あるBOX(改)

ボクシング、70年代ロック、ヲタ系、日々の出来事などをウダウダと・・・

色々やってる内に微妙に旬を過ぎたネタシリーズ<br>ライヴドア騒動

2006年01月25日 | 生活
ホリエモン逮捕

Livedoor解体?
「カネで全て買える」って思想への反動
英雄から容疑者への転落
「光クラブ」との共通性

・・・・まで、色々とワイドショーを賑やかせておりますが。

「何を今更。お前らが、さんざん寵児に崇めたてたんじゃねぇか!?」とか皆様も思ってらっしゃるでしょうが。

――ま。
野末陳平さんとか、以前から「詐欺師」「とんでもない会社」とか言いまくってたもんなぁ。

Livedoor側が訴えないのは不思議なくらいだったが、後ろめたい部分があったからこそ「下手にソレやるとヤブヘビになる」と思ったんだろうなぁ・・・。

まぁ、陳センセイも、
「いまさら手の平を反して叩く連中の神経を疑う」
「どの面下げて叩いてるんだ」
「コメンテーターってのは何を考えてるんだ」
「さんざん持ち上げたのは、マスコミの連中じゃないか」

――と、メディア批判を展開されてますが。

まぁ、理由はハッキリしてますやん・・・って感じで。

『どうせ落とすのなら、高いトコから落とした方が面白いじゃん!』

『あとで面白く落とす為に、持ち上げてたんだよ』

――そんなトコでしょ?

色々やってたウチに旬を過ぎた訃報/ウィルソン・ピケット

2006年01月25日 | 洋楽
あんなパワフルな歌を歌う人が・・・。

泥臭さとポピュラリティを合わせ持った稀有でグレートなソウル・ヴォーカリスト、ウィルソン・ピケット師が亡くなってしまった。

ロキシー・ミュージックもカヴァーした「イン・ザ・ミッドナイト・アワー」、ノリの良さではアイク&ティナ・ターナーに先駆けた「ダンス天国」、ミディアム・テンポで「タメ」の効いた「ムスタング・サリー」(私はコレが大好き!)など、代表曲は数あれど。

「売れた」ってだけじゃなくて、後年のヴォーカリストに与えた影響は大きかったワケで。

特に、60~70年代の英国ロックのヴォーカリストに与えた影響は、(オーティス・レディングと並び)絶大と言えるしょう。

我が敬愛するポール・ロジャース先生だって、この人の影響大だし(特にフリー時代の「ウッ」とか「ハッ」とかいう「合いの手」は、この人の影響まる出し)。

ロジャース先生が「ミュージシャンになって良かった!」と思ったのは、心の師であるピケットさんが自作の「ファイアー・アンド・ウォーター」をカバーしてくれた時でしょうな。

ヘヴィすぎる自作を、「ダンス天国」ばりのアップテンポ・ナンバーにアレンジされた時は、どう思われたか?・・・とも思ったが、
「あれは元々、あのヴァージョンに近いイメージの曲だった。アンディ(フレイザー)に譜面を渡したら、あんなヘヴィなアレンジなって返って来たのさ」とも語ったロジャース先生。
そこらは師匠のピケットさんへの気遣いか?
まぁ、黒人音楽から影響受けた英国ミュージシャンの曲を逆に取り上げるのも、一時のソウル・ミュージシャンのパターンだったが。

オーティスが「サティスファクション」や「ディ・トリッパー」をカヴァーしたのも好例だし。
まぁ「自分らの音楽いただいて売れた連中の曲」を逆に使ってカネと名声GETしよう・・・って腹もあったろうが。
それでも、W・ピケットさんの「ヘイ・ジュード」なんて圧巻の歌唱で。

「もう奴等(ビートルズ)のヴァージョンが売れまくってるし、“ジュード”の曲なんて歌いたくない」ってゴネたピケットを説得したのが、スタジオ・ミュージシャン時代のデュアン・オールマンってのは有名な話で。
「カヴァーはオリジナルを超える事は出来ない」って鉄壁の定説を乗り越えた数少ない偉大なヴァージョンが出来上がったのでした(オールマン、偉いわ!)。

ライノ・レーベルが出した「The Best Of Wilsoin Pickett」の英字ライナーによると。「ヘイ・ジュード」はR&Bチャートで13位、ポップチャートで23位。「ファイア・アンド・ウォーター」はR&Bチャートで2位(!)ポップチャートで24位・・・と。
英国の「息子達」は、立派に親孝行・恩返しを果たしたのでは無いでしょうか?

ちなみに、代表曲「イン・ザ・ミッドナイトアワー」はR&Bチャートで1位、ポップチャートで21位。
「ダンス天国」はR&Bチャートで1位、ポップチャートで6位。
「634-5789(ソールズビル、USA)」はR&Bチャートで1位、ポップチャートで13位。
「ファンキー・ブロードウェイ」はR&Bチャートで1位、ポップチャートで8位・・・と。

ベスト盤だから当然とは言え、全曲がR&Bチャートの10位以内、ポップチャートでも30位以内のヒット曲ばかり(CD用のボーナストラック「エヴリバディ・ニード・サンバディ・トゥ・ラヴ」はPOPチャート32位だが)。

自作もあるが、大半の作曲者は、S・クロッパーやB・ウォーマックやF・ドミノ、E・フロイドなどの「身内」で。ア
トランティック・レーベルの売上に貢献したって意味じゃ重要人物でもあったワケで。

玄人筋でも素人筋でも、人気のあった歌手と言えるでしょうなぁ。

「ロックの殿堂」にも選ばれて。
ロック・ミュージシャンに囲まれての授与式にも晴れがましく参加。
肌の色の違う「息子」達の祝福を受けていたそうな。

サザン・ソウル界の巨星が、また一つ消えました・・・。
伝説とも言われたライヴの歌唱、生で聴きたかったなぁ・・・。

享年64歳は、まだ若い。
(現地時間)1月19日午後、ヴァージニアの自宅近くの病院にて亡くなったピケット師へ、心よりご冥福をお祈りします。
追悼コンサートもあるだろうな・・・。

P・ロジャース先生、ぜひ参加して、往年の(無邪気なまでにサザン・ソウルの影響まる出しの)泥臭い歌唱を復活させて欲しい。