有田芳生の『酔醒漫録』

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『金印偽造事件』の衝撃

2006-12-10 10:34:39 | 読書

 12月9日(土)ホテルで眼を醒まし、窓から中洲を見れば雨が降っていた。日本経済新聞に連載されている渡邊恒雄さんの「私の履歴書」を読む。「政治部へ」というタイトルが付いた文章の最初には、共産党の山村工作隊を取材したときのことが書かれていた。潜入した渡邊さんを「殺せ」と言った指導者に反対したのが、のちに作家となる高史明だった。渡邊さんはこれまでもこの事実を語ってきた。高史明はのちに軍事方針を批判し、査問される。わたしが気になったというのは、世間に名前が知られるようになった高史明ではなく、そこにいた無名の人たちのその後だ。信じて行動したことがやがて誤りだとされたとき、彼らはどんな判断をしたのだろうか。精神の屈折を経験したとき、そのまま組織にとどまったのだろうか。そしていま何を思うのか。渡邊さんの勇ましくも面白い履歴書の向こうに消えていった人々になぜか共感に近い感情がある。身支度を終えてチェックアウト。タクシーで福岡市博物館へ向う。目的はただひとつ、国宝である「金印」を見るためだ。展示室に入り「金印」のところに直行した。ガラスケースに入ったそれは光が当てられ鏡を使って印面も見ることができる。「漢委奴國王」。教科書で習った実物がここにある。時間をかけ、ためすすがめつ見つめてしまった心中は「これがニセモノなのか」という思いであった。三浦佑之さんから献本された『金印偽造事件 「漢委奴國王」のまぼろし』(幻冬舎)をこの旅行中に読み、まるでミステリーのようにスリリングな気持ちを経験した。たしかに志賀島の田んぼの脇の水路から金印が発見されたということからして不自然なことだ。「甚兵衛」なる発見者は実在したのだろうか。

061209_15290002  三浦さんは、江戸時代半ばに偽造は行われたとする。それでは誰がどういう動機で金印を偽造したのか。三浦さんはそれを明らかにしていく。展示場を歩いていたら、キーパーソンとなる藩校責任者、亀井南冥の肖像があった。突然失脚し失意のなかで事故死した亀井もまた政治に翻弄される人生を送った。はたして金印は本当に偽造されたのか。蛍光X線分析装置で鑑定すれば、漢の光武帝から下賜されたものかどうかは明らかになる。漢時代に作られたものか、江戸時代のものなのかがわかるからだ。どうしてそれをしないのか。国宝に指定されたものが贋作だったとなれば、大事件となるからなのだろう。国家の面子であるだけでなく、多くの関係者が衝撃を受けるからでもあるだろう。売店へ行き、金印のレプリカと絵葉書を購入。金印関係の書籍も多く売られている。売店の女性に三浦さんの著作が出たことを伝え、ここに置かないのですかとあえて聞いてみた。女性はただ微笑むだけであった。タクシーで博多駅へ。鹿児島本線で福間へ。午後1時半から福津市で講演。終ったところで福間駅から博多へ戻り、福岡空港からANA264便で羽田。池袋「おもろ」に明太子のお土産を持参。泡盛の古酒をお湯割りで飲む。店を出るとまだ雨はやんでいなかった。