令和5年8月「青草」秋季14号が発刊されました
記録的猛暑日の続く中にもかかわらず
頁数も増えて一層充実した内容になりました
青山抄(14) 草深昌子
風にうちたたく小判や小判草
尺蠖の横ゆく椅子にゐたりけり
夕焼くる穴に嵌まつて団子虫
夜の蟻を爪に這はせて老けにけり
枝折戸の風にひらくや棕櫚の花
梅雨の子やふんころがしをたなごころ
画眉鳥をしのぐ孔雀のこゑ涼し
風に立ちなほるときなき真菰かな
夏めくや花か実か穂かわからなく
温室は涼し窓みな開いてあり
玉葱を吊るや向かうに凧揚がり
水べりに蛇あらはるる祭かな
広縁やカンカン帽の人ひとり
蔓にして枝めく梅雨に入りにけり
幹に食ひ込まんばかりに蔦若葉
桜蘂ふるや浮葉に当たりもし
鳰の子を見たるその夜の月大き
行く春のおできの神の鈴の鳴る
ざり蟹の子の出てきたる水きれい
蝶々に網追ひつかぬ子が走り
水たまりよけつつ花の吹雪きつつ
桃咲いて婆や峠に侘住まひ
野遊びや青く光つてサングラス
蝌蚪の紐突きつけられもして楽し
剥製のあはれまなこや梅日和
けいちつや長靴の子の川をゆき
炉塞いで松の高きに雨の降る
春服や墓にかがんで丈短か
榛の木のひらひら芽吹くあらしかな
あたたかに座つて墓石かもしれぬ
(角川「俳句」5月号掲載の一部を含む)
青草往来 草深昌子
先日ふと、片山由美子対談集『俳句の生まれる場所』に出会って、思わず読み耽ってしまった。大峯あきらとの対談は平成六年だが、「俳句の形式は個人を超えたもの、どんな個性もその普遍的な形式を破ることはできない」と力強く語っている。
〈大阪に来て夕月夜近松忌〉について、「都会で絶対に俳句はできない」とおっしゃっていますが、大阪の句であっても都会の喧噪はないですねと、ご指摘。「阪大に来てもすぐ帰っちゃうわけ(笑)確かにそれは街の人の句ではない。しかし、片山さんは、本人がわからんことを、よく分析している」と答えている。
ここで師は相好を崩されたのではなかろうか。大峯あきらは本当のことを語り合うのがお好きだった。
「晨」のいつの記念大会であったろうか、錚々たる来賓の方々が挨拶にたって、大峯あきら論を繰り広げられたとき、「圧巻やね」と、感無量であった。その中でもIさんは、〈花の日も西に廻りしかと思ふ〉について、私にはまだよくわからないと話された。これを聞いた師は「本当 のことを言われた、分かったような顔をしない、素直がすばらしい」とベタ褒めされた。
この件を最期まで、私に何度も言われ続けた。つまり、俳句も文章も「かっこ付けたらアカン」、これ一点張りであったが、それはそのまま生き方でもあった。
若き日に、高浜虚子から「自分が本当に感じたことを正直に言う、それが佳い俳句です」と教えられ、虚子も耄碌したのではと、はじめは疑っていたが、これこそが詩の生れる唯一の源泉であることを知った。虚子の言葉を真に理解するのに五十年かかったと言うが、師の深い洞察を思えば、これも本当だろう。
大峯あきらは一つの信念を徹底的に貫かれた。その信念を私に実践できるときが来るだろうか。
「存在しているのは今だけ、永遠の今は完全に自分のもの」、どこからか声が下りてきた。そう、今日という一日を心して生きたいと願うばかり。
芳草集 草深昌子選
はや炬燵一間いきなり笑ひ声 柴田博祥
冬ざれてひがないちにちモダンジャズ
冬ざれや石段傍の射的場
マフラーのまま単身の部屋灯す
両の手に鯛焼持ちて寒明ける
本日も意気軒昂や目刺焼く
見るほどに進まぬ時計春炬燵
鵙鳴くやサザンビーチは露地の先 奥山きよ子
福引の五等桃色文化の日
月蝕に立つ川岸や冬ざるる
小春日やインド映画の小ホール
病院のスタバ賑はふ松の内
スケート場灯し港は暮れにけり
本堂に立居ありけり梅の花
青草集 草深昌子選
スカートの尻のてかりや春浅し 河野きなこ
春風の鼻の奥まで通りけり
釣糸の動かぬ桜蕊の降る
幼子を抱くが如く寒卵
青竹の爆ぜる朝のどんどかな
ボール蹴る子を見下ろすや樗の実
見番に噺家来たる小六月
アリーナの一万人のマスクかな 小宮からす
木造の官舎ありけり苜蓿
高々とパティシエ帽や松の内
緞帳の奥の賑はひ初芝居
白菜と言うて優しき緑色
春めくや少し茶色の玉子焼き
さつきから雛に夢中やぼんのくぼ
大峯あきらのコスモロジー⑩ 草深昌子
前回に続き、大峯あきら第七句集『牡丹』(平成十七年刊行)の管見を試みたい。
一瀑のしづかに懸り山始 あきら
雷来んとする一峰の静かなり
にはとりといふもの静か盆の
一句目、威儀を正した正月の山の静けさが、一つの滝を通してしんしんと響いてくる。
二句目、まだ雷は来ていない、今しも雷が落ちるであろうと感受している、そんな気配を放っている一峰の静けさの凄み。気合いの籠った対峙こそが詩人にしか感受できない真の静けさというものではなかろうか。
三句目、「盆の家」を詠いあげるのに、「にはとりといふもの静か」という。その掴みどころの鋭さに驚かされるが、表現そのものは何とも平明である。だが、「いふもの静か」という言葉の空間の引き伸ばしかたは真似ができない。
大峯あきら俳句は総じてシーンとしている。もとより、静かと言わずして静けさの行き渡っているものであるが、時には「静か」と言い切って、静かとしか言いようのない詩情を際立たせている。
邸内に藪うつくしき余寒かな あきら
鞦韆や雲うつくしくそこを行く
「うつくし」もまた、大峯あきらならではの措辞である。「うつくし」は風景に取り込まれて、移りゆく時の詩情をたっぷりと湛えている。
既刊の句集からも次のような句が忘れられない。
崩れ簗観音日々にうつくしく あきら
餅配大和の畝のうつくしく
美しき涅槃の雪に女ゆく
くらがりに女美し親鸞忌
「うつくしく」は、韻律の上でも美しく作用しながら、季語との平仄が見事に決まっている。大峯あきらならではの力技ながら、読者にはごく自然に感受されるであろう。
四句目は吉野の報恩講。自解に「―煩悩に迷う凡夫のわれわれを必ず救い取るという阿弥陀如来の本願を無心に聴いている女人。美しき煩悩の花だ―」とある。
毎年十二月一日に大峯先生の寺の報恩講にお参りさせていただいた。そのご法話の迫力は俳句の先生にあらずして、まさしく親鸞聖人のお声そのものであった。阿弥陀如来に導かれつつ、恍惚とした心持ちに浸るほかなかった時間の尊さ。親鸞の心と一体となった、美の使者ともいうべき存在を見届けられた「くらがり」である。
「静か」また「美し」の余韻に浸っていると、吉野吟行の折の大峯先生の教えがしかと蘇ってくる。
春の山思ひ思ひに径通ふ あきら
平成二十五年であったか、吉野吟行の折に出された句である。(「春の山おもひおもひに径通ふ」『短夜』所収)
この夜の句会で、たまたま同行の方の句に上五は失念したが「思ひ思ひに子が通る」という句があった。すかさず、「私の句の思ひ思ひは、それとは違う」ということを真摯にも熱っぽく語られた。確か、こうであった。
――言葉とは生き物である。言葉は死んだり生きたりするもの。「思ひ思ひ」は、「春の山思ひ思ひに径通ふ」、この一句の文脈の中にのみ生きている。言葉が生きていることによって言霊となっている――
つまり、ほかのものと取り替えのきかない「思ひ思ひ」だというのである。このことは大峯あきら著『命ひとつ』(平成二十五年発刊)の中で、芭蕉の句をもって実証的に述べられている。大峯あきら俳句観として大事なところなので少し長いが引用したい。
さまざまの事おもひ出す桜かな 芭蕉
――芭蕉のこの秀句が言う「さまざま」は、「人生さまざま」とか「さまざまなことがありました」とかいうときの「さまざま」とはまるで違います。「さまざま」は俗語にも「詩語」にもなりうるのです。若いときに仕えた伊賀城主の蝉吟公が亡くなった後に伊賀へ帰り、お城の満開の花を見ながら昔を思い出した句です。(中略)実生活で使う「さまざま」には実物は何も入っていませんが、この句の「さまざま」には実物が入っています。この言葉は空語ではなく、ハイデッカーの表現を借りて言うと、実物をその内に宿している「存在の家」です。この芭蕉の句は、実に俗語を正したのです。(中略)芭蕉は三百年前に亡くなりましたが、この句の中に桜は今も咲いているのです。時空を貫いて爛漫と咲く永遠の桜です(後略)――
なるほど、名句というものはまさに本当の心から発せられたものにほかならない。読めばすぐ桜の世界に引き込まれて、「私の句ではないかしら」と思うほどしみじみと同化されてしまう。誰にでも詠えそうな気がするのは、自身のことが見事に客観視されて、大いなる普遍性を獲得しているからである。
「さまざま」も「思ひ思ひ」も、誰がどのように使ってもいいが、俗語を正すということは至難の業である。
石叩き激量ここに折れ曲り あきら
「激流」「ここに」「折れ曲り」、どの一字一句も「石叩き」の羽を鮮やかにも広げて見せて愛おしい。この激しさの水しぶきこそが大峯あきら俳句の核心ではないだろうか。
大峯あきらは生涯吉野に住んで、身近な吉野の自然風土を詠い続けた。この句の自註にはこうある。
――大台ケ原に発する吉野川は、高見川と合流してから、何度も湾曲して北流や南流をくり返す。吉野離宮があった宮滝あたりは、万葉歌人たちにしばしば「たぎつ河内」と歌われた、とどろくような激流となっている。ときどき石叩きが来ては、巨岩の上を歩いたり、碧い瀬の上を飛んだりする――自解は、あくまで眼前の物を言うだけで何ということもなく書かれている。だが、私にはこの大きな宇宙と一つになった小さな命が、いかにも切なく輝かしく、大峯あきらによって表出された宇宙から抜け出せない。
「滾つ瀬」は、はるかなる時空を超えて、今ここに在るもの。それは又、作者の内包する激しさに外ならないのではないか。あるがままの光景を打ち出して、隠し切れない詩情を放出している。
第二句集『鳥道』にある、〈檜山出る屈強の月西行忌〉なども同様の趣があって忘れられない。
大峯あきらの作品は、静かなる勁さを秘めている。
悼 田中裕明 二句
そのあとは鳥さへ鳴かず日短か あきら
初雪の日に訪ひくれし思ひ出も
『牡丹』の巻末近くに、平成十六年十二月三十日に早世した俳人田中裕明に寄せる追悼句がある。田中裕明先生は私にとっても、俳句初学以来ずっと憧れ続けた俳人であり、いつお会いしても微笑みをたたえたキラキラの眼差しがなつかしくてならなかった。ガックリと落ち込んでいる私に大峯先生はとくと言い聞かせてくださった。
――多くの俳人が、もっと生きてくれたら、今後どのような作品が生まれたか、惜しい、残念などというようなことを言われますが、それはちょっと違うのではないか。田中裕明はもう見事に、立派に、十分の仕事をしましたよ。高橋睦郎氏はそのことを一番よく分かっておられる――
田中裕明の遺句集となった『夜の客人』(平成十七年一月刊行)の「あとがき」にこう書かれている。
――大峯あきらさんにいただいた「いのちが生きることを肯定しているから、あなたはなにもしなくていいよ」という言葉に、入院中、どれだけ励まされたことか。いくら感謝しても足りません。――
秀句集 草深昌子
見るほどに進まぬ時計春炬燵 柴田博祥
春になってもしまいかねている炬燵です。暖かくはなってきましたが、寒の戻りもあって炬燵を惜しんでいるのです。さっきから何度も時計に首を回しますが、あまり時間が経っていません。何かに夢中のときはあっという間に時間が経ちますが、のほほんとしていますと時は進まないものです。長閑さが醸し出されています。
スカートの尻のてかりや春浅し 河野きなこ
スカートの「尻のてかり」とは驚きです、作者独自の発見です。かの古き世の女生徒のサージのスカートがすぐ思い浮かびますが、これは今の世のどんなスカートでしょうか、読者の想像におまかせです。
「春浅し」の季題が麗しくも光ります。俗世の穢れを季題の品性でもって包み込んだのです。
病院のスタバ賑はふ松の内 奥山きよ子
門松を立てておく期間が松の内ですが、近年はなべて正月飾りもが少なくなってきました。それでも病院には立派な門松が据えられ、病院内にあるスタバにも新年独得の明るさの雰囲気が立ち込めています。町中のそれとは違いますが、なじみのスタバが目出度さをもって束の間の癒しになっているに違いありません。
アリーナの一万人のマスクかな 小宮からす
あの広やかな全周のアリーナ。作者はどこのどんな催しに興奮をもって楽しまれたのでしょうか。 事実はさておき圧倒されるのは「一万人のマスク」です。コロナ禍にあって、やっと実現した一万人の観客のマスクの迫力はどうでしょう。大いなるハーモニーあるいは大音響でありながら、シーンという静けさの音がここには漂っています。
冬の季題「マスク」の本情からかけ離れた感慨があります。
横断歩道急いで渡る秋の蝶 加藤洋洋
横断歩道の青信号が点滅しています。さあ、急いで渡りきらねばなりません。それは作者自身のことで、秋の蝶にとっては赤も青もありません。でもこの一句はまるで蝶々が意志をもって急いでいるように感じられます。そう、秋深む季節にあって、けなげに飛んでいる蝶々と一心同体になっているのです。
同じ洋洋さんの、〈落ちさうで落ちぬ白露朝まだき〉も、白露の透き通った心になりきっています。今という時をいきいきと生きてかがやきます。
ひもすがら日は土にあり鶯菜 二村結季
「ひもすがら日は土にあり」は、あまねく鶯菜そのものに集約しています。鶯は春到来の美しい声をひびかせてくれますが、その名を冠した菜っ葉もまた、なんと初々しく瑞々しいものでありましょうか。
実は、鶯菜をよく知らないで感嘆していたのですが、後日結季さんに、その丹精のものをいただいて旬の日の香りをたっぷり味わいました。
生ぬるき雨に蟷螂ぬつと出て 伊藤 波
通りすがりではなく、蟷螂の出そうなところにいつも待機していたからこそ見届けられた句のように思われます。「ぬっと」出たところに、降る雨の生ぬるさが実感されたのです。いや、降る雨にいのちの温度をもたらしたのは、蟷螂であったということでしょう。
一限目田んぼ貸切り雪遊び 冨沢詠司
なつかしの小学校時代の思い出でしょうか。もちろん、現在の雪国の光景でもありましょう。何とも伸びやかな「雪遊び」です。雪投げ、雪合戦はもとより、雪兎、雪達磨などもろもろの雪礫が飛び交います。
雪月花という日本の四季の、日本人の心の風雅の根幹がこんな光景から形成されていくのでしょう。
春めくや街に新色スニーカー 伊藤欣次
この句に出会った瞬間に、わっと我が身が春めいたといいますか、あまりにも鮮やかな「春めく」に快哉を叫ぶばかりでした。作者にとっても一瞬の仕上りであったことでしょう。それが「新色」の鮮度に現れています。
さあ、外へ出かけましょう。
先生はいつも真ん中チューリップ 佐藤健成
先生と言えばまず学校の先生でしようか。一読して、記念撮影など、いつの時も先生を取り囲んでいたことに思い当たります。真ん中を肯定している喜びの笑顔などチューリップが代弁してあまりあります。
風に揺れ横に傾ぎて茎立ちぬ 市川わこ
先ず「風に揺れ」、続いて「横に傾ぎて」、さて何かしらと思いつつ「茎立ちぬ」と締めくくられますと、ああそうであったかと読み手は納得いたします。自ら茎立の映像が浮かび上がってくるのです。「横に傾ぎて」、何気ない描写に茎立のいのちが通います。
俳句は言葉を飾らずに詠いあげるのが一番です。
降りつもる雪に顔出す雪達磨 佐藤昌緒
雪達磨の句をさまざまに見てきましたが、「雪に顏出す」とは、思わず膝を打ちました。東京あたりでは雪達磨を作ったとしても翌日には溶け出して、このような景色にはならないのです。雪国の雪達磨でしょうか。
降りはじめると、降ってやまない雪の中にあって、いよいよ腰を据えているかのような雪達磨、その顔らしき部分に触ってもみたくなります。
短日や同じ字をまた辞書に引き 田中朝子
短日の句では、高濱虚子の〈来るとはや帰り支度や日短〉、〈物指で背かくことも日短〉等がすぐに思い浮かびます。無意味な仕草のなかにふと短日を意識させられてしまったのです。掲句も夕闇の迫ってくる時の思いを自身の実感をもって引き出しました。
一点を見つめて啼くや寒鴉 渡邉清枝
鴉は私達の近辺にいつもいますが、厳寒になりますと、餌を求めるからでしょうか、いよいよ人家に近づいてきます。一点を見つめる寒鴉は、どこか人間の物思いのような雰囲気をもっています。作者もまた愛隣の情をもって寒鴉を見つめています。
山一つ越えてまた会ふ春の雪 森田ちとせ
作者は登山愛好家ですから、険しい山を越えて来られたのでしょう。吹き晴れた空が思われます。ほっとするいとまを雪が降りかかります。さっきも出会った雪ですが、「また」というところに春の雪の淡さがいっそう鮮やかに印象されます。
初富士や地を這ふやうな浜の松 日下しょう子
初富士の美しさ、目出度さが十二分に詠いあげられました。駿河方面から眺められた富士山でしょうか。
松の古木には淑気が漲っています。
ひよつこりと僧の来訪梅の花 松尾まつを
ベルが鳴って戸口に出てみますと、思いがけず顔見知りの僧侶が立っているではありませんか。ようこそという驚きと親しみの表情をもって、迎え入れられたことでしょう。果たして何の ご用でしょうか。ふと温かな交流の場面が浮き上がりますのも「梅の花」が清楚にも美しく薫っているからです。
俳句誌の表紙新たや麦を踏む 加藤かづ乃
わが結社誌「青草」の表紙が一新されました。その喜びと感謝をこめて麦を踏んでいます。まだ寒さの厳しい早春の日々に、麦の芽を何処までも踏み固めます。その心は明日の収穫を祈っているのです。俳句もまた上達を祈って、地道な努力を一歩一歩続けていきます。
その他、注目句。
茶の花の垣根たどれば蔵のあり 松井あき子
ショーウインドー一夜で春になりにけり 中澤翔風
両腕に予防接種や今日おでん 古舘千世
妹と加賀の地酒を年忘れ 山森小径
寒晴や鳥除けの缶よく鳴つて 石堂光子
露寒の小鳩をつつく鴉かな 中原初雪
木の葉落つ子らの駆けたるその後に 平野翠
極彩の色の仏画や冬ぬくし 間 草蛙
菜箸を離さぬ夫や鋤焼す 川北廣子
幾たびか雲より出でし後の月 石原虹子
柿貰ふこの顔多分禅寺丸 湯川桂香
任されて下枝一枝松手入 川井さとみ
鉄柵に猪の突つ込む寒波かな 泉 いづ
冬晴や午後の三時に月が見え 黒田珠水
虎杖の煮染いただく旅籠かな 東小薗まさ一
襟巻やショーウインドーに映る父 松原白士
小寒や氏子総出の金種分け 神﨑ひで子
多喜二祭逗留宿の褞袍かな 木下野風
慎重に表紙外すは初暦 長谷川美知江
新酒手に天体ショーを観てゐたり 漆谷たから
すべり台一人すべるや春しぐれ 芳賀秀弥
春の夜や酒の肴の妻の味 大村清和
補聴器や咳の雑音もの凄く 町田亮々
春風や竿一列に干す産着 海内七海
「芳草集」の巻頭・次席、「青草集」の上位の作品の他は、句稿到着順に掲載しています。