草深昌子選 (順不同)

つつじ咲き満ちて連休始まりぬ 佐藤健成
躑躅の多彩な強力な咲きようは桜と違ってあまり好まれない感じが無きにしも非ずですが、こう詠われますと全くその通り、前向きになります。
躑躅の多彩な強力な咲きようは桜と違ってあまり好まれない感じが無きにしも非ずですが、こう詠われますと全くその通り、前向きになります。
落ちてなほ萌黄こんもり楠若葉 木下野風
出だし(上五)勢いがあっていいです、むくむくと湧きあがる樟若葉です。落ちても萌黄というのは納得です、目にも鮮やかに映ります。
松落葉木戸に掛かりて落ちなんと 佐藤昌緒
「落ちにけり」でなく「落ちなんと」というやや遠回しと言いますか、婉曲が効いています。読者はしばし明らかに松落葉を見せてもらえます。
蒲公英の絮は網戸にくつつきて 芳賀秀弥
蒲公英の絮は風に乗って飛んで行くとう概念だけではすまされません、地道ながら蒲公英が確かに見えます。リアルな一句、見事です。
松落葉ベンチに一人ハーモニカ 冨沢詠司
いいところでハーモニカを吹いています、しかも一人がいいですね。松の落葉を散らすような静かにも元気な音色が聞こえてきます。
代掻きや蛙の声の聞えもし 平野 翠
「代掻き」は田植に備えて、田を泥状にする仕事、牛馬に替わって今はトラクターです。エンジン音の中から小さく蛙の鳴く声が聞こえたのですね、よくぞ聞きとめました。「聞こえもし」なんて風流です。
常磐木門行き帰り落つ散松葉 伊藤 波
常磐木門というからには常磐木(常緑)の松が聳えているのでしょう、堅固な門を思います、小田原城でしょうか。「行き帰り」が秀逸です。しきりに降っている様子が想像されます。
葉桜やカナルカフエあるお堀沿ひ 田中朝子
葉桜という季題には、桜の終ったさびしさと待望の鮮やかさと両方ありますが、そんな微妙な明るさがカナルカフエの語感、お堀という水の印象に快く詠いあげられています。
夕風や蜂と揺れたる鴨足草 奥山きよ子
蜂はさまざまの草花に寄ってきますが、この鴨足草という地味な印象の花と共にあるのは意外です。夕方に吹く風の無聊に誘われたのでしょうか、とても詩的です。「夕風に」でなく「夕風や」という味わいを皆さまに知ってほしいです。
見えてゐて径は通はぬ朴の花 森田ちとせ
上五中七、ゆっくり読み下ろして、そういう経験あるなあと思い出されてきます。手に届かないところに朴の花は歴然と咲いていたのです。今更に朴の花の芳香がしのばれます。

老いてなほ人力車夫や風薫る 草深昌子
手にしたるものに蟻来る立夏かな
日の中に雨降る松の落葉かな
令和6年5月・青草通信句会講評 草深昌子
令和6年5月の兼題は「松落葉」。
清滝や波に散り込む青松葉 芭蕉
清滝は京都の西郊にある名所です。京都嵐山の保津川の支流となります。岸辺にある松の木から松葉が吹かれて、波の立つ流れのなかに散り込んでいるのです。松落葉は「散り松葉」とも詠いあげます。
青草吟行で相模原公園に着きますと、大きな松の木がありました。「若緑」「緑立つ」「松の芯」などという新芽を盛んに伸ばしていました。ふと眼を根方に落としますと、「松落葉」が散っていました。少しずつ古い葉を落とし始めていたのです。松の木は常緑樹ですが、晩春から初夏へ季節の移行を明らかに見せてくれました。
はくれんは生まれる前に咲いてゐし 山本洋子
はくれんは吉野の蔵王堂の先を左に折れたところで出会いました。あまりに大木の花の見事さにびっくりしました。近くの杣小屋の親爺さんを見つけますと、洋子先生は「あの木は何年ぐらいのものですかあ」と大きな声で呼びかけました。彼は「さあねえ、物心ついたときはもう立っていたからね、生まれる前からあったろうね」という返事です。そう「生まれる前」は賜った言葉でした。この措辞によって木蓮の純粋無垢なる白さがありありと見えるのです。
吟行しますと思いがけないものに出会います。花からも鳥からもそして何よりも人間から、思いがけないコトバをいただきます。
「驚き」!と「発見」!これこそが秀句のみなもとです。
この度の吟行は、春雨であったり、春時雨であったり、降りみ降らずみでしたが、会場に着くやいなやぱっと明るい日がさしました。
雨というこの季節独得の味わいをもって、皆さまと共に、去り行く春を惜しめましたこと、本当に楽しかったです。
机の前で考えていても俳句は出来ません。大峯先生に何度も聞かせていただいた、高浜虚子の言葉をあらためて反芻しました。
「自分が本当に感じたことを、言葉で巧みに飾り立てないで、正直に述べたのがいい俳句です」










