草深昌子選 (順不同)
兼題「夏の川」

塀白く平屋造りやほととぎす 二村結季
古来から文学によく取り上げられる時鳥、さあどこにどう鳴かすか、難儀な季題でもあります。この句は淡々としかも的確に詠いあげました。思わずその声を聞き留めたように思います。〈時鳥鳴き移りゆく雨の中〉、大峯あきら代表句のうちの一句です。
古来から文学によく取り上げられる時鳥、さあどこにどう鳴かすか、難儀な季題でもあります。この句は淡々としかも的確に詠いあげました。思わずその声を聞き留めたように思います。〈時鳥鳴き移りゆく雨の中〉、大峯あきら代表句のうちの一句です。
夏の川朽ち木流れて来ることも 芳賀秀弥
「来ることも」と言う下五はまた上五へかえります。朽木を出して、冬の川では成り立ちませんが、夏の川がよく利いています。上流がしのばれます。
玄関を開けて山梔子よく匂ふ 田中朝子
「玄関を開けて」、さりげない表出がいいです、その場に立ったかのように、白い花の香気がぐっと読者に届きます。案外、身近にも親しい花なのだと気付かされました。
仙人掌の花の名孔雀まさにかな 加藤かづ乃
表現が巧いです。私の中でもう一度クジャクサボテンを咲かせてみました、するとその勢いが、私も「まさに」と思いなおされました。
夏川やいざ水切りの石合戦 柴田博祥
水切りは俳句によく出ますので、いつも又かと読み流しますが、今回は違いました。中七下五でもって、夏の川の活気が嬉しく表現されています。「いざ」に弾みがつくのでしょう。

夏川や岸辺の木々のみつしりと 昌子
空を飛ぶものの小さや夏の川
酒匂とふ名前の夏の川ゆたか
令和7年6月・青草通信句会講評 草深昌子
令和7年6月の兼題は「夏の川」
我らが相模川そしてその支流に、四季折々楽しませてもらっています。富士山の伏流水を水源とする相模川はやがて馬入川と呼ばれて相模湾に注がれます。「夏の川」は三夏(夏季の3カ月)にわたる季題ですから様相は様々ですが、私としては盛夏で詠いあげたいものです。
夏川や一つ瀬やがて二た流れ 原 石鼎
鮎の背に一抹の朱のありしごとし 〃
原石鼎は明治19年島根県生まれ。26歳の時に次兄にしたがって吉野に入り、兄の診療所を手伝いました。そこで俳句に開眼して、「深吉野の石鼎」の名を高らしめました。「ホトトギス」誌上で、高浜虚子が「大正二年の俳句界に二の新人を得たり。曰く普羅、曰く石鼎」と記したほどの天才でした。その後、紆余曲折を経て、句集『花影』を刊行しましたのは昭和12年、51歳でした。巻頭は、次の一句です。
頂上や殊に野菊の吹かれ居り 石鼎
『花影』には掲載されていませんが、『原石鼎全句集』には、「鮎」の句の前に、〈よべのまま夜明けし窓や夏の川〉、〈夏川のかみに本家しもに分家かな〉、〈夏川のこの上(かみ)に父いましけり〉、等があります。
石鼎は、病の多き生涯でしたが、55歳の時に、神奈川県中郡二の宮町に隠棲、療養生活に入り、昭和26年65歳で逝去しました。
その最晩年の一句、
蜘蛛消えて只大空の相模灘 石鼎
蜘蛛は大空に、大海原に吸い込まれていったのでしょうか。相模灘は伊豆半島と房総半島の間の海です。真鶴岬と三浦半島先端の城ケ島とを結ぶ線以北を相模湾と言いますが、この句は相模灘と詠ったことで、スケールがいっそう大きくなりました。又、サガミワンと言うよりサガミナダの調べには余韻があって、はるかに詩情を誘います。
俳句は一字一音が大事です。流行りのテレビや新聞を見るのもいいですが、もっと古い時代、明治、大正、昭和の頃に活躍した俳人の名句を沢山読んで、書き写して、憶える、それが俳句の楽しみです。
ちなみに、「草深昌子のページ」に原石鼎俳句鑑賞のカテゴリーがあります。先の「鮎」の句も鑑賞しています。実作者として私自身の学びの為に書いたものですが、青草会員の皆さまに分かってほしいという願いがありました。石鼎から多くを学んでいただきたいものです。






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