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青草俳句会~命のよろこび

結社「青草」 主宰 草深昌子

草深昌子を中心とする句会・選後に 令和3年8月

2021年09月15日 | 俳句

草深昌子選

  

 

       雲はもう秋と言ひあふ東口      奥山きよ子

 実際の雲の形状を言い表しているわけではないが、この表現によって読者がどんな雲であろうかとそれぞれに想像することができるだろう。 駅であろうか、「東口」という場所の設定がよく効いている。東口でなければならない理由はない、そこが一句の魅力である。これを南口、北口、西口に置き換えてみてもやはり東口がいいと思わせるものがある。

 

       伊勢丹の閉ぢゆく街や秋の雲        きよ子

 相模大野にある伊勢丹が閉店したという。そんな街の通りを一抹の淋しさを覚えながら行かれたのであろう。 「秋の雲」と大きく転換したところが爽やか。秋の雲は淋しさを包括した明るさの雲である。

 

  鰯雲十九階の和食膳              中原初雪

 秋の大空に鰯雲がさざなみの如く敷きのべられている。何しろ19階という高さ、それも高級なる和食膳をいただいているのであれば、その気分のよろしさは如何ばかりであろうか。作者の気持ちを代弁したかのような鰯雲である。                                                                                      私も「食は文化だ」とか言い張って、食いしん坊であるが、このように自然の味わいが食のそれとなっているのを実感させていただくと喜ばしい、食欲の秋である。

 

       南瓜には大中小の器量かな        川北廣子

 駅頭で当地ご自慢の特大南瓜を見たことも、家庭菜園の小粒南瓜をいただいたこともある。なるほど南瓜には大中小があるのだなと思う。そしてそのどれにもそれなりの器量があるという、作者の見立てには愛情がこもっている。昔、「南瓜に目鼻」などと、不器量を冷やかされたこともあるが、思えばその人はその人なりにという情のこもった言葉であったかもしれない。

 

    白頭鳥とガラス戸越しの会話かな       平野翠

   百頭鳥はヒヨドリのこと。あのボサボサの毛の鵯もこう表記されると美しい感じがする。作者はきっと、硝子戸越しに鵯を見つけて、嬉しくなってまるで友達を迎えるように二た三言語りかけられたのであろう。鵯もあのピーヨピーヨを返したことだろう。                                                   何を会話したのか、どんな気持であったかなど、何も付け加えないのがよかった。スッキリとした仕上がりをもって、その爽やかさを共有させてもらえるものである。

 

  

 

       飼犬に吠えられてゐるサングラス    宮前ゆき

 思わず笑ってしまった。思い切りフアッション性のあるサングラスであろうか。ちょっと気取った主、いや形相の変わってしまった主は飼犬からみても少々うさんくさいものだろう。サングラスの一面を捉えて面白い。

 

       追風や吹け吹け吹けと運動会      石野すみれ

   運動会は駆けっこ、いや紅白対抗リレー等切迫した勝負のかかった競技であろう。先ず「追風」を捉えて、「追風や」と切るところがうまい、すぐに続けて「吹け吹け吹け」という反復の勢いがまたいい、スピード感満点の一句。この調子の快さこそが運動会のそれとなって、元気そのものの運動会が思われる。

 

       ころころと笑ふ二タ夜や盂蘭盆会  石本りょうこ

 「ころころと」、なんて楽しい笑いであろうか。盆休みの親密なる集いが想像されて読者まで引き込まれて笑ってしまいそう。仲の良い盂蘭盆の夜は、精霊さまへの何よりの供養である。

 

       花茣蓙に見返り美人よかりけり    東小薗まさ一

 「花茣蓙」は歳時記によると、「色をつけた藺を横糸に、綿や麻の糸を縦糸にして模様を織り出した茣蓙。彩りが涼しさをもたらす夏の敷物」とある。この日本ならではの夏の風雅をまさ一さんは、ゆうゆうとお楽しみのようである。見返り美人はあの赤い着物のお方であろうか、男性ならではの涼しさ。

 

        秋蝉や抓めば腹に啼く力                末澤みわ

  蝉の声も秋になると何やら淋しげに聞こえる、短い蝉の命がいっそう思われるからであろうか。〈秋の蝉鐘にあたりて堕ちにけり 中川宋淵〉、こんな蝉をふと抓まれたのだろう、いとしさにかけよった感じがよく出ている。「腹に」というところまで見届けた、そこに「力」があるというのが凄い。

   

 

   でで虫は向きたる方が前なのだ    永瀬なつき

   熱帯夜ロック氷の溶ける音        なつき

   来賓の肩に止まるや赤とんぼ         関野瑛子

   魂棚に洋蘭一つ足しにけり            瑛子

   稲妻や転居五か月目の玻璃戸       二村結季

   空蝉を机の上に風生る          澤井みな子

   行合の空低く飛び蝉数多         神﨑ひで子

   残暑とはいつもの道の遠くなり       田中朝子

   稲妻や空を二つに分け出でし        渡辺清枝

   あんパンを二つに割りて夜長かな      中澤翔風

   帰るには痩せ細りたる茄子の牛       山崎得真

   石積みの奥に何やら虫の声         伊藤 波

 

 

 

 

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2021年9月 青草通信句会

2021年09月12日 | 俳句

草深昌子選   (順不同)

兼題「秋の暮」

   

 

    路地裏の出汁の匂ひや秋の暮       松井あき子

  庶民の暮しの秋の夕暮です。夕飯の支度の総菜の匂いがここそこに洩れてきます、わけても「出汁の匂ひ」が秋の暮を醸し出してやみません。 

                                                                                            

       ぷちぷちと波の引きゆく秋の暮       川井さとみ

 「ぷちぷち」の擬音が生きています。大きく波が引いたあとに、さらに小さく引いてゆく波の静けさが秋の暮をしみじみと感じさせます。     

                                  

         一合の米炊きあがり秋の暮          木下野風

 一合で足りる炊飯、それだけで独り暮らしのわびしさを感じる向きもあるでしょう。でもこう詠いあげることができるのは日々充足して生きている証しです、今日もよき秋の夕暮を迎えました。   

       

        送り火や煙は傘の中に入る              野風

  盆の果には送火をもって精霊を見送ります。雨でくすぶっていたのでしょうか、傘の中に充満した煙をもって名残り惜しさがしみじみと偲ばれます。          

                                        

        山頂の一番星や秋の暮           平野 翠

 「山頂の一番星」とは簡潔にしてそのまま「秋の暮」を表出しています。言葉に隙のない一句です。

                                                       

      志那そばの鳴門に出会ふ秋の暮        中澤翔風

 中華そばと言わずして「支那そば」がいいです。その具材としての鳴門の色彩に、その味にはっとされたのでしょうか。作者独得の感性で捉えられた秋の暮は読者に想像力を十分に働かせるものとなっています。          

                                         

       秋茄子や詰め放題の朝の市          田中朝子

 本当にあったことを、その喜びを素直に詠いあげられたのでしょう、一句に臨場感そのものの勢いがあります。秋茄子がいきいきと光っています。

                                                       

       水平線かがやく釣瓶落としかな        佐藤健成

 「釣瓶落し」という季題にはすでに意味が付加されていますので、難しいものですが、一句はすっきりと仕上げました。そのスピード感が水平線をかがやかせるのかもしれません。                                             

                                          

       童謡を口遊みたり秋の暮         芳賀秀弥

 さりげないですが、「童謡」に心がこもりますね。たとえば「里の秋」などすぐに思い浮かびます。        

                                         

       道草や鞄の重き秋の暮          神﨑ひで子

 遊びほおけた鞄の重さ、その実感が秋の夕暮のそれでもありますね。このように、俳句は概念でなく具体的であることが大事です。

                                                       

     風颯とひかがみを過ぐ秋の暮           二村結季

「ひかがみ」は膝のうしろの窪んでいるところのこと。こういう言葉を覚えると俳句が手練になってきますが、作者はそれこそ颯爽と乗り越えられるでしょう。秋の暮を体感覚でとらえて見事です。      

                                         

      霧立ちて湖白く鎮まりぬ         市川わこ

 内容に目新しいところがないかも知れませんが、表現のかたちがよく引き締まっています。「鎮まりぬ」はよく描写できています。

                                               

       

 

  翅あるかなきかに蝶や草の絮    草深昌子

  秋の燈にスリッパ赤き厨かな

  不忍池を来たれば谷中秋の暮

 

 

令和3年9月 青草通信句会・選後に   草深昌子                            

「秋の暮」は秋の夕暮、秋の夕べという意味の季語です。一方、「暮の秋」は秋の季節も終りに近いことをいう季題で、秋を惜しむ気持ちがあります。もののあわれを本情とする「秋の暮」の俳句には、「暮の秋」ともいえるものも、見分けがたく混じっているようです。

  秋の暮水のやうなる酒二合       村上鬼城

 秋の夕べに酒をたしなんでいます。「水のやうなる酒」とはどんな酒でしょうか。安物の酒か上等の酒か、お酒を飲まない私には分かりませんが、いかにも味の薄い感じはします。また、何か悩み事があって酒の味もピンとこないという感じでもあります。つまりどんな酒なのか、黙って何も言わないところが秋の暮の風情そのものになっています。この静けさの余韻に読者はいろいろと想像します。総じて俳句は何も言わない方がいいのです。省略をきかせて寡黙であることが大事です。作者が饒舌で、答まで出している句を見ますと、読者は興ざめで退散するばかりです。

 

 まつすぐの道に出でけり秋の暮      高野素十

 どこからか道を歩いてきて曲りますと、ふと「まっすぐの道」に出たのです。これから作者はどこへいくのか、まるで私自身がまっすぐな道に放り出されたような気分になってそこに突っ立ってしまいます。暮色が一段と強まります。「道に出でけり」は何気ないですが、素十ならではですね。

 「わかりやすい名句」、「無造作の傑作」という句は読めば読むほど味が出てきます。「平易」であることは、その奥にあるこの上もないよき味をくみ上げることになるのです。俳句の勉強には、俳句を作る「詠む」と、俳句を鑑賞する「読む」があります。この「詠む」、そして「読む」の両方にわたって、励んでゆきたいと思います。「読む」力を養うには、「多作多捨」に加えて「多読多憶」ということが大事になってきます。古今の秀句を沢山読んで、沢山憶えるということになります。

 

 

 

 

 

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