今朝は晴間も出て気持ちのいい朝を迎えたということで早速洗濯をすることにした。
いつもの様にパソコンの前と洗濯機の間の家の中を往ったり来たりが始まる訳である。
始めてこのブログを読んでいる人にとっては何で洗濯如きに家の中をウロウロしなきゃならないか不思議に思う人もいるかも知れないのでちょっと簡単に説明すると私の家で使用している洗濯機はアナログの二層式洗濯機であるということである。
現在の洗濯機に換えてから数年経っているが、その時には勿論自動洗濯機なる便利なものが出ていて物干し竿に干す必要もない乾燥機まで付いていた機種もあったのは言うまでもない。
高齢の男が一人で生活しているのだからそんな便利な物であれば利用する人も結構多いのかも知れないが、私は常々、便利なものを出来るだけ使わないで身体を動かすことを中心に考えて生きている。
と言うとカッコ良く聞こえるが、高価なものには手を出さないという考えも当然ある。
だけど実際生活して行く中で便利だからと言うことよりも出来るだけ身体や手足を使うように心掛けているのは間違いない。
退職してからでも10年以上経っているが退職当初はそこら辺にいる高齢者同様一体何をして毎日曜日を過ごせばいいんだろうと思うところだろうが、退職する前から考えていたことは頭と身体、特に足腰を丈夫に鍛える必要を感じていたということである。
特に高齢になればなるほど身体が衰弱して行くのは仕方がないことだが、出来るだけそれを遅らせるためにはどうすればいいかと言うことである。
その当時はあまり聞かなかったが、最近では寿命よりも健康年齢と言うことを良く耳にするようになったと思う。
寿命と言うのは健康でなくても、病院で入院して横たわっていても生きている訳である。
だけど同じ生きてても健康で生きているのと何とか生きているのとは大きな違いがある。
何処も痛くない、しんどくないから生きていて楽しい、あるいは嬉しい、という大きな喜びが伴うか否かということである。
いくら長生きをしてもツライ状態では苦痛でしかなく耐えられないだろう。
従って健康年齢と言うことが最近良く言われるようになって来た訳である。
また、寿命と健康年齢の年齢差が大きければ大きいほどツライ日々が長く続くことになるから、その差を縮めることが大事である。
そのためにどうすれば近づくことが出来るのか、いわゆるピンピンコロリ状態にどうすればなれるのかと言うことである。
私の結論は次の通りである。
先ずボケないこと、身体を鍛えること、楽しいことを沢山作ること、飽食をしないこと、身体に悪いことは遠ざけること、社会に感謝し他人を敬うこと、社会に貢献することである。
簡単に言えば自分自身、心身ともに健康になり今まで自分を育ててくれた社会に感謝し以後は社会に貢献する心構えを持つことである。
とにかく楽をして利益を得ることは考えずに出来るだけ身体を動かし、楽しく生きる反面、他人の厄介にならないようにし、社会や他人の為になることを心がけるということである。
色々言って来たが余りにも長くなるのでこの辺りにしておくが、またこれらのこのことについては述べたいと思う。
若い人から見ると何をエラそうに言っているのかと思うかもしれないが昔は皆年配者が若い人に色々と言って来たし、若い人も年配者を敬ってきたものであるが、最近はそういったこともなくなり、若い者が何かをやらかしても口をつぐむようになってきた。
そんな状態が正常であるとは決して言えない筈である。
社会の秩序が失われかけていると言えよう。
これは日本に限らず全世界的な傾向であるようだ。
最後に日記と言うことなので書き連ねるが、夕刻になる前の4時半過ぎに自宅を出て南方面のスーパーに買物に出かけた。
主に食料品で品切れのものや品切れに近いもの、それに安いものを中心に購入して自宅へと戻って来た。
そしてしばらくコーヒータイムをして夕刻区民センターダンスの為に歩いて行く。
いつもより早めに出たので到着時には未だ1人しか来ていなかったが、舞台の下に収納してある椅子を積んだ車台を引き出す。
そうして椅子をセットした後、準備体操をすることになるが、そのうちメンバーも少しづつやって来たが、今年で3シリーズ目となる今回のダンスも9回目を迎え来週で最終回となる為に来年1月から始まる次回のシリーズの募集が今日から受け付けられているが、前回に何も案内がなかったのでお金を用意していなかったから次週申し込む予定である。
今日で9回目のレッスンと言うこともあるのか元々今回のレッスンの申込者数が少ないところに持って来て、今日の参加者はまた一段と少ない状態である。
開始時刻になったので集まっても如何にも少ないという感じであるが、スローフォックストロットが前半行なわれ、後半はチャチャチャであるが、スローは月曜教室でもやっているのでスローを経験する機会が増えたから両方が上手く噛み合って苦手意識がいつの間にか消えて来たのは大きな収穫である。