フランスの思想家、ピエール・フェリックス・ガタリの「3つのエコロジー」(杉村昌明訳、平凡社、2008年初版)は、現代社会を読み解く重要な手引きである。ガタリの思想を一言でいうと、「自然環境」と「社会」と「人間」の3つのエコロジーが統合されたエコゾフィー(ecologie + philosophie)という視点によって世界を解釈しようというものである。それによると、たとえば個人の健康問題も、家族的なスケールで考えるものではなく、環境(自然)と社会の関係において、解釈し判断すべきという事になる。
講演「エコゾフィーの展望」(同書収録)において、ガタリは盛んに「美的(エステチック)」という言葉を使っている。訳者の注解によるとこれは、人間が持つ感性的な特質という事のようだが、ガタリ自身は、社会は社会的な言葉だけでは解決せず、人間の内面にあるものが絡まってこないと物事の展望が、ひらけないと言っている。この言葉の意味するところは難解であるが、自分の風土や文化や民族について本来的に持っている、これらを愛おしく思う心の発露を呼びかけたものと解釈される。ただこの「美的」の内容が重要で、ユートピアにもなりファシズムにもなる。”他”もしくは”多”を許容する心がなく民族の「美的」にとらわれてファシズムになった例がナチスドイツである。
ガタリは「エコロジーの3つの基本的な作用領域の接合が行われない限り、あらゆる危険や脅威の増大を予測せざるを得ない」と述べている。ガタリはこの書で、ドナルド・トランプを「突然変異的で化け物のような繁殖力を誇る藻類」と批判している(p29)。トランプはこの初版が出された当時、ニューヨークなどの大都市で不動産王として君臨し、貧困者から家を奪い多数のホームレスを生み出した。ガタリもまさか約30年後にこのトランプがアメリカ合衆国の大統領になるとは思わなかったろうが、人の本来の感性では、すなわちガタリの言う「美的感性」では、トランプは決して許容できるものではなかった。 ガタリはさらに、「自然環境(自然)」、「社会環境(社会)」、「精神環境(人の心)」の接合に加えて、「情報環境」の問題を取り上げている。メディアを、権力による支配の道具としてのみネガティブに取り上げるのではなく、そこに新たな社会的コミュニケーションとしての建設的可能性を見ている。「美くしくありたいと思う心(感性)」を持った人たちが、利用可能な全てのコミュニケーション手段で、団結しなければならないと。
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