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青草俳句会~命のよろこび

結社「青草」 主宰 草深昌子

青草中央句会・秋の吟行 令和5年10月17日火曜日

2023年10月31日 | 俳句
快晴、秋の日射しは強く、
平日にもかかわらず、木陰のベンチは満席であった。
散策の人、刈ったばかりの芝生に寝転ぶ犬、修学旅行生、
写生をする人などが山下公園に散らばっていた。
それにしても、鰡は何の為にあんなに高く飛び上がるのか。

日 時 令和5年10月17日火曜日 12時
吟行地 横浜・大桟橋、山下公園他
句会場 波止場会館

草深昌子選 (順不同)
 


桑紅葉裸像は腰にシルク巻く      河野きなこ
港町見晴らすデッキ赤蜻蛉     神﨑ひで子
秋薔薇からす揚羽のゆつたりと   佐藤昌緒
水先船鴎の飛んで鰡飛んで       森田ちとせ      




草の穂や港は薔薇のうち交じり   草深昌子
秋の日のマリンタワーのいま真上
黄に実り黄に咲く花や鯊日和
秋遊大桟橋でありにけり
紅葉初む波を蹴立てて巡視船

 
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「俳句総合誌『俳句界』2023年10月号 特集 俳句にある「生」草深昌子(「青草」主宰・「晨」)俳句界」

2023年10月21日 | 俳句
特集 俳句にある「生」          
          花咲けば     草深昌子
 
 


   花咲けば命一つといふことを  大峯あきら
「人間の生きたいという願望は、個人の内にある生命そのものの願い。
だが、人は死んでも大丈夫、人間を越えた大きな不思議な力がやってくる」と大峯あきらは説いた。
はかない命は宇宙のはかなくない命といつも一緒に生かせてもらっている。
桜が咲くということは、森羅万象の命の顕現である。 

  秋風や模様の違ふ皿二つ    原石鼎
前書によると放浪生活の所感のようであるが、自らの苦悩の末に見出された言葉は読者をして「生」ある方向へ向わせる力を持っている。
「模様の違ふ皿二つ」はイコール秋風、秋風に吹かれて秋風になりきっている。
二つあれば二つ違うことのありようの方がむしろ頼もしいのではなかろうか。
石鼎は、人間より自然との切り結びを強固にしているのである。

  冬蜂の死にどころなく歩きけり   村上鬼城
冬蜂はもう飛べない、寒さの中をよろよろとさ迷っている。
蜂のみならず人はみな死に至るのだが、鬼城は苦しみに身を置くことをむしろ肯定しているのかもしれない。
何故なら、ここには揺曳する冬日のあたたかさがある。

  凍鶴が羽ひろげたるめでたさよ   阿波野青畝
凍ったまま微塵も動かない鶴が、大いなる羽をひろげきった、まるで幻想のような美しさである。
「生」は、「めでたさよ」のたった五音に活写されている。

  何淋しとてにほどりの淋しは   岸本尚毅
生あればこその淋しさ、淋しさあればこその生、潜りもすれば浮きもする。
生きとし生ける物のありようは深閑として余韻に浸るばかり。
百二歳で命を全うした画家野見山暁治、その自叙伝のタイトルは『いつも今日』、
つまりは「永遠の今」をひたすら塗りに塗って生きたのである。
「描く」ことが好きで好きでたまらなかった画家同様、俳人岸本尚毅もまた、俳句が好きで好きでたまらないのだろう。
そういう作家であればこそ、鳰のあれこれが滑稽に迫ってきたに違いない。淋しさは楽しさの裏返しである。
大峯あきらが死の前年、新聞に寄稿した「自我の破れ目から」という一文がある。
――人間の言葉よりも先に人間に呼びかける宇宙の言葉がある。
その言葉を聞いたら、人間の自我は破れ、その破れ目から本来の言葉が出て来る。
それを詩という名で呼ぶのである――
思えば、「秋風」や「冬蜂」も、「凍鶴」や「にほどり」も、物そのものの声が向こうからやってきたのだ。
天からの言葉を確かに聞きとめることのできる作家の凄みが「生」そのものを映し出したといえるだろう。
かにかくに、「生」を感じない秀句はないのである。





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青草通信句会 2023年10月

2023年10月13日 | 俳句
草深昌子選
兼題 「夜寒」

      


       ひとしきり夜寒の星を仰ぎけり       石堂光子
 「ひとしきり」、「仰ぎけり」という連係プレーが夜寒の星々の輝きに臨場感をもたらしています。人も星も共々夜寒にとりかこまれているのです。

       ふと目覚め夜寒の闇にひとりかな   間 草蛙
 何かの拍子にふと目覚めることは多々ありますが、「夜寒の闇」にというあたり、また「ひとり」というあたり、身に沁み込んでくるような夜寒が詠い上げられています。深閑としています。

       施錠して体育館出る夜寒かな    佐藤健成
 昔、小学校の体育館を借りて夜に卓球クラブの練習をしていましたので、この体験こそは我が身に覚えのあるものとしてひしひし感じます。「施錠して」の実感が、夜寒を伝えてあまりあります。

       見上ぐるも屈むも蓮の実でありぬ   二村結季
 蓮は花が終わりますと蜂の巣のような孔に実をびっしり詰めて、やがて飛び出します。蓮の茎には長いのも短いのもあって、作者はその造形の面白さを存分に楽しまれたのでしょう。蓮池も秋の光景です。

       夜寒さの厨に栗を茹でてをり   結季
 先日の急な夜寒に思わず私も何か熱いものをと厨に立ちましたが、栗を茹でるまでには参りませんでした。栗の味わいは、そのまま夜寒の風流な趣きになりかわっていることに気付かされます。

       三日月の細さ極めし夜寒かな   
平野翠
 繊月にも似た、まさに糸のような三日月なのでしょう。細くして尖鋭なる明かりがいっそう夜寒を誘います。中七の描写に作者の気持ちが籠ります。

       長廊下行き止まりたる夜寒かな   奥村きよ子
 どんなシチュエーションの長廊下か分かりませんが、廊下の先がずっと続くのではなく、行き止ったという時点で夜寒が迫ってくるのです。「長」が効いています。

       父の音階下にありし夜寒かな   きよ子
 母でなく「父」、二階でなく「階下」がさりげなく、微妙な夜寒の感覚を誘い出しています。大方の句ははっきりそれとわかる夜寒でしたが、この句は読者の心にしばらく物思いを誘い出してくれそうです。

       宿坊の僧の見廻る夜寒かな   古舘千世
 寺や神社に泊まらせていただく宿坊には格別の雰囲気があります。夜には僧侶が見回ってくださるのでしょう、そのお勤めは、折からの夜寒にしみじみとした癒しをもたらしてくれそうです。

       名月の障子朱色に変はりけり   冨沢詠司
 私も二階の畳に座って名月を眺めましたが、「障子朱色」の発見には至りませんでした。そこで、思わず、「へえ、そうなの?」って驚きます。それが佳き句の証しです。月明りの凄みです。

       この坂に住んで久しや小鳥来る   日下しょう子
 「この坂に住んで」という言い方がいかにも爽やかです。渡って来た鳥たちの声も親しく響きわたります。私も坂の町に住み古りました。家路の上りはキツイですが、それもまたよき命を養ってくれているのでしょう。小鳥のように。


       


       読みさしのはた書きさしの夜寒かな   草深昌子
       枕木というてコンクリ芋嵐
       夜寒さの母が歌へば子が歌ひ
   

令和5年10月・青草通信句会講評    草深昌子

  十月の兼題は「夜寒」。
「夜寒」は、夜の寒いこと。特に、晩秋に夜の寒さをしみじみと感ずること。また、その季節。 『広辞苑』の解釈ですが、この続きに、「病雁の夜寒に落ちて旅寝かな」(芭蕉)を引いています。
       病雁の夜寒に落ちて旅寝かな   芭蕉
  鳴きわたっていく雁の中に、病にかかった雁が仲間から外れて地上に降りてきたという風景です。芭蕉もまた病んで堅田の旅の途にありました。近江八景の「堅田の落雁」も踏まえています。しかし、この句の主題、季題は「雁」でしょう。旅に病んで群れから離れた雁の淋しさが、 芭蕉の旅寝の夜寒をいっそう募らせるのです。

       鯛の骨たたみにひらふ夜寒かな   室生犀星
    こちらは正真正銘の「夜寒」です。タイノホネ、タタミニ、というタ音の響きのよろしさと共に、「鯛」の骨が夜寒を物語ってくれます。これが「鰺」や「鮭」では詩情が乏しくなるでしょう。伝統的詩歌の味わいを引きつつ、日常身辺的な夜寒の情景を伝えています。

   犀星の句からも、俳句は、主張する言葉でなく、万象のおもむきをふっと静かに受けとめるものであることに気づかされます。
   俳句を選ぶときも、自分の俳句がベストだと思っている限り、他のどの句も採れません。自分は捨てて、他者の俳句の世界に下り立って身を低くして選をすることです。
   私自身も選句には、謙虚に、一生懸命に取り組んでいますので、自負があります。主宰の選を参考にしていただくと嬉しいです。
   生き方にしましても、自分、自分ではなく、人さまのおかげで私はここにいるのだという認識が選句を通して自然に身にそってくるように思われます。これぞ俳句の徳というものではないでしょうか。

   高浜虚子の『五百句』をお読みでない方はおられないでしょうが、一度きりでなく、繰り返しお読みいただきたいものです。
  「青草」定例句会の「花野」では、大峯あきら句集『短夜』の勉強会を開きます、一緒に「俳句を読む」ことを楽しみにしています。

   夜を寒み犀星句集読みつづく   昌子





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青草本部句会 令和5年10月6日

2023年10月10日 | 俳句
このところ風にほんの少し秋を感じるようになった。
今年は紅葉も遅れているそうで、秋惜しむ間もなく冬が来そうである。
         
草深昌子選
兼題「新酒」 席題「魚」   
   
   
   
 
リヤカーで済む引越しや秋の雲   奥山きよ子    
秋晴や漁船に鳥の名を付けて   きよ子
ベランダに煮魚匂ふ十七夜  きよ子
敷物につまづきもして夜寒かな   山森小径     
利酒や見上ぐる梁の黒光り   松井あき子 
植木屋の鼻歌まじり秋の空   あき子
棉吹くやどこへゆくのかひつじ雲   あき子


   


盤石のつめたき秋の蝉のこゑ  草深昌子
秋風の萩をもらさず通りけり
渡し舟下りて新酒を酌みにけり
水澄んで魚の影なきところなき
魚に餌をひとふりしたる月見かな 
     



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