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青草俳句会~命のよろこび

結社「青草」 主宰 草深昌子

青草本部句会 2022年3月

2022年03月16日 | 俳句
草深昌子選  (順不同)
兼題「蓬」 席題「壺」

  

当ての無き返信待つや薺咲く    山森小径
縁側に日のよく当たるよもぎ餅     小径
朝霞洗濯物は良く乾き       芳賀秀弥
春火鉢仕舞へば終の仕舞ひかな   泉 いづ
野に遊ぶすかんぽの赤限りなし   河野きなこ
雑貨やの奥は暗がり春の昼       きなこ
三椏や錆朱の壺に投げ入れし      きなこ
静かなる奈良の雨かな草の餅    川井さとみ
蒲公英や寝転ぶ我の目の丈に    長谷川美知江
壇上に青磁の壺や入学式         美知江
そよと吹くその風見せて花ミモザ  松井あき子
春昼や桐壺の巻長きこと        あき子
生ひ立ちをはじめて聞きし蓬餅   伊藤欣次

 
  


尊徳の生地をここに蓬摘む   昌子
つちふるや一つ島もて一つ国
しゃぼん玉吹く時風の港かな
亀鳴くや反古に膨らむ紙袋
滝壺の緑の濃ゆき遅日かな
肉付きのゆたかに古りし雛かな




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青草通信句会 2022年3月

2022年03月16日 | 俳句
草深昌子選 (順不同)
兼題「春泥」

              

    お砂場のみんなで作る春の山      山森小径
 「みんなで」、さぞかし大きな山が出来上がったことでしょう。春の日の中に作った砂場の山ですが、あたかもそこに「春の山」を見るかのような楽しさがあります。

    たんぽぽの花の地べたに張りついて   小径
 その通りです。当り前のようですが、こう詠われてはじめて蒲公英が目の当りに見えてきます。技巧を凝らさないで、ありのままに詠うのは案外難しいものです。

  春泥の一本道を墓参り   小径
 春の墓参りは得てして春泥に悩まされますが、一本にまっすぐ道が通っているというのは救われます。故人を偲ぶ心も見えてくるようです。

  春泥の乾ききつたる牛の尻    伊藤 波
   春泥はいつもどろどろと濡れているものを詠うとは限りません、このように乾いたところを詠うのも意外性があります。「牛の尻」という描写も決まっています。

  スケボーをひよいと飛ばして春の泥   中澤翔風
 〈スケボーのひよいと跳んだる春の泥〉ということでしょうか。春泥というと犬か人が踏み悩むという発想が多いですが、一つ飛びのスケボーは垢抜けています。

    薄氷を宝の如く掲げをり   奥村きよ子
 うすうすと張った春の氷、その一片を日に透かしています。無心の春到来のよろこびが「宝の如く」という措辞となって表現されました。薄氷がきらきらと輝きます。

    春泥やパンデミックといふ道の  
松尾まつを
 当世の出来事を俳句という詩にするのは難しいですが、この「春泥」は、行悩む道の象徴としてよく生かされています。「パンデミック」の韻律も効いています。

      校庭の左はんぶん春の泥   
佐藤健成
 「左はんぶん」という発見もその描写も見事です。分校などあまり大きくない校庭でしょう、風土色を感じます。

      三椏の花に張り付く大き蜂  神﨑ひで子
 蜂はどんな花にも来るでしょうが、あの蜂の巣のような黄色の丸い花の三椏に張り付いたのは必然のようです。おもしろいところを捉えました。

      自販機の発音不良春の泥   
黒田珠水
 「発音不良」は作者その人の独得の感受です。その「不良」という措辞が無意識に「春の泥」のありようをあきらかにしています。春泥の句にして斬新です。


       春泥や余所見に犬も足取られ   田中朝子
 足元を忘れ、つい余所見をするのは私の得意ですが、何と犬も余所見をするのですね。犬と心一つになって春の風物を楽しんでいます。

  


  春泥に木馬は丈の低きこと    昌子
  ぼろ市のありしあたりや春の泥
  雛壇や床暖房のよく効いて


         

令和4年3月・青草通信句会・選後に     草深昌子

  鴨の嘴よりたらたらと春の泥    高浜虚子
 その他、「春泥」の愛誦句を、『ホトトギス雑詠選集』から抽きました。季節感はもとより、光景が明らかに見えます。
  春泥や垂れて文字合ふ大暖簾    大橋桜坡子
  春泥に押しあひながら来る娘    高野素十
  春泥にふりかへる子が兄らしや   中村汀女
  春泥やつなぎたる手を又はなし   岡田耿陽

 先日、俳句仲間のネット句会で私の句が誰にも採られないことがありました。初めてのことでガックリ、しばし合点がいきません。対面句会ならその場で解消しますが、ネットでは画面に向かってブツブツ言うばかりです(笑)皆さまは如何でしょうか。つくづく句会における選句ほど悩ましいものはありません。うまくいってもいかなくても句会の醍醐味は味わいたいものです。そこで、誰がどの句をヨシとしたのか、ヨシとしなかったのか、人さまの句を吟味することに意義を見出してみては如何でしょうか。私は練りに練ったつもりでしたが、それが俳句の勢い、新鮮味をそこなっていることに気付かされました。

 ちなみに、高浜虚子の選句のモットーは、思想に寛容、措辞に厳格ということです。措辞(そじ)というのは言葉の使い方のことです。最も適切な言葉が使われているかどうかを直感で見極めることが出来たのでしょう。老練な作家には標準を高く選句、幼稚な作家には標準を低く選句、併し何れも俳句であるという点に重きを置いたようです。
この虚子に「句を選まぬ親切」という文章があります。
 ――私は人から感謝されることがある。それは他の何人も選ばなかった場合に、私がその人の句を選んだ時である。こういう場合は私の選に信頼する心がその人に起こるらしく、私に感謝の言葉を寄せることがある。しかし私は他の多くの人が選んだ句を独り選ばない場合が多い。そういう場合にその人は私に感謝の言葉を寄せたことを余り聞かない。が、実はその場合こそ私の選を信頼して私に感謝の辞を寄せるべきかとも思う。価値の少ない句を選んでその人に安易な満足感を与えるほど、その人に対する不親切はないと思う。断じてそれを選まなかったことこそその人に対する本当の親切であらねばならない。句を選まないという親切が分かるようになれば一人前である。――

『ホトトギス雑詠選集』(高浜虚子選)は、ホトトギス入選句十数万句から約一万句を厳選したもの、現代俳句の古典的アンソロジーです。
「花鳥諷詠」に目覚めて以来、私の愛読書になっています。 





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草深昌子を中心とする句会・選後に 令和4年2月

2022年03月14日 | 俳句
   令和4年2月17日に予定しておりました、青草新春句会ならびに青草創刊五周年記念の集いは、コロナ禍のため急きょ中止となりました。
すでに参加者の出句のとりまとめも始まっていまして、残念至極でした。
それでも、青草会員一同はしっかり前を向いて、兼題「早春」をはじめ、個々の季題に心新たに取り組みました。


       


       寒明や立たざる足のすつと立ち  石原虹子
   何と嬉しいことでしょう。まさに季節の推移にうながされるように、寒明の今日、足がすっと立ったというのです。
旧臘から骨折のためリハビリを頑張っておられた虹子さの、足も体も心も、何よりも俳句の姿勢が見事に真っ直ぐに立ち上がりました。
これほど清々しい「寒明」はありません。一句に多くの方々が励まされました。

       ふっくらと豆の煮上がる雨水かな   木下野風
   この句もまた、季節の推移の中の「雨水」という日のことです。
何とまあ、こんなにもふっくらと豆が煮上がったではないですか、その喜びを一句に仕上げました。
あたたかな湯気の匂いが立ち込めるようです。
「雨水」は二十四節気の一つで、雪や氷が解けて水になるという意味です、
そして、この頃から農耕の準備にも力が入ってくるのだそうです。
暦にのっとるように野風さんの主婦業にも力が入ってくるのです。日常を丁寧に生きるというのは、こういうことです。

       建国日ゴミ収集車来たりけり   山森小径
   建国記念日は2月11日、神武天皇が橿原の宮に即位された日で、昔は紀元節と言いました。
歳時記には、〈泊船に波高けれど紀元節 五十崎古郷〉、〈大和なる雪の山々紀元節 富安風生〉、〈いと長き神の御名や紀元節 池上浩山人〉等など、さすがに雄々しき句が掲載されています。
でも令和の今を生きる小径さんの句は、その日がたまたまゴミ回収の日でありましたから、「ゴミ収集車来たりけり」、ただそれだけです。
ただそれだけという一句の凄みに、ほおーっと心動かされますのも「建国記念日」であるからなのです。
俳句の妙味ここにありというものです。

       干布団仕舞ひ忘れし空の蒼   伊藤欣次
 この句も一見何ということのないように思われるやもしれませんが、私には微笑まされ、やがて唸らされます。
布団の取り込みを忘れた体験は誰にもあるでしょうが、一句はそのことで終わってしまったわけではありません。
下五の「空の蒼」があって、はじめて、ついうっかりが詩情たっぷりの余韻となっているのです。
人の世の営みは、自然のありように救われていることに気付かされます。

      初午や農機具店が道塞ぎ   関野瑛子
 初午は二月最初の午の日に行われる稲荷神社の祭礼。
神奈川県秦野市に、関東三大稲荷の一つである白笹稲荷神社があります。
初午祭には、交通整理が出るほど賑わって、露店に豆板など買ったのをよく覚えていますが、コロナ禍のため訪れることもなくなりました。
さて、初午はどうなったものかと思いきや、瑛子さんの一句が説得力を持って楽しくも鮮やかに迫ってきます。
そういえば稲荷は、もともとは農業の神さまで、豊年祈願にあったのでした。
「初午」本来の意義をもって、目出度い祭は健在のようでありました。
 
       

  早春の水吸ふ力鉢の花   日下しょう子
 クリスマスに買ったシクラメン、その他観葉植物の花々は、窓際にあってその美しさを楽しませてくれています。
私も日々追われるように、鉢を日に当て、水を遣りながら過ごしているのでありましたが、
しよう子さんのように「水吸ふ力」という言葉を得ることはできませんでした。
一句を読んで「ああ、そうであったか」と気付かされる快感がたまりません。
「鉢の花」という下五の抑えも要を得ています。

       早春は浅紫に明けにけり   田中朝子
 何と印象明瞭でありましょうか。余計なことばがない分、その立ち姿がいっそう美しいのです。
そういえばこの句はそのまま楚楚たる田中朝子さんの立ち姿になっているように思われます。
「浅紫」がいいのです。早起きされたであろうからこその写実の眼が光っています。

  早春の庭にいただく和菓子かな   市川わこ
 手入のよく行き届いた早春の庭が「和菓子」の措辞をもって、見目麗しく眺められます。
穏やかは表出ぶりもそのまま早春の気分を醸し出しています。
わこさんの作品は、句会では私しか採らないことが多いのですが、この句もそうでした。
俳句は、何も変わったことを言うばかりが能ではありません、地道に季題を詠いあげるに充分のものを吟味していただきたいものです。
そういえば、この和菓子のお味は熱くも渋いお茶にピッタリ、まさに早春のものでしょう。

  早春の午後の薄日の机上かな     渡辺清枝
   上から下まで十七音をひと息に読み下ろして、さり気なくも、しみじみいいなあと思います。
もう一度読み直したくなるのは良き句の特徴でありますが、中七の「午後の薄日」は、まこと的確なる写生です。
清枝さんはひと様の句に心をこめてよき鑑賞をされます。そう言う姿勢はいつしか自作に反映されるのです。

       早春や網戸に虫の翅伸ばし      鈴木一父
   うすら寒さのなかにあっても、春の息吹がこんなところにあったのだと、その観察眼のよろしさに喝采したくなります。
もちろん生きている小さな虫でありましょう、さてどんな虫であろうかと、どんなふうに網戸に翅を伸ばしてるのかしら等と、想像させてもらえるところが楽しいのです。

     

       冴返る三日月まさに反り身なり   冨沢詠司
 立春を過ぎてぶり返される寒気ほど身にこたえるものはありません。
そんな中にあって、三日月が冴え冴えと夜空に浮かび上がった美しさには慰められました。
「まさに反り身」です、そういう他ない表出のよろしさに感嘆しました。

       青饅やいつからかしら好きになり   長谷川美知江
 青饅は浅葱や辛子菜を酢味噌であえたもの、魚介類を混ぜることもあります。
若き世代には好まれないのは定番で、美知江さんもお嫌いだったのでしょう。
ところがふと気が付けば喜んでいただいているではないですかという正直な驚きを一句にされました。
〈月うるむ青饅これを忘るまじ 石田波郷〉、〈青饅に酢の乏しはた恋遠し 大石悦子〉など「青饅」は早春独得の味わい、またその味に事寄せて人生の哀歓をも詠うことのできる季題でした。


  坂道に赤き花散る猫の恋    奥山きよ子
  参道の砂利の深さや春の雨   小宮からす
  葭枯れをままの春野の荻野川  菊地後輪
  川端や塵に隠れて新芽あり   漆谷たから
  草むらの端や目と目を恋の猫  石本りょう子
  山脈の向かうは見えず冴返る  佐藤昌緒


      
 

  飼主の顔忘れしか猫の恋       市田耳順
  缶ぽつくりひとり遊びの犬ふぐり     河野きなこ
  立春大吉朝の厨に酢の匂ひ      澤井みな子
  楊貴妃梅その一輪のありどころ    森田ちとせ
  早春や江戸手拭の畳み皴       伊藤波
  春光や道玄坂に往診車        中原初雪
  春炬燵展げしままに世界地図     湯川桂香
  船べりに日はゆらゆらと春浅し    山崎得真
  真つ直ぐに宙舞ふ我の春の夢     石野すみれ
  沙羅泣かせ菜那泣かせけり冬五輪   永瀬なつき
  ふかふかと早春の草踏みてをり    平野翠
  木五倍子咲くその名問はれて池の端  松井あき子





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「俳句四季」2022年3月号

2022年03月04日 | 俳句
「俳句四季」3月号  

   


今月のハイライト・青草5周年

    赤子はやべつぴんさんや山桜   草深昌子     

「青草」は平成二十九年、私、草深昌子が厚木市にて創刊いたしました。「青草」の句会の発足は平成二十一年で、早くも十三年の歳月が流れております。
平成二十九年正月に、草深昌子句集『金剛』の出版祝賀会を開いていただき、その折の熱気がそのまま「青草」創刊の運びに到りました。以来、会員一同の真摯にも笑いの絶えない句会の日々により、創刊五周年を迎えることができました。
思えば私が俳句に嵌まって、あっという間に半世紀近くが過ぎ去ろうとしています。その中で、心から尊敬する師に出会えましたことは私の一生の宝です。
飯田龍太先生には、俳句は何も言わなくてもわかってもらえる文芸であることを学びました。鑑賞こそが句会の醍醐味であることに気付かされたのです。
大峯あきら先生からは、高浜虚子の「自分が本当に感じたことを正直に述べるのが俳句である」という、その言葉の意味するところを徹底して教えられました。
それは芭蕉の「見る処花にあらずといふ事なし。思ふ所月にあらずといふ事なし」に等しきポエジーの原点でありましょう。
二度と還らない私たちの命は、変わることなく巡ってくる永遠の命の中に生かされているのです。
   「青草」の俳句は、今を生きる「命のよろこび」を生き生きと詠い続けてほしいと願っています。

青草会員の25句 

感染のピクトグラムか茎立ちぬ   伊藤欣次
絨毯にピアノの跡や春の月     古舘千世
若布売り手早く捌く皿秤      河野きなこ
葉桜や双子乗せたる乳母車     松尾まつを
さざなみがとびうつりゆく柳かな  川井さとみ     
熟麥の匂ひを知るか鳶来たる    伊藤 波
夏座敷大きな闇の中にあり     石原虹子
七月やこの坂越せば日本海     湯川桂香
花茣蓙に見返り美人佳かりける   東小薗まさ一
母の手やふと止まりたる団扇風   佐藤昌緒
出目金を愛して友の渾名かな    鈴木一父
扇風機鉄の文鎮ずらしけり     泉 いづ
南風吹く万の蕾の柘植の垣     加藤かづ乃
リフトよりひらりと降りる草刈女  森田ちとせ
梅花藻の搖るる清水を掬ひけり   石堂光子
新涼や高速船の波しぶき      松井あき子
いくつもの瓢くぐりて外厠     佐藤健成
わが畑へ誰か来てゐる野分あと   二村結季
幾度もポストを覗く厄日かな    川北廣子
秋風やウッドデッキに鉄の椅子   山森小径
鰯雲十九階の和食膳        中原初雪
支那そばの鳴門に出会ふ秋の暮   中澤翔風
蘇鉄の葉落としてからの年用意   間 草蛙
てつちりや青きネオンの街静か   平野 翠
干し物を取り込む西に山眠る    奥山きよ子


(「俳句四季」2022年3月号所収)


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