小生も今回始めて見るのがこの『太宰治学び家』。太宰が旧制弘前高校時代、この家
から通ったのだ。当然一軒家だから下宿のようなものであろうが、現在に復元された
のは素晴らしい。偕行社の横道、弘前厚生学院の門前。昔、確か倉庫があった筈だが。
※近年、太宰治ゆかりの家が深浦、金木などでも相次いで保全(復元)されている。
弘前には陸軍の司令部があった。いまの国立弘前病院が陸軍駐屯地。その東隣に本部施設
の将校クラブがあった。それが偕行社。現在弘前厚生学園記念館になっているが前庭や建
物は往時を偲んで余りあるもの。大正昭和、弘前は政治・経済・文化とも県の先端だった。
指定:国重要文化財 設計・施工:堀江佐吉
映像:鏡ケ丘記念館、筆者の時代は、この施設で有志先生が予備校的に講座を開設した。
弘前の文化の中心はなんと言っても弘前大学、それは昔旧制弘前高等学校。その流れを
汲むのが弘前高等学校。鳳凰のバッジが憧れであった。そんな歴史と伝統の高校へ筆者
も入学。そしてこの記念館で卒業後半年学んだ。当時校長は小田桐孫一。腰に手ぬぐい
バンカラスタイルの応援歌「北斗の黙示」が今でも耳に響く。嗚呼!遥かなる青春の日々。
記録:明治26年に青森県尋常中学校の校舎として川元重次郎によって建てられた。木
造二階建ての洋館で、一般公開。平成5年に青森県指定文化財(県重宝)に指定