有田芳生の『酔醒漫録』

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「第三の旅」と「生の目的」

2007-08-09 10:45:13 | 随感

 8月8日(木)長男と二女がアウトレットに行くというので、家人とともに途中まで車に乗せてもらった。遅い昼食を取るため民芸風の店に入る。まずはビールと明太子ウインナーを注文。それを運んできた店員の言葉がしばらく理解できなかった。「失礼ですが、ケンケイの方ですよね」。ん?どういうことだろう、ケンケイ?それが神奈川県警を意味するまでにすこし時間がかかった。ごく普通の味の山菜とろろうどんを食べてレジに行ったとき、店主が出てきてまた同じことを繰り返す。「お客さんは県警の方ではないのですか」。違いますよと答えたものの、あとあと聞きたいことがでてきた。店主とその県警の職員とはどういう関係だったのだろうか。小川のほとりを歩きながら思い出したのは、やはり吉村昭さんのことであった。取材はいつも「ひとり旅」が吉村流だった。夜になれば小料理屋で酒を飲むのが習慣だったことは、生前のエッセイによく書かれたエピソードだ。そして何度も刑事に間違えられたこともまた吉村さんらしい。風貌が何物かを追っている雰囲気を醸し出していたのだろう。それに比べてわたしの「県警」は、店主と何らかの「交流」があった人物なのだろう。ただ顔つきが似ているというだけのことなのだろう。

070808_13040001  連想は飛翔する。脳裏に藤原新也さんの「第三の旅」というエッセイの一節が浮かんでいた。こういう文章だ。「私の目には、なぜか一瞬、彼方の男は人間の生の目的を達成しているように見えた」。どういうシーンかといえば、弾痕の残るクロアチアの古びたホテルだ。夜の12時を過ぎて酔客もいなくなったダンスフロアでのこと。そこに一組の男女が最後のいくつかの曲を踊っていた。男は片足が義足で白髪。左腕で女を抱き、松葉杖で優雅に踊っていたという。藤原さんはその姿に軽い嫉妬を覚えたという。その気持ちはこういうものだ。「社交ダンスができないからではない。男の踊りが優雅だからではない。そこに男と女がいるからではない。たぶん、そこにもうひとつの男の旅路を見たからかもしれない」。この「もうひとつの男の旅路」というフレーズが気になる。それは「人生の生の目的」を達成することと結びついていると藤原さんの眼には映っていた。それはいったい何なのだろう。わたしにはいまだよく見えていないようであり、少しだけではあるが霧が晴れてきているようにも思えるのだ。夏はまだはじまったばっかりだ。