映像:山口県山口市湯田温泉の中心部にある中原中也生誕の地は「中原中也記念館」
となりエントランスに青春時代の一頁、中也の詩がプレート展示されていた。
『汚れつちまつた悲しみに・・・』このどうしようもない哀しみのフレーズから始まる
中原中也の詩に心を動かされた。多くの詩人が太陽や月や星、愛、恋、自然の感動
から言葉を紡ぐのに・・・中原中也と石川啄木は哀しみ、苦しみ、怒りから言葉を紡ぐ。
筆者も最初は淡い恋心から詩文をなぞっていた。ゲーテ、ハイネ、リルケ・・・それは
高校時代だった。やがて父の死、母の労苦、何よりも恋した女性の意外な出生事情。
白い装幀のときめきの詩集からグレー系の重々しい詩集へと、詩情が移っていった。
そういう時に中原中也詩集「山羊の詩」に遭遇。希望の無い詩にただただ共感した。
詩歌:詩集「山羊の詩」より抜粋
『汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに
今日も風さえ吹きすぎる
・・・・・・・・・・・
汚れつちまつた悲しみに
いたいたしくも怖気づき
汚れつちまつた悲しみに
なすところもなく日は暮れる・・・』 (中原中也)
探求:大学時代にはこの中原中也が重要なテーマとなった。石川啄木と中原中也の
定型詩(短歌)と自由詩(現代詩)、貧困(啄木)と富裕(中也)、東(啄木)
と西(中也)、僧家(啄木)と医家(中也)・・・この違い過ぎる環境なのに、
東京、創作、夭折などの共通の終着という比較文学論を5年をかけて探求す。
・・・それは今も続いている。人には夫々、生涯のテーマが課せられている。
参照#中原中也 (ダダイズム) 探訪紀行(山口県湯田温泉:中也の街さんぽ)
参照#中原中也と似ているが、非なる石川啄木((哀しみの歌人)探訪紀行