大き鈴付けて下校や草青む 川北廣子
「鈴」の印象と共に、「草青む」情景が、目の当たり一面にひろがります。
登校でなく下校ですから、三々五々仲良しの元気いっぱいの開放感ものびやかです。
鈴の、わけても「大き」その音色は、チリンチリンより、シャンシャンと弾みをもって響いていることでしょう。
古来、鈴は魔除けでありましたが、昨今は、熊除けの鈴としても必携のようです。
ところで「草青む」は、我らが結社「青草」の青草です、輝かしい一句です。
生ひ立ちをはじめて聞きし蓬餅 伊藤欣次
日当りのいい縁側で、いつもさり気なくお付き合いしている方、あるいは方々と蓬餅をいただいている折のことでしょう。
蓬の色合いや香りからついつい昔話に、また田舎のこと、はらからのことに話しが及んで、
思いがけずその人の生い立ちを知ることになったのです。どんな生い立ちかは、詮索しません。
それは自慢するようなことでも卑下することでもなく、いまここに在ることの幸せをしみじみと感じ入るものではなかったでしょうか。
作者は何も言っていませんが、深く頷かされるものがあったことを季語の「蓬餅」に語らせています。
人としてのあたたかみやなつかしみが蓬餅の素朴な味わいの中に気持ちよくひろがってゆきます。
春炬燵ぽいと呉れたる風邪薬 冨沢詠司
面白いです。軽く言い放って、季語「春炬燵」の核心をついています。
冬の炬燵とは一線を画しているところがいいのです。
どうやら春のけだるさにふて寝しているような感じです。
奥様もそれを承知していて、ぽいと投げてよこした風邪薬ではないでしょうか。
句会で、そう感想を述べましたら作者は違います、「妻は心配してそっと置いてくれたのです」と。
それなら「ぽいとやさしく風邪薬ですね」、と納得していただきました。
でも、やっぱり中七の「ぽいと呉れたる」の方が俳句として絶妙です。
思えば作者は面白く詠おうと思ったのでなく、真面目に詠われたのです。
読者はそこに面白さを感じるのです。作者が面白がって作った俳句は少しも面白くありません。
旅に居て机に向かふ春の暮 石本りょう子
うららかな春の旅にあって、たっぷり一日を満喫されたのでしょう。
宿に着きひと息入れたころに春の夕暮はやってきました。机に灯を点して、さてというところです。
ちなみに、一句は席題「机」で作られました。身辺の机にあらずして、思いを旅先にまで飛ばされたことがすばらしいです。
今はコロナ禍で自粛していますが、かつて春の旅にあって宿に着くとすぐ机に向かって、
まずは俳句のいくつかを書き留めたことなどなつかしく思い出しました。
春の蠅机の端へととととと 市田耳順
「ととととと」が愛らしいです。
「ちょっとここは気に入らんわい」とでもいうような、やや焦り気味の蠅の足の運びが目に見えるようです。
作者の目もまた蠅の動きにそっているのがよくわかります。
生まれたての蠅は「蠅生る」という季題になりますが、「春の蠅」は成虫のまま越冬していたのが、一、二匹どこからとなく出てくるというような蠅です。
この句も「机」からの一句でしたが、夏の「蠅」とは一風おもむきの違った、春の雰囲気を感じさせるものとなっています。
この門はむかし銀行柳の芽 宮前ゆき
四つ角のここは、なじみの銀行のあったところです。今はあとかたもありません。
コンビニかレストランになっているのでしょうか。
おやまあ、建物の風景が変わってしまって、という感慨にあって、あたりの柳はすっかり芽吹いて美しい萌黄色を見せてくれているのです。
刻々変化するものの中にあって、繰り返し巡ってくる自然の移り変わりを確認できることは本当にやすらぎます。
私が、「柳の芽」という季語を知ったのは、〈退屈なガソリンガール柳の芽 富安風生〉という一句からでした。
半世紀も前のことですが、やはり街路に枝垂れる柳の新芽であったとは今さらになつかしいです。
ガソリンスタンドや銀行は盛衰を繰り返すでしょう、でもこの柳さえなくなったらいよいよ深刻です、平和を祈るばかりです。
新聞の隅を菜の花咲きにけり 山崎得真
「菜の花」というと誰しもが、〈菜の花や月は東に日は西に〉という蕪村の句を思い出すでしょう。
蕪村の句の情景は、昔も今も人々のやすらぎを引き出してくれます。
かたや得真さんの菜の花はそんな大景ではありません。
作者その人が見つけた菜の花は「新聞の隅」というほどの、ついその眼の先の、そこにある菜の花なのです。
ふと、新聞という日常の代名詞のようなところから明るさの色彩を認めたものです。
新聞に菜の花の絵か、写真が載っていたことが発想のきっかけかもしれませんが、 この句の中では絵でも写真でもなく菜の花の命がいきいきと咲いています。
たんぽぽの絮と乗り込む中央線 佐藤健成
たんぽぽが地べたに張りついたように花をつけている光景はここそこに見られます。
やがて花が終わると白い絮となって、風があってもなくても、ふわふわとどこまでも飛んでいきます。
それを実証するかのように、通学でしょうか、通勤でしょうか中央線のとある駅から乗り込むと何とたんぽぽの絮もくっついてきたというのです。
中央線は都心にあってビルや学校が立ち並びますが、その背後には武蔵野地域の広がりがあることを、蒲公英の絮が詩情ゆたかに知らしめてくれます。
先日、高尾の花見帰りに中央線国立駅で下車、一橋大学までの桜並木を堪能しました。
桜に見とれて、掲句のような蒲公英の絮を見損なったのは残念でした。
パトカーの橋に止まるや春一番 平野翠
あたたかや芝を電車の影過ぎて 奥山きよ子
彼岸寒塔婆に鳥の糞のあり 漆谷たから
春炬燵首まで潜り空仰ぐ たから
当ての無き返信待つや薺咲く 山森小径
百千鳥下校の子等の口喧嘩 古舘千世
雨音や草芳しきバルコニー 加藤かづ乃
しやぼん玉生まれるたびに子が笑ひ 日下しょうこ
不機嫌なお顏揃ひの官女雛 中原初雪
ひつぱつて開ける缶詰山笑ふ 澤井みな子
介護車の行き交ふ春の日暮時 関野瑛子
鴨引くや山ふところの鏡池 森田ちとせ
下萌やにはか床屋の始まりぬ 河野きなこ
引鴨や石も草木も静かなり 加藤洋洋
校庭の隅にたんぽぽ日曜日 鈴木一父
子雀の転がり出でて厩かな 二村結季
藍植うや象のかたちの如雨露もて 松井あき子
三月やほどよく丸き鳩の腹 小宮からす
朝霞洗濯物のよく乾き 芳賀秀弥
静かなる奈良の雨かな草の餅 川井さとみ
弁天に手を合はせたる牡丹の芽 石堂光子