有田芳生の『酔醒漫録』

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朝日新聞襲撃「実行犯」の告白を読む

2009-01-30 08:33:22 | 事件

 1月29日(木)定例の役員会を終えて大山の事務所へ。近く貼りだす田中康夫代表とのポスター見本を事務所入り口に掲示。その間もIさん、D君が志村、大原町、前野町を走ってくれる。あちこちでポスターが剥がされていることを発見。そこに再度掲示していただく作業は14か所。近くの喫茶店「ディラン」で珈琲を飲みながら資料を読む。未知のお客さん4人から声をかけられる。事務所に戻り、31日に開催する「有田塾」の準備。遅くに家人と近くの「鏑屋」。他のお客さんと相席で食事。店を出るときにあちこちのテーブルから声がかかり、それぞれにご挨拶。「鳥の眼」で日本を見つめつつも、いまは板橋を「虫の眼」で探索。それでも書いておけなければならないことがある。それは「週刊新潮」に掲載された「私は朝日新聞阪神支局を襲撃した」という「実名告白手記」についてである。1987年5月3日の事件のことは絶対に忘れることができない。あの事件の直後には「万が一のため」に「朝日ジャーナル」で仕事をしていた私の自宅の所在を記者が確認しておくという出来事まであった。ちょうど霊感商法批判キャンペーンに加わっていたからだ。尾行まで付いていたときだから緊張しつつ仕事をしていたことを思い出す。私にとっても「赤報隊」事件はずっと取材対象でもあった。

 今回の記事で告白した人物についていえば、事件についての「秘密の暴露」が(いまのところは)ない。それどころか私が知る限りでは、事件現場について事実とは異なる証言をこれまで行っていた。たとえば犯行に使った散弾銃は自動式だと語っていたのではないか。それがこんどの告白では「2発撃つと、一旦空薬莢を取りだして新しい弾を込めなければ次を撃てない」と変更している。動機もふくめていくつもの証言変更がある。それをいまここに書くことはしない。これまでにも国松警察庁長官銃撃「実行犯」の告白や坂本弁護士一家殺害事件「実行犯」(オウム信者ではない)の告白などがあった。いずれもきわめて詳細でリアルなものであった。ところが事件現場と細かく照らし合わせると、事実と異なることがわかり、結局はいずれも事件とは無縁であることが判明する。こんどの告白者によれば依頼者は「ある公的な組織に属する人物」だという。その人物がこれからの連載で具体的に!語られるのかどうか。連載は3回だという。この事件を真剣に追ってきたひとりとして「週刊新潮」の今後の展開に期待したい。


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1 コメント

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 『週刊新潮』の連載の今後を見ないと何とも言え... (五十嵐茂)
2009-01-30 10:48:56
 『週刊新潮』の連載の今後を見ないと何とも言えませんね。
 読んだだけでも、この事件にかかわった者がなんだか多すぎる感じがする。協力者を頼んだ関西方面のA組長、それに紹介された配下の組員、自分の舎弟、犯行声明文を依頼して書いてもらった者、さらに指示役、そして最後にこの事件の立役者の「公的な組織に属する人物」。これだけで6人。こういう右翼テロ事件はふつう単独犯が所属した組織に迷惑をかけるからと抜けてから隠密にやる場合が多い気がするがこれではかなりの登場人物がいる。警察の捜査にこれだけの関係者がぜんぜんひっかからなかったのか知らん、という疑問。
 それに手記を実名?で書いた者が、事件の真相を明らかにしようと思った動機としてあげる舎弟の自殺事件や当初『朝日新聞』と当事者同士で真相のやりとりをしようと決意して記者を呼び出しておきながら中止した理由は説得力が感じられない。
 ただ、具体的に書いている事実がいくつもあり、それは裏付けを取ってみれば真偽はすぐ判明する。アジトにしたというマンション、かかわった暴力団関係者、阪神支局の室内の様子、支局にさぐりをかけたという電話の記録…等々。
 その後ネット右翼が無邪気に飛びつくようになる「反日分子」という言葉や「反朝日」の風潮の嚆矢となったこの事件は、 いずれにしてもいまだ闇に隠れたままの卑怯な計画・襲撃者を明るみに引きずり出さねばならない。週刊新潮はこの連載で売れれば元は取れるのだろうくらいのスタンスなのだろうが、事件への社会的怒りや裏付けを取る責任が感じられないのは同誌のいつものことだが。
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