9月14日(金)「参議院選挙でいちばんびっくりしたのは、都はるみがあなたの応援をしたことだよ」政界を長くウオッチしてきた岩見隆夫さんにそう言われたので「そうですか。とてもありがたいことでした」と答えた。すると岩見さんは「天下の都はるみだよ。普通ならありえないことだよ」と続けた。このやりとりを書き忘れていた。国立の一橋大学へ。加藤哲郎さんの研究室で3時間ほど相談事。ヨーロッパやアメリカでの政党行動。2050年の世界のなかでの日本の位置。やはりこれからの日本は北欧型の国家を目指すべきなのかもしれない。政策立案の方向性、小選挙区での候補者活動などで多くの示唆を受けた。かつての面影が消えた国立の駅前を歩きながら遠い昔を思い出す。渋谷から表参道へ。ジムで泳ぐ。新橋に出たところで毎日新聞、朝日新聞の記者から相次いで電話があった。草薙厚子さんが出した著作をめぐって奈良地検と奈良県警による家宅捜索や聴取が行われたことについてである。事件は昨年6月に起きた。17歳の長男が自宅に放火をして、妻子3人が焼死。草薙さんは『僕はパパを殺すことに決めた』(講談社)のなかで、非公開の少年審判や供述調書の内容を詳細に引用した。それが刑法の秘密漏示に当るというのだ。奈良地検が少年の父親などから告訴を受けていたものだ。ここには言論・表現の自由をめぐって深刻な問題がある。しかしどこのマスコミも指摘しないことに父親の問題がある。事件は父親の異常な暴力がきっかけに起きている。少年は本当は父親を殺害しようとしていたのだ。その父親が自己の責任を背負うことなく、草薙さんを告訴した背景には自己保身があると私は思っている。見栄や外聞が自己責任よりも大きいのだろう。
前妻に対する自分の面子で少年を医師にすべく日常的暴力で受験勉強に駆り立てた異常な様子が調書ではリアルに明かされている。事件の根源がこの父親の人格にあることを無視して少年の動機は理解できない。それが明らかとなったことが耐えられなかったのだろう。社会が事件から何事かを教訓とするには、父親にとってはつらいことだがこうした「事実」を知らせることからはじまる。情報を得たジャーナリストの立場からすれば、知った以上は報じなければならない。ましてや匿名ではなく名前を出して書くことはそこに責任が伴っている。私が準備している単行本『X』について、ある危惧を抱き鶴見俊輔さんに相談したことがある。そのとき鶴見さんは言った。「たとえ訴えられても書きなさい。それが歴史への責任というものなんだ」草薙さんもそうだと思う。ただし情報源との関係で問題はなかったか。情報源には「引用する」ことまでの了解は得ていただろうか。そんな疑問もある。しかし、私はあくまでも草薙さんを擁護する。少年事件の再発を少なくするためには、本来法務当局などが事件の概要を明らかにすべきだからだ。そうした再発防止策を取らない怠慢こそ糾弾されなければならないのだ。ここに産経新聞に掲載された私の書評を紹介しておく。ゲラ段階で少し訂正した記憶もあるが、これは元原稿だ。
衝撃的な著作が草薙厚子によって誕生した。昨年六月に奈良で起きた事件の全貌はここにはじめて明らかとなる。当時十六歳だった少年は自宅に放火、そのため継母と弟、妹の三人が焼死した。「そんな事件があったな」と多くの人はかすかな記憶を呼び起こすだろう。私たちの社会は再発防止のための深い検討を行うゆとりも意思もなく、ひたすら事件を消費していく。
検察送致とならなければ、少年法の壁によって事件の詳細は闇の中に消え去るのみだ。ところが草薙は取材で得た少年と家族の供述調書を詳細に明らかにすることで、少年のなかで続いていた地獄の実相を次々に再現した。動機の核心となる言葉には驚くばかりだ。
「なんでパパからこんなに殴られたり蹴られたり暴力を受けなければならないんや/何か方法を考えてパパを殺そう/パパを殺して僕も家出しよう、家出をしてから自分の人生をやり直そう……」
息子が四歳だったときから日常的に暴力を振るってまで勉強を強要した父親。ときにはシャープペンシルで頭頂部を刺し、芯が残るほどだった。その異様な心情の背景には離婚した少年の実母への復讐心があった。医者に育てて見返したいとの思いだ。父親はこの妻と結婚した当日にも殴る蹴るの暴力を行使している。このように暴力を身体化した人間がなぜ育つのだろうか。その解答が本書を読むことで見えてくる。その果てに事件は起きるべくして起きた。
少年は「殺そう」と思った父が不在の日に放火を実行する。つじつまの合わない行動はいくつも見うけられた。なぜか。草薙は広汎性発達障害だったとする鑑定書を肯定的に受け入れる。もちろんこの障害を持ったほとんどの人は攻撃的でないとしながらも、事件は「この特質によって引き起こされたと考えるのが妥当のように思える」という。異論もあるだろう。しかし議論と検討がなければ、事件の背景は見えてこない。この警世の書を読まずしてもはや少年事件は語れまい。
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応援したいです。
「少年事件の再発を少なくするためには、本来法務当局などが事件の概要を明らかにすべき」について】
確かに,ここまではいうことはいえるのですが,具体的に実施するとなると,実効性のある情報開示が可能なのかという問題をはらんでいます。
開示するとなると,父親等のプライヴァシー権及び名誉権に抵触しない範囲での開示となります。特に国家が行政行為としてやるとなると,一旦勇み足気味に開示してしまってから,やりすぎの部分は事後的に司法権で調整してもらえばよいというわけにも行きません(草薙さんや講談社の場合ですと,裁判で双方の利益調整をしてもらえばよい,というくらいの“のり”でやっているのでしょうが)。ですから,開示情報の結果でてくるものは,一般的テーゼの域を出ることはできないと思います。,相当ピンボケのものにならざるを得なくなるでしょうね。それでも,無為無策よりはやるべきかもしれませんが・・・
(ことは,憲法上の人権の問題にかかわります。
父親のプライヴァシー権及び名誉権 v.s. 事件の社会的意義の大きさを肯定した上での草薙さん&講談社の表現・出版の自由との鬩ぎあいの問題です。これらは, 私人 v.s. 国家の争いではなくて,父親v.s.草薙さん&講談社という私人間の争いです。)
以上は,開示にとどめる場合ですが,一歩進めて「再発防止の為の示唆」まで含めるとなると,更にデリケートな問題になりそうです。
この事件から何らかの教訓を読み取って,国民に対し再発防止策に資するための示唆をするとします。その場合,直接的には民主的基盤を有しない行政権が, かかる権能を果たすことが適切なのかという問題があります。何らかの法的根拠に基づいて行政行為をするのでなければ問題です。法的根拠無しに,行政府の特定の価値観に基づいた行政行為をした場合,下手をするとそのような(法に基づかない)行政行為をすること自体が将来人権侵害の危険性を孕むとして,問題となりかねません。
開示にとどめるにせよ,示唆まで含んだ措置をとるにせよ,そもそも論としては,先ずは国会で建設的な議論を戦わせるべきだと思います。現代社会の病理の一つとして社会的意義のある国民共通の問題であり,児童の福祉の為, 国民が健康で文化的な生活をおくれるようにする為,何らかの対策を必要としていることは確かです。しかし,必要であっても,やり方としては,憲法の条文に基づいて(立法措置を経ずに),時の政府のサジ加減一つの判断で,いきなりかかる行政行為をすることは難しいと思います。立法府に於いて活きた討論をし, 自由主義(日本国憲法の基本理念)と抵触しない形で,有効な対策を捻り出すことが出来るのか? 本来なら,これをとことん国会で議論して欲しいところです。しかしながら,未成熟の議員どもしかいない国会を見ていると,本来の立法府の機能等,到底期待できないのではないかと悲観的になります。
(Cf そうなると,立法府,行政府は何もせず 思想の自由市場に一任しておしまい という形になる。
i.e.
草薙さんたちのような勇み足気味の活動に頼る。因みに,私は草薙さんたちが社会の為だけにやっているとは思いません。レッセーフェール的に自己利益追求で活動し,結果として社会的機能も果たす効果が副産物として現出するのだと思います。
今回のような刑法第134条への抵触の嫌疑が濃厚なほどの活動の結果,裁判による双方の利益調整を経由して,社会に対し比較的真実に近い情報を提供する機能が果たされる。一般国民は 裁判の結果等指針とすべき情報を自らメディアでみて判断するしかない。)
昨今の猟官活動に勤しむ自民党派閥のメンバーやお子ちゃまチルドレンの,サラリーマンよりも劣る浅ましい保身騒動をみていると情けなくなります。わが国の政治は政治的発展段階でいえば,未だに 悪い意味でのアジアというジャンルの一員という気がしてきます。 日本の自由主義,議会制民主主義は100年は遅れているのでしょうか。
その言や善し、ですね。
有田さんとは思想的にはおそらく180度違っているかもしれませんが共感できるのです、有田さんのそういうところが信頼できるのですね。
>そうした再発防止策を取らない怠慢こそ糾弾されなければならないのだ。
まさに仰るとおりだと思います。
草薙氏のこの単行本は、読んでいないのでわかりませんが、本来、守秘義務の観点から、公に出せないものが出ているようです。今、定価の2倍近くの値でネット上で販売されていますが、買い求めようとする人の大半は、少年犯罪に問題意識を持つ人ではないか、または、わが子の問題として読もうするのではないかと想像します。父親は、出来れば、訴えるという手段ではなく、まず、直接、著者と向き合ってもらえればよかったと思えました。
著者が非公開資料を引用したことを支持します、一般的に少年審判・供述調書の非公開の正当性があいまいで一方的である事、変革を嫌がる側が父親の告訴を利用していると感じるからです。
少年のため弱者のためと言いながら権力強化に利用出来るものは何でもOK。
国民感覚から遠い裁判制度思想です、裁判とは犯罪防止・処罰は副次的あって検察と裁判所の権威維持こそを優先すると口に出さずに行為であらわしています。
134条1項
医師、薬剤師、医療品販売者、助産婦、弁護士、弁護人、公証人又はこれらの職にあった者が、正当な理由がないのに、その業務上取り扱ったことについて知り得た人の秘密を漏らしたときは、6ヶ月以上の懲役又は10万円以下の罰金に処する。
草薙さんは、この秘密漏示罪の主体足りえないのではないでしょうか?
違法な手段を用いてまで詳細な内容を書く必要があったのであろうか。私にはその必要性が感じられない。その点で、有田氏の意見には全く共感できない。
明らかなプライバシーの侵害に表現の自由を認めて良いはずがない。言論・表現の自由を主張する人達は、もっと「言葉の暴力」という点を意識すべきである。
同時に、守秘義務をおかしてまで協力してくれた情報提供者を守ることができなければ、ジャーナリストとしての存在意義はなくなります。取材源の秘匿は、ジャーナリストの原点です。
その意味で、供述調書を医師から入手したことが分かる書き方をした草薙さんの手法は、首をかしげます。
地の文にして調書から得た情報かどうかをぼかすことは「できない」と草薙さんのブログに書いてありますが、取材源を守れないジャーナリストが、今後、どんな取材活動を続けることができるのでしょうか。