令和6年2月、「青草」15号が発刊されました
15回目なりの内容の充実が伺える号となりました
その一部をご紹介いたしましょう
青山抄(15) 草深昌子
一茶忌の菰巻見よや梅結び
おいぬれば日向ぼこりをひもろぎに
日の翳り見えてきたるよ枯芝に
檻古りて瑠璃の鳥なる氷かな
嚏して一茶の忌とは知られたる
鵠沼は戸毎の松の時雨かな
海に色さしつつ時雨上がりつつ
蔓物が好きでセーター重ね着て
父の忌を鳴いてくれたる笹子かな
尉去れば姥の来たれる日向ぼこ
梟の貌の大峯あきらなる
三味の音をここに聞きしが火事の跡
門口やものごたごたとクリスマス
鳶聞いて鳶見ぬ櫓炬燵かな
馬撫でて鼻やはらかや翁の忌
冬来るか何もあらぬにつまづきて
くろぐろと飛んで蜂かや冬近し
蜻蛉の顎つきだす秋の風
小鳥来る人か案山子か分からなく
蜂の巣を掻き落としたる木槿かな
盤石のつめたき秋の蝉のこゑ
板の間に柿の木遠く見てゐたり
此の年は息もつかせず秋に入る
定家忌や川田順など引き出して
雷鳴の空の黄ばんできたりけり
地芝居の化粧の濃ゆきかまどうま
竹の脚見せて案山子の末枯るる
水澄んでここにこごゑの法師蝉
きぬかつぎ月の大きな顔の下
枕木というてコンクリ芋嵐
青草往来 草深昌子
十といふところに段のある如き
錯覚持ちて九十一となる 土屋文明
何十年も前に書き留めたもので、間違っているやも知れませんが、まことこの通りと十年毎に感銘を深くしてきた一首です。いよいよ実感が迫ります。
四十歳になって愕然としたのも、つい昨日の事のようです。姑に「ああ、もう赤い服は着られないわ」と嘆いて、「これからではないですか」と叱られました。その通り、今もって真っ赤を着ています。
五十歳になったとき、「人生は、いよいよ佳境です」という母からの手紙に、佳境だなんて、とそらぞらしく響きましたが、百歳まで生きた母を思えば、心からの言葉であったことに気付かされます。思えば、この母の手紙攻勢で句会に出たとき、すでに三十歳でした。
やがて、正岡子規に嵌まって、その偉大さに俳句もろとも引き込まれていきました。漸く、俳句が分かりかけてきたのですが、何と子規の寿命の二倍以上も生きてしまっているではありませんか。
子規は重篤にあって、「誰かこの苦を救ふて呉れる者はあるまいか」と訴えました。某氏から「天帝や如来を信じて安んずべし。それができないなら、ただ現状に安んぜよ、そして号泣せよ、煩悶せよ、困頓せよ、而して死に至らむのみ」という手紙が来ました。
子規は「明鬯平易なる手紙は甚だ余の心を獲たもの」と喜んでいます。大峯先生の推測では、某氏は仏教改革者の清沢満之であったようです。
父親を戦争でなくした私は、満一歳の時から回らぬ舌で、事あるごとにナムアミダブツでした。
南無阿弥陀仏がそのまま亡き父と生きている日々でしたから、俳句人生の後半に大峯あきら先生に邂逅できましたのも、阿弥陀如来のおかげでしょう。
とまれ、これから歳を取るのも死ぬのも、全部初めての体験です。未知なる年齢を錯覚しつつ、面白がって生きてみたいものです。
芳草集 草深昌子選
十薬や唸り強まる室外機 奥山きよ子
睡蓮の甕や金蠅動かざる
浮輪穿き子の上り来る歩道橋
地境を二階に見たる茂かな
日からかさ博士の像を仰ぎけり
大通り流るる如く踊かな
流星や眠らぬ部屋の灯が一つ
薫風や赤子初めて靴履いて 石堂光子
白鷺の啄んでゐる蝌蚪の水
山迫るここ一面のチューリップ
梅雨晴間孔雀は羽を震はせて
出航を桟橋に待つ日傘かな
炎天を咲き継ぐ薔薇でありにけり
秋晴や白洲次郎の遺言
青草集 草深昌子選
稲光少し面白がつてをり 小宮からす
鶴見線無人の駅の日永かな
新緑や坂の途中に大使館
山陰の宿や畳に籐の椅子
特急は二両編成大夏野
まとはりて蝿も象舎に入りにけり
炎天や山頭火像仄白く
野遊びや子を走らせて草に坐す 伊藤欣次
手拭のほつれのごとく頬に蝶
自転車の籠に玉葱干し置かれ
わが先を蜘蛛の子走る夜の廊下
時計草受難の記憶うすれけり
帰国して革の表紙に早も黴
羊歯の葉を片寄せ掬ふ山清水
大峯あきらのコスモロジー⑪ 草深昌子
大峯あきら自選句集『星雲』は、すでに発刊した七冊の句集から四百五十句を自選、二〇〇九年七月一日の刊行は傘寿を記念するものであった。
これまで「大峯あきらのコスモロジー」にて、折々鑑賞を試みてきたが、『星雲』は一と続きに読むところに意義があるので、代表句の少々を書き連ねたい。
第一句集『紺碧の鐘』(四十七歳)
炎天の富士となりつつありしかな
フイヒテ全集鉄片のごと曝しけり
帰り来て吉野の雷に座りをり
探梅は岩躍り越す水見たり
南瓜咲き室戸の雨は湯のごとし
満月に落葉を終る欅あり
第二句集『鳥道』(五十二歳)
梟の月夜や甕の中までも
烏瓜仏ごころも恋も赤し
檜山出る屈強の月西行忌
柿接ぐや遠白波の唯一度
光秀のやさしさ思へ早苗籠
餅搗のすみて夕日の前を掃く
第三句集『月讀』(五十六歳)
虫干や子規に聞きたき事ひとつ
崩れ簗観音日々にうつくしく
難所とはいつも白浪夏衣
花咲けば命一つといふことを
つちふると小さき机に向ひゐる
雪女郎真北へ伸びる岬かな
第四句集『吉野』(六十一歳)
十三夜湖は北ほど深うして
人は死に竹は皮脱ぐまひるかな
啓蟄の日をふり仰ぐ子供かな
蒔くための花種を置く机かな
くらがりに女美し親鸞忌
切干も金星もまだ新しく
第五句集『夏の峠』(六十八歳)
竹植ゑて一蝶すぐに絡みけり
探梅としもなく美濃の奥にあり
玉虫を拾ひ夕日の宇陀にをり
花野よく見えてゲーテの机かな
虫の夜の星空に浮く地球かな
すぐそばをエールフランス十三夜
第六句集『宇宙塵』(七十二歳)
冬日落つラインの鷗狂ふとき
国境の冬日まいにち沈みけり
文書いてゐる朝顔の花の前
初空といふ大いなるものの下
雪空を畳のやうに鷲飛ぶと
秋風やはがねとなりし蜘蛛の糸
第七句集『牡丹』(七十六歳)
全集のフイヒテは古りぬ露の家
日輪の燃ゆる音ある蕨かな
水涸れて昼月にある浮力かな
朝日子の押し寄せてゐる牡丹かな
青空の太陽系に羽子をつく
月はいま地球の裏か磯遊び
『星雲』の巻頭には、「ホトトギス」昭和二十五号初入選の〈灯を消してあり春泥を押しつつみ〉も採用されていて、一集にして六十年の歳月が流れている。
〈フイヒテ全集鉄片のごと曝しけり〉から〈全集のフイヒテは古りぬ露の家〉までは、四十余年の光陰。「露の家」に於ける「まこと人生は短く、学の真理は永遠である」という作者の述懐は切なくも尊い。
振り返って、一集の句群は明瞭この上なく、焦点のしぼられたものばかり。静謐のなかで描写された自然には虚飾がなく、自他共にあるいのちがありのままに、確かに今ここに存在しているものである。
大峯あきらは昭和五十九年(五十五歳)、波多野爽波主宰「青」同人を辞し、同人誌「晨」を創刊した。
「晨」の創刊二十五周年記念号巻頭の大峯あきら特別作品に添えられた言葉は、衝撃的であった。以来、何度読み返し、何度考え直したことだろうか。
意識して上手にこさえあげた「為す句」はダメで自然に生まれた「成る」がよいのだ、と『三冊子』の芭蕉は述べている。
若い頃は、弟子たちに説教した天才の悟達の心境のように思って、何となくなじみにくかったが、いまは狂気をはらんだ実作者の、なまなましい言葉だったことに気づかされる。
俳句は無心の境地などという綺麗事から生れはしない。実作者には、悪戦苦闘の修羅場があるだけだ。それにもかかわらず、その修羅場の只中に、時として自分を忘れた不思議な瞬間が訪れる。
詩作とは、われわれが言葉をつかむのではなく、言葉がわれわれをつかむ経験のことである。
修羅場という言葉の凄みはどうだろう。まさに、大峯自身の狂気をはらんだなまなましい言葉ではなかろうか。思い返せば修羅場と聞いて、思わず大峯先生も句作に苦心惨憺されるのかと親しみを持ったものであるが、大峯あきらのそれは、ただの修羅場ではなかったことであろう。
今もって、そんな境地にひたることはできないが、「時として自分を忘れた不思議な瞬間」は、誰にでもやってくるのだと、我々によく言い聞かせてくださったことも、今はなつかしい。
七句集それぞれのあとがきを顧みても、その精神は終始一貫している。
「花や鳥を他者のように観察するのでなく、それらの物たちと親しくことばを交わすためには、私の内部に何が起こらなくてはならないか」、「花や鳥の語ることばに耳を澄ませて、これらと交響するようなことばの場所に出たい」、「俳句という詩のことばは、個人の心のたんなる叫びの表白ではなく、その叫びがいったん、山川草木や禽獣虫魚たちのことばの世界へ消えてしまって、そこからもう一度再生してきたことばに違いない」、「私を映してくれる宇宙の愛に応えて、私の方からも無心に宇宙を映したい」、「花は自分の美しさを誇っているのではなく、こちらに話しかけ、私を対話に誘ってくれていた」等々、自然との深い交渉をしなければ、本質的に深い俳句はできないという教えであろう。
二〇〇七年(平成十九年)、大峯顯と哲学者池田晶子の対話集『君自身に還れ 知と信を巡る対話』(本願寺出版)が出版された。大峯は池田の鋭敏な知的挑戦を大いに喜ばれた。池田も、――大峯先生は、知るとは人生を知ることであると明言して憚らず、しかも多くの学者が警戒して触れようとしない「信じる」ということ、人生の核心に存在する「信じる」とは何なのか、深い思索を広く開陳しておられる。僭越は重ねて承知、「知と信」を巡り日々(勝手な)思索を続けている私にとって、これよりふさわしい対話者はなかったかもしれません――と絶大の敬愛を寄せられたのだった。
だが池田晶子はこの本の仕上りを見届けると、二月二十三日、四十六歳の若さで急逝された。
悼 池田晶子
今朝引きし鶴にまじりて行きたるか あきら
池田晶子は絶世の美人にして、酒豪であったという。
この熱き対談の余韻をもって、第八句集『群生海』は、いよいよ大峯あきら俳句の宇宙性が確立されて、ゆるぎないものとなっていくのである。
秀句集 草深昌子
十薬や唸り強まる室外機 奥山きよ子
日からかさ博士の像を仰ぎけり
蒸し暑い日々にあって、エアコンはフル回転であろう。室外機の音を中七に十二分に表現して、いかにも十薬がはびこっていそうな状況を見せている。
二句目、日傘をさして出掛けた先でふと出会った博士の銅像であろうか。一句にとどめたのは、その時ハッとした心の引き締まりがあったからであろう。日傘のうちにひやりとした空気が流れはじめる
稲光少し面白がつてをり 小宮からす
稲光は誰しも怖い。そんな常識を外したところが文字通り面白い。作者も当然ビビりながら、あまりの閃光に開き直って「面白がってをり」であろうか。
同時に稲光そのものが、いかに放電しようかと暴れん坊のごとく面白がっているというものでもあろう。
梅雨晴間孔雀は羽を震はせて 石堂光子
孔雀が扇状の羽を大いに広げたのであろうか。梅雨の鬱陶しさを打ち払うような梅雨晴れの情景を「震はせて」の繊細な描写に詠いあげられている。
それは、生きとし生けるものの梅雨の晴れ間のよろこびの表出でもあろう。
羊歯の葉を片寄せ掬ふ山清水 伊藤欣次
山中に湧き出している清水の清冽が、羊歯の葉をもっていっそう透き通ってくるようである。「片寄せ」「掬ふ」、美しい措辞のつながりが、ゆったりとした静けさを思わせて、その場に引き込まれるようである。
倒れても薔薇でありけりぷりんせす 河野きなこ
雨風のあとであっただろうか、薔薇は悲しくも倒れていたのである。それでも薔薇は薔薇としての輝きを失ってはいなかった。そう、その名もプリンセス。思わず貴婦人の姿が思われるが、作者の脳裏にあったのは「ぷりんせす洋洋」さんであった。
「青草」にあって、誰よりも俳句を愛し、俳句に愛された加藤洋洋さんは薔薇の五月に旅立たれた。

雨空の端の明るき日永かな 森田ちとせ
朝から雲行きがどうもあやしい、今にも雨が降り出しそうである。気がかりながら所用があって出かけたところ、川筋を少し曲ったあたりであろうか、ふっと空のどこかが明るくなったのである。
上十二は自然現象そのものを的確に見届けながら、昼間の長くなった印象を明らかに打ち出している。
五月雨の河を見てゐる背広かな 山森小径
先ず、なぜ背広なのだろうと思う、すでに一句に引き込まれているのである。やがて、降り続いてやまない五月雨を前に、その人の物思うこころが立ち現われてくるようである。五月雨は梅雨と同義であるが、「さみだれ」の語感には雨脚の明るさがさしていよう。
いつしか作者の姿は背広その人のそれになっている。
雲の下雲走りゆく野分あと 中原初雪
雲の動きをよく観察して、「野分あと」のありようを確と捉えた、その余情が十二分に広がっている。
ちなみに、凡兆に〈上行くと下来る雲や秋の天〉がある。この句を鑑賞して大峯あきらはこう書いている。
――何の変哲もない白雲の動きに見えたものが、実は、高度を違えて、正反対の方向に流れる二つの雲の動きであったのを知って、この俳人は目から鱗の落ちる思いがして、発見者のよろこびに震えたことでしょう。一種の危機感をはらみながら、あくまでも静かなこの雲の流動くらい、秋という敏感で荘厳な季節にふさわしいものはありません――
実作はもとより、鑑賞においても、俳句の道のはるけさを思うばかりである。
こめかみのジャリと鳴りたる暑さかな 伊藤 波
異様なる今年の猛暑が、驚くべき実態をもって詠いあげられている。「ジャリと鳴りたる」、誇張ではなかろうかと思う間もなく、さもありなんといたく納得させられる。肉体にも精神にも堪える夏であった。
流星に網を構へし覚えあり 柴田博祥
流星に網を構えたのは子供の時分のことであろう。一読、何て愛らしい、何てロマンチックであろうかと微笑ましい。だがそれだけではないだろう。
「覚えあり」、宇宙の不思議を問いかける子供のこころのありようこそが本当であったのだと、今もって自身への問いかけを失っていないのである。
青田風おたまじやくしの足短か 平野 翠
青田におたまじゃくしを見届けた瞬間に、「おっ、足短か」ときたのだろう。その直感がそのまま一句におさまって、読者もまた、まるで自分が発見したような感銘をいただくものである。 何かを伝えようという意図が作者に一切ないところに詩情が生まれている。
赤坂の一ツ木通り春の雨 佐藤健成
「赤坂の」、「一ツ木通り」に春雨が降っている、ただそれだけのこと、飾り言葉は何もない。ただの断片のようなものであるが、春の雨の情趣を明らかに見せるものである。一ツ木通りは、時代の先端をゆく町の象徴のような道筋であるが、事実は知らなくてもいいだろう。赤坂、そして一ツ木のもたらす語意語感のイメージがそのまま春の雨につながってゆく。
石塊か蚯蚓の糞か小暑なる 二村結季
小暑は陽暦では七月七日頃である。作者は畑仕事をされるから、その周辺でのことであろう。石のかけらか、蚯蚓の糞であろうか、ふと異質のものが同じように見えたとは、小暑たる時節の実感であろう。
似ても似つかぬ「石」と「糞」の対比から、思わず小暑の空気感を嗅ぎ取らせてもらうものである。
水鉄砲打たんとすれば死んでをり 古舘千世
水鉄砲は水遊びに欠かせぬ玩具である。あまりにも激しい鉄砲撃ちのさなかにあって、死んだふりをして逃げ切るとは、何と賢くも可愛い子だろうか。ここには作者のやさしい眼差しが光っている。こんな子供たちの世界に入って濡れてみたいような涼しさ。
背なうを背ナに八月十五日 中澤翔風
「背なう」は「背嚢」。軍隊で、徒歩部隊の将兵などが背負う袋のことである。当然、弾薬なども入っているものであろう。戦中生れの作者は、戦争の悲惨を二度と繰り返さないための思いをさまざまに積み上げて来られたのであろう。背嚢が学生の背負う方形の鞄であることをも思い合わせると句意は深い。
ズシッと受け止めたものの重みが、敗戦日である。
若蘆の吹かれて蝶の出でにけり 佐藤昌緒
蘆は春先に「蘆の角」が出て、やがて二列に互生した長い若葉をそよがせるようになる、これが「若蘆」である。風が来て一斉に吹かれるさまに見惚れていると、蝶々が飛び出した。あらっと頬の緩んだ瞬間を詠われた、そのスピード感が詩情である。
まんまんと空へ向かふや百日紅 大村清和
さるすべりは百日紅と書く通り、夏の長い期間を咲き続ける。「まんまんと」は、まさに実景、実感であろう。
解釈を拒否する措辞が、中七へ堂々とつながって、百日紅に決着する。百日紅は、これでもかと言わんばかりの勢いにありながら、なお命の爽やかさが印象されるものである。
油虫這ひ行く先や薄荷壺 松原白士
油虫の行手を見ていると、おお、向こうには薄荷壺があるではないか。薄荷壺とは耳慣れないものだが、薄荷油が詰まっている壺であろう、悲鳴をあげるどころか冷静に見届けられているところ、さすが白士さん。
はてさて、油虫は薄荷を避けて通るのか、その芳香にコロリとまいるのか。
その他、注目句。
水源はフエンスの向かう諸葛菜 松井あき子
朝霧の大山登る早さかな 石原虹子
闇の夜の逆さ海月の宴かな 松尾まつを
夏の雲高きを渡る薄さかな 間 草蛙
無花果の広葉に隠れ五つ六つ 冨沢詠司
切込みの三本に塩秋刀魚焼く 木下野風
からつぼの牛舎のそばや小判草 黒田珠水
鶏頭をすり抜けて行く隣家へ 市川わこ
その葉掻き分けて睡蓮つんと咲き 漆谷たから
霧深し声する方へ山を下り 湯川桂香
丸々と蛭の吸ひ付く田植かな 東小薗まさ一
行春や漬物樽の丸洗ひ 川井さとみ
奥山の木挽きの音や梅雨の晴 泉 いづ
かなぶんや足掻きて羽を半開き 渡邉清枝
屋根の色塗り替へてゐる梅雨の入り 芳賀秀弥
お社はペンキ塗り立て小鳥来る 神﨑ひで子
赤とんぼ翅を下ろして竿の先 田中朝子
この坂に住んで久しや小鳥来る 日下しょうこ
垂直に上へ上へと夏の草 長谷川美知江
ささくれてゐたる畳や秋の声 加藤かづ乃
小鳥来る駅出てすぐの木のベンチ 町田亮々
糸雨の一と筋流れ青簾 海内七海
大晴の並木を渡る鵙声 佐伯柚子