須賀川から銀河へ

須賀川西バスケットボールスポーツ少年団の過去の記録
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ワリヲ君のぼやき

2011年02月03日 | 中学の部
走りまくってもらいました。

声を出しながらプレイするために、応援しながら走りました。さすがにボール二つをドリブルしながら声を出すのは、中学生でも難しいようです。

肝心な声を出しながらプレイするのはまだまだのようです。
学生のころ見た小野秀二さん(現JBL日立サンロッカーズのヘッド・コーチ詳しくは下記参照)は、衝撃的にしゃべるまくってプレイするポイントガードでした。感動したことを今でも覚えています。
そんな選手を育ててみたいのですが、なかなか程遠いです。

ワリヲ君がぼやきます。
『パスに魂こもってなくてシュートが入らない3分の1はパッサーのミス』
『どうやったらシュート入るか、考えていないんだもん』

1on1は少し良くなった氣がしました。
点数の取れる選手を目指してまだまだ走り回ってもらいましょう。

小野秀二さんプロフィール(本人公式HPより)
1958年秋田県生まれ。能代第一中学1年よりバスケットボールを始め、名門能代工業高校3年時に初の高校3冠(インターハイ、国民体育大会、高校選抜)を達成。筑波大学進学後は日本代表に選出され、同時にインカレ4位の成績をおさめる。1980年住友金属に入社し、ポイント・ガードとして1982年日本リーグ、1984年全日本総合選手権の優勝に貢献。また9年間に渡り日本代表の主力として活躍し、ア ジア大会など数多くの国際試合を経験する。

1988年、愛知学泉大学にヘッド・コーチとして招かれ、男子バスケットボール部を創部。以後は東海学生選手権11連覇、そして同校をインカレ常連校に育てあげ、2000年には西日本学生選手権優勝、インカレ4位に導く。2000−2001シーズンより、JBLトヨタ自動車アルバルクのアシスタント・コーチに就任。シーズン途中よりヘッド・コーチに昇格しJBLファイナルに進出。翌2001−2002シーズンには、トヨタ自動車に初のJBL優勝をもたらし、自らもコーチ・オブ・ザ・イヤーを受賞。2005−2006シーズンより、JBL日立サンロッカーズのヘッド・コーチに就任。