックリマンシールを切り刻んだり・・・」
レイジに「あれはサイコだったね(笑)。当り散らす相手が俺ってだけ」と言われる始末。
※私も思い当たるなぁ。雑誌を窓から投げ捨てられたり・・・。
それで親戚の集まりでレイジに不満をブチまけられて反省し
「でも、ひとつくらいイイところあるでしょ?」と言われてレイジが放った一言が
「…うん、ノリがイイところかな」
レイジ母、曰く「だから私は一生ノリの良さはなくさないって決めたの」。
その間、レイジ爆笑。
・・・ああ、素敵な母子だ。

「オカモトレイジ誕生22周年」「母子22周年」として行われた今回の対談。
OKAMOTO’Sのバンド史に残るものだ・・・と言っても過言では無いでしょう。
何気にオカモトレイジで検索したらプログもやってて、その言語感覚がブッ飛んでて
「こりゃ母親に『あんた子供の頃の作文上手だったよ』と言われるわ!」という凄さ。
ある意味ナンダカワカナライ。小学生で止まってるのかも知れない。
天才かも知れない。私ごときが語っていい人じゃないかも知れない。
ただ、今後ともスペシャなどで、オカモトズとともにオカモトレイジの動向を見続けていきたいと思ったのでした。