有田芳生の『酔醒漫録』

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「檸檬」の街を歩く

2006-12-31 09:24:38 | 読書

 12月30日(土)狭い道でいきなり流れがとどまった。引き帰すこともできなければ進むこともできない。感性を楽しませてくれる師走の風景が突然視野から消えた。少しずつ動くこちら側は、ざっと見て三列。対向の人群れは一列。そのうち後側から強引な数人が割り込んできた。とくにヒゲ面男の顔色はいささか殺気を帯びている。いきなり流れが変った。男の横暴に対抗勢力が無言の集団的意志を行使したのだ。あちらからの流れが三列ほどになり、こちら側が一列になった。動きに流され、ふと見れば向こうから黙々と歩いてくる人群れのなかに泣いている女の子がいた。小学生だろう。群れの力がさらに強まった。あっと身をかわす。乾物屋の店先に手をついた。少し前を行くヒゲ男が何やら叫んでいる。眼の前の女性が振り返り雄叫びをあげた。「何やあんたは!」血走った眼をさらに深く変貌させた男の右手が人込みを縫って女性の腹に伸びた。肉体を打つ鈍い音がする。女が振り返り再び叫ぶ。「このー!」あとの罵り言葉が続かないのは流れが早まったからだ。体勢を整えなければ確実に事故が起きる。京都の錦市場に入ったのが間違いだった。ここまで混雑するとは思わなかった。右折して烏丸通に逃げ、ホッと一息ついた。錦市場の酒屋で「壺中の天」という美味い日本酒を買うつもりだった。そのポスターが出ていた店だったので注文すると、酒蔵はもう何年も前につぶれたという。その代わりの酒を買い、出汁巻き玉子の店に並んだ。すると店員があちらの道路に並んでくださいという。そこに行くと、何と10メートルぐらいの客が列をなしていた。諦めてさらに進んだところで騒動に巻き込まれたのだった。事態がそのまま進行すれば確実に不測の事態に陥る。その臨界点があることを実感した。身動きできない渦のなかにあって小さな不安が芽生え、ふくらむ前に消えていった。

061230_13510002  京都の街も大きく変貌しつつある。まず書店が無くなっていることに驚いた。たとえば昨年10月10日に閉店した丸善河原町店は、いまではスーパージャンボカラオケ店になっている。ふと梶井基次郎の「檸檬」を読みたくなり、ジュンク堂で購入した。丸善が閉店する10日前にこの文庫1000冊が新潮社に注文され、すべて売り切れたという。「檸檬」といえば丸善河原町店だったからだ。最後の日には店内に約50個のレモンがあちこちに置いてあったそうだ。小路を入り「築地」で珈琲を飲みながら再読する。最初に読んだのは高校時代の教科書ではなかっただろうか。梶井が23歳のときの作品が日本文学に残っていることがすごい。31歳で肺結核のために亡くなった梶井の作品は、まさに「檸檬」冒頭に書かれているように「えたいの知れない不吉な塊」を日常生活のなかで克明に描いている。京都の寺町通や新京極を記録した「檸檬」は1924年に書かれた。梶井はそこで「見すぼらしくて美しいもの」に強くひかれる自分があると表明している。その美意識が梶井の作家としての将来を示すものであっただろう。1929年春、28歳のときには「資本論」を読み、プロレタリア文学に傾倒する。しかし残された時間はわずか3年しかなかった。梶井基次郎が病によって生を切断されていなければ……。そんなことを思いながら変貌はなはだしい河原町を歩いた。