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青草俳句会~命のよろこび

結社「青草」 主宰 草深昌子

青草通信句会 2024年1月

2024年01月15日 | 俳句
謹賀新年
本年もどうぞよろしくお願いい申し上げます

草深昌子選  (順不同)
兼題「歌留多」

 

  どれどれと祖母も加はり歌留多取       佐藤健成
 一家和気藹々の歌留多。「どれどれと」、祖母の強さがうかがわれます。
 
   歌留多読む父の一杯機嫌かな   二村結季
 一杯機嫌というところがいいですね、ますます名調子になりそうです。
 
  一枝に六羽並ぶや初雀   石堂光子
 混み合っている六羽は愛らしいです、めでたさの雀です。

  山に雲蓮田の端に初氷   光子
 丁寧に描写しました。ハスダ、ハシ、ハツとハ音のつらなりが、殺風景に明るみをさそいます。

    まな板の音して今年はじまりぬ  冨沢詠司
 俎という日々欠かせぬ日常のものが、新年のめでたさを奏ではじめます。
 
   姿勢よき叔母のよみたる歌留多かな   奥山きよ子
 姿勢がよければ自ずと声もよいでしょう。母にあらずして叔母に気持ちが籠ります。
 
  勝つまでは終わらない子の歌留多かな   木下野風
 歌留多に発揮する負けず嫌いもめでたく、頼もしいものです。
 
  平仮名を覚えたての子歌留多かな   川井さとみ
 いろは四十七文字が楽しくてなりません、一枚一枚上手にとれては拍手でしょう。
 
  元朝や日輪眉にあたたかき   佐藤昌緒
 元旦に仰ぐ天日のありがたさ。「眉にあたたかき」には、実景とに、作者の心情に新鮮なる把握があります。
 
  冬ざるる川に打ちたる投網かな   間 草蛙
 蕭然たる枯れ果ての中にあって投網を打ちます。天地の枯景色をいっそう大きく広げます。
 
  百人一首誦んずる子の長き風呂   神﨑ひで子
賢いお子さんです、風呂にのぼせませんように。「風呂長き」
 
  蝉丸の名だけ覚へし歌留多かな   中原初雪
「これやこの行くも帰るも・・」私も何故か蝉丸が好きでした。いろいろ蝉丸伝説がありますが、こう詠うことで歌留多が浮かび上がります。

  


  歌留多読むたまに一拍おきもして   草深昌子
  指を折りまげて数ふる去年今年
  嵩張れるものみな紙や春支度


令和6年1月・青草通信句会講評    草深昌子

 新年おめでとうございます。幕開けの兼題は「歌留多」。
子供の頃、お正月と言えば「小倉百人一首」の歌がるたが一番の華やぎでした。親戚や近隣の大人に混じって、晴着の袂を大きく揺らして、末っ子の負けん気を発揮したものです。朗々と歌留多を読み上げる母の声も大好きでした。

  封切れば溢れんとするかるたかな   松藤夏山
  歌留多読む恋はをみなのいのちにて  野見山朱鳥
  歌かるた女ばかりの夜は更けぬ    正岡子規

 明治27年の正月、日本新聞社員や書生らが毎晩歌かるたを闘わしましたが子規にはかなわなかったそうです。子規は機敏で乱暴で、本人も仲間も手を血だらけにしていたとか、文字通り血気盛ん。

 新年の季語は「初」に溢れています。初日、初空、初富士、初風、初夢、初湯、書初、買初、初詣、初荷、初市、読初、初漁、詠初、等々。 
毎日のように見かける雀も、新年はじめて見る雀は「初雀」、そう詠いあげただけでいかにもめでたいではありませんか。
正月はなべて「めでたさ」を詠うべきだと、先師に教えられました。困難な世にあって、せめて正月だけはめでたくと願いつつ、今年はいきなり、災害災難の悲しみにうちひしがれました。
それでも初山河は、目に染みて心に染みて、美しいものです。

  新年の山見てあれど雪ばかり      室生犀星
  元日や手を洗ひをる夕ごころ      芥川龍之介
  たてかけてあたりものなき破魔矢かな  高浜虚子
  初富士のかなしきまでに遠きかな    山口青邨
  繭玉に寝がての腕あげにけり      芝不器男
  初空といふ大いなるものの下      大峯あきら
  母が家は初松籟のあるところ      山本洋子
  正月の雪真清水の中に落つ       廣瀨直人
  初夢のなかをどんなに走つたやら    飯島晴子
  人類に空爆のある雑煮かな       関悦史



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青草本部句会 令和6年1月5日

2024年01月15日 | 俳句
謹賀新年
自然は美しいが時に私達の想像を超えた牙を剥く
人類は何度この試練に立ち向かったことだろう 

草深昌子選  (順不同)
兼題「左義長」 席題「赤」

 


 赤々と傾ぐ重機や初景色   奥山きよ子
 お降りの染みたる坂も暮れにけり   きよ子
 お降りのあとや雀ら西を向き   きよ子
 月と日と一つの空や年始め   川井さとみ
 どんど焼達磨の目玉から炎   さとみ
 竹はねて辻のどんどの始まれり   二村結季
 若菜摘む下葉ふくらむところまで   結季
 決勝の芝の緑の淑気かな   山森小径
 餅搗や臼転げ来て据ゑらるる   小径


 

    
 出立の陣地赤きが絵双六   草深昌子
 万歳の総身赤く出できたる
 着こなして傘寿の赤や初懐紙
 左義長やその夜西洋館泊まり







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草深昌子を中心とする句会・選後に・令和5年12月          

2024年01月15日 | 俳句
 草深昌子選

 

 
       教官のシャツ一枚や小春空    大村清和
 「小春日」は冬ながらまるで小さい春のようだというもの。
 語感からして愛らしく、まこと温暖なる小春日は俳人に多く詠まれてきた季題である。
 〈古家のゆがみを直す小春かな  蕪村〉、〈海の音一日遠き小春かな  暁台〉、〈小春日や石を噛みゐる赤蜻蛉  鬼城〉、
 〈小春日の心遊びて部屋にあり  虚子〉等々好きな句は枚挙にいとまがない。
 そんな情趣におかまいもなくやってきたのが「教官のシャツ一枚や」である。
 教官といういささかいかめしいひびきのある者が、脱ぎに脱いでなんとシャツ一枚というありさま、
 これはもう小春の趣きを超えながら小春そのものを直に打ち出している。
 教官にして恰好つかないさまが、「小春空」の透明感に相殺されてまこと美しい一句に仕上がった。

       冬休み風速計の音のして   松井あき子
 今の時世の冬休みはどうなっているのか。
 私の子供の頃は12月25日頃から1月7日頃までが冬休みであったように記憶している。
 お正月をはさんで嬉しい日々であったが、親の手伝いに明け暮れるものでもあった。
そんな冬休みの校庭に見かけた風速計であろうか、いや「音のして」であるから耳にしたもの。
それこそ今はプロペラ式ではないかもしれないが、いささか閑散たるもの音が、子供たちのいない学校の状景として身に添うように聞こえてくるというのだろう。
 風を測定する風速計を表に出しながら、冬の風の寒さを冬休みの光景からかすかにも感じさせるものになっている。
 
       冬の日や蠅の元気に蠅叩き   東小薗まさ一
 「蠅の元気に」とまで詠っていいものかどうかなどと迷うひまもなく、
 一句の勢いのリズムにひきつられてしまった。思いのままに、作者の本当が詠い込まれているのだろう。
蠅叩きというシロモノが現代にあるかどうかも疑わしいが、新聞を丸めたものでも蠅叩としたのかもしれない。
「蠅」も二度言わないと気のすまないような、つまり今日の冬日には強さがあるのである。
「冬の日や」、この冬の日射しはまばゆいばかりに煌めいている。

       神集ひ別れの酒を酌むと言ふ   伊藤 波
 陰暦10月、日本中の神様が出雲大社に参集する。
 そこで出雲大社では「神集ひ」、即ち「神在祭」を行う。
 私には体験がないが、作者はこの八百万の神さまの滞在に合わせて出雲へ旅されたのであろう。
 神迎えがあって、やがて神送りがあるわけだが、この時、神様ご一同さまは別れの酒を酌み交わされるというのである。
 こういう厳粛なる儀式によって、目に見えない神さまが、我らが人同然に実感されるところがあって、何とも有り難く、意義深い。

       牡蠣の身は食うて軽ろしや殻重し   町田亮々
 こちらは神さまならぬ、まことおろかしい人間の生きざまのひとこまをふっと洩らされたような一句。
 こんなことを詠えるのは卒寿の作者ならではのことだろう。
「軽し」と「重し」の対比には何かしらの意義を感じさせられるものであるが、この鑑賞を散文の理屈で言い上げると、一句のツブシになりかねない。
 ただ牡蠣大好きの私には、あだやおろそかに牡蠣を食うてはならぬと言い聞かせつつ、一方で、これがこの世でございますとばかり、スカッともするのである。

       とむらひの朝の蒲団を畳みけり   奥山きよ子
 「弔い」と聞いただけで、一句から目をそむけようとする読者、私である。
 だが、「朝の蒲団を畳みけり」という淡々たるやさしさの穏やかさに引き込まれてしまった。
 蒲団には、通夜なり葬式なり、その弔い心の哀しさが沈みこんでいるだろう。
 ズシリと重いもののようである。
 一夜経てその蒲団を畳むときの心情をおもてに何一つ出さないで、何気に詠いあげられたことに心打たれるのである。
 作者自身の実体験そのままであろう。
 だが、一個人のものでありながら、その詩情は作者を離れて読者に届いているのである。

       羽子板市玉三郎が一列目   きよ子
 坂東玉三郎、その女方の妖艶には息をのむばかりであった。
 そう、昔のことではなくて今もって、最高峰であるのだということが「一列目」にうかがわれるようである。
 これは、そのまま羽子板市の伝統を伝えるものでもある。


 


   北西に欠けたる月や一葉忌   佐藤昌緒
   冬鳥や豆粒のごと西へ行く  葉山ほたる
   紫の袈裟に刺繍や小六月  石井久美
   水鳥や忍びのものの歩きやう  小宮からす
   水鳥の上半身の大きさよ   からす
   サンタ待つ日の匂ひする蒲団かな   川井さとみ
   急流の横の淀みや浮寝鳥   鴨脚博光
   椎茸をもどすにほひや賀状書く   古舘千世
   派手やかに僧連なるや十二月   湯川桂香
   雲ぽかりぽかりぽかりや鴨の群  末澤みわ
   冬の朝北窓越しに見ゆる月   永瀬なつき
   寒林に透けて見ゆるや昼の月  石堂光子
   島遠く浮いてゐるなり蜜柑山   二村結季
   声太く帝釈天の飾売    佐藤健成
   炉の端や母の繕ふネルの足袋   加藤かづ乃
   こりこりと歯に遊ばるる河豚の皮   石野すみれ
   監視台横に倒れて冬ざるる   村岡穂高
   娘来てばしばし捨つる煤払   山森小径





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