杉谷岩彦先生 (1888-1971)は兵庫県神戸市に生まれた。神戸一中に在学中から六甲山系でチョウの採集を始められたという。その頃から蝶の同好会誌に寄稿していたというから、根っからの蝶好きであったようだ。先生は旧制第三校高等学校を経て東京帝国大学理論物理学科に進学、後に京都帝国大学に転学、理工学部数学科を卒業されたが、成績優秀で卒業時に銀時計を恩賜された。専門は関数論であったが三高の数学教授に着任され、そこで湯川秀樹、朝永振一郎、岡潔、小堀憲などの俊英を育てられた。柴谷篤弘によると、柴谷の三高時代の担当教授は杉谷先生だったそうだが、授業はいつも厳しく、少しでもよそ見する学生がいると直ちに退室を命じたといわれている。
教育研究のかたわら杉谷先生は蝶収集とその研究を続けられ、昆虫関係の雑誌に多くの報告や論文を掲載された。夏休みには朝鮮、台湾、樺太を含めた地域で精力的に蝶の採集を行なった。フィールドに出るときは、背広にヘルメット姿だったそうである。採集品の中には新種、新亜種が含まれ、スギタニルリシジミ、スギタニオオムラサキのように献名された種もいくつかある。その中で蝶類研究者やマニアに最も有名な種はスギタニルリシジミである。このシジミチョウ科の一種は春4~5月に発生する。年1化性で蛹休眠する地味なシジミチョウの一種だが、渓流沿いによく飛翔している。近縁種のルリシジミより色が濃く、トチノキ、ミズキ、キハダの花や蕾を食する。先生は1918年4月、貴船でこの蝶を発見し捕獲された。当時は、京福電鉄はなかったので、市電の終点である烏丸車庫から、徒歩で深泥池、市原を経て、出かける大変なフィールドワークであった。学名は蝶類学者の松村松年がCyanisris sugitanii Matumuraとし「動物学雑誌」(1919)に発表した。(属名は後にCelastrinaに変更されている)。このタイプ標本は北海道大学の昆虫学教室に蔵されている。
蝶以外に蛾も収集され、発見した新種としてスギタニアオケンモン、スギタニマドガ、スギタニモンキリガなどが知られている。多くの外国産の標本は交換によって収集されたという。先生を中心に川村多実二、上野益三、柴谷篤弘、栗原善夫、戸沢信義、岡田慶夫などが集まり京都の蝶サロンが形成された。当時の一部の文化人にとって蝶のコレクションはステータスシンボルであった。
京大の文書資料館に旧三高時代の教授に関する戦後の調査資料が残されている。他の教授はまがりなりにも専門分野の論文や報告を書いているのに、杉谷先生には数学に関する論文は一つもなく、チョウ類研究がズラリと目録に並んでいる。これは、さすがに当時の教授会でも問題になったようだが、健康増進のためであると言って意に介されなかった。先生は1949年に三高を定年退官されたが、収集した標本は翌年、一部を残して江崎梯三教授の主催する九州大学農学部昆虫学教室に寄贈された。当時の教室のスタッフの一人であった白水隆氏が貨車を借り切って230箱の標本ケースを運搬したそうである。これらは現在、九州大学総合研究博物館に杉谷コレクションとして保管されている。
三高の数学教授としては厳しかったが、蝶仲間には親切に対応され慈父のように慕われていた。晩年は持病のせいで、ほとんど家にこもり蝶類の変異についての研究をまとめようとされていた。先生は1971年6月に享年82歳で亡くなられた。病弱でおられた割には、当時としては長寿をまっとうされた。
(杉谷コレクションの一部)